今回はgooブログの文字数制限いっぱいで難しい・・1文字単位で削ってます(汗
当Blogはプロトタイプ段階でもエントリをリリースして後にデバッグしながら精度を上げていくのを基本としていますので内容は少しずつ変化していきます。
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チーム4を応援していると、こう言われる。
なぜ「チーム」にこだわるのか?
今のAKB48で「チーム」にこだわる必要はあるのか?
「チーム」に意味がないのだから組閣の意味がない。
もちろん主張するのだから理由はあるし、意味がないから組閣しないのではなく、チーム4の意味があるから今は組閣してはならないのだ。
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■なぜ「チーム」を重要視するか
個人としても組織としても、成長するのに「チーム」ほど優れた媒体はない。
チームが学習する時、チームとして驚くべき結果を生み出すだけではなく、個々のメンバーも、チーム学習が無かったら起こり得ないような急激な成長を見せる。
また、チームが学習できなければ、組織は学習し得ない。
個人の学習は、あるレベルでは、組織の学習と関連がない。
個人が常に学習したところで、まったく組織の学習にならないからだ。
しかし、チームが学習すれば、組織全体の学習の縮図になる。
チームが得た洞察は行動に移される。
チームで開発されたスキルは、他の個人に、他のチームに展開することが可能だ。
チームが成果を上げることで、より大きな組織のために協力して学ぶための方向付けと基準が確立される。
それゆえ、現代組織における学習の基本単位は「個人」ではなく「チーム」であり、「チーム学習」が極めて重要となる。
チームの重要性について語るにあたって参考図書として、下記2冊を使いながら私見を述べたいと思う。
ピーター・M・センゲ『学習する組織』と藤本隆宏『ものづくり経営学』だ。
■チーム
チームの定義は「ある結果を生み出すためにお互いを必要とする人たち」のことである。
ピーター・ドラッカーは「個人が組織に忠誠を尽くすのは、組織の繁栄が個人の繁栄につながる」という互酬性の概念でチームを説明したが、私はより本能的な部分で人間は協調し合う存在だと考える。
激しい生存競争に生き残るために、人は協調することを本態的なものとして身に着けたのだ。
如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062
人は生まれながらにして、チームを受け入れる下地を持っていると、私は考える。
チームの最適人数については、以前にも述べたように、グリーンベレー(アメリカ陸軍特殊部隊)の研究により、生産性が最も高くなるのは8人前後と言われている。
(なのでどの世界でもチームは6~12人組むことが多い。そういう意味でAKB48の16人は少し多い。本当は10人くらいにしたいところだ。)
協調し合える上限としてはダンバー数(150人程度)という説もあるし、それをSNSが拡張しているという論説もある。
チームの最適人員数
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c08df9971d936900bc3c69a6b0958af
■チーム学習
チーム学習とは、メンバーが心から望む結果を出せるようにチームの能力を揃え、伸ばしていくプロセスである。
チーム学習においては、共有されたビジョンがあって有能な個人の集まりというだけでは不十分だ。
有能な個人の集まったチームが、しばらくビジョンを共有することはできるが、学ぶことはうまくいかない、という例は世の中にいくらでもある。
優れたアンサンブルは、才能があり、ビジョンを持っているが、本当に大切なのは「ミュージシャンが心を一つにして演奏する術を知っている」ことなのだ。
チーム学習には、個人のスキルや個人が理解しなければならない領域も必要であるが、本質的には集団的なモノ(理論と技術の体系)が最も必要だ。
したがって、
私は個人としてチーム学習を習得している
などということは有り得ない。
それは
私は個人として優れたジャズ・アンサンブルの実践を習得している
というのと同じくらい奇妙な主張である。
優れたアンサンブルは、個人だけでは実現も習得もできない。
集団的なものなのだ。
ジャズ・ミュージシャンはこれをよく理解している。
ジャズには「グルーブしている」という表現があり、アンサンブルが「一体になって演奏している」状態を指す。
しかし、この体験は言葉で表現するのは難しい。
だが、言葉にしにくい割には、ハッキリと実感できるものでもある。
そして、チーム学習には練習が必要だ。
しかし、この「練習」こそが、現代の組織におけるチームに欠けている。
稽古もせずに素晴らしい劇団や交響楽団をつくるなど有り得るだろうか?
練習せずに優勝できるスポーツ・チームなどあるだろうか?
