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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

理念なき者は理念に吸い込まれる

2010-09-01 17:01:20 | 政治

何度も言うが、私は小沢を支持しているが、小沢の取巻きまで含めて支持したつもりはない。
私には理念のない者達に群がられて小沢が可哀相に見える。

本来なら、小沢を倒す政治家が出現して世代交代が行われるべきなのだ。
理念や政策に関する新陳代謝が進まないことが、どれだけ日本の政治に悪弊をもたらしているか。

政治家に小者が多すぎるのだ。
理念なき政治家が当選してしまう。
理念なき人間は、理念に吸い込まれて我を失う。
この人間の本能的習性は非常に危険だ。
「多数派同調バイアス」がかかっていたたまれない状況を生み出す。
いわゆる「数の暴力」が生み出される温床になる。

マスコミも国民もわからない。
なぜ政局を嫌いながら、その政局を生み出す環境を変えようとしないのだ。
不思議でならない。


ただし「理念なき理念」も理念だ。
「無理念」とは違うことに注意して欲しい。

政局批判する前に「ブラックスワン」について考えよう

2010-08-27 14:21:39 | 政治
みんな世の中の仕組みがわかっていないと見える。

世の中は「勝者総取り方式」になっている。
「トーナメント方式」と呼んでもよい。

スポーツしかり小選挙区制度しかり、ビジネスしかり戦争しかりだ。

こういう世の中では、絶対的基準に基づいて相手に対して優劣をつける必要は無い。
相手を少し上回ればよい。
相手に勝るために、その道を極める必要はない。

小選挙区制度のもとで構築される政治の世界が、
全体最適のようなより絶対基準的に基づいて動くとは限らない。
いや、相手を少し上回ればよい勝者総取り方式において、そんなことをする必然性はない。
政治家が相手を少し上回る票を獲得するために全力を尽くすようになるのは必定である。

だから!だから!だから!!

首相公選制のように全国民から直接選挙で選ばれる首相を選んだり、
衆議院議員を100人にするなどして、1選挙区のパイを広げる必要があるのだ。
全体最適思考を政治の世界に取り込みたいのならね。


注意しなければならないのは、
「勝者総取り方式」には勝者にバイアスがかかるということだ。
例えば、トーナメント戦の優勝者が、
必ずしも1回戦敗退者よりも圧倒的に実力が上とは限らない。
サッカーワールドカップの優勝国が1回戦で敗退した国よりも
圧倒的に強いとは限らないようにだ。
その時点で相手より少しでも上回った方が残るというだけだからだ。

また、「勝者総取り方式」による勝者がずっと勝者だとは限らない。
というのも「勝者総取り方式」の勝者は、多分に不確実性に左右されているためだ。
不確実性の要因によって、勝者が敗者になる可能性が多分にある。
恐竜は「勝者総取り方式」になぞって勝者だったが、環境の変化によって敗者になった。
つまるところ、恐竜が勝者でいれたのは、「たまたま」環境が整っていたからだ。

その「たまたま」を過剰評価してしまうところが、人間の性なのだが。

このあたりの考え方はナシーム・ニコラス・タレブ著「ブラックスワン」を読んで欲しい。

実は「ブラックスワン」の考え方と、コミュニタリアン的考え方は相性がいい。
このあたりについてもいつか語ろうと思う。

小沢の民主主義の限界 

2010-08-26 12:24:09 | 政治
小沢も老いたか。
どうしたのか。
残念極まりない。

一部分を除いては、非常に素晴らしい講演だが、
そのたった一部分がこの講演の全てを台無しにしている。
自分で自分の講演を無価値に陥れてしまっている。

まずは、素晴らしい内容から。
以前から当Blogで小沢を支持するのは、日本で唯一、民主主義を理解する政治家であるからだ。

【小沢氏講演要旨】「日本のあらゆる分野で精神の荒廃、劣化が急速に進む」(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100825/stt1008251212007-n1.htm

絶対にあり得ないと思っていたアメリカ社会で、黒人大統領が誕生した。危機にあって変革を訴えた(オバマ)大統領を選択した。私は決してアメリカ人を利口だと思っていないが、自分の意志による選択を実行していることを高く評価している。

 政治経済ともに困難な時にあたって、日本人自身が自立した人間(になって)、自分で判断し、行動し、責任を持ち、きちんとしたモラルを身につけることが大事だ。今こそ急がば回れ、教育に思いを馳せなければならない。


