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進化する魂

フリートーク
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ソニーは普通の会社になったのか ~番外編~

2009-11-28 13:37:01 | ビジネス
こちらのエントリ(ソニーは普通の会社になったのか~前編~)のコメント欄で非常に有意義な議論がなされたので、整理したものを新しいエントリとしてUpします。
(Snowbeesさん、いつも鋭いコメントありがとうございます!)

Sonyが力点を置くべきはCCC(Cash Conversion Cycle)である

パンソニック・中村会長が在米時に、起用した米人・経営コンサルのコメント。
http://www.ondisruption.com/my_weblog/2007/05/qa_with_francis.html


May 2007 ... My advice to Howard Stringer is simple: set the inputs of cash conversion -- days in inventory, receivables, ... At Apple's current growth rate it will be as large as Sony in only eight quarters or so and with a product/service portfolio a fraction as large. ... or not you can scale up profitably Wal-Mart style, your cash conversion cycle is your critical management tool. ...


要約すると、経営者はオペレーション速度を向上させなければならないというもので、経営速度を「早く」「軽く」するという意味合いでよいと思います。
ただ、言葉でいうのは簡単ですが、グローバルな大企業でこれを実現するのは容易ではありません
例えば、在庫回転日数をグローバルで機会損失を防ぎながら適切な値に保つためには、強力なサプライチェーン・マネジメントシステムが必要です。
世界中の国々の販売状況やその予測、資材調達状況やその予測、輸送状況やその予測、設計開発状況やその計画、etc...などの情報をリアルタイムに集約して、リアルタイムに総合的な計画を立てるというのは、かなり有能なCIO(Chief Information Officer)と理解力と説得力のあるCEOの下でなければ実現できません。
世界中に分散する各現場から有意な情報をリアルタイムに取得するのからしてまず大変です。
世界中の末端の社員まで隅々まで経営の意思が行き渡り、それを理解できる社員がいて、それを実現できる仕組みがなければとてもできないのです

以上を踏まえた上で、ソニーという会社とサプライチェーン・マネジメントの関係性についての私見を述べます。
(まくまで私個人の調査に基づく私見です。誤解が含まれる可能性は多いにあります。)

もともとソニーは創業者の一人である盛田氏がグローバル・ローカライゼーションを掲げて以来、分権統治を経営スタイルとする企業でした
この思想は出井政権でも継承されまして、彼は「複雑系経営」のような言葉を使って経営スタイルを進化させようとしました。
ソニーがこのような経営スタイルを採用した理由は、大きく二つあると考えています。
一つは、盛田氏の時代には、ビジネス領域が急拡大するにあたって(特にアメリカの)人材が不足したこと(日本人スタッフだけでは対応できなかったこと)。
もう一つは、出井氏の時代には、個性や創造性を尊重することで成長してきたソニーという会社をカリスマ性なしに統制することができなかった(創業者以外の人物が権威を持つことができなかった)ことです。

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ソニーという会社は日本の企業の中でも先んじてグローバル企業を目指したパイオニアだったのですが、その経営実態は世間的な「グローバル企業」の華々しいイメージとは異なり、日本的経営とアメリカ式経営が中途半端に混合して出来た「擬似グローバル企業」だったのです。
大賀社長時代にはソニー・アメリカという子会社のコントロールすらままならぬほどでした。
ただし、完璧な経営スタイルというのは現代においてまだ発見されていません。
完全な政治制度がその姿を現していないように、我々は完全な経営スタイルを求めて今も手探り状態なのです。
その意味では、私はソニーの経営スタイルが他と比べて劣っているというような評価はしていません。
ソニーはソニーの経営スタイルを追い求めている、そう考えております。

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このため、ソニーという会社はハワード・ストリンガー氏が出井氏の後を継いで会長に就任して「Sony United」というスローガンを掲げるまで、グループだけでなくソニー本体ですら全くバラバラな企業体でした
外部には、ソニーグループの多様な事業ポートフォリオの利点を主張しておきながら、その実態は「(ストリンガー氏曰く)サイロの壁」だらけだったようです。

このあと、ストリンガー・中鉢体制下で行われた構造改革にて、この分権体制はかなり見直されたようですが、如何せんぽっと出のストリンガーにシニア・マネージャー達の暗黙的な抵抗があったようで、その改革は中途半端に終わったようです。
(正確にいえば、世界的好況で問題点がボケたというべきでしょうか。)

