高須砲などのビックプレーヤや組織票について書こうと思っていたのだが、高須砲が撤回されたので宙に浮いてしまった。
この問題については過去何度か考えを述べているが、ここで簡単にまとめてみたい。
AKB48の選抜総選挙において、1人のファンが複数投票することはよく知られた事実であり、今にはじまったことではないが、この問題がクローズアップされたのは2年前の第3回選抜総選挙(2011年)の時だと記憶している。
第1回が前田敦子、第2回は大島優子が1位と、当時は前田敦子と大島優子がデットヒートを繰り広げていたので、両者のファンが大量投票していたのだ。
1000票(100万円以上)投票するファンが多数表れたばかりか、私が知る限り5500票(800万円以上)投票した大島ファンもいた。
このファンがメンバーのために私財を投げ打つ異様な姿に、マスコミは食いつき、AKB48は「AKB商法」として多くの批判を受けた。
この批判に答える形で生まれた名言が、第2位に選ばれた大島優子が壇上で述べた
「票数はみなさんの愛」発言である。
AKB48総選挙「票数はみなさんの愛です」を理解できない人は愛を理解できない。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/58349ed15207899654aa8e85f2113cdd
第三者はいろんなこといいます。
『投票数を何万も買って、本当に総選挙と言えるのか、選挙は一人1票じゃないのか』って
でも私たちにとって、票数というのはみなさんの愛です。
去年は1位になってセンターで歌わせていただきました。私にとっても大切な曲です。
次のシングルは2位ですが思いっきり歌って踊りたいと思います。
「AKB商法批判」に対してAKB48運営は何もしていないわけではない。
AKB48運営は、第2回総選挙の後に声明を出している。
総選挙1位であった大島優子の待遇について、ファンから批判が続出したからだ。
(ヘビロテの後、『Beginner』では変則センター、じゃんけん選抜の『チャンスの順番』の後、『桜の木になろう』では大島優子が楽曲のイメージに合っていないということからセンターを外された。)
「総選挙におけるランキングは、次の楽曲のセンターを決めるものであり、AKB48のセンターや序列を決めるものではない。」
しかし、第3回選抜総選挙ではファンの投票行動の加熱を抑制し切れなかった。
なぜなら、AKB48選抜総選挙はファンにとっての「代理戦争」だったからである。
前田敦子が第4回選抜総選挙を辞退すると、選挙の様相は少し変わった。
AKB48一時代を築き上げた2強の一角が崩れたことで総選挙の争点は「トップ争い」から、巨大化したグループ内でのポジショニング競争という位置づけになったのだ。
実は、この点については第3回総選挙の時点である程度は予想されていたことだった。
第4回総選挙の結果は、姉妹グループであるSKE48や中堅メンバーの躍進が目立つ形となった。
AKB48総選挙のあるべき形とは何か
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/30c6b53c212d4991f0bed25a76c9e552
もし、私が言うように、アイドルが大衆的で公的な要素を持つものだとしたら、投票権が無制限に与えられる選挙システムで、どれだけアイドルの価値を示すことができるだろうか?
難しいのかもしれない。
投票権が無制限に与えられる選挙システムで、大衆性をどうやって計測することができる?
だから総選挙ランキングとセンターなどの序列は合致しない。
総選挙ランキングに全てを委ねることは、AKB48にとって合理的ではない。
総選挙の主催者は、総選挙の目的をより明確にする必要がある。
もし単に「次のシングル楽曲のセンターを決めるだけのもの。」であるならば、「総選挙」の位置づけをしっかりと認識してもらうよう努力する必要がある。
この認識違いによる混乱は、回りまわってAKB48の信頼に関わるものだと私は考えるからだ。
仮に、認識合わせに成功したとすると、おそらく、今の目的のままであれば、総選挙は回を重ねる毎に位置づけを変えていくだろう。
今のように主力級がトップを独占するのではなく、まだ注目度は低いが将来性のあるメンバーが、ファンの支持を得てランキング上位に上り、次のシングル楽曲のセンターで陽の目を浴びるという形で、「世代交代の基礎を築く場としての総選挙」になると私は思う。
第4回選抜総選挙 結果の図解
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/c153b4df0c7d5748202b695e610752ee
以前は、選抜総選挙の意味がAKB48内での絶対基準に成り得ないということが周知されれば、選挙の回数を重ねていくうちに、参加者も小慣れてビックプレーヤの存在は薄まってくると予測していた。
(マーケティングとしての組織票やビックプレーヤはその時々に一過性の現象として現れては消えると思うけれども)
ところが、つい先日ラジオ番組に出演したやすす先生は、メンバーの進退に関する判断を、ファン側に委ねる方向へ転換する主旨の発言をしてしまった。
「秋元康・宇多丸 スペシャル対談!」を聴いて。このままではマズイな。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ae280f48ae1b0977d2cb33fc72d0700d
意思決定をファン側へ委ねられても、ファンが意志を示すことのできる場が用意されなければ、それは実質的に「握手会」と「総選挙」を指し示すことになる。
公には「総選挙」ということになるだろう。
(総選挙は加点方式なので、メンバーを「持ち上げない」ということによってしか意思表明することができないが。)
これでは、その意図はなくてもAKB48運営の「総選挙重視」という戦略転換を暗黙的に示すシグナルになってしまう。
表現が適切ではないかもしれないが、これまでの「選抜総選挙」は「AKB48の表象」であって、「AKB48の本質」ではなかった。
あくまでも本質はAKB48運営が握っているのだ。
AKB48運営には選抜の編成権を手放す気はなく、もともと総選挙は1つのシングル選抜を決める余興だった。
(選抜の編成権を失ったら運営は単なるファシリテーターになるのではなかろうか。)
しかし、意図せざる「総選挙重視」のメッセージは総選挙を表象から本質へと転換するうねりに変わる可能性がある。
もし、その上でAKB48運営がこれまでの姿勢を変えないとしたら、ファンからみたときのAKB48のダブルスタンダードが事実化してしまい、チグハグ感が全体性や一貫性を、最終的にはブランド力を毀損させてしまうことに繋がるだろう。
(既に他の部分でのチグハグ感が問題になっているが、その問題から逃げたくて「総選挙重視」という暗黙的な宣言をしてしまった。)
この状況は民主主義の生成過程で起きる、政府と国会との間で起きる対立構造に似ている。
超然主義をとっていた政府が行き詰って政策の正当性の裏づけに「民意」を頼ると、民意の代表たる国会の支配を免れられない。
次第に政策素人である大衆の意見を受け入れざるを得なくなるだろう。
さらに状況を難しくしているのは、なりふり構わないCDの拡販政策だろう。
総選挙を盛り上げとCDの売上低下を帽子を両立させたい(少なくても票数の低下を防ぎたい)のかもしれないが、票数を上げるために無理をすればするほど運営は結果を尊重しなければならなくなる。
そこまで見越した覚悟のある政策なのだろうか。
さて、AKB48運営政府はこの問題をどうハンドリングするつもりであろうか。