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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

国民的議論で「役割の再定義」を

2009-11-07 15:10:39 | 政治
時間があったので昨日のエントリについて補足しておきます。
(「貧困を巡る攻防」と「民主主義の懐の深さ」)

昨日は「マクロvs.ミクロ」という単純な二項対立で語りましたが、実際には「どこからがマクロで、どこからがミクロか」というのは非常に難しい問題です。
(「どこからリビングでどこからダイニングか」みたいな・・)
いや、実は「マクロ」か「ミクロ」かというのは、マクロかミクロというのも結局は相対基準でありますので、物事を考える際の指針(バランス)としては重要でも、区別すること自体は重要ではありません
「あなたはマクロ派」、「あなたはミクロ派」などといって区別するのは何の意味もありません。
(そもそも相対基準である以上、万人に共有可能な形で厳密に区別すること自体不可能です。)

では、もう少し現実的な話をしましょう。
我々の思考や行動をマクロ方面もしくはミクロ方面へシフトするのに大きな影響を及ぼすのが「立場(役割)」という存在です。
何に対して責任を持たねばならないかという認識に差異が生じるからです。
構造」といってもよいと思います。

例えを使うと理解が容易です。
ある企業における「社長」「事業部長」「社員」の3者を考えてみましょう。
(あくまでも一般的な話です)

「社長」の役割は「会社の存続」や「会社の価値向上」です。
「事業部長」の役割は「事業の成功」です。
「社員」の役割は「担当業務の遂行」です。

社員は居酒屋で経営者に対する愚痴をこぼし、社長は自分の思うとおりいかない組織に対して苛立ちを覚えることでしょう。

社員にとっては事業の成功よりも担当業務の遂行に重点が置かれますが、事業部長にとっては会社全体の経営よりも事業の成功に重点が置かれます。
社長は特定の事業だけでなく会社全体の経営に重点が置かれます。
社員よりも事業部長、事業部長よりも社長の方がよりマクロ的観点が必要になりますが、社員より社長がマクロ派なのは、彼個人がマクロ派だからなのではなく、彼の置かれている立場がそうさせるのです。
何に対して責任を負うのか」、「そのために何について問題意識を持たねばならないか」が異なるからです。

これはあらゆる業界で同じです。
次に、政治に目を向けましょう。

「小泉・竹中改革」への批判がよく聞かれます。
事実を反映しているかどうかは別にして次のような批判をする人たちがいます。
「地方が疲弊した」「格差が拡大した」「日本的ムラ社会が壊れた」
実は、これも立場の違いによる意見の相違です。

「日本の総理大臣として何に責任を持たねばならないかという認識」と「地方自治体の長として何に責任を持たねばならないかという認識」、「地方に住む者として何に責任を持たねばならないかという認識」、これは異なって当たり前です。

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※注意
実際には「立場」からもたらされる「認識」の違いが思考の違いを生みます。
同じ総理大臣でも認識が異なれば「何に対して責任を持たねばならないか」は変わります。
「なってみてわかったこと」というのは多々あることでしょう。
裏を返せば「立場が人を育てる」という側面もまたあります。

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以上の意味からすれば、地方の人が日本全体のことを俯瞰して物事を言わないからといってそれを責めたてるのも、ある意味でナンセンスといえるでしょう。
また、逆に政府が地方に対するフォローに重点を置かないとして、それを責めたてるのもまたナンセンスだといえるのです。
(これが「罪(構造)を憎んで人を憎まず」の本意です)

さて、そろそろこの会話の結論を述べることにします。

では、どうすればよいのでしょうか。
答えは先に説明しました。

我々に「マクロvs.ミクロ」対立が生まれるのは、「立場(役割)」の違いが源泉なのです。
ということは、この対立を乗越えるために必要なこと。
それは「立場(役割)の再定義」なのです。


「政治の役割」、「国民の役割」、「国家の役割」、「社会の役割」、「家族の役割」、「企業の役割」、「人間の役割」、etc...
これらを再定義し、我々の認識を新たにすることです。

(結局のところ、政治に理念をというのはこういうことでしょう。)

もちろん、(当Blogのいつもの主張通り)進化はスパイラルにしか進みません。
完全なる定義など不可能だということも肝に命じておく必要もあります。
(かといってニヒリズムに陥る必要もないでしょう。)

さてさて、果たして答えになっているでありましょうか。

ブログ近況報告(2009/11/06)

2009-11-07 01:17:57 | ブログ情報(News Release)
不定期でお届けしているブログ近況報告です。

今週は全くUpdateできなかったのですが、金曜日になってようやくそれなりのものが仕上がりました。
(ちなみに池田信夫blogの方にトラックバックを貼らせていただきました。)

ところで、木曜日のアクセス数が急に伸びたのですが、どなたかのBlogなどで引用などされたのでしょうか・・?
批判的な引用などされていたりするのでしょうか・・アクセス解析できないので非常に気になるところであります。
しかし200円払う気になれません。

個人的には当Blogについて引用されるだけの価値を見出して頂けるだけでありがたいと思っておりますので、是非トラックバックなど貼っていただけると嬉しいです。
当Blogでは、コメント・トラックバッグはエントリに関係するものであれば、原則フリー運用させていただいております。(承認制ではありません)

さて、現在(ソニーは普通の会社になったのか ~前編~)の続編を鋭意検討中です。
最初は軽い気持ちで書こうと思っていたのですが、だんだん深みにはまってきまして、久しぶりにソニーについての個人的研究をはじめました。
一時期私は書店に並んでいる主要なソニー研究本をほとんど買い込んで読んだことがあるので相当詳しい方だと思うのではありますが、ここ数年間まったくフォローしておりませんでしたので、ちょっとついていけていない部分があるようです。
しかも、世界的にみて、ここ数年で企業の組織のあり方(ガバナンス)もかなり変わってきておりまして、その部分の勉強も必要になります。

ただ、企業研究本というのは一般的に内容の薄いものが多くて、あまりためにならないものがほとんどです。
経営というものをどの視点から見るのか次第ではあるのですが、組織論などについて理論的に分析している書籍というのは稀で、ほとんどは成功事例を並べ立てるだけです。
これは啓蒙書になっても研究対象や実用書にはなりえません。
著者が研究者ではなく、ジャーナリストであることが理由だとは思いますが。
ただ、成功要因について全く論理的ではありません。
(歴史分析にもなっていないというか・・)

そんな中、最近読んだ本でよく書けていたのが、韓国人の経営学の専門家が書いた「ソニーVS.サムスン 」です。
これは今まで読んだソニー本の中で最も有用だと思います。
カリスマ去った後ソニーが模索して失敗した理想的経営の形についてや、史上最強と謳われるサムスンの未熟な部分についても鋭い洞察が光っています。

この本の内容について、私はほぼ同じ考えを持っているので、正直なところ私がBlogでがんばって表現するよりも、この本1冊で事足りるのじゃないかと思ったりもします。

できれば知人のソニー社員の方なんかにヒアリングなどしてがんばってみたいと思っておりますので、期待されてる方もほとんどいないと思いますが、少し時間がかかることをお許しください。