進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

【AKB48妄想シリーズ】AKB48のタオ<道> 空っぽの絶対的エース 前田敦子

2011-12-09 07:48:13 | AKB48

※なんと事前の予想に反してAKB48妄想シリーズ第2弾は前田敦子さんでお送りします。
前田さんの本質的なところに焦点を当てたいので、細かい違いみたいなところは気にしないで頂けると幸いです。




↓この記事を読んでビビッと来ました。

前田敦子 6年前は「凄く暗かった」 劇場支配人が回顧(スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/12/06/kiji/K20111206002182740.html

(太字強調は筆者によるもの)
AKB48の原点である東京・秋葉原のAKB48劇場が8日にオープン6周年を迎える。劇場支配人・戸賀崎智信氏(38)に、この6年の軌跡をセンター・前田敦子(20)に焦点を絞って尋ねた。

 「前田は凄く暗かった」。戸賀崎氏は2005年10月のオーディションを思い返す。

 「歌い終わった前田は暗かったが、質問されて最後にニコッと笑った顔が凄く可愛かった。その笑顔はみんなをキュンとさせるものだった。審査員の間で“暗いけれど最後の笑顔が凄かったね”という話になった。前田が通過した理由はそれだけだった

 06年4月の劇場公演で総合プロデューサーの秋元康氏(55)は前田のソロ歌唱がある曲「渚のCHERRY」を作った。劇場オープンから約4カ月たって客足も伸び始めていたが、メンバーが多いため「誰が誰だか分からない」との声が上がっており、観客の目を引く存在が必要だった。

 芸能界を志す人なら誰でもスターに憧れるはずだ。AKB48の中にも、できるだけ目立ちたいと思うメンバーは少なくない。だが、前田は当初、自らのスター化計画に拒絶反応を示した。

 「もともと前田はソロで歌いたいと思ってなかった。人と違うことをするのを怖がるタイプだった。“渚のCHERRY”は一人だけ黄色い衣装を着て歌うが“なぜ私が一人で歌わなくちゃいけないの!?”とレコーディングスタジオに閉じこもってしまうほどだった」

 しかし、それでも秋元氏は前田をセンターに抜てきした。後に選抜総選挙でその人気を実証することになるのだから秋元氏の先見の明と言える。

 「秋元さんは前田が最もセンターっぽくないからセンターにしたのだろう。大島優子の魅力は分かりやすいが、前田はみんなが謎だと思う。握手会でも“あっちゃんは省エネ”と言われるが、それでも人気がある。イヌとネコに例えるならばネコのような存在で、だから人の興味を引く」

 あれほど前面に立つのを拒絶した前田が今年はシングル「Flower」でソロデビューした。劇場の発展、AKB48の躍進とともに前田自身が成長したことの証だ。

 「前田は子供から大人になった。震災後は被災地を回り、自分の姿を見ると泣きながら喜んでくれる人たちがいることも知った。芸能人としてのあり方を考えるようになり、成長してきている。まだ進化するだろう」


前田敦子さんの魅力。
たぶん、誰も理解していない。
なぜなら、誰にも理解できないから。

それを最も端的に表現する言葉は
TAO(道)

そう、2500年前に存在したという老子が残した言葉である。
TAOはその性質上、理解しようとするところからは理解を得ることはできない。

ちょうど2年前に書いた2つのエントリの内容を元に語ることにする。
(ブログ開設当時は今よりしっかり書いてたな・・)
タオ 道』(進化する魂)

タオとの出会いは、気づかないくらい静かで穏やかで、大きく、そしてやわらかいものだった。

タオは自己主張しない。

存在しないことで、そこに存在している。

気づかされることはない。

しかし、気づこうとして気づけるものでもない。

タオは、ただ静かに穏やかに、そしてそこに在る。

どこに存在するかを言語で表現することはできない。

なぜなら、タオは存在という言葉の意味を超えている。

しかし、タオはそこに在る。

あえていうなら、「ない」ことで「ある」。

これまで幾人かの人達がタオを「究極の哲学」と評したが、
その一方で幾人かの人達が「矛盾に満ちた詐欺だ」といった。

タオは言語でも数式でも完全には説明できないから、矛盾に満ちて見える。

足し算だけで高等な科学理論を説明することが難しいように。

小さいもので大きいものを説明するのは難しい。

そもそも言語や数式とは、相対性を用いた認識手法だから、絶対的なタオは認識できない。

だから結局私のタオに対する理解もまた、中途半端なものでしかない。

それでも私はタオに心を傾ける。

また、そのために逆の方向へも走る。

あらゆるものに「名前」をつける。

今日もまたいろんなものに、こうして「名前」をつける。

それで結局、タオから外れて、またタオに戻る。

タオは静かで穏やかで、大きく、そしてやわらかい


前田敦子さんの魅力はタオ<道>なのだ。
そして、そんなタオが、何ゆえに大きなパワーを持ちうるのか。
それを次のエントリを元に語ろう。

空っぽの有用性』(進化する魂)


