川村カオリさんがお亡くなりになりました。
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
川村カオリさんという方をテレビで知ったのは
今年の5月でした。
ロックなどの音楽に疎い私は、あまり多くの歌手を知りません。
そのときまで川村カオリさんという名前すら
失礼ながら存知あげていませんでした。
でも、
川村カオリさんという歌手がいて、お母さんで
お子さんがいて、
乳がんと闘っておられて、
左乳房を全摘出されていて、
シングルマザーで
7歳の女の子を育てながら
コンサートなどのお仕事をしていて
いらっしゃることを知った時、
病気は違っても、闘病中の同じ患者として、
言葉に言い表せない切ない思いがわきました。
とにかく、生きてほしい、
ご自身のためにも、お子さんのためにも、
そう祈るしかありませんでした。
でも、
がんが再発して、
手術は不可能だといわれて・・・・
それでもなお、
川村さんは、その後も娘さんのあたたかい言葉に
支えられながら
娘さんに愛されながら、精一杯生きておられた。
胸がしめつけられ、いたたまれなくなって
川村カオリさんのご回復を祈らずにはいられませんでした。
病や闘病中の薬などの影響で、苦しいはずの体で
コンサートをこなすその姿をテレビで見て、
ああ、どうか、このお母さんを助けてあげてほしい。
ああ、どうか、このお母さんを死なせないでほしい。
シングルマザーで子育てを一人でがんばっている母を、
唯一の、身近なお母さんという親を
子供から奪わないでほしい、。
そう切に切に願いました。
それなのに、こんなにも早く、
亡くなってしまうなんて・・・。
7歳のお子さんからお母さんを奪ってしまうなんて・・・
こんなにもがんの早期発見がさけばれ、
こんなにもがん検診制度が整い、
こんなにもがん撲滅のために、真剣に研究に取組んでくださっている
世界中の多くの人たちと、
がん患者のために、身体的精神的苦痛の緩和ケアにまで
取組んでいる多くの方がたまでいるというのに、
「がん」という病の残酷さ、過酷さを
改めて思い知りました。
どうして、神様は
幼い子を抱えているシングルマザーに、こんなひどい病という試練を
お与えになるのか?。
なぜ、左乳房を全摘出しただけでもつらいのに、
精一杯病と闘っている最中に、
さらに再発という残酷な仕打ちまで与えるのか?
なぜ、幼い子から、一番大切な、大切な母親を奪ってしまうのか?
がんという病が
憎くて憎くてたまりません。
その残酷さに、
悲しくて、悲しくて、やりきれません。
残されたお子さんの今後や
お母さまを失われた寂しさ、悲しみを思うと、涙があふれてきます。
どうか、たくましく育ってほしいと願わずにはいられません。
私は今から十数年前、交通事故後に次々起こる不可解な体調不良に
延々と苦しんでいたころ、
当然、脳脊髄液減少症の病名も病気の概念もない時代、
体が苦しくてたまらないのに、
いくら医師をめぐっても、
「異常なし」と放置され続けていました。
その時、私の心の中に
ある思いがふつふつと沸いたのです。
それが、
「がん患者さんがうらやましい」という思いでした。
当時は、脳脊髄液減少症の存在を、世界中の誰も気づいていない時代でした。
(S医師が脳脊髄液減少症にうすうすと気づきはじめたのは2000年ごろだそうですからそれよりはるか昔の話です。)
医療に手厚く扱われ、「がん」という病名だけで、
その病の深刻さ、つらさ、を周囲がすぐさま理解してくれるように思えた
「がん」患者さんがうらやましかったのです。
けっして、「がん」という病気自体になりたかったわけではありません。
ただ、症状を訴えて、医師にその症状をすぐさま信じてもらえ、
検査をすれば、科学的証拠で患者の訴えがウソではないことが証明され、
晴れて患者としてむきあってもらえ、治療に入れるという、
その当たり前の流れが、どんなに恵まれいることかと
思ったのです。
なぜなら、
当時の脳脊髄液減少症患者は
