脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

シングルマザーの死 2

2009年08月02日 | 心の葛藤
川村さんの唯一の救いは

「がん」という世間に認められた病であったために、
脳脊髄液減少症患者のように、病以外のよけいな苦しみ、
たとえば、「病に対する無理解」「症状軽視」などの苦しみには
それほど会わずにすんだのではなかった?と思えることです。


病の症状や未来への不安などだけでも苦しいのに、

病の症状のつらさ苦しみ重篤さが、
医師にも誰にも理解されない、

見た目で病人に見えない、
普通の検査では何も異常がでないということは、

脳脊髄液減少症患者のように、
苦しい症状を訴えても、

「検査で異常がないんだから、気のせいだ」とか
「そんな病気なんてありえない」と医師にも相手にされなかったり、

「そんな病は命を落とすほどの深刻な病なんかじゃない」とか
「そんな病は、気のもちよう」などと、

叱咤激励され、

精神的なものからくる症状と誤解され、
はては何かの目的のための仮病とまで疑われ、

世間の無理解に苦んだり、
健康保険が聞かないとか、
「病の苦しみが医師にも世間にも認められない」という
病以外のそういうよけいな苦しみは

病自体のつらさをはるかに越えるつらさです。

そういう思いだけは、
川村さんは経験しないですんだと信じたいです。


癌という病に関しては、その重病さも深刻さも闘病の厳しさも
医師の知識の共通認識も、
緩和ケアも支援体制もある程度整っていて、

脳脊髄液減少症ほど、病以外のことで、精神的に苦しめられることは
少なかったのではないかと思えることが、

せめてもの、救いだと思いました。


脳脊髄液減少症患者はブラッドパッチ治療をしても、

ささいなことで症状が悪化したり、
再発してしまうと、

「何やってんの?
せっかく高い自費のブラッドパッチで治療したのに?
えっ?また再発?悪化?
なに、再発させてんの?また、ブラッドパッチ?

自費の高額の治療費どうすんの?
貯金あんの?

馬鹿だね~
調子にのって何か無理したんでしょ?
結局は自分の不注意なんだよね・・・」的な意味を感じる

周囲のあきらかに、あきれたような対応を
感じたりもしますが、

癌患者さんが、もし再発しても、症状が悪化しても、
周囲に同情されることはあっても、
あきれられたり、責められたりすることは、あまりないのではないでしょうか?

再発して、脳脊髄液減少症患者のような冷たい目で見られることは
あまりないと思います。

再発するだけでも、悪化するだけでも、患者本人はつらいのに、

ましてや周囲からそんな冷たい、責められるような目でみられたとしたら、
患者はとてもつらいはずです。

川村さんが、癌が再発された時、
周囲から心配されることはあっても、

脳脊髄液減少症患者のように、「何再発させてんだよ」的に
あきれられることも、
周囲から責められるような視線や態度をとられることも、
そんな目にはあわなかったと信じたいです。

再発後も、
精一杯医療スタッフや、周囲の人たちに暖かく支えられていたと
思いたいです。

そうでなければ、
もし、脳脊髄液減少症患者のような扱いを受けていたなら、
あまりにつらすぎます。


でも、この記事を読むと
乳がんを発症し、闘病しはじめたころは、
元の配偶者の理解にも恵まれず、苦しまれたようです。

一般の家庭の主婦でも、
風邪を引いて寝込んでいても、
旦那が何もしてくれず、「めしは?」と言ってくる。

「熱があって起きられない夕食を作れない」というと、
「じゃいいわ、外で食べてくる。」と自分だけのことだけ考えて
寝込んでいる夕食のことまで考えが及ばない夫がいて、

そういうことの積み重ねが離婚につながることもあると
聞いたことがあります。

風邪でも、冷たくされると悲しく相手の人間性を疑ってしまうのですから、

もし、
重大な病になった時に、一番身近な配偶者にその病のことも
症状の苦しさも、心の葛藤も全く理解してもらえないとしたら、

毎日の闘病の日々を、暖かく支えてもらえないとしたら、

患者にとって、それもまた、
病自体の苦しみを上回る苦しみになってしまうと思います。


一番わかってほしい人に病の苦しみをわかってもらえない、
理解してもらえない、

支えてもらえない心の苦しみは
病自体の痛み苦しみよりつらいことは、
私も体験して知っています。

ましてやそれが、夫婦の別れのきっかけになるのでは
あまりにつらいことです。

脳脊髄液減少症患者さんも、
家族や、配偶者の理解と支援に恵まれている方ばかりではないと思います。

今も、病名さえわからないまま、思うように仕事や家事ができないことを
配偶者に責められている人もいるかもしれないし、

脳脊髄液減少症だと病名がわかっても、なお、症状を理解されずに、

健常者と同じことを求め続けられ、精神的に追い詰められていく
患者さんもいると思います。


せめて、
はやく、はやく、「がん」と同じ程度にまで、
脳脊髄液減少症もその病の深刻さや、治療の必要性、
闘病中の経済的、日常生活的支援の必要性に
社会が気づいて、助けて欲しいと願っています。


