粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

朝の公園

2012-08-20 13:09:38 | 一般

こんなに朝早く、野外を歩くことも久しぶりだ。自宅から1キロほどの市民公園まで散策してみた。まだ早朝でも30度近い暑さで、少し歩くと汗がにじみ出る。しかし頬に当たる風は、秋の気配を感じさせるほどにさわやかなのには驚く。

紺碧の空には白い綿雲、中には入道雲も見える。色のコントラストがくっきりして、どこかメルヘンチックだ。まるで人形劇の背景のようにも見える。あるいは西遊記に出てくる孫悟空のきんとう雲か。

公園に近づくにつれて緑が増えてくる。小中学校を仕切る道は緑のアーケード、それをすぎると公園だ。このあたりまでくると、蝉の鳴き声が激しさを増してくる。今年は全般的には蝉が少ないと聞いていたが、とてもそんな感じはしない。まるで過ぎゆく夏を惜しむように、様々な音色の混成大合唱だ。しかしその騒がしさが心地よく感じられるのが不思議だ。

空気がおいしい。いやおいしい気がする。実際のところはよくわからない。ただおいしいと思う気持ちが大事なのだろう。木陰は驚くほどの涼しい。自然のクーラーなどとよくいう。この公園には、それを実証するような自然の魅力がある。首都圏のおよそありふれた公園なのに。

早朝なのに公園は驚くほどに人が多い。犬と散歩とする人、公園の周回してジョギングする人、そして中央では20人ほどの人たちがが太極拳をしていた。人々の顔をよく見ると、ほとんどが中高年ばかりなのに気づく。高齢者が大半だといった方が正しいかもしれない。自分もその一人になりつつある。

日頃の怠惰な生活から離れて、久しぶりにリフレッシュできた。この年でネットの世界にどっぷりと浸かるのも考えものだとも思う。ただ市民公園もいいが、この高齢者の多さ!すこし複雑な気持ちになってくる。