粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

ラーメン店の生存競争

2012-08-26 11:41:58 | 一般

自分の住まいはJR線京浜東北線蕨駅から徒歩12、3分の所にある。都心から電車で30分とアクセスもよいが、それでも駅前通りはシャッターが閉まったままの店が最近目立ちいわゆる「シャッター通り」になり兼ねない状況だ。それも駅から離れるに従い、度合いがひどくなってくる。

特に飲食関係の店の不振が際立っている。やはり長い外食産業の構造不況がその根底にあるだろう。特にラーメン店は駅から自宅までここ数年前まで5店舗あったが、今は3店舗に減ってしまった。残っているのは駅前の1店舗と駅から遠い1店舗、そしてその中間の1店舗だ。しかし中間の店舗は残っている店のうちで最も客足が悪い。

不振の中間の店と、閉店した2店すべてが食券を買う店であるのも何か示唆的だ。これらの店は入る時も出るときも元気な掛け声がない。厨房にいる店主は、ラーメンを作ることに気をとられていて、接客まで頭が回らないようだ。

やはり飲食店の基本は接客であることが頷ける。駅前の店はチェーン店で、接客するアルバイトの挨拶が活気に溢れている。一方、駅から遠い店は夫婦で営業していて奥さんの愛嬌ある声が響く。やはり後払いでお店側とお客が声を掛け合うのが、食事の流れとして自然であり、客は店を出たときに「食後感」に満たされる。

後は勝負するとしたら、価格と満腹感であろう。駅前の店は単価500円からで安さが売りである。チェーン店だからできる価格設定であろう。反面夫婦のラーメン店は最低700円からだが、そのボリューム特に具の量はほかの店の1.5倍位ある。また容器もこれまた大きく重いため、まるで食材が2倍あるかのような錯覚を覚え、満腹感いっぱいだ。

最近のラーメン店に入って不満に思うのは分量の少なく満腹感を味わえないことだ。都内の有名店に入ると余計意識する。その名声に胡座を書いているのではないかと不快に思うこともある。

夫婦で営業している店は、店名を冠した独自のラーメンがあり、それがお店の人気メニューになっている。夕方からの営業だが、腹をすかした若い男たちや家族連れがひっきりなしに訪れる。店の奥にあるテレビを見ながら常連客同士が他愛のない会話をかわす。時に店主の旦那やおかみさんの愛嬌のある応対がはいる。街の日常として、店そのものがすっかり刷り込まれているのも強みだろう。