多くの脳脊髄液減少症患者も、
病の苦しみが配偶者や家族にさえ、理解されず、

もちろん専門医以外の地域の身近な医師にも理解されず、
人間不信になったり、友人を失ったり、離婚したりしていると思います。

そういうことが続いて、
私のように、もう誰も信じられないという状況に
陥ってしまう人もいると思います。

川村カオリさんも、
もし、闘病中にそういうつらい時期があったのなら、

どんなにか悲しかったろうと思うし、

癌を抱えながら、シングルマザーになる決断をした時は

どんなに苦しく心細かったろうと思います。

それでも、なお、精一杯がんばったのは強い方だったのだろうと思います。

脳脊髄液減少症の脳脊髄液漏れを止める
唯一の治療であるブラッドパッチ治療にさえ、健康保険は聞きません。

癌にも健康保険の聞かない治療はあっても、健康保険がきく治療もあるはずで、
「唯一の効果のある治療法に健康保険がきかない」なんて
残酷な思いはせずにすんだろうとも思います。

病だけでも苦しいのに、
病以外の精神的、経済的なことで患者が苦しむような社会は

もういいかげん変えてほしいです。

政治家のみなさまも、医師の皆様も人事だと思わず、
明日はわが身だと考えて行動してもらいたいと思います。

川村カオリさんが
離婚前に、身近な人に理解されない苦しみがあったとしても、
お子さんを残して逝かれる苦しみがあったとしても、

最後は医療や社会の病の理解に支えられていたと信じたいと思います。


報道によると、唯一の理解者は
7歳の娘さんだったようで、

その娘さんの母を思う言葉のひとつひとつは
テレビを通して聞いているだけで、
私の心まで癒してくれました。

どんなに重い病であっても、

どんなに命に限りがある病であっても、

どんなに見た目には健康そうにみえても本人はつらい病であっても、

大切なのは、その患者さんがいつも人として尊重され、大切に扱われ、

たったひとりでいいから、
苦しみを理解しようとしてくれ、

苦しみによりそってくれる人がいてくれることだと思うのです。

最後まで、その人らしく、精一杯生きることができるよう
できれば周囲からもチームで支援してもらい、

思い残すことはあっても、

少しでも患者がやすらかなおだやかな気持ちで、
生を全うしていけるような社会づくりが

どんな病であっても、望まれることだと思います。


川村カオリさんは

17歳になった、娘さんへのメッセージを曲に残していったそうです。

7歳の子を残して、逝かなければならない母の気持ちは
心おだやかであるはずがありませんが、

自らの死が近づくことを受け入れながら、
最後になってしまったコンサートもこなし、
彼女は精一杯のことを成し遂げて、やすらかに亡くなっていかれたとように
思います。



また、癌に限らず、

この国に同じ様に存在するであろう、
病を抱えた、お父さん、お母さんたちを思い、

お子さんのためにも、病と闘っておられる、
特にシングルマザー、シングルファザーに対する、
何らかの支援策を

政府にお願いしたいと思います。

特に、一部の医師にはいまだに病とさえ認められていない
脳脊髄液減少症に親がなると、そのお子さんたちが受ける影響は多大です。

父親や母親が脳脊髄液減少症になってしまって、働けない、

家事ができない、
買い物にもいけない
学校行事にもいけない、
授業参観にも、運動会にも見に行ってやれない、

立っていられない、座っていられない症状があると
入学式にすら、体育館での椅子にも座っていられないはずです。

パートナーが脳脊髄液減少症に理解して支援してくれればまだ幸せですが

そうでなく無理解で、
怠け者扱いされて離婚に至ってしまうような不幸にまで
子供達が巻き込まれてしまわないように、

この恐ろしい、影をひそめた見えない悪魔のような病
「脳脊髄液減少症」から
患者や家族を守っていただきたいと思います。

どうかこどもの幸せのためにも

癌や、

脳脊髄液減少症患者の早期発見、早期治療、
唯一の治療法であるブラッドパッチ治療の早期健康保険の適用、

ヘルパー支援、経済的支援、闘病中の緩和ケアなど、

医療福祉で、癌患者様と同じように、

脳脊髄液減少症患者支援策をお願いしたいと思います。



ここで、
書いている記事内容と相反する自分の行動を告白いたしますが、
私は、もう何十年も、乳がん検診を受けていません。

人には早期発見早期治療で、生きてほしいと思うくせに、
自分にはそう思えないのはなぜなのでしょうか?

