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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

小沢は辞める必要ない、選挙で国民に責任をとらせよ

2010-04-28 10:22:05 | 政治
これはいつも思いながら、それでも書くことを躊躇していたのだが、今日は書かせてもらおう。
品性のない人間と思われても仕方がない。

日本にはマス"ゴミ"しかいないのか。と。

マスゴミが検察審査会が「起訴相当」と判断したことを大きく取上げている。
小沢一郎が幹事長を辞任すべきとか、鳩山首相が小沢を解任すべきとか。
当初からマスゴミ連中が狙っていた浅はかなストーリーとはいえ、いい加減に腹が立ってくる。

なぜ私が怒っているのか?
それは、このことが日本の政治をよりダメにするだろうと思うからだ。
マスゴミ連中のマスターベーションに付き合わされて日本はどんどん傾いていく。
小沢が幹事長を辞めれば、民主党は崩壊するだろう。
今の民主党に組織を維持するための仕組みもなければリーダーもいない。
中途半端な半人前連中の集まりで、プロの政治家がほとんどいない。
民主党に政権構想を持っているような政治家が小沢以外にいるのか。
民主党政権に崩壊してもらいたい人々には嬉しいニュースなのだろう。

確かに、民主党は幼稚な政党かもしれないが、しかし長期的にプラスなこともある。
それは、日本に民主主義を根付かせるチャンスだ。
国民自身が国家に責任を持つという民主主義の根幹を理解するチャンスがある。
お上でも政治家でも官僚でもなく、国民が政治に参加しなければならないと気づくチャンスだ。
それこそが小沢一郎が政権交代に託した夢だ。
もしここで旧来型の政治に戻ってしまったら短期的にはいいこともあるかもしれないが、日本の夜明けは遠のく。
このまま戦国時代に突入していかざるを得ないのか・・
大局を理解して欲しい。


そもそも、当Blogでも取上げたように、逮捕された石川議員以下3名は無罪である。

「政治とカネ」に関する公認会計士の見識
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/8ea9ba7415cb02c397ad591e8688c2df

その無罪の人達との共犯って一体どういうことだ。
どういう根拠があるのだ。
そっちが気になって仕方がない。

この事件はより一層国家の威信を貶め、国民の気持ちはどんどん国家から離れていくだろう。

自らを守るために自らの首を絞める。
子供だな。

国民のみなさんも、鳩山首相や民主党に自浄作用を求めるのは辞めましょう。
自分達が判断すべきでしょう。
選挙で。
自分達の選択に自分達で責任を持ちましょう。
自分達だけリスクを負わないなんてことは許されませんよ。
いつまでたっても国民は学習できませんから。

・参考

小沢議員に起訴相当決議(政治とカネ211)(弁護士阪口徳雄の自由発言 )
http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/61493553.html
小沢氏の事件に対する起訴相当決議について(Nothing Ventured, Nothing Gained.)
http://esquire.air-nifty.com/blog/2010/04/post-993b.html

「新しい公共」円卓会議の資料をみてみた

2010-04-12 21:24:05 | 政治
「新しい公共」円卓会議(内閣府)
http://www5.cao.go.jp/entaku/index.html


「新しい公共」という考え方やその展望を市民、企業、行政などに広く浸透させるとともに、これからの日本社会の目指すべき方向性やそれを実現させる制度・政策の在り方などについて議論を行うことを目的として開催する会議。


だそうです。
この中で「社会イノベーション特区」について述べられていて、結論が下記リンク先の資料なんですけれど、さっぱりわかりません。
NPOの市場規模が日本のGDPに比して小さいので、これを大きくするという話なのでしょうか。
結局、また一つ行政府に認可権が出来るという話にしか思われないのですが、どうなのでしょうか。
ただ、鳩山首相のお膝元で行われているこの円卓会議の資料の中では「小さな政府」を指向していることが見受けられます。

http://www5.cao.go.jp/entaku/shiryou/22n4kai/pdf/100325_08.pdf


内田樹のブログを見ていたら、この円卓会議のメンバーである鳩山首相と松井孝治内閣官房副長官、鈴木寛文部科学副大臣と食事回が開かれていたそうです。
内田樹が円卓会議のメンバーでもよかったなとそう思うわけではあります。

政治と経済と武道について語る週末
http://blog.tatsuru.com/2010/04/12_1259.php

時間のある時に考えを述べたいと思います。

罰することで問題が解決するなら地球は楽園になる

2010-04-10 02:21:37 | 政治
日本は「日本」を主張せよ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/6e598b6caf8c161bc454e4de15c86750

怨念の国 日本
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/70062b17808c11e54ad2171cffa369c8

中国での邦人死刑問題にみる、日本の問題解決力の低さ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a6f7eb81424091fb0ee1ae7917f3c482

つづき。

同情はしないよ。
無知も罪だからね。
麻薬密輸をしている自覚がなくても、金を儲けるためにちょっと危ない仕事に手を出すのはリスクがあることだからね。

でも、ホームレスを裁いて何か改善するんだっけ?ってことをいいたい。
中国国内にどんな理由があろうとも、そんな単純な論理で人の命を左右しちゃうってことを、なんで日本の外務大臣は仕方ない的な言い方しかできないんだろう。
それでも「郷に入っては郷に従え」っていうのかな。
不思議な国だなこの国は。

前に当Blogで書いたことだが、「罪を憎んで人を憎まず」の真意は、人を憎んだところで何も解決しやしないからだ。
罰する事によって解決することは何もない。
むしろ、罰する事は問題を覆い隠す。
特に日本人はそれで事をおさめてしまうから。
事をおさめることが目的なんだ。
何か問題あったら責任とれ、謝れ、反省しろと本質的でないことばかり。
それは昔からずっとだ。
罰する事で問題が解決するなら、地球はもっとユートピアに近づいているはずなのだよ。
我々は一体何を考えるべきなのだろうか。

[中国]「麻薬預かっただけ」で死刑 運び屋は日本の困窮者(毎日JP)
http://news.livedoor.com/article/detail/4710137/

森元死刑囚は逮捕後、「定年退職して金に困っていた」と供述し、日本国内で密輸を持ちかけられ、報酬20万~30万円で請け負ったことを認めた。裁判では、日本に逃亡した共犯者に「監視されていた」と主張した。

[中略]

また、刑が執行された鵜飼博徳元死刑囚(48)=岐阜県=も「他人に頼まれた。中身を知らなかった」と主張した。しかし、両元死刑囚は麻薬密輸の「行為犯」と認定され、死刑が確定した。


[中国]日本人3人の死刑執行 麻薬密輸罪で6日に続き(毎日JP)
http://news.livedoor.com/article/detail/4708670/

武田死刑囚は02年から名古屋市などで被害総額6億円の連続強盗事件を起こした日中混成強盗団のリーダーとして愛知県警などが指名手配していた。同年11月に中国入り。ホームレスらを運び屋に雇って覚せい剤密輸を繰り返した主犯格とみられている。

