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脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

本日でブログ満3年。

2009年08月08日 | つぶやき
立秋を越え、暦の上では秋になってしまいました。

残暑お見舞い申し上げます。

本日2009年8月8日をもって、
ブログを書きはじめてから満3年がたちました。


ここまで続けられたのも、
ひとえに読者の皆様が暖かく見守り、
時にはげまし、共感してくださったおかげだと
心から感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

また、私がブログを始めるきかっけになったのは

すでに、ブログでこの病のことを
発信してくださっていた
先輩患者さんたちの存在の影響です。



当時孤独なひきこもり闘病中だった私は
ネットでの、
同病患者さんとの言葉のやりとりだけが、
唯一の外の人たちとの交流でした。

時に、愚痴ったり、弱音をはかせていただいたり、
皆様のブログのコメント欄におじゃましては、

どれだけ励まされ、勇気づけられ、
癒され、なぐさめられたかわかりません。

今の私があるのは
当時支えてくださった、名前もお顔もわからない
ネット上の同病患者様のおかげです。

その当時は本当にお世話になりました。

3年たって、
最近では同時の皆様にはすっかり、ご無沙汰しておりますが、
その後お元気でしょうか?


当時私を支えてくださった、同病患者の皆様には
本当に心から感謝申し上げます。



皆さんとの出会いがなかったら、
私はブログをはじめようとも思わなかったし、
こんなに続けてこれなかったと思います。



顔は見えないけれど、

私と同じ患者さんが、この日本のどこかで
同じように脳脊髄液減少症の苦しみと闘っている人がいる、

そう思うだけで、「私ひとりじゃない。」と思え、
生きる勇気がわきました。


しかし、当時、ひとたびネットから離れ、
現実にもどれば、

近くに理解ある医師もなく、
肉親も社会も、この病に無関心、

医学界さえ、否定派の医師が大多数でした。

そんな中、本当に精神的にも孤独死しそうな思いでした。




そんな中同病患者さんのブログを訪れると、ほっとできました。

もし、すでに脳脊髄液減少症のことを
ブログやHPに書いていた先輩患者さんたちに出会えなかったら、


私は、ブログでこの病のことを書こうなんて考えなかったことでしょう。

なぜなら、
今までいくら言葉を尽くして人に伝えても、
医師に訴えても信じてもらえないことを、

ブログなんかで世間に訴えたところで
信じてもらえるとは思っていませんでしたから・・・。



同じ病気仲間と
ネットというツールで出会える時代がきたことは、

本当に幸いでした。

インターネットがある時代に脳脊髄液減少症とわかったことと、
インターネット環境を与えてくれた家族に感謝しています。

もし、ネットがなかったら、

私は症状の苦痛と、孤独さと、果てしなく続く症状や


いつ終わるともしれない闘病期間の長さに
絶望感に押しつぶされていたことでしょう。


当初はブログは3ヶ月続けばいいと思ってはじめましたが、

皆様の励ましをうけて、
本日で3年も続けてこれました。

これもひとえに皆様の励ましのおかげです。
ありがとうございました。




この3年長かったような、短かったような3年間でしたが、

やはり体感的には長く感じます。

10年ぐらいたったように感じています。


正直今までの人生の中で一番といっていいほど、
とてもつらいつらい3年間でした。

生き地獄といっても過言でもない時期もありました。


たかがブログですが、苦しさの中にありながら、
これほど何かが続けられたことは、
私の人生の中で今まであまりありませんでした。


ささやかですが、苦しくとも生き延び、
自分の思いを書き続けられた
私なりにがんばれたこの3年間は、

これからの自信につながりそうです。


布団に寝ているだけで、

呼吸をしているだけで、

自分が存在しているだけで、

自分の体や手足の重みや重力を体に感じるだけで、

衣類や布団の重さだけで

耐え難い苦痛を感じるほどの時もありました。


家の中の移動でさえ、
家の中をはって歩き、または、おしりを床についたまま移動し、

トイレで、台所で、
玄関で、ところかまわず横になりながらの
家事をしていたこともありました。

階段までの距離が
目測で計れず、踏み外しそうになったことも何度もありました。

家の中で幼児のように、伝い歩きをすることもありました。

呼吸がうまくできず、
溺死するときの人は、こんな苦しさかと思ったこともありました。

