脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

64年目の原爆症認定

2009年08月07日 | つぶやき
(本日二度目の投稿です。
前記事は昨夜12時過ぎに投稿したので、本日の日付になっています。)



原爆が落ちて、から64年目にして

原爆症と認定だなんて、なんというひどい話でしょうか?。

患者さんは原爆症のため、体も心もおつらいはずなのに、
裁判でやっと『原爆症」だと認めてもらえるなんて、

今までどれだけおつらい思いをされてきたことでしょう。

それまで「原爆症」だと認められなかったということは、
「原爆症」だと認めてもらうことで受けられる国からの支援が
ひとつも受けてこれなかったということなのでしょうか?

交通事故で脳脊髄液減少症を発症しながら、「異常なし」と
見逃され続けてたった数十年の私でさえ、
ここまで生き抜くことが困難の連続で
本当につらかったのに、

64年という時間は
なんという長い長い年月でしょうか?

その間、その方がたは、いったいどれほどの身体的
精神的苦痛を味わい続けて生き抜いてこられたのでしょうか?

想像を絶します。

どうして認定までこんなに時間がかかったのか?

水俣病や、
脳脊髄液減少症のように、

症状が自覚症状ばかりだったり、
症状との因果関係が証明できないとか、
きっとそんなことで、今まで認定が遅れたのでしょう。

何の罪もない市民が、
原爆雲の下で放射能をあび、
目に見えるやけどや怪我の他に、

体の内部を傷つけられて、
目に見えない怪我を負い、ここまで国の無理解を生き抜き、
認定までたどりついた患者さんは

全体の認定されるべき被害者のいったい
何パーセントなのでしょうか?

多くの原爆被害者の患者さんたちが、
原爆との因果関係も認められることなく、
さまざまな体の不調に苦しみながら
命を落としていったことでしょう?

64年目にして、認定を受けられた患者さんは
ごく一部の患者さんにすぎないことでしょう。


目に見えない怪我を体の内部に負った患者たちが
病として認定されない、

その原因となった事との因果関係が証明されないなどという、
こんな残酷なことは
今後は、何も原爆でなくても、繰り返してはなりません。

人を最初から、保証金目当ての詐欺師だなとど、
見る風潮が当たりまえに蔓延しているから、
同じようなことが繰り返されるのです。

詐欺師より、善良な普通の人の人数の方が多いのでは
ないですか?

似たような悲惨な目にあう人たちを
今後出さないためにも、

もっと普通の罪もない患者被害者の声に
真摯に向き合う社会を
築いてほしいものです。

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ギラン・バレー症候群そっくり病

2009年08月07日 | 他の病名との関連性
大原麗子さんがすでに
お亡くなりになっているのが発見されたそうです。
長くギラン・バレー症候群で闘病されていたそうです。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



