食用で買った、菜の花。
ゆでて食べようとしたら、
緑の固いつぼみの間から、
きいろの花びらがのぞいてた。
なんだか、かわいそうになってしまって、
ゆでられなくなった。
下の茎のところだけ食べることにして、
上の花のつぼみは、茶碗に水を張ってさしておいた。
1日、2日とどんどん黄色の花びらが咲いて開いていく。
3日たったら、
花であふれんばかりになって、
茶碗の中が、小さな菜の花ばたけになっていた。
「脳脊髄液減少症」の私の目は、
パソコンの画面では、赤や黄色の原色は目にきつくて、
チカチカしてつらいのに、
菜の花の黄色は、なぜか目にやさしい。
見ていると、気持ちがふわっと明るくなる色。
きいろは、元気の出る色。
テーブルの上が、そこだけ、ぱっと明るく感じる。
やさしい気持ちになる、うきうきするような、春の色。
具合が悪くて、なかなか外に出かけられない私に
一足早く、小さな菜の花畑を見せてくれた、
ゆでて食べられるはずだった、菜の花。
少ししか食べなかったから、
少ししか、体の栄養はもらえなかったけど、
たくさん目と脳に元気と刺激をくれて、
たくさん、心の栄養をくれた菜の花。
私も、生きているうちに、
人生に、
もう「ひと花」、咲かせたいなぁ・・・。
ゆでて食べようとしたら、
緑の固いつぼみの間から、
きいろの花びらがのぞいてた。
なんだか、かわいそうになってしまって、
ゆでられなくなった。
下の茎のところだけ食べることにして、
上の花のつぼみは、茶碗に水を張ってさしておいた。
1日、2日とどんどん黄色の花びらが咲いて開いていく。
3日たったら、
花であふれんばかりになって、
茶碗の中が、小さな菜の花ばたけになっていた。
「脳脊髄液減少症」の私の目は、
パソコンの画面では、赤や黄色の原色は目にきつくて、
チカチカしてつらいのに、
菜の花の黄色は、なぜか目にやさしい。
見ていると、気持ちがふわっと明るくなる色。
きいろは、元気の出る色。
テーブルの上が、そこだけ、ぱっと明るく感じる。
やさしい気持ちになる、うきうきするような、春の色。
具合が悪くて、なかなか外に出かけられない私に
一足早く、小さな菜の花畑を見せてくれた、
ゆでて食べられるはずだった、菜の花。
少ししか食べなかったから、
少ししか、体の栄養はもらえなかったけど、
たくさん目と脳に元気と刺激をくれて、
たくさん、心の栄養をくれた菜の花。
私も、生きているうちに、
人生に、
もう「ひと花」、咲かせたいなぁ・・・。
なんで悔しい感情でしか、涙がでないんだろう・・・私。
ブラッドパッチは1回だけです。
なるべくもうやりたくないのですが、
もう回復が打ち止め状態の感じです。
それどころか、最近元に戻りつつある感じ・・・
やはり、肉体労働のせいかも・・・
もう、ダメかも・・・・
1回で治りたかったのですが・・・
経済的にも、時間的にも・・・
僕は昨日、船に乗った感じが続いていました。
手術は何回されましたか?
必ず少しずつかもしれませんが良くなります。
無理しないでくださいね。
一緒に生き残ろうね。
無理解な医師にも負けないでね。・・・
大丈夫、
病名のない、もっと無理解な時代を生き延びた人間がここにいるよ・・・・
だから、大丈夫。
今は病名も、仲間もいるから・・・。
きっと出口が見えてくるはず・・・。
体をしめつけた強力な輪ゴムが緩む感じがして、体が楽になるだけで、こんなに幸せとは・・・
普通の体ってどんなに楽なんだろう・・・・
もう、遠い昔の感覚で忘れてしまった・・・
私もこのところ、気温の激変が体に応えて、くじけそうです。
まるでゴールの見えない、マラソンをしているよう。
どこまでがんばれば、ゴールが見えてくるのか・・・
一生このまま見えないのか・・・・
もう、力尽きそうです。
身近で支えてくれる、医療機関があったらなぁ・・・
死なない病はどんなに苦しくても、医療の治療対象ではないのでしょうか?
医師も病院も儲からない病は
どんなに患者が助けを求めても、治療の対象ではないのでしょうか?