小沢氏「米国人は単細胞、英国は紳士面してる」(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100825-OYT1T00995.htm

米国のオバマ大統領について「絶対、黒人大統領はあり得ないと思っていた社会で、黒人大統領が誕生した。黒人が出たら暗殺されるといううわささえ以前にはあったが、この危機にあたって変化を強調したオバマ氏を選んだ」と指摘。「決して米国人は利口だと思っていないが、民主主義、危機にあたって国民の意思による選択がきちんと実行されていることを非常に高く評価している」と強調した。

第2次世界大戦を舞台にした映画「戦場にかける橋」に登場する英国人捕虜の規律正しさを紹介し、英国を「さんざん悪いことをして紳士面しているから好きではない」としながらも「祖国のために戦う軍隊も、自分たちの意思で(作った)という意識がある。自分たち自身の社会であり、国であるという民主主義の基本の意識が徹底している」と評価した。


そして全てを台無しにしている部分がこれだ。

【小沢氏講演要旨】「日本のあらゆる分野で精神の荒廃、劣化が急速に進む」(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100825/stt1008251212007-n1.htm

今後のことを考えると、外需に頼りきりの日本経済は大きな打撃を受ける。中国は経済的崩壊が政治的動乱につながる恐れがある。政治経済は不安定な状況になりつつある。本来の日本人の精神力と知恵と力さえ持っていれば、このくらいの困難を克服するのは容易に可能だ。しかし、今日の日本社会を見るとあらゆる分野で、政界、官界、財界、一般社会においても、精神の荒廃、劣化が急速に進んでいる。規律、モラルという美徳がかけらもみられなくなった。


小沢氏「米国人は単細胞、英国は紳士面してる」(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100825-OYT1T00995.htm

小沢氏は「政界でも官界でも財界でも、精神の荒廃、日本人の劣化が急速に進んでいる」と問題提起。


民主主義感は私も同意するところだが、日本の現状認識が全く間違っている。
「日本人の劣化が進んでいる」などと考えているとは・・情けない。
マスコミ批判なのか、小沢も老いたのか。

日本人が過去に素晴らしく高い美意識を持っていたとかいう話を一切信じない。
有り得ないことである。
そうであるなら、なぜ太平洋戦争で日本は焼け野原と化した?
そうであるなら、なぜ高度経済成長期、バブル経済の負の遺産を今も背負う?
そうであるなら、なぜ行方不明の高齢者が多く存在する?

「古き良き時代」など人間がつくった「幻想」である。
我々の頭の中にしかない「虚像」である。

人が劣化することなど生物学的には有り得ない。
変るのだとすれば、それは環境が変ったのである。

構造的な部分に問題意識が向かないのだとすれば、
小沢による日本の民主化も危ういものになるだろう。

小泉純一郎待望論

2010-08-24 20:25:06 | 政治
もはや伝説となった小泉純一郎氏による郵政解散会見での演説。

今、改めて見ると、感嘆する。
小泉純一郎待望論が出るのもよくわかる。

なにやら代表戦を前に民主党がもめてるそうですが、
スケールが小さいところでもめてるなと思わざるを得ない。
「国民のための」というデマゴギーに踊らされて政治のスケールが落ちた。

小泉郵政解散会見【2/2】


日本にも、総理大臣がこんな素晴らしい主張をする時代があった。
もう遠く昔のことのようだ・・。

ただ、待望したところで本人にやる気はないし、
なによりも待望するより自ら立つ気概が重要なのだが。

第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説(小泉純一郎)
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0507syosin.html


・・・

私に課せられた最重要課題は、経済を立て直し、自信と誇りに満ちた日本社会を築くことです。同時に、地球社会の一員として、日本が建設的な責任を果たしていくことです。私は、「構造改革なくして日本の再生と発展はない」という信念の下で、経済、財政、行政、社会、政治の分野における構造改革を進めることにより、「新世紀維新」とも言うべき改革を断行したいと思います。痛みを恐れず、既得権益の壁にひるまず、過去の経験にとらわれず、「恐れず、ひるまず、とらわれず」の姿勢を貫き、二十一世紀にふさわしい経済・社会システムを確立していきたいと考えております。

[中略]