中国での邦人死刑問題にみる、日本の問題解決力の低さ

2010-04-09 13:22:29 | 政治
<参考>
日本は「日本」を主張せよ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/6e598b6caf8c161bc454e4de15c86750

怨念の国 日本
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/70062b17808c11e54ad2171cffa369c8

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中国での邦人死刑執行―感情の問題はあるが理性的に対応を(岡田克也)
http://www.katsuya.net/message/2010/04/08.html

中国での邦人死刑執行―感情の問題はあるが理性的に対応を(岡田克也)
http://news.livedoor.com/article/detail/4708479/

いずれにしても、この問題は理性的に対応しなければいけない問題だと思います。非常に難しい問題であり、感情の問題があることを認識しつつ、しかし、理性的に対応しなければいけないことを、国民の皆さんには申し上げておきたいと思います。


誰が感情的な反応をしているのかわかりませんが、少なくても私は冷静にこの問題を見ています。
感情面から批判の声が上がっていると考える時点で、この外務大臣はどうしようもないなという気がしてなりません。
その程度の現状認識能力しかないのでは政治家として大成しないだろうなと、ちょっと毒づいてもみます。
(個人的に「岡田克也という政治家」は好きですが、「岡田克也という外務大臣」は好きになれそうもないようです。まぁ私が好きかどうかは何も関係がありませんが)

まずもって、この問題について、私のような者には感情的になる理由がありません。
(麻薬密輸が悪いことなのか?というのは別に議論してもいいですが)
麻薬密輸に関係するような人間が社会的に排除されるのには賛同します。
繰返すように、死刑が執行された日本人が死のうが死ぬまいが私は構いません。

ただ、私が問題視しているのは、それと外交は別ですよという話です。

いいですか。
よく考えてください。

そもそも、なぜ国家治安当局は、人を裁くことができるのですか?
何の権限で?
それは、天与のものなのですか、それとも人によって創造されたものですか?

社会的に害をなすといいますが、そもそも「社会」ってなんですか?
その「社会」は、日本と中国で同じなんですか?
日本人の多くは、ジンバブエや北朝鮮と日本では「社会観が違う」と思っているんじゃないですか?

仮にあなたが北朝鮮にいて、体制に異を唱えたことで社会的に害をなす政治犯として収容され、かつ死刑判決されたら、「お前らの考える社会の方が害だろこのやろう!」とか言い放ったりしませんでしょうか。

これは極端な例ですけれども、でも中国が極端な国家でないことはどうやったらわかりますか。
さらにいえば、日本が極端な国家じゃないのはどうやったらわかりますか。

わからないですよ。
明日、神が降臨して、「これまでの世界は全部ウソだよん。おつかれちゃん。」などと言ったらどうしますか。

だから、我々は、精一杯慎重になるべきなんです。
特に、人を裁くということに対して。

死刑執行で治安が収まるなら、どうして共産圏の国々は崩壊したのですか?
歴史上、独裁国家が永続したことがありますか?(現在存在する独裁国家が続くかはわからないが)

ある著名な歴史学者がこういいました。


歴史上、「革命」と呼ばれるものは意外に少ない。
なぜなら、そのほとんどは鎮圧されて「乱」や「蜂起」などで終わっているからだ。
「革命」が成功するかどうかは、革命者達の動機や能力にはほぼ関係がない。
「革命」が成功するかどうかは、現体制それ自体が力を失い、崩壊しかけているかどうかに依る。


つまり、死刑などの刑罰で人心が治まるなら革命など起きない。
死刑や刑罰に社会的安定を保つ力が無いからだ。(ちょっと言いすぎだが)
本当に社会的安定を保ちたかったら、それは人々の理解によってしか成り立たない。
死刑が理解を得るのに有効ならそれでいいだろう。
厳罰化というのは、社会情勢への無理解から発生する発想なのだ。
原因がわからないから、罰則を強化して防ごうとする。
だが、そんなパッチワークでは根本的な問題は解決せず、結局はもぐら叩きになり、いずれ崩壊する。

日本の法律論からして、今回の麻薬密輸に対する死刑は明らかに過剰である。
岡田大臣は、中国の法律に関して口を出すことは、タブー(隣家の夫婦喧嘩に口を出すみたいなもの)だと主張しているのだが、本当にそうなのか。

お友達の親が自分の子供を平手打ちしたら「なぜ、そこで平手打ちする必要があったのか。」「その行為にどれだけの教育効果があるのか」「お前のストレスを発散させるためだけのものではないのか」あたりを問わねばならぬ。

こういうかもしれない。
相手:「そうはいっても、うちは平手打ちしないと子供が言うこと聞きません。」

私:「あなたの子供はそうかもしれないが、うちの子供がそうとは限らないだろう。」
私:「さらにいえば、そこで強制的に介入することに、一体どれだけ意味があるのか。」

相手:「ここであなたの子供を許せば、私の子供も許されると考えるかもしれない。」
相手:「我が家の秩序を保つためには、仕方がない。ここでは流儀に従ってもらう。」

私:「あなたの家は治外法権なのか。」
私:「あなたのやり方が間違っていたら損失ではないですか。」

相手:「あなたはアメリカか。」
相手:「あなたの価値観を押し付けないでくれ。」

私:「いや、それはあなたも同じで、あなたの価値観を押し付けないでくれ。」

相手:「ここは我が家なので、我が家の価値観に従ってもらう。」

私:「あなたの家の中だからといって、あなたの価値観に従うべき根拠はないだろう。」

相手:「それなら、あなたの家の中でも、私の価値観が通ずるということになるがいいのか。」
私:「いやいや、価値観を押し付け合いになるから、価値観の押し付けはよくないといっている。」

相手:「じゃぁ、どうすればいいんだ。」

私:「お互いに協定を結ぼうじゃないか。どうすべきか議論しよう。」

結果としてお互いの得になる解は得られないかもしれないが、お互いにが納得できないまでも、お互いの争いをおさめる知恵は生まれるかもしれない。

こういうことは散々繰返されてきていることで、終わりはないのかもしらないが、こういうことを考え、主張していくことが重要だと私は述べている。

日本は「日本」を主張せよ

2010-04-07 12:07:54 | 政治
中国の大連にて、麻薬密輸罪で1人の日本人に対して死刑が執行されてしまいました。
日中国交正常化の1972年以降、初めてのことのようです。
また立て続けに3人の死刑が執行されるようです。

これはとんでもないことです。
日本という国は一体何のために存在しているのでしょうか。
なぜ、日本の政治家やマスコミや国民はもっと怒らないのでしょうか。

日本人がこういう問題について冷淡なのは、私は重々承知しております。
違法なことや人道に外れること、和を乱す行為をはたらいた者について、日本人は残酷なまでに見下します。

思い出してください、日本人達は渡航禁止令を出している国へ行ってテロリストに拉致された人々を徹底的に責めました。
オリンピック出場選手の服装がだらしないとして、制裁を加えるべきだという意見が噴出しました。