現実には、チームが学習するプロセスは、練習と本番の絶え間ない繰り返しであり、練習、本番、また練習、また本番と続く。
(独立系研究機関としては世界最高峰)米SRI社長のカーティス・R・カールソンはこれをイノベーションを生み出す「叩き上げのプロセス」と呼んでいる。
しかし、その重要性にも関わらず、「チーム学習」はまだあまり理解されていない。
これと同じような練習の機会を、どう経営や組織に組み込むのかを、我々は学習し始めたばかりだからである。
チーム学習による効果がもっとわかりやすく説明できるようにならない限り、チーム学習は「よくわからないもの」の域を出ないだろうし、チームが学習すると何がおきるかについて何らかの理論を持たない限り、個人が集団の圧力に屈して順応する「集団順応思考(グループシンク:集団浅慮)」と「集団の知性」との違いも区別できないだろう。
これは大きな課題だ。
■組織に根付くチーム学習を阻害する防御本能
実は、組織にはチーム学習を妨害する強い力が内在している。
どんな組織にも、その組織を守るための防御システムが深く根付いており、これがチーム学習(つまりは新しい何かを学ぼうとする思考および行動)を阻害する。
詳細を説明しないが、この妨害する強い力の最たるものは「習慣的な防御行動」と呼ぶものだ。
これは一種の習慣的な反応で、効率よく恐れや困惑から自分や他者を守るものの、学習も妨げてしまう。
(組織や個人を守るために必要なものであるから厄介なのだ。)
たとえば、意見が衝突した時によくやるのは、相違点を「丸く収める」か、無制限の「勝者総取り」的な自由討論の中で「遠慮なく意見を言う」かのどちらかである。
これは「抽象化論争」に繋がりやすく、結局何も生み出されないことがある。
この力に気づかないでいると、どんなに努力しても効果は出ない。
むしろ、どんどん効果が裏目に出て、学習がより一層阻害される。
チーム学習には、学習を阻害するチーム内の相互作用のパターン(防御パターン)に気づく方法や、これに創造的に対処する方法を学ぶことも含まれる。
先述したように、チーム学習に関して何らかの理論を持たない限り、個人が集団の圧力に屈して順応する「集団順応思考」と「集団の知性」との違いを区別できないだろう。
チーム学習を困難にしているものとして、以前述べた学習の難しさもある。
高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df
■ダイアログとディスカッション
チーム学習は「ダイアログ(dialogue)」ではじある。
それは、チームのメンバーが、前提を保留して本当の意味で「共に考える」能力のことである。
「ダイアログ」の語源は「対話:ディアロゴス」であるが、ギリシャ人にとって「ディアロゴス(dia-logos)」は、
個人では得ることのできない洞察をグループとして発見することを可能とするような、グループ全体に自由に広がる意味の流れ
を意味した。
興味深いことに、ダイアログという習慣は、アメリカ・インディアンの文化のような、多くの「原始的な」文化の中で守られてきたが、現代社会ではほぼ完全に失われている。
今日、ダイアログの原則と習慣が再発見され、現代の状況に適用されはじめている。
「ダイアログ」は「ディスカッション」とは異なる。
ディスカッションは「叩打(パーカッション)」や「衝撃(コンカッション)」を語源としていて、文字通り、勝者が全てを得る競争の中で考えを互いにぶつけ合うことである。
ダイアログでは、複雑で微妙な問題を自由かつ創造的に探究し、互いの話にじっくり「耳を傾け」、自分の考えを保留する。
対照的に、ディスカッションでは、様々な考えを発言したり、弁護したりして、その時に下さなければならない決定の裏付けとなる最善の考えを追求する。
ダイアログとディスカッションは、潜在的には補完し合う関係にあるが、ほとんどのチームには、両者の違いを見分け、意識して使い分ける能力が欠けている。
■ダイアログを巡る知の潮流
現代物理学の有名な「不確定性原理」を定式化したヴェルナー・ハイゼンベルクは『部分と全体 -私の生涯の偉大な出会いと対話』の中で、こう語っている。
科学は対話に根差している。様々な人々の協力が最も重要な科学的結果に至ることがある。
ハイゼンベルクは、協力して学ぶことの驚くほど大きな可能性、集団になれば個人的にできる以上の洞察力が深まり、知性が高まること、を示している。
チーム学習に大きく貢献したのは、現代物理学者のデヴィッド・ボームだと思われる。
ボームは量子論者で、集団が「より大きな知性の流れを受け入れるようになる」ための「ダイアログ」の理論と方法を発展させるのに尽力した。
ボーアは2つの大きな知的な潮流の統合を試みた。
「システム的あるいは全体論的な自然観」と、もう1つは「認識と行動の間の相互作用」である。
ボームはこう語っている。
量子論に示唆されるのは、この宇宙は基本的に不可分の全体だということだ。
たとえマクロなレベルで見れば個々の部分に分割できるように見えるとしても。
とりわけ量子論レベルの精度ともなれば、観測機器と観測対象はそれ以上縮小できない方法で互いに関係し合うということになる。
したがって、このレベルで考えれば、認識と行動は切り離せないものである。
わかりやすくいえば、今起きていることが、どれほど自らの認識に左右された自らの行動の結果であるかに目を向けるということだ。
ボームは、科学の目的は「知識の集積」ではなく、私たちの認識と行動を導き、形作り、恒常的な「自然と意識の間の相互作用」をもたらす「メンタルマップ」の創造だと主張した。