日本経済再生の処方箋に関しては、これまで様々な議論・提言が行われてきました。これらの提言は、地球的規模での競争時代にふさわしい、自立型の経済を作ることで幅広い意見の一致をみており、私がかねてから主張してきた「構造改革なくして景気回復はない」という考えと軌を一にするものです。
処方箋は既に示されています。日本経済の再生を真に実現するために、今、私がなすべきことは、決断と実行であります。

[中略]

我々が目指す経済社会は、国民一人ひとりや企業・地域が持っている大きな潜在力を自由に発揮し、潜在力そのものを更に高めていける社会です。そこには、真に豊かで誇りに満ちた、自立型の日本経済の姿があります。私が主宰する経済財政諮問会議では、六月を目途に、今後の経済財政運営や経済社会の構造改革に関する基本方針を作成します。

[中略]

社会保障制度は、国民の「安心」と生活の「安定」を支えるものであります。今世紀、我が国は、いまだ経験したことのない少子高齢社会を迎えます。これからは、「給付は厚く、負担は軽く」というわけにはいきません。社会保障の三本柱である、年金、医療、介護については、「自助と自律」の精神を基本とし、世代間の給付と負担の均衡を図り、お互いが支え合う、将来にわたり持続可能な、安心できる制度を再構築する決意です。私は、国民に対して道筋を明快に語りかけ、理解と協力を得ながら、改革を進める考えです。また、広く地域住民やNPO等のボランティアの参加を呼びかけ、介護や子育て等を皆で支え合う「共助」の社会を築いてまいります。

[中略]

明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという「米百俵の精神」こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。

[中略]

新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。
私は、この内閣において、「聖域なき構造改革」に取り組みます。私は、自らを律し、一身を投げ出し、日本国総理大臣の職責を果たすべく、全力を尽くす覚悟であります。
議員諸君も、「変革の時代の風」を真摯に受け止め、信頼ある政治活動に、共に邁進しようではありませんか。
国民並びに議員各位の御理解と御協力を心からお願い申し上げます。

なぜ政治家には見当外れが多いのか

2010-08-19 10:37:14 | 政治
隠れた社会主義(池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51469508.html

政治家の皆さんの暴走を見る機会を多いと思います。
ここでいう暴走とは、多くの人が政治家に対して
「なぜ、あのような意味不明な論理に基づいて行動しているのか?」
「なぜ、あのような誤解をしているのか?」
と疑問に思う状態のことです。

(これは政治家に限った話ではありませんが)
私は暴走には2種類あると思います。
どちらにもメリットとデメリットがありますが、
簡単に説明してみましょう。

(勝手な造語で恐縮ですが)
政治家という存在が、どういう存在なのかについて

「理念的存在」と考えるか

「代表的存在」と考えるかの違いではないかという気がしています。

どちらも厳密には区別することはできないのですが、
一つの考え方として理解しておくとよいかもしれません。

「理念的存在」というのは、
理念が先立っているような政治家のことです。
確固たる信念とビジョンを持ち、周囲がどう言おうと自分の信じる政策を実現しようとします。
「敵は幾万ありとても我行かん」というタイプで、
歴史に名を残し、後世において尊敬を集める偉人にはこのタイプが多いのです。
今流行の坂本龍馬さんもこのタイプに該当すると思います。
ただ、このタイプは、理念が誤っていると周囲が大変な損害を被る可能性があります。

「代表的存在」というのは、
自らの理念よりも周囲の意見が先立っているような政治家のことです。
自分の正義を絶対視しないという点においては、大変に民主的な政治家です。
良く言えば、人の意見をよく聞き、人の願望を叶えてあげようとする奉公タイプです。
マーケティング能力に秀でていることが条件でしょう。
ただ、民意を代表しようとするが故に民意に振り回されて自らの存在価値を落とす可能性があります。

今の日本に多いのは「代表的存在」としての政治家です。
しかし、それは理念の無さからくる妥協としての代表的存在としての政治家であり、
本来の代表的存在とは異なります。

「代表的存在」には理念のない人間が隠れ蓑として振舞っている可能性があります。
理念の無さから政治家としての自己アイデンティティを失い、
承認欲求を求めて代表的存在になろうとするのです。
自分の背中を押してくれる人がいる限りにおいて代表的に振舞えるという弱い政治家なのです。

そんな人々に対して理屈で説得を試みるのは愚策です。
彼らが恐れているのは自己アイデンティティの喪失なのですから。
彼らの暴走を止めるには自己アイデンティティの確立の支援です。