症状を医師に信じてもらうことさえ、
症状を検査で科学的に証明してもらうことさえ、
病名がつくことさえ、
そして真の病名を知り、
根本治療への入り口に立つことさえ、
まったく断たれていたのですから・・・・。
治療と回復への道が、まったく閉ざされていたも同然です。
しかも、つらいから
症状を訴えればうったえるほど、
うさんくさがられ、何かの目的のために症状を訴えているのではと
疑われ、
精神的なものだと片付けられ、
患者はついに「脳脊髄液減少症」などという真の病名に
誰もたどりつけない時代でした。
だから、当時すでに「がん」は世間に認知され、
患者の症状をすぐさま信じてもらえ、検査でそれが証明され、
その患者の苦痛や症状の除去のために、治療や対策を考えてくれる人がいる、
医師から告げられえた「がん」という病名を周囲や家族に告げただけで、
すぐさま、その深刻さを認知してくれる社会がある、
そのことが、心底うらやましかったのです。
自覚症状があって、
医師を受診して、
医師にその症状を信じてもらえ、
そして、検査でもその症状を裏付ける検査結果が出て科学的に
患者の訴えがウソではないと証明され、
晴れて病人として認められ、
治療のスタートラインに立てるということが、
どれほど病人として恵まれていることか、
「認められない病」の脳脊髄液減少症になって初めて気づいたのです。
何十年も本当の病名も、
症状を信じてももらえず、
医師にまともに相手にしてもらえず、
病名もつかず、あるいは誤診され、方向違いの薬や治療をされ、
真の病名がつかないと、
医師が異常なしだというのにと、家族も周囲も気のせいだと笑い飛ばされ、
誰にも症状の苦しみを理解されなかったころ、
「がん」はすでに重い病と認識され、
わざわざ患者が必死に医師や周囲に病の深刻さつらさ苦しさを訴えなくとも
黙っていてもその病名だけで
周囲が患者を理解して、支えてくれるように見えた。
私の中で
周囲にすぐさま病の苦しさ深刻さを理解してもらえる病名の
代表ともいえる病が
「がん」だったのです。
がん患者さんの苦しみも、
命を奪われる恐怖も無念さも、
抗がん剤の苦しさも、私は全く知らないくせに、
ただ、私は、
周囲に「深刻な病を持った病人」として
受け入れられ、
医師に真剣にむきあってもらえ、
病気の本性を知ることができ、
病と向き合い闘えることもでき、
治療のスタートラインにたてる、
そのことが
浅はかにも「がん患者さんがうらやましい」と感じてしまったのです。
当時の脳脊髄液減少症患者は
信じてもらうことも、
医師にまともに受け止めてもらうことも
真の病名を知って病の本性と向き合うことも、
真の治療のスタートラインに立つことも
かなわなかった時代でした。
でも、
こうして、
次々に乳がんでなくなる女性患者さんを知って、
その無念さ、痛ましさを知って、
いくら社会に「がん」という病の認知や理解や支援制度が
整っていても、
病の恐ろしさを抱えた患者さんの苦しみや悩みは
やはり、
深く悲しいものなのだということを、あらためて感じました。
どうか神様、
世界中の子供達から、親を奪わないでください。
あらゆる病で、あらゆる事故で、あるいは戦争で、
こどもたちから、親を奪わないでください。
命だけではなく、
親が生きていても、
脳脊髄液減少症という見えない事故後遺症や
貧困や、病や事故で、親から健康を奪わないでください。
子供達のために、
親から、元気や笑顔や優しさをうばわないでください。
親の元で暮らすこどもたちは、
親も元気で幸せに生きることで、
子供も幸せに生きられるのだと思います。
どうか、神様
子供を持つ親から、
「健康」というささやかだけど
とても大切なしあわせを奪わないでください。
子供を持つ親を癌や、脳脊髄液減少症や
その他の病や事故後遺症で苦しめないでください。
親の病や
親の事故や
親の死が
その後の子供達の生活まで一変させ、
何の罪もない子供達までつらい思いをさせないためにも・・・・。
