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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

[妄想シリーズ] ハッピー・トレイン計画

2010-01-21 12:45:09 | 経済

妄想シリーズとしてシリーズ化します。
このシリーズは個人的に社会的価値などを無視して、単に思いついたことを表現するものです。
"妄想"というところからわかりますように、これは個人的な願望に近いものと考えていただいてよいかと思います。
「そんなの読まされる側に立って考えろ」と思われるかもしれませんが、テーマに[妄想シリーズ]とつけますので無視していただくでも結構かと思います。

電車内痴漢:39人を検挙 首都圏の新学期集中取り締まり(毎日jp)
http://mainichi.jp/select/today/news/20100121k0000e040035000c.html

どんどんやってくれ。
個人的には、小沢問題よりも警察(検察じゃないけど)はこっちに金かけてもらって構わない。
こっちの方がずっと社会のために役立つから!!

私は、是非政府(JR東and私鉄?)に「ハッピートレイン計画」を遂行していただきたい。
通勤ラッシュを解消するだけでなく、電車内を楽しくして欲しい。
エキュートなんかで駅中を楽しくするのはいいですが、電車内も楽しくしてくれないだろうか。
ただ移動するだけの機関として電車を位置づけるのはとても勿体ないと思うのは私だけだろうか。
iPodやウォークマンなどで時間を潰すだけではもったいないと思うのだ。
これだけ効率化された都市生活において、あの時空間だけは生産性が上がらないのである。
いや、本読みたい人は読めばいいんだ。
電車内に自由があることが生産性向上のために大事なんだ。

例えば、電車というのはいろんな人が行き交うが、まるで出会いがない。
「電車男」ではないが、もっと電車カップルができてもいいと思う。
そのためには、もっと若い女性が楽しく乗れるということが重要だ。
今、若い女性は電車に乗ると男どもからの脅威に耐えなければならず、みな構えている。
若い女性にとって電車にのることはリスクなのである。
そして男も、そういう女性を前にして身構えてしまうのだ。

この状況を是正せずして何が「安心社会」か!!

首都圏800万人の電車通勤者に夢を見させてくれ!!

例えば、女性車両とかセコイことを言わず、もっと妊婦車両とか子供車両とか家族車両とか、出会い車両とかもやって欲しい。
わかった!
例えば15両中の10車両くらいの車両内スペースを車両単位でオークションかけて売却し、各民間企業の創意工夫を導入するというのはどうだろう。
そこに生まれるサービスもあろう。
これまでの輸送量が減ると困るので、幸福実現党ではないが電車を2階建てにしたり、ホームの長さを拡張して車両編成数を増やすというのはどうだろう。
単なる移動手段として電車を位置づけるのはもったいないである。
2階部分を全て売却でもいいだろう。
ビジネスなので痴漢は禁止方向になるだろうし、居酒屋トレイン、バー・トレイン、などがあってもいい。
気づいたら終点でした系の乗り過ごしが増えそうではある。
キャバクラ・トレインを作れば痴漢も減るかも?
わかった、風俗店として痴漢・トレインがあればいいのだ。
やりすぎか・・っていうか絶対禁止されるだろうな。
保育・トレイン、理容・トレイン、カフェ・トレイン、いろいろあると思う。
けど、多分法律かなんかで禁止されてるんだろうな。
もしそうなら、その法律やめてもらえないかな。
でも鉄道会社の人ならこの手のアイディア絶対考えるはずだから、それでも実現されないのは、多分その前段で輸送量が足りていないからなんだと思うんだな。
だ・か・ら、2階建てやホーム拡張やったらいいんだ。
金がない?
コストとのトレードオフ?
だから料金を2階建てにすればいいんだよ。
需要がない?
それはやってみなければわからないよ。

もっと人々が首都圏に集中して都市化するのもいいし、ハッピー・トレインの出現で遠方に住むようになってもいいと思う。
電車が楽しくなったら、もっとみんな遠くに住んでもいいかなって思うようになると思うよ。

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私は毎日通勤に電車を使うのだが、直接痴漢行為を目の当たりにしたことはない。
しかし、痴漢行為に準ずるような行為を見かけることは日常茶飯事である。

私が遭遇する危ない行為は主に2通りある。
1つは、通勤ラッシュ時に若い女性の隣を狙って電車に乗ってくる男が多い。
ラッシュ時には乗車率が高く、体と体の距離がないくらいギュウギュウになる。
隣が若い女性だと嬉しい男がやはり多いらしく、毎日のように狙っている男を見かける。
本人はわからないようにしているつもりだろうが、私なんかは明らかに「こいつ狙ってる」とわかる。
明らかに動きが不審なのである。
普通、ラッシュのように資源を争奪する状況では、参加者は最短経路で目的を達しようとするものであるが、こういう不審者はそうではないのだ。
電車に乗る前の列への並び方が変である。
ラッシュに困ったような顔をして誤魔化している姿が痛い・・。

もう一つは、電車にゆられたふりして若い女性に体を当てる男。
これもわかる。
本人は誤魔化しているが、意識しているのが不自然すぎてわかる。

50くらいの男が女子高生に一生懸命触れようとしているのを見るのが痛い・・
金融日記じゃないですが、もっと性風俗的な規制を緩和して、こういう元気はあるけど発散する先のない男どもに対応して、若い女性に対するリスクを減らした方がいいなじゃないかと思う。
禁欲的なことを是とする時代は、近代の終焉と供に終わったのではないか。
もっと社会全体のために頭を使うべきなんではなかろうかと思う今日この頃である。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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禁欲の是非 (ttosi)
2010-01-22 12:54:09
小気味良い書き口で楽しく拝見させて頂きました。実現性はともかくも、確実にその方向(快適な車内空間の提供)に向かっているような気もしています(テレビ付きの車両が出てきたように)。今後、公共交通機関におけるオープン・イノベーションがより図られると面白いなと思いました。