では、どうやって?
というお話ですが、この話を簡単に解決する方法があります。
以前から繰り返し主張するように政治家の数を劇的に減らすことです。
日本の人口なら政策スタッフを充実させれば100人で十分です。
政治家の数が多いので、埋没せぬため政治家としての価値観を求めて声を大にするしかないのです。
彼らが欲しいのは居場所なのです。
彼らに居場所を与える解決策をとるのではなく、
そもそも居場所のない政治家を生み出さない仕組みが重要だと考えるわけです。

隷従への道は善意で敷き詰められている

2010-08-17 12:18:56 | 政治

年に1回見るかどうかという日曜朝のNHKの番組「日曜討論」の一部を見た。
たまたまチャンネルを切換えたら児童虐待をテーマに議論をしていたからだ。
討論者は、辻井喬、西部邁、吉岡忍、雨宮処凜、宇野常寛。

この中で、非常に面白い日本の縮図を見た。
雨宮処凜氏と宇野常寛氏が「社会システムの欠陥」を声を大にして主張していた。
特に宇野常寛氏は、時代とともに変る社会構造の変化に着目すべきで、
戦後モデルの破綻と、新しい時代の社会保障システムの構築に主眼を置いていた。
要は、現行の社会システムの中では児童虐待などは必然的な帰結であって、
今後こういうケースは増加するだろうという見方である。

この話自体なんら新鮮味のある話ではないし、よく聞く内容だ。
だが、面白いのはこれに反応した西部邁氏の話だ。
西部氏は保守の立場から次のような話を展開した。

(かなり個人的な補足を入れ込み意訳してある)
日本には、古来より構築されてきた家族や地域などのコミュニティという素晴らしい社会システムがあった。
戦後、資本主義イデオロギーの下、社会構造の変化として人が「個」に分断されてきたことが、
現在の状況を生み出しているのだ。
この「個」への分断を必然的現象とは捉えずに、再興することを考えねばならない。
なぜなら、社会システムの構築によって全てに対応することはできないし、
また、この考えは政府・国家の役割を無制限に広げる危険性を持っているからだ。

この話を宇野常寛氏は十分には理解できなかったらしく、
それでも確率的に発生する欠陥に対処するためには社会的システムの必要性が存在すると反論していた。
宇野氏の話も当り前で真っ当なものだが、西部氏と議論している軸が異なり、ピンボケた反論であった。
せっかくの議論の種まきを西部氏がしたのに、それを受け取る宇野氏側に素養がなかったために議論が育たなかった。
討論慣れしている西部氏は自説を無理強いすることがなく、平凡な議論のまま終わってしまったのだ。
NHKはオビで「言論界の重鎮 vs. 若手論客」みたいなものを差し込んでいたが、それ以前の内容であった。

私は西部氏の意見に賛同するものではないが、西部氏の主張は非常に重要な論点を提供していると考える。
東大の学生だった頃に西部氏の弟子だったという池田信夫氏が最近次のエントリを書いているので紹介したい。
(池田氏と西部氏は仲悪いらしいが)

例えば、宇野氏は↓このような形で西部氏に反論すべきだった。

「後期近代」を考えるブックガイド(池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51467160.html

自我の源泉(池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51468456.html

なんにせよ、この番組に限らず他のメディアでも見て読んで気になっているのは、
「十分な社会システムの構築」を主張する人々は、
社会や国家というものの本質を理解しているのだろうか不安になることだ。
非常に力強く、そして説得力があるように見える主張の中に、
大きな誤解や無理解が含まれているのだとしたら、それは非常に危険なことと言わざるを得ない。
もちろん、彼らが己の信じる善意と正義に基づいて主張していることに疑いの余地を挟むつもりは無い。
しかし、ちょうど終戦記念日のその日に行われた議論において、
我々が戦争から学ぶべきものを何か忘れているのではないかという不安に駆られたのだ。

1944年にフリードリヒ・ハイエクが発表した「隷従への道」を題材にしたこの動画をよく噛み砕いて見て欲しい。
ここでのテーマの1つである「戦争」を「貧困」や「格差」に置き換えて欲しいのだ。
当Blogでは、「不安」を題材とした政策や施策を「不安ビジネス」と呼ぶことにする。

隷従への道



辻元現象を巻き起こせ

2010-07-28 10:11:14 | 政治
私の離党届提出について(辻元清美)
http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/07/27-2007.html