交通事故に3回遭っているし、プロスポーツをやっていたので厳しいかもしれません。
僕の友人は背中の部分で止まっている状態で、3回目の手術をもうすぐするそうです。
一応、ふらつきは薬で抑えているのですが・・・
この病気はわかる人しかわからないと思う。
健康な人にわかってもらえるとしたら
「その場で20回転してごらん」
っと言っています。それが1日中つづいているっと。。。
ハッキリ言って「死にたい」と思った事もあります。
医者の例をまとめた結果80%が交通事故に関係あるようです。
お互いにがんばりましょう。
今日は体が楽なので、たまった古新聞束ねていました。
こんなことすら、できない日の方が多いのです。
でも、どうやら動きすぎたようです。
少し休みます。
今月検査入院ということはRI検査ですか?
リンクありがとうございます。
もしかして、ゆめさんも「脳脊髄液減少症」なのですか?
僕は今月検査入院をします。
また、ブログに遊びに来てください。
もし宜しければリンク貼らせてください。
入院も嫌い。
でも、食事を出してもらって体を休める日が週に1日ぐらいほしいと思う。
家事に休日はないんだもん。
療養中の病人には週休3日は必要だと思うけど、
それがないんだもん。
土日ぐらい、誰か私に食事用意してくれないかなぁ。と先日ポロっと言ったら、
(そんなこと言うなら)「食事つくらなきゃいいのに・・・」
と逆キレされた・・・・
そのあと「自分の食事は自分でつくろう。」とも・・・。
ほんとはね「そうだよね、たまには病人を休ませるためにも、自分たちが休みの時は自分の食事分はもちろん、病人の食事も作ってあげなきゃね・・・」って言葉がほしかった。
でも、そんな言葉は期待するだけ無駄だった。
ガックリした。
検査も体の負担になるから嫌い。
特に放射線とかMRIが嫌い。
病院行けるくらい動きまわれる人は、自分より元気な人に見えてしまう
でも、悪化して動けなくなる前の私の状態は、
ドクターショッピングできるぐらい動けました。
今思うと、そうやって治りたくて、動きまわれば回るほど、悪化するのだと思う。
野生の動物は具合悪いとじっとしてるもんね・・・。
呼吸が楽です。
体の締め付けがほとんどなくなりました。
心臓が楽です。
手足の脱力が軽減しました。
それだけで、夢のように幸せな気分です。
少し痛みや背中に何かのっている重さはあるけれど、
こんなもんは慣れてる。
療養型病床群というのが、高齢者のためにあったけど、脳脊髄液減少症にこそ、療養型病床が必要だと思う。
家族の協力に恵まれている人ばかりでなく、本当に自力では何もできない状態の人もいるはずだから。
でも、「当たり屋」さんを一掃しないと、ホンモノの患者たちはいつまでたっても、浮かばれないと思う。
偽物患者とホンモノ患者を見分ける装置が開発されないかなぁ・・・・ウソ発見器と検査機器がセットになっているような機械・・・・
まして、私達は水分も栄養も、細胞に行き渡っていないから・・・・。
全治半年くらいかかるかも?
でも、必ず良くなるから、頑張ろうね!
ぼちぼち、リハビリしてね!
これから、暖かくなるし、ねっ!
診断書の「全治2週間」なんて、警察に出すための物で、
3週間以上になると、書類が複雑になるから、交通事故で骨折とかなかったら、大抵3週間以内にするそうです。
だって、治ったのを確認しないで書くのだから・・。
それで、事故処理は済んでしまうのだから・・・法律は矛盾しているよね。
久々に、気圧も上がって、良い感じです!
こちらはお花見日和かな。
シビレさんは、辛そうですね。ほんとに、見た目解らない病気は、入院もさせて貰えない。私も2年前は「痛い!痛い!このままでは、死んだ方がまし!」と言い続けて、入院させて貰いました。主治医に「病名は何でも良いです。医療保険に入院給付金が出るような病名にしておいてください」って、言ってね。3週間入院したけど、ブロック注射と薬漬けになるだけで、良くならなかった。
ほんとに、ゆっくり療養出来る施設って、ないねー。今は医療不信なので、入院はいやです。検査も嫌い。
ゆめちゃん、片道2時間はキツイよね。そして、待ち時間の長さを考えると、病院行って具合悪くなるもの。
こういう病気の人専門の、待ち時間の少ない、快適な病院が出来ないかな・・・。
きっと、病院にも行けないで、苦しんでいる人は多いと思う。見た目解らない病気の人は、どこに行っても、解って貰い辛い。
でも、ゆめちゃんは、自力でココまで良くなってきているから、凄いよ!がんばれー!
