(本日二度目の投稿です。
前記事は昨夜12時過ぎに投稿したので、本日の日付になっています。)
原爆が落ちて、から64年目にして
原爆症と認定だなんて、なんというひどい話でしょうか?。
患者さんは原爆症のため、体も心もおつらいはずなのに、
裁判でやっと『原爆症」だと認めてもらえるなんて、
今までどれだけおつらい思いをされてきたことでしょう。
それまで「原爆症」だと認められなかったということは、
「原爆症」だと認めてもらうことで受けられる国からの支援が
ひとつも受けてこれなかったということなのでしょうか?
交通事故で脳脊髄液減少症を発症しながら、「異常なし」と
見逃され続けてたった数十年の私でさえ、
ここまで生き抜くことが困難の連続で
本当につらかったのに、
64年という時間は
なんという長い長い年月でしょうか?
その間、その方がたは、いったいどれほどの身体的
精神的苦痛を味わい続けて生き抜いてこられたのでしょうか?
想像を絶します。
どうして認定までこんなに時間がかかったのか?
水俣病や、
脳脊髄液減少症のように、
症状が自覚症状ばかりだったり、
症状との因果関係が証明できないとか、
きっとそんなことで、今まで認定が遅れたのでしょう。
何の罪もない市民が、
原爆雲の下で放射能をあび、
目に見えるやけどや怪我の他に、
体の内部を傷つけられて、
目に見えない怪我を負い、ここまで国の無理解を生き抜き、
認定までたどりついた患者さんは
全体の認定されるべき被害者のいったい
何パーセントなのでしょうか?
多くの原爆被害者の患者さんたちが、
原爆との因果関係も認められることなく、
さまざまな体の不調に苦しみながら
命を落としていったことでしょう?
64年目にして、認定を受けられた患者さんは
ごく一部の患者さんにすぎないことでしょう。
目に見えない怪我を体の内部に負った患者たちが
病として認定されない、
その原因となった事との因果関係が証明されないなどという、
こんな残酷なことは
今後は、何も原爆でなくても、繰り返してはなりません。
人を最初から、保証金目当ての詐欺師だなとど、
見る風潮が当たりまえに蔓延しているから、
同じようなことが繰り返されるのです。
詐欺師より、善良な普通の人の人数の方が多いのでは
ないですか?
似たような悲惨な目にあう人たちを
今後出さないためにも、
もっと普通の罪もない患者被害者の声に
真摯に向き合う社会を
築いてほしいものです。
前記事は昨夜12時過ぎに投稿したので、本日の日付になっています。)
原爆が落ちて、から64年目にして
原爆症と認定だなんて、なんというひどい話でしょうか?。
患者さんは原爆症のため、体も心もおつらいはずなのに、
裁判でやっと『原爆症」だと認めてもらえるなんて、
今までどれだけおつらい思いをされてきたことでしょう。
それまで「原爆症」だと認められなかったということは、
「原爆症」だと認めてもらうことで受けられる国からの支援が
ひとつも受けてこれなかったということなのでしょうか?
交通事故で脳脊髄液減少症を発症しながら、「異常なし」と
見逃され続けてたった数十年の私でさえ、
ここまで生き抜くことが困難の連続で
本当につらかったのに、
64年という時間は
なんという長い長い年月でしょうか?
その間、その方がたは、いったいどれほどの身体的
精神的苦痛を味わい続けて生き抜いてこられたのでしょうか?
想像を絶します。
どうして認定までこんなに時間がかかったのか?
水俣病や、
脳脊髄液減少症のように、
症状が自覚症状ばかりだったり、
症状との因果関係が証明できないとか、
きっとそんなことで、今まで認定が遅れたのでしょう。
何の罪もない市民が、
原爆雲の下で放射能をあび、
目に見えるやけどや怪我の他に、
体の内部を傷つけられて、
目に見えない怪我を負い、ここまで国の無理解を生き抜き、
認定までたどりついた患者さんは
全体の認定されるべき被害者のいったい
何パーセントなのでしょうか?
多くの原爆被害者の患者さんたちが、
原爆との因果関係も認められることなく、
さまざまな体の不調に苦しみながら
命を落としていったことでしょう?
64年目にして、認定を受けられた患者さんは
ごく一部の患者さんにすぎないことでしょう。
目に見えない怪我を体の内部に負った患者たちが
病として認定されない、
その原因となった事との因果関係が証明されないなどという、
こんな残酷なことは
今後は、何も原爆でなくても、繰り返してはなりません。
人を最初から、保証金目当ての詐欺師だなとど、
見る風潮が当たりまえに蔓延しているから、
同じようなことが繰り返されるのです。
詐欺師より、善良な普通の人の人数の方が多いのでは
ないですか?
似たような悲惨な目にあう人たちを
今後出さないためにも、
もっと普通の罪もない患者被害者の声に
真摯に向き合う社会を
築いてほしいものです。