私は、当然の帰着だと考えています。

私の意見に多くの人が理解を示してくれなかったのですが、
私は以前から権利を主張する人々を権力側に入れることについて賛同しています。

経済やら経営に見識のある多くの人達はこう言います。

そんなことしたら個別最適を指向する貪欲な人々に、貴重な資源を余すことなく貪られ、全体として損失を被ることになる。

確かにそうだと思います。
ですが、それでも私は個別最適指向な人々を権力側に取り込む努力を怠るべきではないと考えています。

理由は簡単です。

人というのは、問題を、自分の問題として認識しない限り、解決できないものなのです。
これが「責任」の本意なのです。

限定された個別最適を指向する人々は、自分達の問題しか認識していないから、全体の問題を取り扱わなければならない権力側の問題を解決することはできません。
トレードオフに気づけていないからです。

個別最適を指向する人々に、全体最適観点を持ってもらうためには、、全体最適が必要とされる立場に立たせてみるしかありません。
全体最適を自分の問題として認識してもらう以外にないのです。

ゆえに私は、全体最適論者が個別最適論者を見下して排除するのには賛成せず、むしろお互いの理解を共有する路線をとった方が近道だと思うのです。

この国の形を変えるには

2010-07-20 10:11:42 | 政治
言うだけならタダなので勝手を言わせてもらうと・・。

改憲して「超大選挙区」がよいと思うのですが、だめでしょうか。
国会議員は、全国1選挙区で得票数の高い方から100人でよいと思います。
(首相の直接公選制度も兼ねるとか。)
小選挙区の2大政党制プレミアもよいですが、私は選挙区割りこそが国民の無責任化に拍車をかける主な元凶の一つと思います。
いろんな権威を破壊できると思います。

比例選出よりも選挙区選出の議員が権威があるとかないとか聞くとアホらしい気持ちになります。
誰が信任されているのか一目瞭然であるし、選挙活動に無理な地域バイアスがかからないし、地方票を集める政治家や、組織票を集める政治家などが出てきたりと特色が出ていいと思います。
国が割当てを決めなくても、都市部に対抗するために自然と地域連合できるかもしれませんね。
国と地域の形を考えるいい機会にもなるでしょう。

政治家一人ひとりの政党化が進むので、政界再編が加速します。
コーディネーションの失敗の結果である日本の政党編成も本来の立ち位置に戻ることでしょう。

何よりよいのは、国民の選択の重みが増すことです。
「自分達が選んだ政治家」という意識を強く持つことが重要かと思います。

問題は、超大選挙区に耐えうるだけの資質を持った政治家をどれだけ育成できるかですか。
ある程度を政党で吸収していたプレッシャーを政治家本人が受け止めることになるため、一人ひとりが首相ほどの重責を負うことになってしまう。
志ある人でなければできません。
給料や待遇を高くしてもいいし、また政治家を支援するシンクタンクも育つかもしれませんね。

民度が試される選挙制度ですよ。

[つぶやき] マニフェストがよくても自民党に任せる気になれない理由

2010-06-21 12:15:49 | 政治
点数がつけれるものでもないし、個別の案件を一つ一つ見ていくのも、整合性を確認するのも骨がおれる。
また、各人それぞれに立場があるので、全部に賛成ということはできない。
だが、読んで「出来が違う」ことはすぐわかる。
自民党の方が良く出来てる。
玄人が素人との自力の差を見せつけに来たことがよくわかる内容だ。
政権交代効果が出てきた。

ただ、残念なことに、彼らに任せる気にもなれない。
このマニフェストを実行するのに、どう考えても、マニフェストに適合していないと思われる政治家が散見されるからだ。

不思議だ。
マニフェストつくりに参加しない重鎮が腐るほどいる政党というのは何だろう。
ある意味で、日本の社会構造に似ている。
過去の繁栄を手にするために尽力した功労者達と、それを支える若者。
実務を任せて権限を手放さない。
なぜ彼らは、考えの違う組織にいつまでも居座るのか。
自分達が正しいのなら、その正当性をかけて戦うべきではなかろうか。
しかし、彼らは黙っている。
それは結局、組織がどうあれ、組織とは、自分達のための組織であるからだ。

歴史は、一つのパラダイムの終焉が、パラダイムの変革によってなされるのではなく、新しいパラダイムが生まれることによってなされることを教えてくれる。
さてはて、このシステムの持続可能性はいかほどか。


「民主党の政権政策Manifesto2010」(民主党)
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2010/data/manifesto2010.pdf

「自民党政策集 J-ファイル2010(マニフェスト)」(自由民主党)
http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/22_sensan/pdf/j_file2010.pdf

[つぶやき] いつまで大臣というポストは論功行賞であり続けるのか

2010-06-14 10:47:17 | 政治
不思議だ。

なぜ、亀井静香氏が大臣を辞任するのはよいが、なぜその後継に国民新党の人間が座るのだ?