その後、リーマンショック以来の世界的需要縮小で業績が悪化すると、ストリンガー氏は、このシニア・マネージャー達を切って経営陣を刷新します。
(次期社長候補まで切ってしまったので社長をやれる人材がおらず、ストリンガー氏自身が会長と社長を兼務する形になってしまったが・・。)
これでようやくストリンガー氏は中央集権的権力を手にして、グループ全体かつグローバルでの改革に乗り出したようですが、この結果を注視しなければならないようです。
この改革には、Cash Conversion Cycleも入っているはずです。
(でなければ私はソニーという会社に失望する)
私が聞いた話では、とにかくスピードを重視しているようです。

サムスンが躍進したのは中央集権的な経営が当たったからだと言われますが、果たしてソニーにはそのような経営が可能なのかどうか、ここが正念場でしょうか。
ただ、サムスンのビジネスモデルは成長が期待できる既存ビジネス領域への資本の集中投下ですので中央集権的な経営スタイルでよかったのですが、今後自らイノベーションを起こして新しいビジネス領域を開拓していく道を模索していくのであれば、ソニーと同じ経営の悩みにぶち当たるはずです。

一つだけ、補足です。
私はソニーという会社が中央集権的企業になることが良い事なのか悪い事なのかわかっていません。
(もちろん、サムスンのような独裁企業にはならないと思いますが)
しかし、私はソニーという会社がどういった経営スタイルをとるのかについて非常に興味を持っています。
これは戦後60年経った今、日本企業の行く末を占う意味で一つのベンチマークとなると考えるからです。

Sonyの新しいブランド・イメージ「make.believe」をどう考えるか

SONYの新しいブランド・メッセージをご存じですか?(大西宏)
http://news.livedoor.com/article/detail/4468812/


SONYのイノベーションと言えば、なんと言ってもウォークマンが象徴的ですが、ウォークマンのイノベーションは、スピーカーを省いて小型化したということではなく、人びとが移動中に気に入った音楽に浸って楽しめる世界を生み出したことであったはずです。それが中核価値のイノベーションです。

そんなことを考えると、あの"make.believe”(メイク ドット ビリーブ"はちょっと、的確な方向を示していないのではないかという気もします。


私は「make.believe」について、ソニーが対外的に発表している内容しか知りませんので(特に誰かにインタビューしているわけではありませんので)、ソニーの本意を掴め切れているのかは自信がありませんが、思うところを述べさせていただきます。

まず、ソニーは「make.believe」を新しい「ブランド・メッセージ」だと主張されているわけです。
昔、ブランド研究の専門家の方に「ブランドとは象徴(キャラクター)である」と教えて頂いたのですが、私が思うにその意味するところは結局のところ「ブランドとはある種の"信仰"である。」ということになるかと思います
「信仰」というのは、悪い言葉でいえば「思考停止」ですが、良い意味でいえば「信頼」です

その意味で考えると、ブランド・メッセージが「make.believe」というのは、全くその通りで、むしろそれがブランドというものなのだから、"ビジネス的な意図"がなければ、あえて言うことでもないと思います。

ということですので、ここでの主題は「ビジネス的な意図」が何かというお話になるかと思います。
大西宏氏は「中核価値」と「make.believe」との繋がりが見えないという指摘をされておりますが、ここはもう少し考えて欲しいところです。

というのも、ソニーが近年主張している「ユーザ体験(User Experience)」という価値基準は「中核価値」そのもののことです。
ソニーは「make.believe」を提唱するにあたって「ユーザ体験」を引き下げたわけではないのですから、一般的な受け方として正しい解釈は「make.believeはユーザ体験という価値基準を包含している」となるのだと思います。
つまり、中核価値を一次元メタ的に見ると「make.believe」になるのだとソニーは主張している、と私は考えます。

何やらわかりにくい話になりそうなので、簡単に私見を説明させていただくと「「make」と「believe」が「.」で結ばれることで、そこにユーザ体験価値(中核価値)が生まれる。」とソニーは主張しているのだと思います。
「believe」が中核価値のメタファー(1次元抽象的な概念)なので、それを「make」という「行動」で1次元具体化する、その役割を担うのが「.(Sony)」のようなイメージでしょうか。

日本人はメタ認識が苦手と言われておりますので(宗教的背景の差異もあるかもしれませんが)、そのあたりで真意が伝わらないのかもしれません。

いや、これは私の勝手な解釈なので、正確にはソニーに聞いて見ないとわかりません(笑)