きままな雑記帳

ごく普通のあんちゃんのきままに記す日常日誌

『マックスコーヒー』ってご存知ですか?

2019-01-19 17:01:04 | うんちく・小ネタ
千葉県以外でなかなかお目にかからないドリンクといえば・・・。

それはやはりこれ。



マックスコーヒーでしょう。

最近では千葉県以外でも広がりを見せてるようですが、90年代頃までは千葉県以外ではなかなかお目にかかることってありませんでした(私の記憶では)。

ではこの『マックスコーヒー』。

一体何がすごいんでしょう?

それは恐ろしく甘い珈琲なのです。



【千葉限定】マックスコーヒーコラボ商品食べてみた【なじゃ】




ジョージアの缶コーヒーマックスコーヒー練乳入り


どうやらどれだけ甘いのか検証してる動画もありますので添付いたしました。

【俺ガイル】マックスコーヒーを煮込んで砂糖の量を調べてみた!


甘いことは甘いんですが、冷えたマックスコーヒーよりも温かいマックスコーヒーのほうがより甘さを感じます。

というよりも私が子供の頃だった70年代から80年代はもっと甘かったような気もするんですけどね。

ちなみに私の糖尿病はマックスコーヒーを子供の頃に飲んだからってわけではありませんよ。けっこう若い頃から砂糖無しでミルクオンリーでの珈琲やお茶を愛飲しておりましたから。

動画でも紹介されてますが、現在ではマックスコーヒーの波及商品も販売されてまして、パンなども先日、地元のお店の店頭で見かけました。

え?食べたのかって??

だから、糖尿病を患ってるんですよ、私。食べてみたいとは思いつつもなんとか思い留まりましたよ(笑)

でも、糖分が不足している疲労時などにはいいと思うんですよね、個人的には後味などの心配はありますが、珈琲などはけっこう後味が残るものが多いですしね。

これを知らない千葉、茨城以外の出身者に出逢うと、「これ、飲んだことある?」とクイズのように聞きますね。

味は?って聞かれますが、それは飲んでからのお楽しみということで(笑)

東京に無い限定商品と知って驚いた商品の一つです。

【らぽっぽファーム】






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10年ちょっとの愛読書『学校では習わない江戸時代』山本博文著

2019-01-19 12:11:25 | 本と雑誌
もう10年ちょっと前くらいになるんでしょうかねぇ。

こちらの本を購入したのは・・・。



『学校では習わない江戸時代』山本博文著

たしか以前に住んでた相模原のとある駅にある本屋で購入した本なんですよ。

今じゃカバーも剥がれてしまい裸のままの本として私がヒマな時の愛読書の一冊として活躍してくれております。

あれはまだ私が大学の関連会社に勤める前の不動産の仕事をしていた頃だったんですが、いつも立ち寄る地元の本屋の文庫本コーナーに並べられていたんですよ。

本屋ではいつも2時間は冷やかしで本を眺めてるのですが、どうにもこの本が気になりましてね。

元々歴史好きではあるのですが、さほど脚色がなく何よりも『学校では習わない』ってタイトルが私の心の琴線に響いたんですよ。

へぇ、学校では教えない(もちろん時代劇などでも登場しない)江戸時代って面白そうじゃないのよ・・・と(笑)

文庫本でさほど厚くもありませんし、持ち歩くにも便利なサイズとあって購入いたしました。

内容は元禄時代の武士の忠義、いわゆる忠臣蔵などで見られる忠義や参勤交代の実情、『鎖国』と言われる外国との折衝制限政策の過程、朝鮮通信使、幕末の外国との交渉などを著者が当時の文献などをひも解いた内容などを読ませてくれる内容です。

元禄時代、将軍の徳川綱吉がなぜ朝の内匠頭に切腹を命じたのか、その裏にある意図とは?ってことなどが新鮮で良かったんですよ。

江戸時代、武士だけでなく町人も二本差しでなくとも護身用に刃物は所持してますし、何しろ戦国時代から元禄の時代はまだ100年経過するかどうかの頃。

まだまだ荒れた気風が残ってる時代でもあるんですよ。

そんな気風を少しでも落ち着かせたいと試行錯誤していったのが「生類憐みの令」や「学問奨励」だったりするわけで、何も思い付きだけで幕府もやっていたわけではないんですよね。

それまでの大名改易などで失業してしまった武士が仕事を求めて大都市に流れ込んでくると、それを悪用する人もいるわけで、治安を守る立場としての幕府は改易を縮小させたり政策変更をしつつも根本から変更しないと変わらないと気づくわけです。

意識改革ってやつなんですが、意識を変えるってのはインパクトが大きいと案外と受け入れられる場合もあり、それが「生類憐みの令」だったりする。

忠臣蔵でも、当時の武士の慣例なら「喧嘩両成敗」でやったほうもやられたほうも成敗されるのが当然って意識なんですが、それを「先に手を出し、しかもやられたほうは無抵抗」なら無罪と判決したわけです。

現代なら当たり前のお裁きですが、当時としては理不尽な裁きとなるわけですよ。この意識を変えないと本当の治安の良い泰平の世はできないと綱吉さんは考えていたのでしょうね。

その他にも、参勤交代では現代の電車のダイヤ表のような予定表が各大名家で作られて、トラブルのないように気を配っていたとか、老中に出した予定表は基本的にはどんなことがあっても予定変更を認められなかったとか。

江戸留守居役が会合と称してどんちゃん騒ぎをやって、はめを外し過ぎたせいか老中からお叱りを受けたことがあるとか(笑)

しかも上司である大名からも「少しは経費を切り詰めろ」と言われてたり、留守居側も「経費をケチったらいい仕事できません」と反論したり・・・、江戸時代の武士は基本的にサラリーマンですからねぇ。現代にも通じる人間臭さを感じます。

外交や貿易でも、江戸時代の日本は金銀銅が豊富な(徐々に枯渇していきますが)資源大国ですが、徐々に金銀銅の量が減少すると代わりに工芸品やら俵物(海産物など)を輸出したりして構造転換を図ったりと、いつの時代も工夫してるんですね。

当時の東アジアは日本以外でも「海禁」政策を採用していて、渡航制限をしつつもお互いの交易が無いと困ってしまうという奇妙な環境にあったなどの視点は目から鱗です。

幕末もペリー以前からロシアなどが日本に近づいていて、幕府と接触したりしていて、本当はペリーが来てもじつはさほど驚いてはいなかったとか。

こういうの、テストに出さなくてもいいから学校で教えてあげてほしいもんです。

幕末 日本外交は弱腰にあらず (2011年)


簡単に感想を書きましたが、何度読んでも私には面白いので10年ちょっとヒマさえあれば何度も読み返してます。

いいヒマつぶしになりますよ(笑)

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