「麻薬を密輸しようとした奴なんか助ける必要はない。」
「むしろ日本でも麻薬に関する犯罪は死刑にしてもいい。」
「暴力団員なんか社会的に抹殺された方がいい。」
こんな意見が聞こえてきそうです。

ただ、それとこれとは別次元の問題です。
別次元の問題を混同して考えてはいけません。
ここで思考停止して論理の単純化に甘んじるようでは、この国の行方は危ぶまれます。

「赤野光信氏が死刑に値するかどうか」
という問題と、
「中国で日本人が中国の論理で裁かれた」
という問題は全く別の話です。

いいですか、これは国家間における非常に重要な問題です。

私には、赤野氏が死ぬかどうかなんて興味がありません。
人間はいつく死ぬし、生きていても他人に迷惑ばかりかける人は大勢います。
社会に害をなすマイノリティーは社会的に抹殺された方が、圧倒的多数の人々は生きやすいかもしれません。
しかし、中国の論理で日本人が裁かれて、その上、死刑ですよ。
法律というのは、神から与えられたものでもなんでもなく、自分達が考えた答えのようなものです。
日本の法律は、日本人が考えた社会的規範であり、ルールであり、モラルなわけです。
国によって法律が異なるのは、国によって価値観が異なるからであり、目指す生き方が異なるということです。

例えてみましょう。(これは論理のすり替えではありません。)
あなたは子供を育てています。
あなたの家では、子供はのびのび育つべきだと考え、順番待ちのような教育は緩やかにしています。
あなたは社会的な規範については、徐々に自覚していけばよいものと考えています。
あなたの子供が、お友達のおうちに遊びに行ったときのことです。
あなたの子供は、そのお友達の遊ぶおもちゃを横取りしました。
すると、お友達の親はあなたの子供を平手で打ちました。
子供は泣き、頬を腫らします。

あなたは、どうしますか?

ここでも"郷に入っては郷に従え"を通しますか?
文句をいいませんか、少なくても苦言を呈するでしょう。
「たしかに、お行儀の悪い事をした。しかし、そこまでやる必要はないだろう!!」と。
しかしお友達の親は言うでしょう。
「これは、"しつけ"です。我が家ではいつものことですよ。」と。

さて、あなたはどうしますか?

もしかすると、あなたの教育方針が、友達の親と同様に厳しいしつけを実施していたら、同意するかもしれません。
時代が昭和30年代なら、近所のオジサンにゲンコツを食らうのも許せたかもしれません。
でもそれは、同じ価値観を共有する人々の間だからです。

中国と日本、日本と中国、同じ価値観を共有していますか?

さぁ、あなたならどうしますか?

鳩山首相は所信表明演説で「いのちを守りたい」と声高に叫んでおりましたが、この出来事をどう説明するつもりなのでしょうか。
結局、ムラ社会からはぐれた奴は面倒を見ない。
そういう意味なのでしょうか。
むしろ、上記でした国家を親のように見る話は、パターナリズムの一種だとして、批判されるのでしょうか。
それならそれでいいです。
しかし、だとすれば、彼らの主張する政策は全てが茶番ということになるでしょう。

何はともかく、日本人がこの問題を全く重要視しないことに、この国の病巣は根深いと危惧するばかりであります。
このことについては、後日私的日本論の側から述べたいと思います。

郵政よりも先に民主党が破綻する

2010-03-31 02:12:41 | 政治
もはや冷静な判断力は期待できないようだ。
全国郵便局長会の集票力が100万に満たないのに対し、無党派層の数は3000万は下らない。
極一部の声を拡声されるのが民主主義バイアスでもあるが、こんな単純計算もできないようでは、今後も期待できない。
民主党には有能な経営者がいないことが問題のようだ。
このような組織は破綻するのが必定である。

あらゆる「システム」に等しくビルトインされている欠陥は、「システムそのものにはシステムが破綻する事が予見できない」ということだ。
破綻への道を歩んでいる時点で、既に終わりなのであり、だからこそ、その道へ進まぬようにすることが重要なのである。
オペレーションズ・リサーチの専門家である鳩山首相には釈迦に説法であろうが。
民主党システムも同様だったということに過ぎないし、また間違うことが民主主義であると同時に、間違いを修正できるのもまた民主主義のメリット(デモクラシーのコスト)である。

ある郵便局員からの手紙と全国郵便局長会
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1526289/


一言で言うならば、国民新党とその集票マシーンである全国郵便局長会(旧全国特定郵便局長会)との癒着です。その結果、表現は適切ではないかもしれませんが、郵便局が旧特定郵便局長会に乗っ取られたかような状態がまかりとおっています。このような内部の問題を報道する機関がありません。

そもそも、旧特定郵便局長会は自分たちの既得権益である賃貸料や世襲を守るため、郵便局のユニバーサルサービスを大義名分にやりたい放題です。報道機関も郵便局のネットワークを維持することが国民の総意と受け止め、内部事情を報道していません。


当Blogで述べてきたように、いつ誰がユニバーサルサービスの正当性に合意したのか。
確かに、人間にとって、結果の平等バイアスは非常に強い。
が、それを追求することが、人間にとって望んだ結果をもたらすかは別次元の問題だ。
「戦後世界経済史」(猪木武徳) にこうある。
(この本はとてもいいので、後日触れたい)


「平等」への情熱は一般に「自由」へのそれよりもはるかに強い。すでに手にした自由の価値は容易には理解されないが、平等の利益は多くの人々によってただちに感得される。自由の擁護とは異なり、平等の利益を享受するには努力を必要としない。平等を味わうには、「ただ生きていさえすればよい」のである。


小泉政権下で郵政民営化を推進した高橋洋一氏が、政策を無視した政局のみでの判断と指摘している。

「再国有化」郵政が歩む破綻への道(高橋洋一)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/388

「郵政改悪法案」で 国民負担は1兆円増える(高橋洋一)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/337

郵政の舵取りを誤ると民主党は民意を失う

2010-03-26 01:55:37 | 政治
今騒がれている郵政問題だが、この問題の処理を誤まると民主党にとって命取りになるだろう。
このまま亀井大臣の言うとおり郵政の制度改革を進めると民主党は無党派層から愛想尽かされて選挙に勝てない。
自民党が郵政選挙で大勝したのも、民主党が政権交代を実現したのも、鍵を握ったのは無党派層である。
民主党のバラマキ・マニフェストに国民が揺らいだかのような言説がマスコミをにぎわしたが、実際にはそのバラマキ対象の有権者ではなく無党派層が結果を決めているのだ。
(考えてみれば当たり前である。日本には圧倒的に都市生活者が多いからだ。)

その無党派層の投票行動は、実はここずっと一貫している。
現状からの変革を主張する政党に投票しているのだ。
どういうことかというと、無党派層は積極的無党派なのであり、現状を打破してくれる政党に投票しているのだ。
そういう意味では、郵政選挙も政権交代選挙も同じ文脈で読めるのである。