郵政担当相はよいが、なぜ金融担当相まで引継ぐ?

適材適所と全く関係のない人事じゃないか。

これじゃ「総理大臣すらそうなんだろ?」といわれてしまう。

そういうところが、民主党の弱さで、何を言っても説得力を持たない原因だ。

本気なら蓮舫ではなく河野太郎を行政刷新担当相に

2010-06-09 10:36:48 | 政治
規制仕分け-地熱発電 (河野太郎)
http://www.taro.org/2010/06/post-766.php


自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトは、今日から規制仕分け。
不要な規制を洗い出して撤廃に繋げていく。


以前から必要性が訴えられ続けていた「規制仕分け」が動き始めた。
結果として、自民党も野党になってよかった。
既得権益を守るばかりでは、明日の繁栄を手に入れることはできない。
バリュー・ネットワークが変る時の時代の変革の波は、既得権益を守ってくれない。
その既得権益を守ろうとするものは、既得権益とともに廃退するのが必定。
それこそが破壊的イノベーションなのだ。
自民党は、このバリュー・ネットワークの変化を察知して、そして自身も変らなければならない。


日本の地熱発電のキャパシティは約2000万KWと言われる。現在の国内で行われている地熱発電は18地点21ユニット。そのうち1万KWを超えるものは12地点。合計54万KWが日本の地熱発電の現実だ。

CO2を25%削減する鳩山前内閣の政策の基礎になっている小沢大臣試案は、2020年までに地熱発電を171万KWに増やすとしている。(キャパシティの一割以下だ!)

が、地熱発電の調査に5年から10年かかり、工事に2年から3年かかるとすると、ほとんど小沢試案は達成できない。


小沢環境相はザル(無意味)ということで一部で有名なので、彼に期待しても無駄なのはまた事実。
鳩山首相はエコを前面に出しておきながら、実力のある者を環境相に付けなかった。
それを踏襲した菅内閣に環境政策が期待できるわけもない。

一方の見方として、環境相なんて権限ないから実力のある人を経産相へというものもある。
が、これは内閣としてどういう姿勢を見せるかということであって、それこそ行政刷新によって必要であれば環境相の役割を拡大する、それこそ民主党政権の本来の姿であろう。
そういう組織の仕組みを変えようとすることなく、これまでと異なることを実現しようとするから無理が出る。


昭和四十七年の局長通達で「公園内の地熱発電の開発は当面六地点とし、当分の間、新規の調査工事及び開発を推進しないものとする」というのが生きている。

公園内の六地点というのは既に開発済みなので、この通達がある限り、地熱発電は進まない。大臣試案で3倍にするはずなのに。環境省は、個別に審査するからいいんだとしているが、この通達がある限り、原則禁止、例外的にお上が認めてやるというスタンスになってしまう。

なぜか、この六地点を削除しろと言う要望にも頑として環境省はクビを縦に振らない。

小沢大臣のリーダーシップのなさには驚いたが、自分の試案を自分の役所がブロックしても、何にも大臣は言わないのだろうか。


彼に期待するのは酷である。
河野太郎は自民党政権化でも国交大臣辞めろと主張していた。
彼はやれる人間だ。

レンホウ議員ではなく、彼を行政刷新担当相に起用すべきだ。
必要であれば民間からでも野党からでも登用する、そういう政治の姿を見てみたい。

こんなんだから政治って小さいなって言われるんだ

恋愛ベタが語る政治ほど本質を外しているものはない

2010-06-08 10:03:13 | 政治
そうですね。

民由合併極秘会談に見る菅と小沢(永田町異聞)
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10556441108.html

菅政権「脱小沢人事」に隠された小沢の思い(永田町異聞)
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10554469680.html