行政からの案内が来ても、がん検診はずっと拒否し続けています。

とても行く気になれないのです。

それぐらい、脳脊髄液減少症での長い長い放置期間は
私を医療不信と、他の病気に対する恐怖を失わせてしまったようです。

乳がんの早期発見早期治療を必死で訴えて
多くの人たちの命を救おうと一生懸命になってくださっている
癌患者さんたちの気持ちを踏みにじってしまうようで
非常に失礼なことだとは自覚しておりますが、


すでに脳脊髄液減少症で苦しみぬいていて、
癌検診に行くだけの気力も体力もなかったのもありますが、

脳脊髄液減少症とはわからない時代
苦しい症状をすでに抱えて生きているだけでつらかったのに、
これ以上、
他の病を検診などで探しあてたところで、なにが得だというのだ?
という気持ちもありました。

他人の交通事故という暴力によって起きた
こんな理不尽な脳脊髄液減少症という病に振り回された、納得のいかない人生が

早く自然に終わってしまえばいい、早く寿命が尽きてしまえばいいと、
心のどこかで願っていたのかもしれません。

脳脊髄液減少症でこんなに苦しい人生が
他の病で死ねるのなら、その方が今のまま生きるよりも
楽かもしれないと、心のどこかで思っていたのかもしれません。

それほどまでに、
長い長い年月、
脳脊髄液が漏れ漏れでありながら、
「異常なし」と医療から見放さされ、

「健常者」としてあたりまえのことをこなし、
生きてこなければならなかった私は、

心が病んですさみ、疲れきり、
人間不信、医療不信、検査不信になっていて、

自らの命さえも、大切に思う気持ちすら、
脳脊髄液減少症に奪われかけているようです。

そういう私という患者の心の傷をご理解いただき、

こんな愚かな考えを持ち、検診を拒否し続け、

脳脊髄液減少症の主治医以外、誰も信じられず、
誰にも心の本心を語れなくなり、

どうせ、語っても、疑われ、馬鹿にされ、信じてもらえないと思ってしまっています。

がんから身を守る気力も失いかけ、
もう、脳脊髄液減少症という「認められない病」で苦しんだんだから、
いまさら、どうでもいいよと投げやりになり、

何年も乳がん検診も子宮がん検診もしていない
自分を大切にできていない
私をお許し願いたいと思います。

でも、そんな投げやりになっていた私ですが、

今回の川村カオリさんに、
命の大切さ、生きることの大切さを、

改めて教えていただいた思いです。

他人の交通事故という暴力によって、
健康な体だった私は脳脊髄液減少症になり、
私の人生の大半をだいないしにされてしまったけれど、

それでも、「脳脊髄液減少症」なんて病気の概念のない時代を生き抜き、
今やっと、病名のある時代にたどりついた・・・・

それだけでも、生きてきた意味があったと思います。

やっとやっと、本当に長い長い年月を生き延びたおかげで、
MRIやRIなどの医療機器の発達、普及した時代にたどりつき、

苦しみの症状に「脳脊髄液減少症」という病名がつき、

私の訴えが、仮病でも、精神的なものでも、気のせいでもないと証明され

発症から、十数年後に主治医とも出会え、
やっと晴れて「病人」と認めてもらえた。

私の周囲に支えてくれる人もわずかながらいて、
今こうして、生きて、ブログも書かせてもらえる環境がある、
だから、
今生きていることの幸せに感謝しながら、

逝きたくても生きられなかった人の分まで、
心も体もつらくとも負けないで、

とりあえず、今日一日を生きることを
積み重ねたいと思います。

シングルマザーの死・・・・・

その衝撃的な悲しみが私に教えてくれたこと・・・・


とにかく、生きなさい・・・

どんなにつらくても、
自然に命尽きるまで、生きなさい・・・・ってことかな。

川村カオリさん、
なげやりだった私に、生きていられることの幸せを
教えてくれていありがとうございます。

そのうち、
乳がん検診も受けてみようかな?

せっかく、脳脊髄液減少症で
数々の危機に見舞われ殺されそうになりながら生き延び
治療にたどりつき回復傾向にある自分を、

残りわずかな人生、少しでも長生きさせてあげようかな?

そう一瞬だけでも思ったりします。


最後に

川村カオリさんのご冥福と、

残されたお子様の健やかでたくましい成長をお祈りし、
お子さまの周囲の皆様の暖かなご支援をお願いしたいと思います。

川村カオリさんのブログ

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