それがわかっているから、民主党はこのまま亀井案を飲めない。
一方で国債の引き受け先として期待しているのかもしれないが、そのまま飲めるわけがない。
もともとの民主党案とも真逆ということが問題なのではない。
郵政に関する国民新党のアイディアが国民に合意されたことがないからだ。

大塚耕平氏が様々なメディアに出ては言い訳をしているが、苦しすぎる。
(かわいそうな役回りだなぁ・・と思うが)
彼の説明には致命的な欠陥がある。
郵政選挙で表れた民意をどう説明するかだ。

前々回の選挙で国民は郵政民営化を支持した。
しかし、前回の政権交代で郵政民営化を否定することを支持したわけではない。
まして、国民新党が主張する郵政のユニバーサル・サービスを支持した覚えは全くない
そもそも、何を根拠にユニバーサル・サービスが必要と考えているのかさえ、さっぱりわからない。
あたかも国がサービス強化することが善のような前提で話が進んでいるが、誰がその「前提」を認めたのか。
よりよいサービスが提供できるというが、そのサービスを求めている人がどれだけいるのだ。

小泉郵政改革が不完全なのは誰もが認めるし、ある程度の修正は行うべきである。
しかし、前に決めたことを勝手に変えていいのか。

国民新党の連中はそれを全く理解していない。
彼らの論理は国民が馬鹿でないと成立しないのである。
自分達の論理を正当化するために国民を馬鹿にしないといけないのだ。

なぜなら、彼らが考える通りに郵政を変えようとすると、前々回の衆院選で国民が郵政民営化を支持したことが説明づけられないからである。
自分達のやろうとしていることが民意と矛盾するのである。

それで彼らがどう説明したか?

「国民の皆さんは小泉の口車に乗せられて、あの時の雰囲気にやられてしまった。」
と説明している人達なのである。

「熱狂的な雰囲気に流されてしまった。」
と。
現状認識が全くできていない。

なぜ熱狂的になったのか、よく考えた事があるのか。
劇場政治だったからか?
でもなぜ国民は劇場政治に熱狂したのだ?
当Blogで繰返し説明するように「物語」が受け入れられるためには、その背後に「願望」がなければならない。
(昼ドラだって需要とマッチしてこそヒットするわけ)
その「願望」を理解しようとせず、平然と国民を下に見るのである。

馬鹿も過ぎると罪である。
「無知は罪か?」みたいな話ではない。
彼らは自分達の私情のために国民を利用しようとしているだけだ。
ここで郵政改革を変えたらしっぺ返しを食らうのは民主党だ。
亀井大臣を切る事は鳩山首相にはできないだろうから、誰かが止めるしかない。
誰が止められるか・・・菅氏、仙石氏、やっぱり小沢・・
しかし最後は人事権を持つ鳩山首相でなければ止められない。

となれば、今回の結末は、首相の人事権を持つ、国民(選挙)で決するしかない。

だが、不幸なのは・・
民主党に変わる政党がないことである。
こっちの方がずっと悲観的なのだが・・

[追記]
アゴラにコメントしてみました。

「官主党」に変質した鳩山政権 - 池田信夫
http://agora-web.jp/archives/965138.html

[私のコメント]
民主党にとっての最大の問題は、郵政の改革案の中身よりも、民意(積極的無党派層)の逆鱗に触れる可能性が高いという点です。

確かに、民主党はマニフェスト『33.郵政事業を抜本的に見直す』の中で「郵政事業における国民の権利(?意味不明)を保障するために」ユニバーサル・サービスに言及し「郵政事業の利便性と公益性を高める」としていますが、これ(マニフェストに書いてある,でも33番目)をもって郵政選挙に表れた民意を反故にするには無理があり過ぎます。
国民新党の人々が民意と矛盾している自分達の理念をどうやって正当化しているかといえば「国民は当時の熱狂的雰囲気に流された」という歪曲された認識であり、大塚耕平氏までこの論理に流されていることが情けない限りです。(彼は「よりよい民営化を進める」というが)
まず民主党は「郵政事業における国民の権利」の内容を問うべきです。極わずかな一部の人々のための権利である可能性が高いことを自覚すべきだと考えます。

中国は情報鎖国を目指す無駄な努力をしているのか

2010-03-24 14:52:33 | 政治
題名と内容に隔たりが・・気合の問題です。
内田樹は冴えてるな~

グーグルのない世界(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2010/03/24_0728.php


「グーグルが存在しない世界」に中国が取り残された場合、それがこれからあとの中国における「知的イノベーション」にどれほどのダメージを与えることになるのか、いまの段階で予測することはむずかしい。


としながらも、


だが、この「事件」のよって中国経済の「クラッシュ」は私が予想しているより前倒しになる可能性が高くなったと私は思っている。
中国の経済成長はいずれ停滞する。
それは不可避である。
これまで右肩上がりの経済成長を永遠に続けた国は存在しない以上、中国の成長もいずれ止まる。
その成長をブロックする主因は、「知的イノベーション」の重要性を見誤ったことにある。


と中国の対応を切って捨てる。


中国の危機は「著作権」についての施策において予兆的に示されている。
ご存じのようにかの国においては他国民の著作物の「海賊版」が市場に流通しており、コピーライトに対する遵法意識はきわめて低い。
それによって、現在のところ中国国民は廉価で、クオリティの高い作品を享受できている。
国際的な協定を守らないことによって、短期的には中国は利益を得ている。
けれども、この協定違反による短期的な利益確保は、長期的には大きな国家的損失をもたらすことになると私は思う。
それは「オリジネイターに対する敬意は不要」という考え方が中国国民に根付いてしまったからである。
誰が創造したものであろうと、それを享受する側はオリジネイターに対して感謝する必要も対価を支払う必要もない。
国民の多くがそういう考え方をする社会では「オリジナルなアイディア」をもつことそれ自体の動機づけが損なわれる。
これは論理的には当然のことである。
「新しいもの」を人に先んじて発明発見した場合でも、それはエピゴーネンや剽窃者によってたちまちむさぼり食われ、何の報償も与えられない。それが「ふつう」という社会においては、「オリジナルなアイディア」を生みだし、育てようという「意欲」そのものが枯死する。
みんなが「誰かのオリジナル」の出現を待つだけで、身銭を切って「オリジナル」を創り出すことを怠るような社会は、いずれ「そこにゆかなければ『ほんもの』に出会えないものが何もない」社会になる。
「オリジネイターに対する敬意」を持たない社会では、学術的にも芸術的にも、その語の厳密な意味における「イノベーション」は起こらない。
イノヴェーティヴな人々はもちろんどこでも生まれるけれど、彼らは「中国にいてもしかたがない」と考えるだろう。
オリジナリティに対する十分な敬意と報酬が約束される社会に彼らは出て行ってしまう。
中国は欧米先進国のテクノロジー水準に「キャッチアップ」する過程で、緊急避難的に「オリジネイターに対する敬意」を不要とみなした。
そのことは「緊急避難」的には合理的な選択だったかもしれない。
けれども、それは社会生活の質がある程度のレベルに達したところで公的に放棄されなければならない過渡的施策であった。
中国政府はこの「過渡的施策」を公式に放棄し、人間の創造性に対する敬意を改めて表する機会を適切にとらえるべきだったと思う。
けれども、中国政府はすでにそのタイミングを逸したようである。
創造的才能を「食い物」にするのは共同体にとって長期的にどれほど致命的な不利益をもたらすことになるかについて、中国政府は評価を誤ったと私は思う。
グーグルの撤退も同じ文脈で理解すべきことだろう。