■劇場というパラダイム
「劇場(theater)」と「理論(theory)」の語源は同じ「見ること(theoria)」だという。
現実が変化しても、劇場は依然として変わらない。
私たちは、この劇場の中で活動している。
問題を定義し、行動を起こし、問題を解決する。
この劇場を生み出した、もっと大きな現実との接触を失いながら。
誤解して欲しくないのは、それが必要だから我々は劇場を使う。
いろんなものを諦めながら我々は決める。
揺れ動く恋心 ~「選択の自由」と「報酬の不規則さ」の曖昧な関係~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/be92949e9750b92b79177e0a876afe2a
ほとんどの思考はそもそも集団的なものである。
たとえば、「言語」は完全に集団的なものである。
そして言語がなければ、知ってのとおり、思考はそこに存在し得なかった。
私たちがもっている前提の大半は、文化的に容認されている前提の集積から得たものだ。
本当の意味で「自分で考える」ことを身に着ける人はほとんどいない
(そういう人は必ず「誤解」される。常識を逸脱する「天才」か「変人」のどちからとして)
それゆえ、先に紹介したボームの言葉の意味が重要になってくる。
取り組むべき重要な課題は「メンタルマップを創造すること」だ。
普段、当Blogで「物語」と呼んでいるものだ。
※ここをもうちょ深堀したい・・が文字が足りない
■チーム学習における知識移転
チーム内で起きる「知識移転」について「ティーチング」の観点から少しだけ触れておきたい。
人が人に教えることによって発生する効果についてだ。
「ティーチング(教える)」には3つの便益があるという。
・相手に対するティーチングの貢献
もちろん、ティーチングのやり方次第なのは言うまでもない。
下手なティーチングはラーニングを阻害さえしかねない。
かたや上手なティーチングは、暗黙知の形式知化につながり、複雑性を低下させて、因果関係を明確化し、ラーニングを促進させる。
・ティーチングが自らのラーニングに直接的に貢献する
相手を効果的にティーチングしようとすれば、ティーチャー(教え手)はラーナー(学び手)を理解する必要がある。
理解を通じて相手の能力などについて、様々な知識を得る。
この知識こそ、まさに「ラーニング」である。
「教えることは学ぶこと」なのである。
・自らの内なる能力の構築を促進する
ティーチャーは、自らの能力そのものの内容を、分析、認識していなければならない。
それは、自らの能力をより明確化することに他ならない。
能力を明確化する分析や取り組みのプロセスは、相手に対するティーチングを駆動させると同時に、ティーチングする自身の能力に関わる深い知の獲得を促す。
この知識は、自らのそれと異なる環境を持つ相手に対峙する時に、発生する可能性が高まる。
異なる環境下で、自らの能力が機能すべくティーチングすることは、より高度なラーニングの引き金になり得る。
なぜAKB48は予定調和を壊し続けることをモットーとするのか? ~多様性とイノベーション~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a6c037c1f0413c59b507b4c0357c8227
・ティーチングには3つの条件が必要
モチベーションと能力が必要。
組織として学習する能力がなければならない。
相手を正確に評価できなければならない。
ストーリーの文脈(物語)の中における自分の役割を理解し、自らの能力をたえず開拓し、それらが相互に切磋琢磨することによるダイナミズムが、知識移転と組織学習を可能とするのだ。
■チームの中核的な学習能力を伸ばすアプローチ
文字数制限にひっかかるので、最後に簡単にチーム学習において重要となる3つのキーと5つの方法論を『学習する組織』から抜粋しておく。
ピーター・M・センゲは、チームの中核的な学習能力を伸ばすアプローチとして3つを主張している。
・志の育成
・内省的な会話の展開
・複雑性の理解
また、その方法論として5つ説明しています。
(本当は「ディシプリン」という言葉なのだが、説明しずらいので言葉を変えています。)
・システム思考(複雑性を理解するための思考法)
・自己マスタリー(熟達、わかりやすくいうと「匠」とか「極み」みたいな話)
・共有ビジョン(ビジョンの共有だと思って)
・メンタルモデル(先述した劇場とパラダイムの項を好意的に読んで欲しい)
・チーム学習(本エントリのまんま)
伝えるのが難しいのだけど、簡単に説明する。
まず、何事においても「志」は重要。
志がなければ何もはじめられない。
だが、志の育成を考えるにあたって、複雑性の理解が大事。
なぜなら、世界と言うのは複雑なもので、先述したように個々人と全体は不可分なものだから。
個々人の目指すところや理想などを追求するにあたっては、全体に対する理解、全体と個々人の相互作用の関係性などへの理解が必要。
その理解を深めるためには、内省的な会話の展開が不可欠。
また、それが志を育て、それが志がそれらを推進する。
この3者が好循環していくことで、その3つともに育まれていくものなのだ。
で、その方法論として挙げられているのが上の5つだがここでは述べない。
■そしてチーム4に話を戻す
文字数が足りない・・
本エントリの内容を総合して(笑)
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