そもそも論で考えてみればわかる。
「脱小沢」という言葉にたいして意味はないということが。

そもそも、鳩山首相が辞任したのは「政策」的問題のためである。
「脱小沢」かどうかというのは、政策とは関係がなく、「民主党」的人気の問題である。
「脱小沢」によって何かが変るわけではない。
菅直人氏が首相になっても、鳩山首相時代の方針から大きく変ることはできないからだ。

「脱小沢」が賞賛されるとすれば、その理由は「小沢」によって民主党の政策が歪められていたと言える場合においてのみである。
小沢がいなくなって、民主党の政策は変るのだろうか。
基本的に変らないだろう。

何度も言うように、民主党が迷走したのは小沢のせいではなく、もともと整合的な政権構想がなかったからだ。
政権を運営していくノウハウも能力もなかったから、民主党が繰り出す政策のそのほとんどがパッチワーク的になったのである。

にもかかわらず、民主党は「政治とカネ」や「小沢独裁」などという無意味なワーディングにこだわった。
本質的な議論を先延ばしにし、その名の通りポピュリズム政党の本分を発揮したのだ。
逆にいえば、小沢がいなければ民主党はもっと混乱して収拾がつかなくなっていただろう。
民主党は楽をしていたのだ。
民主党への支持が落ち込んでいる原因を、小沢にすればよかったのだから。

だが、残念ながら、民主党への支持が落ち込んでいたのは小沢のせいではない。
アンケート調査などから小沢や鳩山首相が原因だと考える人達が多いが、こういう人達は人間というものを知らな過ぎる。

いいかい。
誰かを好きや嫌いになる場合を考えてみればわかる。
誰かを嫌いになる場合、どのように嫌いになるだろうか。

例えば、あるカップルが分かれたとしよう。
女性の方が彼氏を嫌って振ったのだ。
それで、女性の方に理由を聞いてみる。

Q:「どこが嫌だったの?」
A:「部屋を片付けないところとか、食べ方が汚いところとか」

こういった理由を聞いた時、あなたはそれが理由だと思うのだろうか?
もし、その理由が本当なのだとしたら、この女性は、部屋をキレイに片付けて、お行儀よく食事をする男性しか好きにならないことになる。
本当だろうか?

違うだろう。
この女性は、男性を嫌いになったから、その男性の目に付く行為が気に食わないのである。
嫌いになる理由は他にある。
この女性は、次に他の男性と付き合い始めるとこう言うだろう。

「彼と一緒にいることだけで幸せよ」と。


はて。
どう考えるべきであろうか。

「脱小沢」なんて言葉に惑わされている人々は、恋愛ベタな人々に違いない。

[つぶやき] 民主党が勝つ唯一の方法

2010-06-03 11:14:29 | 政治
鳩山首相の後継は誰かみたいな話で盛り上がっているが、誰がなっても既存路線から変更はできない。

方針を変えたら、衆議院を解散して民意を問えという話になるからだ。
それは、かつて民主党が自民党に対して主張してきたことに他ならない。
解散しない以上、誰がやっても鳩山首相時の方針から大きく変えることはできない。

しかし、民主党からしてみれば解散するのは政権を手放す可能性が高い自殺行為なので、できない。
つまり、次の総理は鳩山首相の方針から変えられない。
内閣のメンバも変えられない。
誰がなっても同じ。
つまり、誰がなっても政権運営は楽にはならない。
次の内閣も短期間に崩壊するのは見えている。
それがわかっているから、若手は立候補しない。

次期民主党政権が、国民の支持を得て、また説得力を持つための唯一の方法は、首相就任後直ちに衆参ダブル選挙に打って出ることを宣言することだ。
そして、選挙までの間に、民主党の新しい政権構想を練り上げることだ。

だが、それは今の民主党にはできない。
参院選に向けて走ってきたサンクコストを諦められないし、最も根本的な問題は、民主党の新しい政権構想を練り上げることができないことだ。
様々な利権集団からの寄せ集めだからだ。

だから、もし民主党が再生を望むのであれば、次の民主党のトップになった人は、次を実行することだ。
衆参ダブル選挙
新政権構想を提示することを宣言
新政権構想に賛成できない議員は民主党を離党させる
同時に野党から新政権構想に賛同する議員を集結させる

負けがわかっていながら玉砕を望む。
旧日本軍が辿った道だ。
やはり日本を支配しているのは「空気」なのだ。

ここでケーススタディだ。

どうすれば、あの終戦間近まで悲惨な戦闘を繰り広げなければならない事態を回避できたのか。
あなたが、もし太平洋戦争末期の日本に、政府の行動に影響力を持つ権限をもってタイムスリップしたなら、どうすればよいだろうか。
焼け野原願望をお持ちの方は「何もしない」というかもしれないが、そうではない人はどうすべきであっただろうか。

さぁ、今がまさにその時だ。
どうすればこの状況を変えることができる?