中国は今は先進国をキャッチアップすれば成長できる段階にあるので、オリジネイターに対して敬意を持たずに済むが、いずれ近代化が終われば「知的イノベーション」の創発を望むはずである。
しかし、オリジネイターを育む環境がない中国には「知的イノベーション」は起きぬという。


世界は情報を「中枢的に占有する」のでもなく、「非中枢的に私有する」のでもなく、「非中枢的に共有する」モデルに移行しつつある。
これは私たちがかつて経験したことのない情報の様態である。
そして、これが世界標準になること、つまり私たちの思考がこの情報管理モデルに基づいて作動するようなることは「時間の問題」である。
中国政府は近代化の代償として、情報の「中枢的独占」を断念し、市民たちが情報を「非中枢的に私有する」ことまでは認めた。
けれども、そのさらに先の「非中枢的に共有する」ことまでは認めることができなかった


中国共産党による統治システムを揺るがすと思われるものを排除したと。


グーグルの撤退が意味するのは、一情報産業の国内市場からの撤退ではない。
そうではなくて、ある種の統治モデルと情報テクノロジーの進化が共存不可能になったという歴史的「事件」なのである。
情報テクノロジーの「進化」と切断することがどれほどの政治的・経済的・文化的ダメージを中国にもたらすことになるのかは計測不能である。


内田樹の主張としては2点あるのかなと思う。
一つは「相応のコストを負担せずに利益を得る」ことの短期的利益と長期的損失。
もう一つは、権威とは情報であるということ。
前者もさることながら、後者は今後中国共産党がどういう態度で望もうとしているのか個人的に関心の強いところである。

グーグルを追い出して国内の情報通信インフラを全て抑えたところで情報鎖国が可能なのか。
(追い出すという表現は適切ではなくて、Googleを特別扱いしないということだが)
中国企業はビジネスはグローバルで行っているし、一般の中国人も海外に出ているわけだから、まず無理だろう。
共産党指導部とてどのみち不可避なことに取り組んでいることを自覚しているはずで、どのようにソフトランディングしようとしているか、そこが不確実性の高いところで予想が難しい。

衆議院を100人にすれば政局一辺倒も少しは緩和されるだろう

2010-03-24 10:56:52 | 政治
はてさて事態はどちらの方向へ傾くのか・・

小沢氏副幹事長解任撤回で梯子を外された小沢支持者達(木走日記)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20100323/1269324953

この上記のブログは意味不明ですね。
小沢支持者だからといって、生方氏の解任を支持していると考える時点でおかしい。

当Blogでは一貫して小沢イズム支持(小沢一郎を支持しているわけではない)を貫いておりますが、私などは前回のエントリ「民主党の自民党化への流れは止められないのか」で述べたように、今回の事件は馬鹿な部下の暴走だと考えております。
そして、私は小沢一郎のすべきだった行動として「むしろ高嶋良充筆頭副幹事長を解任して、生方氏の解任を取り消すべきだった。」と考えております。


私としては、高嶋氏の気持ちもわからなくもない。
一生懸命に民主党をまとめていこうと奮闘しているところに、しかもただでさえ民主党は多くの問題を抱え頭が痛いところなのに、自分から民主党に貢献することなく、ダダをこねるばかりの無責任の輩が多く、いろんなものが積もってプッツンきちゃったんでしょう。
しかし、小沢は、筆頭副幹事長という立場に立つ者の振る舞いとして、そういう私情を優先した判断を許すわけにはいかないと考えるべきだった。
「泣いて馬謖を斬る」だけの覚悟が小沢にはなかった。
いや、たぶん、報告をしにきた高嶋氏の様相に鬼気迫るものがあって、あの小沢ですらその場では撤回させることはできなかったのだと思う。
小沢は流れに乗ってしまった。

これが上に立つ者としての失敗。
小沢の危機管理能力のなさ、人情を優先した結果だ。
そう、これはまるで太平洋戦争で、部下の暴走を止められなかった参謀達のようだ。
論理ではなく、人情で結論を決めてしまうと、最悪の結果を招く可能性が高い。
(その代わり人情で成功すると神格化され伝説となる。)
昔も今も、日本人のあり方は変わっていないなと再確認した。

小沢からすれば、もともと生方氏を解任する合理的理由などないのだから、この問題を収拾するために生方氏の留任を決めることは無茶ではない。
唯一の問題は高嶋氏にどう対応するかだけだが、しかし、この問題もたいしたことではない。

「ありがとう。党のためを考えてやってくれたことだとわかっている。私はあなたが党のために全身全霊働いてくれていることを理解しているよ。ただ今回は我慢してくれ。最初に報告してくれた時に適切な対応をとらなかった私の責任だ。もし、私のこの決断に納得ができず、あなたが職を辞するというなら私も辞める。一緒にやってくれないか。」
と言えばよいだけだ。
情には情である。

ただ、今回の事件は、このままでは民主党にとってマイナスにしかならないだろうね。

では、どうすべきか、当Blogの意見を述べようと思う。
まず、最悪なのが今回の一件が理由で政調会のような談合利権構造ができることと、小沢を幹事長から解任することだ。
マスコミが小沢解任世論をせっせと扇動しているが、小沢が幹事長を辞めて民意が戻るかといえば、そうはならない。
なぜなら、小沢が幹事長を辞めたら民主党が崩壊するからだ。
民主党のようなアマチュア集団が政権与党という座にありながら、魑魅魍魎に食い殺されなくて済むのは小沢がいるからだ。
小沢が権力の一元化を頑なに守るから、瓦解せずに済んでいるのだ。

ここは誤解せずに冷静に考えて欲しいのだが、今、民主党内も外も小沢一極支配に対する批判が渦巻いている。
政府に入っていない政治家の政策を反映する仕組みがないと、政調会を作れという人々は言う。
しかし、そういう人達が反映した政策というのは何だろうか?
政調会のような仕組みの話ばかりが出てくるが、こと政策の話は一切出てこない。
小沢を批判する人々はいても、小沢の政策を批判する人々は少ない。
いや、ほとんどいない。
そもそも理念なき政治家ばかりの民主党において、小沢に意見を言える政治家が少ないのは当り前である。
言うことがないのだから。