たった一人の日中に
症状にひたすら耐えながら、
家事をこなすことは、
本当に孤独な戦いのようでした。


首が締め付けられるように苦しく、

絞殺される断末魔の人は、こんな苦しさかと、思った時もありました。

家族や周囲や社会の無理解に、死んでしまいたいと何度も思いました。

そんな中で
ブログを書き続けながら、何とか生き延びることができました。


ブログを書くことで、
いくらかでも正直な思いや、本音や、気持ちを吐き出せ、
私の闘病を支えてくれていたのかもしれません。

そして、まとまらない頭の中を必死に文章にまとめようとすることや
打ち続けることは、どうやらリハビリにもなったようです。

最初のころの幼稚な文章と比べると、
だんだんと文章が大人っぽくなってきたようにも感じます。

最初のころは、いくつかの文章を同時に書き、推敲しながら
やっと数日がかりでUPしていたものが、

最近では、調子がいいと、
その日のうちに書いてUPすることもできるようになりました。

ブログで、考えを文字にまとめようと頭を使うこと、
思いを人に伝えようとすることは、いい脳のリハビリとなりました。



でも、
外見的には病人に見えないのが脳脊髄液減少症の悲惨さです。

周囲からは、

働きもせず、お気楽にパソコンで遊んで暮らしている、
怠け者、

あるいは、ネット依存症の
社会から交流を断った、ひきこもりの女に見えたことでしょう。

でも、実態は、私は毎日毎日、綱渡りのように、
不安と絶望の中を必死に生きる喜びをわずかでもさがしながら、
この3年生きてきました。


実は、当時は
パソコンに向かうことさえ、
ブログをはじめることさえ、大変でした。

まず、座った姿勢が長く保てませんでした。

次に、電磁波過敏症なのか、座位の姿勢のせいなのか、
パソコンの前にいるだけで、気分が悪くなりました。

次に、
他人のブログを見ても、色が派手だったり、文字が小さかったり、
白さで眩しかったりすると、画面を見続けることが
困難でした。

ブログの編集画面での文字も小さく、打つのもつらいものでした。

文章がまとまらず、何度打ち直しても、
ダラダラと同じことの繰り返しになってしまうこともたびたびでした。

健康な人にとっては、
簡単にはじめられるはずのブログでさえ、
私のような世代の
しかも、脳脊髄液減少症患者には過酷な代物でした。


自分もブログを始めようと決心したのは、
同病患者さんのブログにおじゃましていたころからでした。

ブログをはじめる数ヶ月前でした。

はじめる日は、
数字の8の「八」のように、末広がりに
この病気が認知、理解されていくことに
願いをこめて、
8月8日似始めようと心にきめました。

それまでに、
もともとは苦手なパソコンに向かい

思考力の落ちた頭で何度も事前に登録の説明を読み、
登録の練習さえして、準備し、

3年前の今日8月8日に、ブログをはじめたのです。

はじめるだけで、とてもエネルギーを消費しました。


パソコンにむかうことさえ、
とても難しいものに感じました。

その上、脳脊髄液減少症のため、頭は混乱し、
文字は長く連続して読めず、途切れ途切れの説明を理解しつつの
ありさまで、

ブログをはじめるための登録さえ、なかなか理解できず、
実行もできず、何度も投げ出しそうになり、

当然、一日ではできるはずもなく、
何ヶ月も前から、予行練習をして登録した覚えがあります。

その上で、
やっとブログをはじめることができたのです。

もともとパソコンが苦手な私でした。

電磁波過敏症だったのか、座位の姿勢のせいなのか
パソコンの前に
座っているだけで気分がわるくなりました。

他人のブログを見ても、
テンプレートの色が原色だったり、文字が小さかったりすると

もう、それだけで、目がチカチカし、
文字を読む以前に、脳が拒否をしました。

そういう自分を感じるたび、

これは、重い脳脊髄液減少症の人には
この病のことを訴える手段さえ、奪われているにちがいない、

しかもブログをできる環境にある、
しかもブログをできる能力を残された患者は
その中のさらに一部だ、

ならば、できる患者が、できる範囲で、実際に体験して知っている範囲で
この病のことを語らなければ

どうしてこの病の症状の過酷さが伝わるだろうか?と思いました。


長期放置された患者が、

症状を抱えながら、ブログをはじめるのも、続けるのも
さまざまな困難を伴いましたが、

ブラッドパッチ後の闘病中の苦しみの最中に、
「絶対この病の症状を世間に伝えてやろう」との強い思いで
ブログを続けました。

さすがに、
同じ脳脊髄液減少症患者さんの無理解を知った時は

同じ脳脊髄液減少症患者さんにさえ、わかってもらえないことを書いても、
健康は人たちや
無理解な社会になんか伝わりっこないと、

