今回の中国がアホだった件は、
中国の中のアホ達がアホだったのであって、
中国そのものがアホなのではありません。
(日本にもアホは大勢います。私も・・)
よって、日本が成すべきことは、
中国の中のアホ達が力を持つことがないようにすべきなのであって、
その観点からすれば、今回の菅・仙石政権の対応は全くもってマイナスと言えます。
以前、当Blog(恋愛ベタが語る外交ほど本質を外しているものはない)で述べたように、
菅・仙石政権はまさに「彼女の男遊びの処理を失敗した彼氏」のようなものです。
温首相の発言など、意訳してしまえば、
まるで彼女が「私にここまで言わせないでよ。わからずや!」と彼氏に言うようでありました。
私は心が痛みました。
そして、心の中で思いました。
「すまない友よ。今、日本の中心にいる男は、日本の恋愛下手を代表する男なのだ。許せ。」と。
日本の男性のほとんどは、
恋愛事故を処理する能力のない、社会性のない木偶の坊でありますので
相手の気持ちなどを自分の基準以外で理解することが出来ず、
自分の納得する「理屈」で説得を試みるわけです。
ですが、恋愛経験をお持ちの方なら誰しもご理解いただけるように、
この行為は「火に油を注ぐ」が如き蛮行でございまして、
なんら問題の解決には寄与しないものなのです。
世のわからずや男性諸君にここで直言をしておきます。
原則論や筋論を持ち出して、自分の正しさを主張するのは、
あくまで「自分に向けた行為」であることを忘れてはなりません。
自分を守ろうとして、自分の正当性を主張するのは結構なことですが、
しかしながら、もし自分が正しかったとしても、
それで自分の最終的な利益が守れるかどうかは別の問題です。
こう言われる方もいるかもしれません。
「利益よりも大切なものがある。誇りだ」と。
立派な心がけです。
しかし、その「誇り」は誰に向けられたものですか。
自分自身のためのものでしょう。
そういう方は、晩年に哀愁漂わせて、未練がましくお酒でも飲んでいればいいのです。
懐かしき日々を思い出して、取り返せない時間を後悔し続けてください。
仕方がありません。
自分のことしか考えないわけですから。
そして認めたくない現実に苛まれて苦しんでください。
「本当は自分が弱かっただけなのだ。」と。
ある日、突然街で過去の人と出会ったとしても、
良き思い出がオーバーラップして物語が始まるのはあなただけです。
相手の眼にはあなたは道端に転がる石ころ程度にしか見えません。
それが現実なのです。
ユリウス・カエサルが2000年以上前に残したとされる言葉を取り上げましょう。
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えているわけではない。
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。
これは、これを読んでいるあなたのことです。
他人事ではなく、あなた自身の問題です。
原則や筋など、所詮は人間都合で考えた人工的なもの、道具です。
その人工的な道具を持ち出して、人間を裁こうなどというおこがましさこそ、
あなたが恐れるべきものです。
道具は、それを作った人間に貢献すべきもの。
それを忘れてはなりません。
国益が何かを考えず、原則論、筋論を通すという愚を体言した。
その上で、原則・筋を通せずに
日本人男児に向けて、いい教育になりました。
中国の中のアホ達がアホだったのであって、
中国そのものがアホなのではありません。
(日本にもアホは大勢います。私も・・)
よって、日本が成すべきことは、
中国の中のアホ達が力を持つことがないようにすべきなのであって、
その観点からすれば、今回の菅・仙石政権の対応は全くもってマイナスと言えます。
以前、当Blog(恋愛ベタが語る外交ほど本質を外しているものはない)で述べたように、
菅・仙石政権はまさに「彼女の男遊びの処理を失敗した彼氏」のようなものです。
温首相の発言など、意訳してしまえば、
まるで彼女が「私にここまで言わせないでよ。わからずや!」と彼氏に言うようでありました。
私は心が痛みました。
そして、心の中で思いました。
「すまない友よ。今、日本の中心にいる男は、日本の恋愛下手を代表する男なのだ。許せ。」と。
日本の男性のほとんどは、
恋愛事故を処理する能力のない、社会性のない木偶の坊でありますので
相手の気持ちなどを自分の基準以外で理解することが出来ず、
自分の納得する「理屈」で説得を試みるわけです。
ですが、恋愛経験をお持ちの方なら誰しもご理解いただけるように、
この行為は「火に油を注ぐ」が如き蛮行でございまして、
なんら問題の解決には寄与しないものなのです。
世のわからずや男性諸君にここで直言をしておきます。
原則論や筋論を持ち出して、自分の正しさを主張するのは、
あくまで「自分に向けた行為」であることを忘れてはなりません。
自分を守ろうとして、自分の正当性を主張するのは結構なことですが、
しかしながら、もし自分が正しかったとしても、
それで自分の最終的な利益が守れるかどうかは別の問題です。
こう言われる方もいるかもしれません。
「利益よりも大切なものがある。誇りだ」と。
立派な心がけです。
しかし、その「誇り」は誰に向けられたものですか。
自分自身のためのものでしょう。
そういう方は、晩年に哀愁漂わせて、未練がましくお酒でも飲んでいればいいのです。
懐かしき日々を思い出して、取り返せない時間を後悔し続けてください。
仕方がありません。
自分のことしか考えないわけですから。
そして認めたくない現実に苛まれて苦しんでください。
「本当は自分が弱かっただけなのだ。」と。
ある日、突然街で過去の人と出会ったとしても、
良き思い出がオーバーラップして物語が始まるのはあなただけです。
相手の眼にはあなたは道端に転がる石ころ程度にしか見えません。
それが現実なのです。
ユリウス・カエサルが2000年以上前に残したとされる言葉を取り上げましょう。
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えているわけではない。
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。
これは、これを読んでいるあなたのことです。
他人事ではなく、あなた自身の問題です。
原則や筋など、所詮は人間都合で考えた人工的なもの、道具です。
その人工的な道具を持ち出して、人間を裁こうなどというおこがましさこそ、
あなたが恐れるべきものです。
道具は、それを作った人間に貢献すべきもの。
それを忘れてはなりません。
国益が何かを考えず、原則論、筋論を通すという愚を体言した。
その上で、原則・筋を通せずに
日本人男児に向けて、いい教育になりました。
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