彼らがいうのは「議論する場をつくれ」である。
なぜか?
やるべきことがわからないからに他ならない。
やるべきことが見えている人は、既にものをいっているはずだ。
今文句を言っているのは、とりあえず政治家にはなってみたもののやるべきことがわからない人々という他ない。
彼らが持っているのは政策構想ではなく、単なる政治的配慮、いわば単なる陳情処理だけである。
(失礼極まりない記述で申し訳ない)

この「政策なき政党」の本筋を認識せずに、小沢批判をするのは筋違いもいいところだ。


民主党の今のあり方がベストだなんていうつもりは全くないが、「何を問題視していて、それが解決されるとどうなるの?」というところが全くもって議論から抜け落ちている。

今回の民主党のいざこざから見える本質的なことは、前回も書いたが政治家の数がそんなにいらないってことだ。
「国会が議論して決める場」なのには同意するが、もう少し生産的な議論をする場にする必要がある。
まず、衆議院の議員数を減らそう。
数に根拠はないが100人にしてみよう。
少なくても数の獲得競争にかけるコストを減らす意味はあると思う。

そういう意味で小沢はまず比例区の200を削って300くらいにすると言っていたので、やはり当Blogと同じ方向を向いていると思われる。
比例を削るより、選挙区を拡大する方が効果があると私は思うのだが。

[追記]
見方によっては「解任などされていない」という意見もありそうです。
なんにせよ、今回の騒動は小沢を批判したい人達のこじつけですな。
どの世界でもそうなのだが、批判される人ってのは理解されない人なんですよ。
マスコミは小沢について知らなすぎるのだなぁ・・

生方副幹事長解任という“誤報”で得をしたのは誰か?(上杉隆)
http://diamond.jp/series/uesugi/10119/

民主党の自民党化への流れは止められないのか

2010-03-19 21:08:00 | 政治
駄文、乱文申し訳ない。読み直してもいないがとにかくリリース

副幹事長の解任劇について私見を述べる。

まず、当Blogの「民主党の自民党化」で述べたように、これはマスコミの「小沢vs反小沢」シナリオ通りの展開だ。
民主党執行部に苦言をいいたげな民主党政治家を見つけてインタビューをやる。
インタビュー中に気持ちよくさせて反小沢論調をかもし出させる。
それに記事にしたり、放映したりして反小沢論調を創造する。
執行部は締め付けに走る。
締め付けられた方は当然反発するので、それを誇張して喧伝する。
するとまた執行部は締め付けに走る・・・の永遠循環のできあがりである。
反小沢派をたきつけて親小沢派にクビを切らせることができればなお上々だ。
そして、まさにシナリオ通りになった。

この次の展開も読める。
偏向報道や世論調査などを通じて「民意」を創造し、これを勝手に作った反小沢派に「民意」という御旗を掲げさせる。
反小沢派が民意をもとに小沢を倒す構図を作り、抗争を煽る。
見事、一級のワイドショーネタの出来上がりである。

こういうシナリオは初めからわかりきっているのに、民主党はアマチュア集団だからこれを理解できていない。
マスコミにおだてられて気持ちよくさせられちゃって、冷静な判断力を欠いている。
民主党のマスメディア対策があまりにも貧弱で、やられ放題なのだ。

それにしても、今回の場合は、高嶋良充筆頭副幹事長が馬鹿過ぎる。
完全にはめられた。
なのに自覚していないから、どうしようもない。

ここでは本来なら、小沢は勝手な行動をした高嶋氏を切るべきだ。
しかしながら、自分を支持する部下達を自ら更迭することは、たとえ独裁者であっても難しい。
小沢には「泣いて馬謖を斬る」ことができない。
自分が権力を維持できるのも、そういう部下がいるからであり、また、そんなことをしたら、自分の支持母体である親小沢派の信頼を失うからできない。
要するに、馬鹿な部下のせいで小沢の選択肢が急激に狭まった。
敵対しなくてもいいものが、部下が暴走してしまったがために敵になってしまうのだ。

最近の政治家には、大局を理解できず、組織の論理でしか動けない小人が多い。
これは人間の悲しい性でもあるが、今回の事件は官僚的組織によく見られる現象なのである。

官僚的組織で優先されるのは人でも組織の長でもなく、組織である。
そもそも組織は特定の目的のために創設されるわけだが、次第に目的が組織の生存・発展に変わる。
組織の生存・発展は目的のための手段であったはずなのに、いつのまにか逆転現象が起きる。
世に言う「手段の目的化」というやつである。

なぜこういうことが起きるかというと、(ずっと当Blogで解説しているのだが)人間が役割(意味)を求める生き物だからである。
しかも、その場その場で役割を求める。
10年後の意味よりも、今、この瞬間の意味の方が重いという、この非時間整合性の問題がどこまでも人間についてまわるのだ。

組織の構成員になれば、その場の役割というものが生まれる。
初めは目的を共有していた構成員達も、次第に役割に没頭するようになる。
いつ実現するかわからない目的よりも、今、この瞬間に達成する目的(役割)に集中してしまうのだ。


だから短期的に目的を果たせるような燃えている組織というのは、組織員みんなが最初の目的を共有していることが多い。
目的を実現するまでの道のりが見えているから、目的がずれは小さくなる。
長期的で漠然としていて、非現実的な目的を立てている組織は、あっという間に崩壊する。
これが、組織の寿命説の要因である。

権力系統を統一し、組織的な動きを強めようと思えば、当然個人の裁量を制限する必要が出てくる。
すると、与えられた役割をこなすことが各人の仕事になる。
これで官僚的組織の出来上がりである。
あとは、自分の役割をこなすだけである。
人はこうなると、鬼にでも悪魔にでもなれるのだ。
組織の論理が優先するのである。

そういう意味で、小沢が派閥政治を脱却するために権力の一元化を目指したことによって、こういう官僚的政治家が生まれるようになる。
官僚的政治家は国民から勘違いしていると思われても、それが組織のためなら粛正でもなんでもやるのだ。

しかし、これはトレードオフで、完全な解など存在しない。
政調会など作ったらそれこそ政府と党の二元政治への逆戻りのリスクもある。


私は、この問題を緩和するためには政治家の数を劇的に減らすしかないと考えている。
衆議院は100人でいいと思う。
100万人に1人でよいのだ。
そうすれば政治家の意識も「地域の代表」から「国民の代表」へと変われるだろうし、今よりも政治家一人ひとりの裁量が増え、無駄な数の闘争は減る。
政治家が減った分スタッフを増員すれば、より洗練された政策議論も行われるだろう。

地域のことは、地域行政でやればよい。
地域のことを国でやる合理的理由がそもそもない。
日本の地方行政のレベルが低いのは国会議員の数が多いからなのもあるだろう。
(イコール国でやることが多すぎる)
そのためには地方自治体への権限委譲(徴税権含む)が当然含まれる。
なので国会議員の数を減らすだけでは片手落ちであるが、そういう問題意識を持つことも重要ではないかと考える。