老子道徳経の第11章

三十輻共一轂   三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。
當其無有車之用  其の無に当たりて、車の用あり。
挺埴以爲器    埴(つち)をうちて以って器を為(つく)る。
當其無有器之用  其の無に当たって、器の用有り。
鑿戸以爲室    戸ゆうを鑿(うが)って以て室を為る。
當其無有室之用  其の無に当たって、室の用有り。
故有之以爲利   故に有の以て利を為すは、
無之以爲用    無の以て用を為せばなり。

[当Blogによる独断と偏見による意訳解釈]
車ってのは車輪の穴に車軸を通すことで動くよね。
穴がなかったら動けなくて車の意味無いよね。
土をこねて器を作ってみても、中がくり抜かれてなかったら使えないよね。
器ってのは中が空だから意味があるんだよ。
戸や窓ってものを形作って部屋を作ってみても、中がつまってたら使えないよね。
部屋ってのは中が空じゃなきゃ意味ないんだよ。
ってことで、我々は普段モノが役に立っていると思うけど、実はその前段で空っぽであることが役に立ってるんだよな~。


慣れていない人にはちょっと難しいかもしれないけれど、我々は普段「何かが役に立つ」を「(有形無形を問わず)構造を持った何かが役に立つ」と無意識的に脳内変換している
役に立つモノは「有」であると考えている。
例えば、我々は普通「家」を役に立つモノだと考えるけど、「家の中身(空っぽの部分)」が役に立つとは考えていない。
役に立っているのは「家」であって「家の中身」ではない。
同様に水を飲むのに「コップは役に立つ」けど「コップの中身が役に立つ」とは考えない
それは、我々が「コップ(有)」を考えるとき、無意識的に「コップの中身(無)」を前提として捉えているからだ
(少ない事例でいきなり結論めいたことを述べるが)
要は、「有」の前段に「無」があって、「無」がなかったら「有」が存在し得ないということを意味している。


これは「無」の中に「有」があるってことなのだ。
いつもの言葉で言えば相対性を用いて「無」から「有」を構築しているということ。
この視点はものすごく強力なもので、万事に適用できる。
少しずつ突き詰めていこうと思う。

これが「空っぽの有用性」とどう絡んでくるかを述べよう。

いきなりサッカーの話をしよう。(適切な例かはわからない)
サッカーというスポーツでの肝要は、空きスペースを創ることにある
戦略高いチームは空きスペースを相手陣地に創り出す戦術に長けている。
相手を誘き寄せて空白地帯を創り、そこにパスを出す。
そこにパスが来ることを予期していたプレイヤーが抜け出してボールを受ける。
そのプレイヤーはスペースにおいて自由を得るのだ。
伝説的で独創的プレーが表現されるのはプレイヤーの自由があればこそである。

続いて、組織の話に移ろう。
例えば「会社」について考える。
「会社」には身体があるわけではない
「会社」という組織は型であって中身はない。
しかし、中身がないから、中にいる人は自由に行動できる。
たいていの「会社」には、中にさらに「役職」という型がある。
会社」の中身が空っぽだと個人の自由裁量が大きすぎるので、普通さらに「役職」という型を創って個人の裁量を限定する
しかし、逆に会社の中身を型だらけにしてしまうと個人の裁量がなくなってしまう
こうすると、もはや自由意志を持つ人は不要になる
単純労働は新興国に移動するか、もしくは機械化されてしまう

型をどう決めたらよいかわからない仕事もある
その場合、やはり自由意志を持つ人と「空きスペース」が必要だ
一般にクリエイティブな仕事をする人に当てはめる型を少なくするのはこのためだ。
芸術家にいたっては型をはめようとしないだろう。

これで感のいい方はもうわかるだろう。
「空っぽの有用性」とは「自由」にある
換言すれば、人間の「自由」を発揮したければ「空っぽ」であることが有用であろう
「自由」を発揮させたくなければ「空っぽ」を創ってはいけない

さて、そろそろ「真空人格のエネルギー」と「空っぽの有用性」を繋げて考えてみよう。
(もう答えてしまっているけれど)

なぜ真空人格の周囲に莫大なエネルギーが生まれるのか
それは「自由」が周囲にもたらされるからだ
「自由」は人類が持つ最も強力な性質だ。
「自由」がなければイノベーションも生まれない。
「自由」がなければ何も変わらないだろう。
(「自由」が何かという究極の問いについての持論はいつか述べたい)
あとはどのような方向性(型)が示されるかだけだ。

ゆえに、「創造性」を最大限発揮したければ「神のごとく沈黙すること」である
その真空の周囲には「自由」がもたらされ、能力の限りを発揮するであろう。
ただ、その発揮される方向が必ずしも望ましいものとは限らないなら、真空加減を調整するしかなかろう。
時としてその調整には「権威」が用いられる
「権威」は型のようで型でないようなものだ。
解釈そのものに自由裁量があるからだ。
非常に便利なツールである。

AKB48の絶対的エース

AKB48の莫大なエネルギーを創り出す 本当のエネルギー源

生ける伝説 それが前田敦子