この病名を聞いて、急にいろいろな記憶がよみがえってきたのですが、

そういえば、
まだ、この世に、「脳脊髄液減少症」なる病名が存在していなかったころ、

私の症状の原因を自力でさぐるべく、

必死に医学書でさまざまな病名や症状を調べていた時、

もしかして、
ギランバレー症候群かも?」と思ったことがありました。

症状がとても似ていたから・・・。

私の症状は、手足の筋力低下や麻痺は左右対称とは言い切れなかったけれど、
むしろ非対称であったけれど、

その他ののどの痛みや腫れ、
微熱、感染症にかかりやすくなる、感覚鈍麻
シビレ、痛み 、呼吸障害

顔面が無表情になる症状
(今思えば脳脊髄液減少症の症状のひとつの顔面神経麻痺)
や目の障害などの脳神経症状や、

ろれつがまわらないなどの構音障害や
飲み込みにくい、むせるなどの嚥下障害などの球麻痺症状、

さまざまな自律神経障害

手足の脱力、麻痺などの症状は
とても、似ていると感じました。

ただ、違うと感じたのは、
症状が両側に左右対称に出る(両側性)ではなく、

私の場合半身に症状強くでたりして、左右非対称であったり、

両手に同時いシビレや脱力がでたりと、少し症状の出方が違っていることぐらいで
あとの症状はとても似ていると感じました。

だから、何か、脳神経に関する病だとはうすうす感じていましたが、

まさか、その後、脳脊髄液が漏れていたとは当時は
気づけるはずもありません。

なにしろ、脳脊髄液減少症の病態の存在自体に、世界中の誰も気づいていない時代ですから。

症状はギランバレー症候群に似ていると自分では感じていても、
当時、受診した神経内科の医師からは
その病名ははっきりとは出てきませんでした。

どうやら医師は「ギラン・バレー症候群とは違う」と感じていたらしいのですが、

では、いったい私のこの症状の原因は何?と悩みました。

症状は確かにあるのに、病名がはっきりしない・・・・

そんな状態で
長い長い年月が過ぎていきました。

時は流れ、
「脳脊髄液減少症」という病態に
世界中ではじめて気づいてくださったS医師が現れた時代まで生き抜き、

ついに、自分の症状が
「脳脊髄液減少症」に似ていることに自分で気づき、
RI検査を受けるところまでたどりつき、
私は「脳脊髄液減少症」だったと判明しました。

真の病名が判明して、
やっと、本当の治療のスタートラインに立てたのです。

発症から、病名判明まで、長い長い年月がたってしまっていました。

その間、もし健康だったら?、
もし、もっと早く病名が判明して治療を受けていたら?、

何より、あの交通事故にあっていなかったら、
私の人生はどうなっていたのか?と、考えてしまうと

今生きているのさえ、つらくなってしまいます。

人間はひとつにつながった体です。
体のどこかが不調になっても、似た症状が出る病はたくさんあると思うのです。

それなのに、
医学の教科書にもどこにも載っていない病名だけは
医師も患者も気づかない。

既成の病名の症状にあてはまらないと
「異常なし」と切り捨てられるのです。

医学の教科書に載っている病名なんて、
人間の歴史の中で気づいたごく一部の病気だけにすぎないのに、

まるで教科書に載っている病だけが、
人間の病のすべてであるかのように、思い込んでいるかのような医師たち。

脳脊髄液減少症の病名が存在していなかった時代は
交通事故も多数発生していたはずだから、

脳脊髄液減少症患者は、私以外にも大勢いたはず、

その人たちは、症状の程度にもよるけれど、

今どうしているのかとふと思うのです。

自然治癒した方もいるでしょうが、
重い症状を抱えていた人もいたでしょうし、

症状を抱えながらも一家の稼ぎ手として働かなければならない人もいたでしょうし、

親にも先生にも医師にも症状をわかってもらえなかった子供たちもいたことでしょう、

次第に症状が悪化して、起きていられないほどになって、
寝てきりになってしまった、
当時の脳脊髄液減少症患者さんたちは、今、いったいどうしているのでしょうか?

現代まで生き延びて、

真の病名や、ブラッドパッチ治療に
たどりついた人は
当時の脳脊髄液減少症患者の全体の何パーセントなのでしょうか?

きっと、ごく一部の幸運な患者しか、
病名にも、治療にもたどりついていない気がします。

もし、今も当時の患者たちが生存しているなら、
早く、脳脊髄液減少症という病態が存在することに、気づいてほしいです。

そして、
医療現場では、もう、何十年も苦しんできた患者さん優先で
治療をしてあげてほしいです。

だって、
病名がない時代を生き抜くことは
もうそれだけで本当に苦痛に満ちたことだったはずですから・・・

せめて、
治療を優先してあげて、一刻も早く、少しでも体を楽にしてあげて
ほしいと願っています。


「ギラン・バレー症候群」という病名に、
また、孤独で、体もつらかった時代を思い出してしまいました。

過去を思い出すと、
あまりの理不尽さに、今生き続けることさえ、嫌になってしまいます。





    

ところで、
大原麗子さんは、本当に「ギラン、バレー症候群だったのだろうか?」

私は最近医師のつける病名が
すぐには信じられなくなってきています。

その医師一人の頭の中にある病名ですから、
医師の頭の中にはない病名はつかないわけですから・・・・。

人間がつけた病名なんて、あってないもんだと思うこともあります。

病名なんていらなくて、

「健康、調子がいい」、と「具合が悪い」の

2種類の分類だけでいいと思うこともあります。

柳澤桂子さんが著書で言われているように、

病気か病気でないかは、
医師が決めるのではなく、本人だと思います。

それにしても、
ギランバレーの症状は左右対称が、
脳脊髄液減少症ではむしろ左右非対象である以外は
本当にほどんど症状がそっくりです。

上のリンク記事読んで、ギランバレーの検査は脳脊髄液を抜いて検査するようで、

もし脳脊髄液減少症の症状なのに、ギランバレー症候群を疑われて
脳脊髄液抜かれて検査されたらと思うとおそろしいことになると思い、

思わず、ぞっとしました。
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