粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

グータラ左翼の子守唄

2015-02-13 21:00:37 | プロ市民煽動家

今週、ある言論人たちの「声明」が世間の耳目を集めた。

政権批判を自粛する空気が社会やマスメディアに広がるのを危惧する」 作家や映画監督、ジャーナリストら言論人が「声明」を

ISIL(イスラム国)」による日本人の人質殺害事件が発生して以来、現政権への批判を「自粛」する空気が社会やマスメディア、国会議員に広がっていることを危惧するとして、作家や映画監督、ジャーナリスト、音楽家など、表現活動にたずさわる人々が2月9日、「翼賛体制の構築にこうする言論人、報道人、表現者の声明:を発表した。 

声明には、映画作家の想田和弘さんや社会学者の宮台真司さん、憲法学者の小林節さん、元経産官僚の古賀茂明さんのほか、音楽家の坂本龍一さんや映画監督の是枝裕和さん、さらに孫崎享さん、平野啓一郎さん、香山リカさん、内田樹さん、森達也さん、吉田照美さんら、多数の「表現者」が名を連ねている。その数は1000人以上にのぼるという。

宮台真司、坂本龍一、孫崎享、香山リカ、内田樹といった顔ぶれを見れば、彼らの言わんとしている主張が想像できる。原発問題で一時名を馳せた「反原発長者」たちである。賛同者に吉田照美やおしどりマコといった普段ならとても言論人といえない人物も名を連ねているのはお愛嬌というべきか。

反原発の嵐が沈静化したと思ったら今度は、秘密保護法や集団的自衛権に容認といった安倍内閣の政策にことごとく反対する。そして、憲法改正へ邁進しようとする安倍政権は「戦争できる国」へ向かう危険な政府と映る。国民の自由が奪われて戦前の暗黒時代が再現される。彼らのそんな危惧は「翼賛体制」という表現に如実に現れている。安倍首相が日頃唱える戦後レジームからの脱却への強い警戒感である。

ただ、今回の表明では、何も安倍政権に抗議しているわけではない。あくまでも「現政権を批判を自粛する「空気」に対して言っているのである。具体的には自分たちがテレビや新聞、あるいはネットで発言するとこれに批判的な反応がネットを中心に沸騰する状況に対してだ。いわゆる炎上だ。

彼らからすると自分たちの政権批判を面白く思わないネット世論が圧力をかけて「自粛」を強要しているように思えるようだ。特に今度の日本人人質事件はそれが露骨にでていると感じている。

たとえば古賀茂明元経済産業省官僚

今回は、私が『報道ステーション』で『I am not Abe.』と言ったのがいけなかったと思う人がいるようで、数日前に、神奈川県警から二人の巡査部長がきて、『古賀さん、危ないから、警備を強化させていただきます』と言われた。『どんなささいなことでもいいから、おかしいと思うことがあれば、すぐに電話をしてくれ』と。 

そういう意味で、私はいろいろなことを敏感に感じているが、いまは相当に危機的な状況に立っていると思っている。

報道ステーションの古賀氏の発言が世間の厳しい批判を浴びたようだ。放送局には抗議電話が殺到してネットでも激しい批判が渦まいた。自分自身も当時彼の発言をテレビで視聴して非常に不快感を覚えたことを記憶している。自分からすればイスラム国のテロよりも安倍政権を批判する内容だった。古館キャスターもその発言を受けてこれが古賀氏の個人的な意見だということを強調していた。

こんな古賀氏の発言が全国ネットで流れてこれに対する批判が集中するのも致し方ない。彼は比較的高い視聴率を取る番組で出演してそれになりのギャラをもらっている有名人である。だから、その発言にはそれなりの責任を負うことは当然である。もちろん、古賀氏を脅迫するような行為は決して容認できない。ただ、彼の発言にネットで反応すること自体は、当然予想ができるものであって、それを自粛の圧力と決めつけるのはおかしいと言わざるを得ない。

自分自身も、以前反原発派を批判する記事をブログで書いて炎上したことがあった。普段の何十倍のアクセスがあったが、コメント欄を見ると全て自分の記事を批判する内容ばかりであった。酷いのは「工作員」呼ばわりするものもあった。自分のようなしょぼいブログが炎上するのだ。有名人でメディアで発言してそれなりのギャラをもらっている人間がネットで批判を浴びることはあってもおかしくもないし、それは当然の結果と考えるのが普通ではないか。

それを「政権批判を自粛する空気」などとさも被害者のように訴えるのはお門違いではないかと思う。厳しい言い方をすれば、彼らの主張は世間では評価されず、独善的に見られているともいえる。あるいは世間の常識を逸脱した非現実的で日本の国益を害する発言と見なされているかもしれない。

言い方を変えれば、彼らは現憲法を金科玉条のように妄信してきたいわば戦後レジームの受益者といえるだろう。しかし、今や日本を取り巻く環境はそんなぬるま湯を許さぬほどに緊張の度を増してきている。戦後レジームが今や音を立てて崩れようとしている。

こうした表明をする人々は思うに、あの悪名高い進歩的文化人の亜流でないかと思える。進歩的文化人は冷戦の集結でその存在意義を失った。そしてこの亜流は、今日のテロ戦争の激化で無力感を露にしている。平和憲法の世界愛ではどうしようもないところまできているのだ。

こんな日本的なリベラリズはそんなお花畑の精神であって、もはや世界の熾烈な現実には無力でしかないのではないか。いわば「グータラ左翼」といってよい。彼らの主張はまるで子守唄にように聞こえる。昔、中原理恵という歌手が歌っていた「東京ららばい」という曲を急に思い出した。

♪だから死ぬまでないものねだりの子守唄