きままな雑記帳

ごく普通のあんちゃんのきままに記す日常日誌

昭和は遠くなりにけり~国鉄(JR木原線)って知ってますか?~

2015-05-22 10:46:21 | 鉄道
後藤久美子 国鉄 JR東日本 明日からよろしく

平成も既に今年で27年目を迎えました。
平成元年(1989年)に生まれた人はなんと今年で27才。

「昭和」が歴史として感じられ始める今日この頃です。
なんといってもあのバブル時代ですら「歴史」扱いになりますから。

かつてJRは「日本国有鉄道」という公社でした。
ちょっと前にあった郵便局の「日本郵政公社」と同じ。

これが赤字がひどいということで民営化したのが現在のJRグループです。
郵便局だと現在の「日本郵政」ですね。
郵便局の場合はとくに赤字ではありませんでしたが、いわゆる「民業圧迫」ってなことで銀行業界やら保険業界、果てはアメリカなどが色々とお話をして民営化となりました。
これが良いのかは色々と評価の分かれるところですが・・・。

国鉄の場合はたしかに赤字が多く、サービス面でも(?)があったのは否めません。
ただ、その赤字の原因を作ったのは政治家が「我が地元にも鉄道を敷け」とやってきたツケがまわりまわってきたってのもあるわけです。
もちろん、地方にも便利な交通機関を作るってことは大切ですので否定はできません。

問題はどこまで非合理的なことを合理的なことを語る人々に説得できる材料があるか?だと思います。
この当時はその説明ができずに国鉄は解体民営化を行いました。
べつに今のJRを嫌ってはおりません。
たしかにサービス等で向上したのは理解できますからね。

その過程でとある国鉄(JR)路線が廃止となりました。
それが私の故郷を現在も走る「いすみ鉄道」の前身の「国鉄(JR)木原線」。

国鉄が民営化されてJRとなった1年後に第三セクターへ転換。

国鉄当時の木原線

今でも撮影スポットの一つです。

国鉄民営化された後、小湊鉄道と木原線(現いすみ鉄道)の終着駅である上総中野駅は無人化され、当時あった小湊鉄道側の2番線撤去と両鉄道の線路は途中で分断されました。
当時の画像がこちら。

当時はなかなかな本数を走っていて(現在では想像つきませんが小湊鉄道側の発着数が現在よりもかなり多い)、むしろ現在よりも便利だったことがうかがえます。

私も故郷から東京へ出て進学、就職した口ですが、やはり地域の衰退って離れていると案外に客観的にみることができますので実感しますね。
できれば故郷に貢献できるような、サポートできるようなことをしていきたいとは考えておりますけども・・・。

私の夢としては、かつての繁栄をできるだけ再現して観光客に来てもらい雇用などを潤わせたいと考えてます。
たぶんなんでもいいんです。

無人駅で駅弁販売したり、足湯作ったり、それこそ駅員の物まねしたりしても。

かつてできていたことを再現するだけでもだいぶ印象って違いますからね。

これからはそういうことも視野に入れながら人生設計してもいいかもと思う今日この頃です。
コメント (1)
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