脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

患者を見落とす「脳脊髄液漏出症 診断基準」

2012年03月08日 | つぶやき

朝日新聞「患者を生きる

3月1日の記事に、

川崎病の診断基準、

「5日以上続く高熱」と「いちご舌」にこだわり、典型例ではない川崎病を見逃し、

こどもに後遺症が残った例と

 

「こどもが生まれつきの症状などをうまく親に説明できないことに、

改めて気づいた」母親の話の

二つが載っています。

ぜひ、お読みください。

 

患者を生きる 読者編 3 「早く気づいてあげれば」

 

これを読んで、

昨年出た「脳脊髄液漏出症の診断基準」にこだわりすぎると、

こどもの脳脊髄液減少症の見逃す危険があることや、

大人であっても、起立性頭痛のないタイプの、脳脊髄液漏出症(私のようなタイプ)の見逃す危険性にも気づいてほしいです。

 

 

一度健康に成長したのちに、交通事故で脳脊髄液漏れを起こし、

健康だった時の自分と、髄液漏れ後の自分の体の差や

体の異常に気づき、

言葉で必死に医師に家族にその症状を伝えようとしてきた私でさえ、表現しにくい脳脊髄液減少症の症状の数々。

もし、乳児や幼児や、こどもや、高齢者が髄液漏れを起こしたら、

言葉で表現し、周囲に伝えることができるとは、とうてい思えません。

 

私がやっと生き延びて、脳脊髄液減少症だとわかり、

これだけ何年もブログに伝えようとして症状について書きつづっていても、

脳脊髄液減少症の経験のない私の肉親には、いまだに症状の深刻さが伝わっていません。

 

だから、

障害や年齢などで、自分の症状や苦しさを的確に周囲に伝える手段を十分にもたない人が、

もし、髄液漏れを起こしたら、

普通のケガや病気のように、本人が黙っていても、

周囲が気づいて、適切な医療に助けてもらえるとは

とうてい思えません。

 

言葉で自分の症状を表現できる患者だって、他の疾患と間違われやすいのですから、

症状を訴える力のない人たちが、もし髄液漏れを起こしていても、

周囲が「これは髄液漏れかも」と自発的に気づいて、助けてあげられる体制なんか、全く整っていないのですから。

 

だから、

こどもの不登校、ひきこもり、

発達障害様のこどもの高次脳機能障害の影に潜む、

脳脊髄液減少症の可能性についても、

多くの人たちに考えていただき、見逃さないようにしていただきたいのです。

こどもは自分に起こっていることが、「髄液漏れによる症状」だなんて気づけないし、

症状をうまく伝えることは難しいはずですから。

 

現在の「脳脊髄液漏出症」の診断基準では、

こどもの脳脊髄液漏れ患者はおろか、

すべての脳脊髄液減少症患者を正しく早期に診断治療に導くことはとても困難だと思います。

 

あの診断基準では、

髄液漏れ患者を見つける数よりむしろ、

脳脊髄液漏れ患者を見逃す方が多いのではないかとさえ思います。

 

そもそも、「起立性頭痛」がある患者のみを選びだして、100%「起立性頭痛がある患者だけで

検証されて作られた診断基準」です。

つまり、最初から、「起立性頭痛がないタイプ」の脳脊髄液漏れ患者(私のようなタイプ)は

排除されたまま、作られた診断基準なのです。

そんな診断基準ってある?

 

診断基準としておかしいとは思いませんか?

 

これを、「川崎病」の診断基準にあてはめて考えてみます。

 

以下はたとえです。

もし、苺舌がある患者のみを集めて、その患者のみから

「苺舌」の症状があることが絶対条件での

「川崎病」の診断基準を作ったとしましょう。

 

苺舌の症状のない患者は、最初から一切排除したまま、

「川崎病」の診断基準をつくるのです。

 

最初から、いちご舌の特徴のある患者のみを集めて「川崎病」の診断基準を作ったのですから、

患者のすべてに「100パーセント、苺舌の特徴のある患者」

になるにきまってます。

そこから、「川崎病の患者には100パーセント苺舌」の特徴がみられる。とされ、

それが診断基準になったとしたら、

それってちょっとおかしくない?

 

 

診断基準を作る過程で、

「例外で、苺舌の症状がないけれど、他の症状から総合的に診断すると、実際は川崎病である。」というこどもの症例は

一切排除してあり、はじめから視野に入っていないまま

診断基準を作るのって、変じゃない?。

 

もし、「川崎病」がそういう診断基準の作り方をしたとしたら、

苺舌の特徴がないんだから、「川崎病ではない。」ということになり、患者のこどもが見逃されて、手遅れにしてしまう危険もあるんじゃない?。

 

 

「苺状の症状はないけれど、他の症状から総合的に見て川崎病」というこどもの患者を

やすやすと見逃すような、そんな診断基準が

もしあったとしたら、どうですか?

 

患者を漏れなく救い、治療に導くのためにあるのが「診断基準」なのではないですか?

 

患者を適切に診断できず、見逃すことが多い診断基準って

それって、

診断基準としての価値があるんですか?

 

例外を一切認めない、診断基準。

ごく一部の患者しか、あてはまらない診断基準。

それって、

本当に患者を救うために作られた診断基準なんですか?

おかしくないですか?

 

 

現在の脳脊髄液漏出症の診断基準では、

起立性頭痛のない私は、起立性頭痛がないんだから、検査の必要がないと

検査の段階ではじかれかねません。

 

現在の診断基準は、欠陥だらけで、私のような起立性頭痛がない患者はもちろん、

こどもの患者には当てはまらず、すべての患者を早期発見早期治療に導くことなど、できない診断基準だと思います。

 

 

川崎病の診断基準も、

32年かかって少しずつ改訂され、現在の診断基準にまで変わってきたようです。

 

脳脊髄液漏出症の診断基準も、32年くらいかからないと、

脳脊髄液漏れ患者の実際の状態に近づくことはないのでしょうか?

 私は32年も待てませんよ。

 

でも、保守的な医学界です。

一度決まってしまった診断基準は、そうはやすやすと改訂されないのかもしれません。

 

でも、「起立性頭痛患者しか集めていないで作った診断基準」なんて

どう考えてみてもおかしい。

一年でも早く、どんどん現実に合わせて改訂していただきたい。

 

患者はこのおかしさに気づいて、怒りを風化させないで、

もっともっと強く訴え続けるべきだと思います。

こどもたちを守るためにも・・・。

 

参考:川崎病 

 

朝日新聞 

「患者を生きる」連載

読者編 1 「わがままといわれて」

読者編 4 「職場が原因でぶりかえす。

読者編 2 「いい医者に出会いたい」

 

脳脊髄液減少症の診断と治療こそ、

各診療科医師の連携が必要だと思います。

 

読者編 5 「大人になっても続く闘い」

「もし、子が日本で発病していたら、

もし、もっと早く気づいて治療が早かったら、

こんなに重い症状にならなかったかもしれない。

親として守ってあげられなかったという思いでいっぱい。」

そう自分を責める親が、脳脊髄液減少症でも出てほしくありません。

そのためには、

世界中の医師や

世界中の人たちに、脳脊髄液減少症についての知識が広がることが必要ではないでしょうか。

 

日本から、外傷性脳脊髄液減少症の情報がアメリカに届け

世界中の医師と保護者に届け!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする