私の離党届提出について(辻元清美)
http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/07/27-2007.html
私は、当然の帰着だと考えています。
私の意見に多くの人が理解を示してくれなかったのですが、
私は以前から権利を主張する人々を権力側に入れることについて賛同しています。
経済やら経営に見識のある多くの人達はこう言います。
そんなことしたら個別最適を指向する貪欲な人々に、貴重な資源を余すことなく貪られ、全体として損失を被ることになる。
確かにそうだと思います。
ですが、それでも私は個別最適指向な人々を権力側に取り込む努力を怠るべきではないと考えています。
理由は簡単です。
人というのは、問題を、自分の問題として認識しない限り、解決できないものなのです。
これが「責任」の本意なのです。
限定された個別最適を指向する人々は、自分達の問題しか認識していないから、全体の問題を取り扱わなければならない権力側の問題を解決することはできません。
トレードオフに気づけていないからです。
個別最適を指向する人々に、全体最適観点を持ってもらうためには、、全体最適が必要とされる立場に立たせてみるしかありません。
全体最適を自分の問題として認識してもらう以外にないのです。
ゆえに私は、全体最適論者が個別最適論者を見下して排除するのには賛成せず、むしろお互いの理解を共有する路線をとった方が近道だと思うのです。
http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/07/27-2007.html
私は、当然の帰着だと考えています。
私の意見に多くの人が理解を示してくれなかったのですが、
私は以前から権利を主張する人々を権力側に入れることについて賛同しています。
経済やら経営に見識のある多くの人達はこう言います。
そんなことしたら個別最適を指向する貪欲な人々に、貴重な資源を余すことなく貪られ、全体として損失を被ることになる。
確かにそうだと思います。
ですが、それでも私は個別最適指向な人々を権力側に取り込む努力を怠るべきではないと考えています。
理由は簡単です。
人というのは、問題を、自分の問題として認識しない限り、解決できないものなのです。
これが「責任」の本意なのです。
限定された個別最適を指向する人々は、自分達の問題しか認識していないから、全体の問題を取り扱わなければならない権力側の問題を解決することはできません。
トレードオフに気づけていないからです。
個別最適を指向する人々に、全体最適観点を持ってもらうためには、、全体最適が必要とされる立場に立たせてみるしかありません。
全体最適を自分の問題として認識してもらう以外にないのです。
ゆえに私は、全体最適論者が個別最適論者を見下して排除するのには賛成せず、むしろお互いの理解を共有する路線をとった方が近道だと思うのです。
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