つづく
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
川村カオリさんという方をテレビで知ったのは
今年の5月でした。
ロックなどの音楽に疎い私は、あまり多くの歌手を知りません。
そのときまで川村カオリさんという名前すら
失礼ながら存知あげていませんでした。
でも、
川村カオリさんという歌手がいて、お母さんで
お子さんがいて、
乳がんと闘っておられて、
左乳房を全摘出されていて、
シングルマザーで
7歳の女の子を育てながら
コンサートなどのお仕事をしていて
いらっしゃることを知った時、
病気は違っても、闘病中の同じ患者として、
言葉に言い表せない切ない思いがわきました。
とにかく、生きてほしい、
ご自身のためにも、お子さんのためにも、
そう祈るしかありませんでした。
でも、
がんが再発して、
手術は不可能だといわれて・・・・
それでもなお、
川村さんは、その後も娘さんのあたたかい言葉に
支えられながら
娘さんに愛されながら、精一杯生きておられた。
胸がしめつけられ、いたたまれなくなって
川村カオリさんのご回復を祈らずにはいられませんでした。
病や闘病中の薬などの影響で、苦しいはずの体で
コンサートをこなすその姿をテレビで見て、
ああ、どうか、このお母さんを助けてあげてほしい。
ああ、どうか、このお母さんを死なせないでほしい。
シングルマザーで子育てを一人でがんばっている母を、
唯一の、身近なお母さんという親を
子供から奪わないでほしい、。
そう切に切に願いました。
それなのに、こんなにも早く、
亡くなってしまうなんて・・・。
7歳のお子さんからお母さんを奪ってしまうなんて・・・
こんなにもがんの早期発見がさけばれ、
こんなにもがん検診制度が整い、
こんなにもがん撲滅のために、真剣に研究に取組んでくださっている
世界中の多くの人たちと、
がん患者のために、身体的精神的苦痛の緩和ケアにまで
取組んでいる多くの方がたまでいるというのに、
「がん」という病の残酷さ、過酷さを
改めて思い知りました。
どうして、神様は
幼い子を抱えているシングルマザーに、こんなひどい病という試練を
お与えになるのか?。
なぜ、左乳房を全摘出しただけでもつらいのに、
精一杯病と闘っている最中に、
さらに再発という残酷な仕打ちまで与えるのか?
なぜ、幼い子から、一番大切な、大切な母親を奪ってしまうのか?
がんという病が
憎くて憎くてたまりません。
その残酷さに、
悲しくて、悲しくて、やりきれません。
残されたお子さんの今後や
お母さまを失われた寂しさ、悲しみを思うと、涙があふれてきます。
どうか、たくましく育ってほしいと願わずにはいられません。
私は今から十数年前、交通事故後に次々起こる不可解な体調不良に
延々と苦しんでいたころ、
当然、脳脊髄液減少症の病名も病気の概念もない時代、
体が苦しくてたまらないのに、
いくら医師をめぐっても、
「異常なし」と放置され続けていました。
その時、私の心の中に
ある思いがふつふつと沸いたのです。
それが、
「がん患者さんがうらやましい」という思いでした。
当時は、脳脊髄液減少症の存在を、世界中の誰も気づいていない時代でした。
(S医師が脳脊髄液減少症にうすうすと気づきはじめたのは2000年ごろだそうですからそれよりはるか昔の話です。)
医療に手厚く扱われ、「がん」という病名だけで、
その病の深刻さ、つらさ、を周囲がすぐさま理解してくれるように思えた
「がん」患者さんがうらやましかったのです。
けっして、「がん」という病気自体になりたかったわけではありません。
ただ、症状を訴えて、医師にその症状をすぐさま信じてもらえ、
検査をすれば、科学的証拠で患者の訴えがウソではないことが証明され、
晴れて患者としてむきあってもらえ、治療に入れるという、
その当たり前の流れが、どんなに恵まれいることかと
思ったのです。
なぜなら、
当時の脳脊髄液減少症患者は