うみちゃんも、去年は同じ感じだったから、きっと、来年の今頃は・・・・。前進してるとおもう。
私も、去年の闘病日記と比べては、励みにしています。
少し気分はいいです。
しかし、背中が痛みます。ズキッズキッと断続的に走る痛み。
それでも、昨日より楽です。
病院行かれたのですね。
そうなんです。入院させてもらいたいぐらいの体感なんですよね。
なのに、そう感じているのは患者本人だけ。
悲しいよね。
もっともっと動ける人や症状の軽い人でも、
認められた病名の人は入院しているのにね。
私も、昨年春、あまりの苦しさに、主治医に紹介された地元の病院に連れていってもらったことがあるの。
地元といっても、
片道2時間の病院へ連れていってもらった。
そしたら、そこの医師、私が自力で病院これないのに、「点滴に毎日通える?」と言ったの。
通えるわけないじゃない。
そういう時こそ、2~3日入院で点滴でも、安静でもなんでも配慮して、苦しみを軽減させてもらいたかったです。ものすごくつらいからこそ病院嫌いの私が家族に頼んでやっと連れていってもらったのに・・・
毎日、病院あちこち行けるぐらい元気なら、症状ぐらい耐えられるよ。限界に近づくのを感じたからこそ、行ったのに・・・
以来、どんなに悪化しても、地元の病院には頼りません。
水分とって寝るだけです。
雪も降ったそうですが、ダウンして気絶か、しかも3時間近くも寝てしまい起きたら、雨はやんでるし朝の7時過ぎてるー!と思い焦りました。
調理を再開して材料切り終え、フライパンも温まったところで(火つけて)またダウン。
幸い夫がもう帰宅してたので、そこからバトンタッチをお願いしました。
また布団に戻り少し寝て起きたら(一瞬だけ起きてdまた寝た)、雨か雪がまた降ったのかな??
記憶が…
料理は幸い夫も作れる簡単レシピだったから良かった。何とかの素とかいうのを使う手抜き。
でも、火かけてる最中にダウンはきついです。
火だけは消さないと慌てる。
一応、都市ガスは1時間以上?操作しないと消える仕組みになってるのか、うちのガスレンジがそうなのかわからないけど、消えるけど、(煮込みしてる最中にも消えるから困る)フライパンまた焦がして駄目にするところでした。
昨日は天気がころころ変わり(朝も雨)、体があまりいうこときいてくれなかった。
痛みは、頭痛だけは病院変えて少しましです。
でも、まだ目もダメ、たまに半身硬直もありつらい。
一歩一歩検査にむけて進むだけです。
新しく病院に最初行った時、このまま病院させて欲しかった。
でも、家事もさぼれないし…私も
寝ながらなら、車で移動して出かけられるし、
調子のいい時には運転もできる。
休み休み、家事もできる。
誰が見ても重症には見えないことでしょう。
でも、自分が感じている世界は
冬山でいつ来るかわからない救援を待って、
待って、待って、力尽きそうな、絶命しそうな世界なのです。
逃げ出したい気持ちはいつもあります。
そんなことは、誰もわからない。
自分の苦しみは、所詮自分にしかわからない。
今も苦しいよ。起きていられないよ。背中が重いよ。
胸が苦しいよ。両腕が重くて足ももつれるよ。
頭が重くてお釜をかぶっているようです。
瞼が重くて閉じてきてしまう。
でも、それでも、家事しなきゃいけないの。
どうしても、私がやらなきゃならないの。
症状が軽いからやっているんじゃない。
やらなきゃならないから、力を振り絞って必死の思いでやっているの。
どんな病気になっても、こういう風に、家事や仕事をやらなきゃならない人っていっぱいいるんだと思う。
病人として、すべてを免除されて、手厚い医療の恩恵を受けられ、治療に専念できる人なんて、ごくわずかな恵まれた人なんだと思います。
↓
http://www.nhk.or.jp/kira/
今週土曜4月7日、NHK「きらっと生きる」
これじぁあ、「たかがねんざ」が