ブログをやめようと嫌になったこともたびたびでした。

精神的にも抵抗力が落ちていて、

さまざまな困難に耐え抜いて前に進む能力が
健康な時より落ちているように感じ、

心は傷やすく、他人にたいして、不安感や不信感もまだまだ消えませんでした。

そのことは、
パソコンに向かうのもつらい時期で
短時間しかすわっていることさえできませんでしたが、

それでも、
寝たり起きたりを繰り返しながら、書き続けました。

今まで、
大勢のコメントやメールくださった皆様、

お忙しい中にもかかわらず、
匿名の私のメールでの訴えに、

真剣にお返事くださった皆様方

本当にありがとうございました。



ここまで根気よく治療してくださった主治医の先生方、

いつも優しいお世話になった病院スタッフの方、

私の唯一の理解者であり支えてくれる身近な人。


私を理解しようと、努力してくださっている人。

そして、

このブログでであい、私の話相手になってくださり、
交流してくださったすべての人たちに、

感謝いたします。


また、
この3年私のことを
理解しようとしてくださった現実世界の皆様、

本当にありがとうございました。


私は皆様たちに、どんなことで恩返しをしたらいいのかわかりません。

今はただ、
ここで感謝の言葉を述べることしかできません。


でも、
3年前よりは
脳脊髄液減少症の理解が広まってきた感じはします。

これもひとえに、
患者に理解を示し、支えてくださっている健康な皆様、

動けない患者に代わって社会に訴えてくださっている患者様のおかげです。

私はこうしてブログでしか
この病のことを伝えることができませんでしたが、

私がブログを書いてきたことも
無駄ではなかったかなと思いたいと思います。


近い将来、
交通事故での被害者である、脳脊髄液減少症患者が
私のような目にあわないで正当に支援され、

早期に適切に診断され、治療され、

ドクターショッピングや病名探しの迷路に迷い込むことなく、

方向違いの治療に医療費を払うこともなく、

健康保険も効かないような自費治療でしか治らないというような
非情な目にあうこともなく、


医学界と国と社会から、全力で、

あたたかく、患者や被害者の社会復帰を助けてもらえる日がくることを
心から望んでいます。

必死でブログにこの病での体験、気づき、思いを
書きつづってきた3年間でしたが、

3年間でも、脳脊髄液減少症のすべては書ききれませんでした。

まだまだ、症状はありますし、
書きたい思いや内容は山ほどあります。


でも、昨年の秋以降
実は、体調が悪化しながらも意地になって突っ走ってきたので、
(昨年の秋は、本当に絶好調でした。もっと、日常生活で
いきなり無理せず、あの状態を保っていればと悔やまれます。)

これからは、
少しお休みをいただきながら、ゆっくり行こうかと思います。

その間、私の書いたこの3年間の
過去の記事でも参考にしていただけましたら
幸いです。

人は誰でも明日の命の補償はありませんから、
何時死んでしまうかもわからない中で、

しかも、回復につれ、
どんどん忘れていく脳脊髄液減少症の記憶が消えないうちに、

毎日書き続けても、書いても書いても書ききれないほどの
脳脊髄液減少症の話を

生きているうちに、少しでも多く書き留めたいと
突っ走り続けて書き続けてきました。

たとえ、一時的におやすみしても、
脳脊髄液減少症の物語は、「未完」で終わらせたくないのです。

どうせなら、
この病で体験したことを、書きつくしてから死にたいと思っています。

そうでなければ、
脳脊髄液減少症の真の怖さはつたわらないと思うから。


世間は、そろそろお盆休みですね。


私も少しお休みをいただきましょうか?

その間、
もし、更新したくなったら、

以前書いたまま、UPしていない記事がたくさんあるので、

しばらくはそれをUPしていこうかと思っています。


それではみなさん、
楽しいお盆休み、夏休みをお過ごしください。


皆様、夏ばてには注意して、
栄養とって、カロリーとって、
塩分とって、
体を休めて、睡眠とって、
水分補給も気をつけて、どうかお元気で・・・。

同病患者の皆様の一日も早いご回復と、

それ以外の皆様の、ご健康も心からお祈りいたしております。

今日は蒸し暑さで不調で、

文章がうまくまとまりませんが
このへんで失礼します。(後で推敲します。)


3周年目の感謝のごあいさつまで・・・・

では、また。


ちなみに、一年前の今日にも同じようなこと書いてます。
ブログ2周年

2年前の今日も同じようなこと書いてます。
ブログ1周年。
コメント (12)
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