症状を医師に信じてもらうことさえ、
症状を検査で科学的に証明してもらうことさえ、
病名がつくことさえ、
そして真の病名を知り、
根本治療への入り口に立つことさえ、
まったく断たれていたのですから・・・・。
治療と回復への道が、まったく閉ざされていたも同然です。
しかも、つらいから
症状を訴えればうったえるほど、
うさんくさがられ、何かの目的のために症状を訴えているのではと
疑われ、
精神的なものだと片付けられ、
患者はついに「脳脊髄液減少症」などという真の病名に
誰もたどりつけない時代でした。
だから、当時すでに「がん」は世間に認知され、
患者の症状をすぐさま信じてもらえ、検査でそれが証明され、
その患者の苦痛や症状の除去のために、治療や対策を考えてくれる人がいる、
医師から告げられえた「がん」という病名を周囲や家族に告げただけで、
すぐさま、その深刻さを認知してくれる社会がある、
そのことが、心底うらやましかったのです。
自覚症状があって、
医師を受診して、
医師にその症状を信じてもらえ、
そして、検査でもその症状を裏付ける検査結果が出て科学的に
患者の訴えがウソではないと証明され、
晴れて病人として認められ、
治療のスタートラインに立てるということが、
どれほど病人として恵まれていることか、
「認められない病」の脳脊髄液減少症になって初めて気づいたのです。
何十年も本当の病名も、
症状を信じてももらえず、
医師にまともに相手にしてもらえず、
病名もつかず、あるいは誤診され、方向違いの薬や治療をされ、
真の病名がつかないと、
医師が異常なしだというのにと、家族も周囲も気のせいだと笑い飛ばされ、
誰にも症状の苦しみを理解されなかったころ、
「がん」はすでに重い病と認識され、
わざわざ患者が必死に医師や周囲に病の深刻さつらさ苦しさを訴えなくとも
黙っていてもその病名だけで
周囲が患者を理解して、支えてくれるように見えた。
私の中で
周囲にすぐさま病の苦しさ深刻さを理解してもらえる病名の
代表ともいえる病が
「がん」だったのです。
がん患者さんの苦しみも、
命を奪われる恐怖も無念さも、
抗がん剤の苦しさも、私は全く知らないくせに、
ただ、私は、
周囲に「深刻な病を持った病人」として
受け入れられ、
医師に真剣にむきあってもらえ、
病気の本性を知ることができ、
病と向き合い闘えることもでき、
治療のスタートラインにたてる、
そのことが
浅はかにも「がん患者さんがうらやましい」と感じてしまったのです。
当時の脳脊髄液減少症患者は
信じてもらうことも、
医師にまともに受け止めてもらうことも
真の病名を知って病の本性と向き合うことも、
真の治療のスタートラインに立つことも
かなわなかった時代でした。
でも、
こうして、
次々に乳がんでなくなる女性患者さんを知って、
その無念さ、痛ましさを知って、
いくら社会に「がん」という病の認知や理解や支援制度が
整っていても、
病の恐ろしさを抱えた患者さんの苦しみや悩みは
やはり、
深く悲しいものなのだということを、あらためて感じました。
どうか神様、
世界中の子供達から、親を奪わないでください。
あらゆる病で、あらゆる事故で、あるいは戦争で、
こどもたちから、親を奪わないでください。
命だけではなく、
親が生きていても、
脳脊髄液減少症という見えない事故後遺症や
貧困や、病や事故で、親から健康を奪わないでください。
子供達のために、
親から、元気や笑顔や優しさをうばわないでください。
親の元で暮らすこどもたちは、
親も元気で幸せに生きることで、
子供も幸せに生きられるのだと思います。
どうか、神様
子供を持つ親から、
「健康」というささやかだけど
とても大切なしあわせを奪わないでください。
子供を持つ親を癌や、脳脊髄液減少症や
その他の病や事故後遺症で苦しめないでください。
親の病や
親の事故や
親の死が
その後の子供達の生活まで一変させ、
何の罪もない子供達までつらい思いをさせないためにも・・・・。
つづく