本当は全治1ヶ月以上だってことか・・・
全治○○って、保険会社のために
軽く見積もるような気がするのは私だけかなぁ・・・
いつも、さびしくて、苦しくて、悲しい時、
無理解と症状のきつさに、
もう、消えてしまいたいと思うとき、
それを見計らったように、花や動物たちが、
ヤケになりそうな心をなぐさめてくれるんですよ・・
だから、心の葛藤と自然の癒しの力は
私の場合いつもセットなの。
日曜にね、近くで、
一面の菜の花見せてもらったの・・・
私にゆでられそうになって、
下のほう食べられて、それでも、水すって、お茶碗一杯に花を咲かせた、食用の菜の花見てたら、
自然に「私も生きているうちに、もう一花咲かせたい!」って気持ちになったの・・・
不思議だね。動物や植物は、決して人を言葉で傷つけないし、無言で励まし、癒してくれる。
菜の花も生きててゆめさんの優しい気持ちに答えたのかなあなんて思いました。
菜の花の黄色が優しいっていうのもすごく納得です。不思議。
そういう人間だと、欠点ごと「理解」した上で、
なお、自分の気持ちをありのままに、
「伝える」ことが大事なのかもしれないね。
相手が、自分を理解してくれるか、
してくれないかは別にして、
期待しないで、
ダメで、もともとでも、
「伝え続け」ようかな・・・・
よけいなエネルギー使って疲れるうけど・・・
無理解な医師にわかってもらおうと、必死になればなるほど、嫌われるのといっしょで、
距離を置いて、近づかない、かかわらないほうが楽だけど・・・
でも、他人なら、それできるけど、
親はねぇ・・・
親ぐらいわかってほしいよね。
でも、いくら親でも、所詮人は自分の思うようには変わらないもんね。
変われるのは自分だけだもんね。・・・
自分が大人になれば、変われれば、一番いいんだけど、私も頑固でなかなか変われない。
でも、親が生きているうちは、伝え続けるよ。
死んだら、もうお互いの気持ちを伝えあえなくなるから・・・
tomokoさんと同じパターンで、私もここ2~3年でやっと母に話せたことがあります。
↑に書いた『「母はこういう人なんだ」ってあきらめてからは、なんだか初めて良い関係になれたよ』っていうのはそれも含まれてるんだけど・・・
“あきらめ”というと言葉が悪すぎたね~
あ、でもある意味やっぱ妥協?
私の場合は、子育てや離婚や事故・・・いろんな経験をして、初めていろんなことが見えてきた。
父も母も私の親ではあるけれど、良くも悪くもただの人間。
持って生まれたものとその後育んできた性格っていうものがあるわけで・・・
ん~うまく言えないんだけど、
“あきらめ”って言うより、良い言い方をすれば“理解”かもしれない。
親と話せるようになったということは、私がやっと大人になったということかもしれないね。。。
私も、母と離れてるから、辛い・・と言わなければ、もう良くなったと思って知らん顔の母・・・
自分の遊びに使うお金は持ってるくせに、私がお金なくて治療費にも困って医者に行けないことを、3回電話で訴え続けて・・・やっとお金送ってくれたので、・・・医者に行けた。ほっ!でも、迷惑かけたくないけど、仕方ない。
私だって、母に親孝行したいよ。
とにかく、辛いこと嫌なことからは逃げたいひとで、
遊びと付き合いは贅沢なのです。
私がこんな病人であることは、認めたくないらしい。
80歳過ぎても、性格は変わらないよ。
私は強い母に言いたかった、ある辛い経験を、50歳になって、やっと言えました。その時、初めて母が「ごめんね、気づいてあげられなくて・・」と言いました。
でも、最近また元に戻りました。言い続けなければ、ダメだねー。
生きているから、まだ、話し合うチャンスはあるよ!
全部伝わらなくてもいい、半分でも伝え続けて!
きっと、お母さんの心のどこかに、残って、解る日が来ると思うからね!がんばれ!