一方、本題とは逸れますが、安易に人間の欲求を満たすことには抵抗を感じます。つまり、禁欲の是非についてです。「禁欲的なことを是とする時代は、近代の終焉と供に終わった」とありますが、これからはより一層、禁欲的なことが是とされる傾向にあるのではないかと私は思うのです。「禁欲的=理性的」と言えるのではないかと考えるからです。欲望のままに生きることは本能のままに生きることであり、理性を持った人間にはそぐわないと考えています(そこが人間と動物が違う点)。ただ、欲求は満たす必要があり、それは理性的に欲求を満たす、ということになると思うのですが、それはやはり倫理的な方法で、ということになるのではないかと考えているのです。では、倫理的とはどういうことか、と堂々巡りになりそうですが、結局、秩序が守られた近代的な社会を維持するためには、安易な方法を取るべきではないと思ったのです。
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パラダイム・シフト (advanced_future)
2010-01-22 13:50:39
>ttosiさん
いつもコメントありがとうございます。
最近コメンテーターとして発言が少なく寂しく思っておりました。

なるほど。
ttosiさんらしい「That's adult」的なご意見ですね。
進化して前頭葉が発達したのが人間なのだから、より理性的になることが進化というものなのではないか。
というご指摘ですね。

まず、私との観点の違いを明らかにすると、私の場合「禁欲的!=理性的」です。
私の主張を説明するために、そもそも「禁欲」がなぜ必要であったのかを考えてみましょう。
「禁欲」が必要なのは「それが社会的にみて価値があるから」でしょう。
これには反論がないかと思います。
(「神の国へ行くため」とか言われてしまうと「そ、そうかも・・。」としか言えないです。。)

しかし、なぜそれが社会的に価値があるのでしょうか?
それは「皆が利己的に活動をすると、結果として全体の損失に繋がることが往々にしてあるから、個々の活動を抑制する必要がある」という発想が起点です。

ここで私には2つの問題が見えます。
一つは「禁欲の必然性」で、もう1つは「利益とは何か」です。
「禁欲の必然性」からみていきます。

人々が利己的に振舞うのを抑制することが「禁欲」である必要があるのでしょうか。
むかし「モーセの十戒」が人々に与えられた背景は、「十戒を守ることに価値があったから」ではなく、「皆で十戒を守ることによって得る価値があるから」です。
当時の人々には、十戒に定義された概念を、与えられなければ理解することができませんでした。
人々が社会的価値を理屈で理解できぬのであれば、社会的価値を得るためではなく倫理として利己的行動を禁止する必要があったのです。
いつの時代においても「倫理」や「道徳」などというものは、その時代その時代に作られ「社会的に共有されたルール」でしかありません。
古びた倫理や道徳は修正・削除していくべきものです。
理屈でなく道徳として存在したのは、我々の理解が足りないからです。
人々の教育水準が上がり、理解力が上がったなら「禁欲」しなければならない領域は減っていくはずのものです。

では、つづいて本質である「利益とは何か」について見解を述べます。
さきほど「社会的価値」について述べましたが、実はこの「社会的価値」というのは実に曖昧で不確かで、そして変化するものです。
宇宙の留まることのない万物流転の変化に伴なって、我々人間が置かれている環境も変化し続けます。
社会を構成する全ては変わり続けます。
変化を好まない方々には嬉しくないお話ですが、「利益」もまた変わるのです。
流れゆく時の流れの中で、価値観は常に過去のものに移り変わり、新しい時代の訪れとともに新しい価値観が生まれるのです。
「利益とは何か」を問うてみても、時代とともに変わるのです。
原始時代と現代とで、人々が求めるものが変わるように。

「禁欲」によって得ようとした「社会的価値」は、「禁欲」を定めた時代から変わり続けてしまいます。
逆をいえば「社会的価値」が変わるなら「禁欲」もまた変わらなければならないのです。

次の単純なことをいうために長々と説明してしまいました。

時代とともに「社会的価値」は変わるのです。
パラダイム・シフトが起きるのです。
そして現代において「ポスト近代(ポストモダン)」の時代においては、この「社会的価値」というパラダイム(枠組み)そのものがよく見えなくなっているのです。
我々は、今我々が置かれている枠組みを把握することができていません。
つまり、「社会的価値」がわからないのに、何を「禁欲」しなければならないというのでしょうか。
我々がこの状況について「理解」を柔軟に変えていくことによって対応しなければならないのです。
古びた「禁欲」にこだわらず、新しい「パラダイム」の下で、新しい「理解」を今手にしようとしなければならないのです。

哲学という学問では、けっこうありふれた話ではあるのですが、哲学的な背景がないと少し理解が難しいかもしれません。
でもttosiさんは頭のよい方と思われますので、理解できるはずです。

実は当Blogのいつもの焼き直し議論なのですが、この話をネタにもっとわかりやすくエントリしなおそうと思います。
ありがとうございます。

以上です。
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