[つぶやき] 急がば回れ

2010-06-02 14:13:24 | 政治
よくない流れだ。

自民、民主党ともに議席が取れず、みんなの党が躍進、自民および民主党から渡辺総理の座を差し出されて、自民-みんな/民主-みんな連立政権が発足。
当初は大いに盛り上がるが、みんなの党の政権基盤が弱いことと、また渡辺総理の行政改革一本槍政策への霞ヶ関からの反発も必至であり、リーク、スキャンダル攻勢にあい政権瓦解みたいな筋書きが見える。
いかにもマスコミが好きそうな展開である。
彼らは日本がどうなるかよりネタの方がずっと大事なのである。

みんなの党は行政改革や一部の経済政策以外のところでは、民主党以上に政策のない政党だ。
政権与党になるにはまだ早い。
党基盤を確立するまでに政権与党に組み込まれれば潰されるのは必定だ。

民主/自民から改革派をみんなの党に集結させるのはいいが、政策として練り上げる前に時間が必要である。
潰れるのがわかって手を差し伸べる人々がいるからたちが悪い。
脅威になる前に才能の早摘みをやって潰すのは、新手つぶしの常套手段だ。

長い間生き抜いてきた猛者を甘くみてはいけない。


ちなみに「自民-みんな」はダブル選挙があった場合の話です。
ないですけどね。

小沢一郎が民主主義政治家であることを何度でも言おう

2010-05-31 14:20:45 | 政治
最近、イノベーションの話題が多かったので、たまに政治について語りたい。

「選挙が全て。」

有識者が語る小沢一郎に対するイメージだ。

小沢は政策論的にはボロボロに叩かれる。

「あいつは政策に興味がない。選挙に勝つことだけ。」

「だからポピュリズム的政策ばかりなのだ。」

そういって批判するのだ。

なぜか?

そう考えなければ、理解できないからだ。

小沢一郎という男を。

こんな見方もある。

例えば、いつも政策についてインサイダー的な明晰な分析を行う高橋洋一氏だが、彼も民主党の政策について小沢の影響に言及する。
「小沢陰関数」という形で。

鳩山由紀夫の政治を科学する (帰ってきたバカヤロー経済学)(高橋 洋一, 竹内 薫)


先に挙げた両者の立場に共通するのは、「民主党がよくわからない政策(みえみえの利益誘導政策)に偏るのは、小沢一郎がいるからだ。」
という点だ。

なるほど。

だが、言葉は悪いが、実に馬鹿馬鹿しい考え方だ。

私は「それが何なのだ?何が悪いのだ?」と言いたい。

何を分かりきったことを言っているのだ。

当Blogでは繰り返し説明していることだが、小沢一郎が選挙にこだわって見えるのは、それが日本の民主主義の実力だからだ。

小沢がいうように「国民のレベル以上の政治家は生まれない」のだ。

そして、政治家は、ただ、その国民の要求に応えているだけだ。

より多くの国民が同意する政策を導入する。

それを「選挙を基準とした政策決定手法」というのなら、そうなのだろう。

しかし、それこそ民主主義ではないのか?

国民の多くが望んではいないが、一部の政治家や官僚や有識者が正しいと思うことを実行することが民主主義なのだろうか。

何度もいうように、小沢一郎がやろうとしているのは「特定の政策」ではなく「日本の民主化」である。

それを「衆愚政治」「ポピュリズム」といって批判することはできるだろう。

しかし、それなくして、どうやって、将来的にみた日本の民主主義を高めることができるのか。

むしろ逆なのだ。

国民の意見をもっとダイレクトに反映する仕組みがないから、国民が国家に対する責任を認識できないのだ。

もっとポピュリズムが可能な仕組みを導入しないから、日本に民主主義が根付くことがない。

多くの政治家や官僚や有識者と呼ばれる人々が、国民を信じていないから、国民は自律しない。

小沢は、そういうことを見切っている。

彼は、日本にいる唯一の民主主義政治家だ。