菜の花の絵、綺麗で癒されました。
ありがとう!いつもゆめちゃんの絵は、心が優しいんだなーって、思います。(^-^)
そしたら今日、母が私に
「きのうはすみませんでした。」だって・・・・
カッとしてつい・・・と。
期待していなかっただけに、以外な展開
少しは思いが伝わったのかもしれません。
やはり、人は伝え続けないと伝わらない。
伝わらないからって、わかってもらえないからって、
黙ってしまっては、よけいわかってもらえないかも。
あきらめるのは、まだ早いかも・・・・
お互いが生きているうちは、ケンカになってもいいから、伝え続けてみようかな・・
なんだか希望の光が少し見えた・・・・。
ぶつかってみるもんだね。
言ってみるもんだね。
人は言語化しなきゃ、その人が感じていること、
考えていること、わかんないもんねぇ。
社会もいつかわかってほしいな・・・
ウソじゃないもん、仮病じゃないもん、
示談してしまったから、保険金目当てなんかじゃないもん。
いろいろやりたいことあるから、うつ病じゃないもん、生きてあれもこれもしたいもん、
働いて稼ぎたいし、家事もかたづけもテキパキやりたいから、なまけものじゃないもん
医師にも周囲にも、それがなかなかわかってもらえなくて、
叱咤激励されるだけだから、よけいつらくて、
その苦しみから逃れたくて、
それには、生から逃げ出すことしか思いつかなくて、
飛び降りてしまったんだと思う。
あのアナウンサーも・・・。
いつまでたっても、親子・・・
近くて、遠い存在。
あきらめようと思っても、わかってもらいたいという未練が消えないんだろうね・・・・
私・・・。
私だって、順調に回復したいよ・・・
こんな長年放置の私が、やっぱりたった1回のブラッドパッチじゃ、だめかなぁ・・・でも、お金ないしなぁ・・・・
私の心はお花や動物しか、受け入れられないみたい・・・
きのう桜みたよ・・きれいだった。
一面の菜の花も・・・
菜の花の花の香りってあんなにするものだと思わなかったよ・・・
お母さんのことはあきらめた方がいいと思うよ。
私は幼少の頃から祖母による軟禁状態で育って、一つ屋根の下にいながら助けてくれなかった母を恨んだ時期があった。
自分が子どもを産み育てて愛しいと感じると、よけい恨みが増した時期もあった。
「我が子ってこんなに愛しいものなのに、なんで!?」ってね。
でも、その時期を過ぎ、「母はこういう人なんだ」ってあきらめてからは、なんだか初めて良い関係になれたよ。
前にも似たようなこと書いたっけ???
いくら親でも相手に求めない方がいいよ。
求めても思うようにならなかったら辛いだけだから、あきらめた方がいい。
私ってすごいひねくれてるねぇ。。。
幾つになっても子供と言う立場だから、親には自分の辛さ、悲しさ、苦しさを解ってもらいたいって・・・思うよね。親だと思うから、自分を誰よりも理解して欲しいと切望するよね。
親と口論になって、どうして解ってくれないの!って思ってしまうから、ヒドい言葉をぶつけてしまう。その言葉は自分に跳ね返って自己嫌悪に陥っちゃう。
立場的には親なんだけど、未熟な心を持ったまま親になってしまう人もいて(むしろ、そうゆう人の方が、今の私の立場も親だから、含めて多いのかもしれない)親は親で同じように「私の事を解ってくれない!」って、ついつい親である立場を忘れて相手が傷つく事を言ってしまう。
今は私は、子供と言う立場よりも、人間としての付き合いが出来るようになり始めたよ。そうしたら、今までは「解って当然でしょ!貴方は親なんだから!」て言う気持ちが薄らいできました。
親としての今の私の立場は、まだまだ未熟で、子供の言葉に傷ついてみたり「何でよ~」って思ってしまう事が多々あります。
おかあさん、そうだよ。
私の心はボロボロだよ。確かに病んでいるよ。
人を信じることもできないよ。
幸せそうな人も心から祝福もできないよ。
卑屈にゆがんで、心閉ざして、みんな不幸になればいいと思うこともあるよ。
でも、こうなったのは、私のせいじゃないよ。
私は、もともとこうだったわけじゃないよ。
病んだ心を持った娘だからこそ、せめて、弱音や愚痴ぐらい、お母さんにぶつけたくなる時があるの。
せめて、お母さんには、そんな荒れた娘の気持ちを、
共感して受け止めてもらいたかっただけだよ。