よくよく考えて欲しいのだが、政治家がみなさんのお役に立っているとき、政治家は頼りになるな~などと考えてはいけない。
それは政治家のために仕事つくってあげているということである。
逆から利用されていることを忘れてはいけないのだ。
これは典型的な支配の構図である。

と、いうことで、とにかく今回のことは部下の暴走。
そしてその原因は官僚的組織にある。
しかし、それは小沢が権力の一元化にこだわったせい。
そして、国会議員の数を減らせばこの問題は緩和されるだろう。

核密約の責任を追及する愚

2010-03-17 12:02:14 | 政治
密約の認定と歴代内閣の責任(上脇博之)
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51361022.html

いかにも日本人的発想。

密約問題で政治家や政党への責任を問う発言が多々出ているが、こういう事後的な責任を追及するのは全く本質的なことではなく、未来に対して何ら利益をもたらさない。
組織の安定的発展のためには「信賞必罰」が必須という意見もあるが、重要なのは「"みなが納得できる"評価の基準」を明確に示すことであって「信賞必罰(評価の基準だけを明確にする)」の方ではない。

あらゆることに言えるが、事前に成功するかどうかは誰にもわからない。
(未来予見能力を持つ人間はいない。いや、いる。でも普通はいない。)
厳密にいえば、あらゆる行為はギャンブルであり、賭けである。
しかし、そうはいっても、何をしても「ギャンブルだから許して」が許されてしまうと社会的安定に著しく悪影響を与える。
結果責任を追及する価値があるのは、社会的損失を招く無謀な挑戦の敷居を高くするためである。
ただ、無謀だからといって挑戦を禁止してしまうと、逆に社会には多様性が生まれず、停滞してしまう。
責任論の価値というのは、チャレンジしてもいいギャンブル的要素と、チャンレンジしてはならないギャンブル的要素は分けて考えようとする社会的試みの中で生まれる。

そういう発想に立ったとき、「核密約」問題で、歴代総理の責任を追及すると何かいいことがあるのか、疑問に思うはずだ。


歴代の(自民党)政権は、国民の「知る権利」という人権を保障しないどころか、ウソをつき続けて国民の「知る権利」を侵害してきたことになる。
また、主権者国民にウソをつき続け、主権者国民を裏切った、つまり国民主権主義を実質否定したことになる。
さらに言えば、主権者国民の知らないところで密約の内容が実行されたとなると、国家主権(国家の独立性)も侵害されたことになる。


この主張から歴代首相の責任を問うのは、情緒的には意味があっても合理性には欠ける。
国民の「知る権利」を守りたいと思うなら、本来議論すべきは「どうやったら守れるか」ということであって、「守らなかった人の責任を問う」ことではない。

こういう発想は日本の中で脈々と受け継がれている。
「腹を切って問題をなかったことにする」
日本人でも納得できないけど、そういう文化が未だに根付いている。

「誰かを罰することで問題をなかったことにする」
有り得ない。
だいたい誰かを罰したところで誰も救えない。

本当に目指すべきことは、罰すべき人をつくらないことだ。

過去に何度かブログにも書いたけれど、米国の「国家運輸安全委員会」の在り方を参照しよう。
事故原因の追究によって次の事故を未然に防ぐことが最大の目的であって、人を罰することは後回しにされる。
これこそが本来あるべき姿だ。


だいたい責任追及してどうしたいのよ。
何度もいうように、核密約があるのは前から国民はわかってたよ。
「どうせ密約あるんでしょ?」という態度だった。
なぜか?
密約があることを明らかにしたら、問題に対処する必要があるからだ。
「核の傘」に守られながら非核三原則でノーベル平和賞をとり、自衛隊という世界有数の軍隊を持ちながら憲法9条を世界に誇り、日米同盟によって軍事費を抑制していながら米国を批難するのである。
そういう矛盾と立ち向かいたくないから、国民はあえて先送りを選んでいたのだ。
誰も問題を本格的に解決しようだなんて考えていない。
問題の先送りは、日本人の特技の一つだ。

もちろん、メリット・デメリットあるけれど。

河村名古屋市長の減税思想に感激する

2010-03-15 12:33:20 | 政治
最近「つぶやき」レベルのエントリが急増中です・・

河村名古屋市長の主張が素晴らしすぎる。

日本で数少ない民主主義論者で、彼の「減税」思想は鋭く本質的。

日本人が思考停止している「税」の問題を直視している。

国会議員時代の彼には全く興味がなかったが、名古屋市長就任後は俄然注目が高まります。

みんなの党のヨッシーよりも、河村たけし氏の方が本質的な行政改革ができそうだ。

市長の部屋
http://www.city.nagoya.jp/mayor/

↑リンク先は全く関係ないけど・・

民主党の自民党化

2010-03-09 20:47:54 | 政治
アゴラにもコメントしたのだけれども、次の展開は「民主党の自民党化」と思う。
派閥政治のはじまりだ。
マスコミによって作られたシナリオに見事に乗ってしまうのが民主党のアマチュアなところであり、悲しいところでもある。
支持率だって世論だって街角インタビューだって、マスコミ次第でなんとでもなるものである。
なのにも関わらず、それに乗っかって選挙に勝てないとかそういう理由で派閥争いに飲み込まれてしまうのが情けない。

自民党やみんなの党が、民主党への大きな対抗力にならない以上、民主党の分裂が最も話として面白いのである。
「小沢派vs反小沢派」の構図はいかにもマスコミが好きそうなネタである。
しかも相手は悪玉の小沢一郎と、若手の反逆児達という漫画みたいな話になる。

そもそも、小沢一郎は自民党の派閥政治(裏調整型政治)に嫌気がさして自民党を出た政治家だ。
その小沢が派閥政治を阻止させるためにも描いたのが、政府与党一元化による「権力の一元化」である。
しかし、権力を一元化しようと思えば、当然、権力の中枢から漏れる政治家が出てくる。
今であれば、民主党内で政調会を復活させようと騒いでいる人達だ。

小沢が恐れるのは、政調会のようなものが復活した場合に、そこに必ず利権が絡んでくるということだ。
小沢は、利権欲しさに幹事長室に権力を集めているわけではない。
今の民主党では、利権に飲み込まれることが火を見るより明らかなので、権力を分散することができないのだ。

これはトレードオフで、解決のしようがない。
(一つある、行政機関の仕事をリストラし、権力を小さくすることである)

ただ、緩和のしようはある。
(当ブログのいつもの繰り返しだが)
政治家の数を減らし、選挙区を拡大し、国会議員を「地域の代表」から「国民の代表」にすることだ。
行政機関の長を大統領制で選ぶでもいい。
とにかく、国の政策が地域の論理に左右されるようでは、いつになっても「国家天下を語る政治家」は生まれてこない。
地域で選ばれる政治家が、その地域に貢献することなしに選挙で勝つのは論理的に考えて異常である。
(そういう意味で、今の政治家が個別最適派なのは当り前なのである)