「なんだい?良くなっているんじゃなかったの?」という母。
良くなっているとは思うけど、思いたいけど、
激しい波があるのに、それをわかってくれない。
普通のケガや病気の治り方しか体験ないから、よくなったり悪化したりの波が想像できないのはしかたないけど、
「なんで、そう苦しくなるわけ?てっきり、もう治っているものと思っていたよ。」という何気ない言葉に
この人たちは、患者の私の苦しみなんて、何もわかっていないとキレてしまい。 「お母さんが末期ガンになって、痛みと呼吸困難で苦しい時、入院もしないで、何の治療も受けないで、普通に家事やってみて!その時、はじめて今の私の苦しみが想像できるかもしれないから!と言ってしまった。
「身近な肉親の苦しみも想像できないで、他のことにうつつを抜かすのは最低の親」と連呼してしまった私。
「親に向かってなんだ!そんなこと子に言われてだまっているような親じゃない!」「産んで育てて教育してやって、そんなこと言われるなんてなさけない。そんなこと言われてだまっているような親じゃない。」と逆ギレされた。
逆ギレされても当然なほどに、たしかにひどいことを言ってしまった私。
心に鬼が住み着いている私。
でも、わかってもらえない悔しさと悲しさとで、
涙がポロポロこぼれてしまう。
もう、周囲に理解してもらおうなんて思わなければ、こうして、自分がキレて人を傷つける言葉を言って自分の評価をさらに下げることも、みじめになることも、さらに、ダメな人間と思われることもないのに・・・・。
わかってもらおうと期待しなければ、失望することもないのに・・・・
わかってもらいたくて、理解してもらいたくて、助けてもらいたくて、つらい気持ちを受け止めてもらいたくて、無駄だと思いつつ、泣き叫びながら、
訴え続けてしまう私。
ひと泣きしたから、また冷静になって、お母さんになにかおいしい物買って、あやまらなきゃなぁ・・・
もうすぐ母の日・・・たしかにひどい娘だ、私。
どんな親でも、自分を産み育ててくれた親だから、
死んではわかりあえないから、ケンカできるのも、お互い生きているから・・・感謝しなきゃ・・・
でも、お母さん、私はつらさをわかってもらいたいだけなんだよ。
わかりあいたい。でも、わかりあえない。
それが、悲しいだけなんだよ。
ひさしぶりの頭痛はつらくて、薬嫌いの私が、鎮痛剤に頼りました。
たまに飲むと、良く効いてすぐ楽になりました。
しかし、薬が切れると、また痛みだし、
その痛みで夜中に眠っていても目覚めるほどでした。
忘れていた頭痛、頭痛ってこんなに痛かったっけ?
まるで、片耳から、千枚通しをつき刺されて、脳まで達してグサグサ刺されているような痛みでした。
かと思ったら、耳の後ろあたりの後頭部をかなづちでガンガン殴られたような衝撃的な痛さも・・・・
脳出血でもしているのかも?と思うような痛さ。
脳でいったい何が起きているのでしょう?
昨日の朝も痛くて鎮痛剤飲んだけど、きのうの日曜はおとといの土曜より回復して、またオアシスにたどりついて生き延びた感じです。
いやぁ痛かった。鈍痛ではない、痛さでした。
きょう、テレビから地震のニュースが、
頭痛と天気の崩れと地震、やっぱり何か関係ありそう
。
なんか、きついなぁ・・・。この病って。
本当に健康な人には、理解できない、ものすごい苦しい世界ですよ。
体験してみて、ビックリしますよ・・・
あまりのすごさに・・・・
それでもBP前よりは見られるようになったよ
私も花には癒されてるよ~
全然手入れできない汚い庭だけど、雑草がつける花でもかわいく思える
そうそう、もう一花咲かせましょ
お茶碗の菜の花、こんなに大きくなったのですか
お花とか自然の色は癒されるよね…
食べるの控えた気持ち分かる…
私は、まだ今年になって菜の花食べてないなぁ…
私はそう思わなきゃやってこれなかったし、じゃなかったらもう死んでる。
80歳でパリコレじゃないけど、もしかしたらおばあさんという歳になってるかもしれないけど、「ひと花」咲かして、生きていたっていう証拠みたいなモノを残したいです。
ゆめちゃんの絵は心が和みます。
私は菜の花とか食べれないけど、目と心に栄養をもらいました。
きっと「もう一花咲かせる」時が来ることを信じていきましょうね(^ー^)