そうしないと、二院制の意味も出てこない。
このまま議院内閣制を維持したいなら、地域の代表の参議院と、国民の代表の衆議院に分けよう。
でなかったら大統領制にすべきである。

続きは明日・・きっと

国家システムについて議論しよう

2010-03-05 12:20:51 | 政治
あっと驚く内容はなく、非常に当り前の認識が述べられている。

日本の産業を巡る現状と課題(経済産業省)
http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g100225a06j.pdf

経済産業省は政府の一部門なわけだから、この内容は鳩山政権を後ろから刺していることになる。
しかし、一行政機関とはいえ、経済産業を担当する部門として危機感を持っており、現在の政権および一部世論に対して言っておきたいことがあるのだろう。
是非、予算委員会では、この意志を汲み取り、この資料をディスカッション・ペーパーとして与野党の議員で討論していただきたい。
国会で議論する時は、ここに書いてあることは最低限の前提として持っておかないと、もうだめだ。
もはや、社民系や共産系の空想に付き合って信念対立ごっこをやっている時ではないのだ。
万年同じ議論を繰返し、空想ばかりを振りかざし、現実的な解決策を提示しようとしない無責任な野党体質とはオサラバする時が来ているのだ。
誰が/何が正しいかなんてことを一年中繰返し、そんな中身のないことに政治的決着を求めているような連中に付き合い続けるのは、もはや時間の無駄である。

当Blogで何度も繰り返すように、厳密には、この宇宙に善悪も正誤も存在しない。
そんなものが存在するのは、我々の頭の中だけで、実際にはどこにも存在しないものだ。
我々は、自分達の都合のいいように、宇宙の相対性を利用して物語を組み立てている。
本来、善でも悪でもないものに、善や悪というラベルを貼るのだ。
その行為自体についての評価はしないが、その行為に無自覚であるとうことは、実に危険なことだ。

これも繰返し述べているが、なぜ危険かといえば、我々は「もともとない」ことをでっちあげて、「これが正しい」とか「これは悪」と決めつけて、それで人やモノを制約しようとする。
その制約が、みなにとって有益であることであるならば問題ないが、人の知性は不完全であるから、往々にして資源の最適化に失敗し、一部の人々に利益が偏ることがある。
そして、その偏りを正当化する物語をまた組み立てる。
「究極の資源の最適化」というものを人は知ることができないので、それが許されてしまう。
「どういう状況がベストな状況なのか」という問いに対して答えられるのは、地球では「神様」と呼ばれる存在だけだ。
つまり、誰にも答えられないということになる。
これが利権と呼ばれる仕組みの根本的源泉であり、信念対立が永久に繰り返される原因だ。

人が不完全であるなら、人が失敗することを前提にシステムを構築すればよい。
しかし、一部の人々に利益が偏ることがあることを前提としてシステムを構築できればよいが、これは非常に難しい。
いかんせん、「最適なシステム」は誰にも見たことがないので、システムの欠陥は、システムの有意性で覆い隠せてしまうのだ。
ある特定の機能を実現するための商品であれば、機能を実現できないことは、その目的に照らし合わせて不具合は明らかになる。
だが、我々が接している「システムの目的」は何であろうか。
これがなくして、欠陥も不具合もない。
ゆえに、我々は目の前で起きた問題について、いつも場当たり的に短期的視点でしか語れないのだ。

我々が語らねばならぬのは、「システムとは何か」「システムの目的とは何か」、そして「システムが間違った場合はどうするか」ということである。
西欧諸国は、封建制度から民主制度に変わる中で、このような過程を踏んできている。
血みどろの道を経験してきたがゆえに、「システム」を構想する必要性について比較的理解がある。
米国などは、ヨーロッパから脱出してきた人々が理想郷として作り上げた国家であるがゆえ、この思想は先鋭化している。
「構想する」「そうあるがゆえにそうある」というのが血肉化している。
もちろん、それが理想などというつもりはないが、「状況が思わしくないなら環境を変えればよい」という発想ができる。
これができるのと、できないのとでは大違いだ。
環境を変えるという大きな構想力を持たないと、大きな構造変化に対応できない。

「国家幻想論」などというものを振りかざしても構わない。
「システムなんかいらないよ」と縄文時代生活に戻るのもありだろう。
そういう意味では近代文明を取り入れずに原始的生活をしている人々は、近代生活を送る我々よりも2000年ほど先行しているのかもしれない。

なんにせよ、日本では「システム」に関する議論が足りない。
国家というシステムを棚上げにしながら議論するものだから、結局、誰もが最終的に信念対立に持ち込んで負けない議論をして平行線になってしまう。
「大きい政府」とか「小さい政府」とか、その議論の前に、根幹の「政治システム」について議論するべきだ。
専門家が議論するなら、面倒だから省略してもいいけれど、政治家の皆さんにはまだ早い。
「大きい」と「小さい」というワーディングで信念対立しているんだもの。
これは、自分だけは賢いと思う傲慢さの表れ。
「相手はこちらがわかっていることがわかっていないダメなやつらだから、言って聞かせてやる。」的な発想でしか語れない万年野党体質のアホをなんとかして欲しい。

だんだん書いていることがよくわからなくなってきてしまった。
たぶん、最初と最後で論点が変わっている気がする。
あまりにひどい文章になってきたので見直す気にもなれない。
つい昨日の参院予算委員会の政治家の皆さんの議論を聞いていて本当に情けなくなってしまったので、気持ちが高ぶってしまった。
国会議員のみなさんが事実を明らかにしようという謙虚な心もないし、どうすれば解決できるかと考えるという真摯な姿勢もない奴らが、さも「俺の言っていることは正しい。わからせてやる。」という態度になっているのが腹ただしくて仕方がない。

こうなった以上、やはり選挙区をひろげよう。
当Blog開設当初から主張しているように、地域毎に選ばれるような地域の代表である連中が天下国家を語ることが、そもそもおかしいのである。
「衆議院が国家の代表」みたいな馬鹿な議論する輩が多いが、どう考えたって「地域の代表」だろう。
天下国家を語って国会議員になることができないという、現在の選挙制度に致命的欠陥がある。
やはり、憲法を改正し、大統領制にするとともに、全法案国民投票制度に移行すべきである。
議員内閣制の方が人類の知恵の連続性が担保されるとかいう議論をしている場合ではない。
民意を直接反映しない方がいい面もあるが、それでは永久に民度は上がらぬであろう。
「国民」が「国家システム」の構成員なのであれば、国家システムの責任を負うことができるのは国民以外には存在し得ない。


同じこと何度も書くのが面倒なので全く説明不足ではあります。
また、自分のことは完全に棚上げておりますが・・。

[追記]
これなんか同じことだよね。
テーマを変える。
自分達が作ったシステムなのに、無自覚に取り込まれたらだめですよってことです。

チームの人を活かすということ(My Life in MIT Sloan)
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/234c301ea8bbb80129ec2aa86f9b742d