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中排気量最強!NSR250R-MC28。(番外編vol.574)

2014年07月18日 10時10分20秒 | Weblog
それまでのMC21型と変わり1993年に登場した4代目「NSR250R-MC28」は、

今なお国産250ccクラス最強と言っても過言じゃないです。

その理由としてはPGMメモリーカードと呼ばれるカードキー。

このカードキーは公道用とサーキット用に分かれてて、

競技専用のPGMメモリカードを使用することで、

エンジンの特性を簡単に変更することが出来たんですよね。

元々、優れクランクケースリードバルブの水冷2ストローク90°V型2気筒エンジンに、

出力特性を制御するコンピューターのPGMとの組み合わせは抜群で、

ライバルのヤマハTZR250RRやスズキRGV250ガンマより一歩先を行くものした。

足回りもガルアームから片持式スイングアームである「プロアーム」へ変更され、

よりチャンバーの張り出しを押さえる事も出来ていました。

ほぼ完璧じゃないでしょうかね。

リミッターの解除と吸排気の交換で、そのままレーサーバイクとして使えるものでした。

デザインも当時のGPマシンだったものに近いく、カッコ良いいですしね。

ただ、残念なことにこの「NSR250R-MC28」が登場した頃は、

既にレーサーレプリカが衰退しはじめていたので、

性能とは裏腹に販売に関してはあまり売れませんでした。

最終的にはカラーリングや若干の変更を繰り返しながら、

1999年で生産中止となります。

しかし、現在では高性能な2ストバイクとして中古市場で高値で取引されており、

中には新車時の価格を上回るものもあったりします。

まさに性能の再評価ですね!


空冷最速のネイキッド、XJR400。(番外編vol.573)

2014年07月17日 09時14分52秒 | Weblog
1989年のカワサキ・ゼファー400の登場で状況が一遍した4スト400ccに、

ヤマハが満を持して送り出したのがこの「XJR400」です。

1993年のことでした。

ゼファー400同様、空冷式エンジンを搭載していましたが、

こちらは当時の最新設計で4気筒DOHC4バルブ、最高出力は53psでした。

空冷式とは思えないほど安定したエンジンで、

さすがヤマハといった感じでしたね。

この「XJR400」でヤマハが目指したのは「空冷最速のネイキッド」。

まさにその通りのバイクでした。

ライバルはゼファー400やCB400SFでしたが、

後発だったこともあり、一番仕上がりが良かったと思います。

デザインはかつてのXJ400がベースとなっており、

途中生産されたものには同じカラーのタイプもありました。

最終的には2008年の新しい排気ガス規制により、生産中止となってしまいすが、

ヤマハの400ccクラスの中ではSR同様に人気車種でした。

大型モデルの1.200cc版もありましたが、

注目はやはりこちらの「XJR400」でした。

かなり売れたのですが現在中古市場では今なお高額に取引されており、

人気モデルとなっています。

特に2001年以降のマイナーチェンジされたものが高いようですね。


数で勝負!GSXシリーズ。(番外編vol.572)

2014年07月16日 09時22分47秒 | Weblog
90年代、400ccクラスでのネイキッド話が続きますよ。

1989年に登場した正統派ネイキッドの代名詞となるゼファー400を皮切りに、

各社から同じコンセプトでの車種がどんどん登場します。

中でも一番このジャンルに車種を投入したのがスズキでした。

1989年の「バンディット400」を皮切りに、1990年に「GSX400Sカタナ」、

1994年には「GSXインパルス400」、1999年は「イナズマ400」を送り出しています。

すべて共通の水冷式4スト4気筒DOHCエンジンを搭載しているのですが、

それぞれに特性を持たせるため若干、味付けを変えています。

特に「バンディット400」は後に可変バルブ機構を搭載したVモデルも登場し、

このジャンルでは大きなシェアーを誇ることになります。

方や「GSX400Sカタナ」に関しては最初に登場して、

伝説的となっていたGSX1100Sカタナの400cc版ということで、

たくさんの好評価を受けると思いきや、

なぜか偽物扱いされイマイチ人気は上がりませんでした。

また「GSXインパルス400」に関していえば、

正統派ネイキィットの最後に登場したモデルとなっていますが、

ゼファーやCBフォアーやXJRに比べ取り立てて特徴がなく、

初代モデルのインパルスを彷彿させるほどのことにもならなかったので、

これまたイマイチな車種となってしまいます。

「イナズマ400」に関してはこんなバイクあったっけ?レベル。(笑)

結果「バンディット400」のみが脚光を浴びるカタチにはなってしまいますが、

ここのジャンルで成功させたいスズキの思いは伝わってきてましたね。

とにかく数で勝負って感じですね!


絶対に売れるわ!CB400SF。(番外編vol.571)

2014年07月15日 10時21分40秒 | Weblog
昨日の引き続き状態ですが、CB-1の失敗を受けて、次に登場するのが、

このホンダ「CB400スーパーフォア」です。

1992年のことです。

1989年に登場したカワサキ・ゼファー400の大成功をみたホンダは、

これと同じコンセプトで「CB400スーパーフォア」を送り出します。

イメージはかつて人気を博したCB750FとCBX400Fを融合したようなデザインで、

絶対に売れるバイクとして登場します。

また、この時点ではまだヤマハのXJR400が登場していなかったので、

ライバルはゼファー400のみ。

しかもゼファー400は売られて4年ほど経っていて、

性能的な部分で若干、不満を感じ始めてい頃で、

ユーザーにとっても、ちょうど良いタイミングでありました。

ゼファー400の空冷式2バルブエンジンはGPZ400から流用さてたモデファイで、

設計が古かったのに比べ「CB400スーパーフォア」は、

最新設計された水冷式4バルブエンジンを搭載。

走りでは完全に上をいってましたし、ホンダらしい乗りやすいバイクでもあったので、

予定通り、たちまち人気車種となります。

まぁ、ホンダの狙い通りになった感じですね!

時期をづらして1.000ccモデルも登場しますが、

主役、売れ線はやはり「CB400スーパーフォア」だったです。

これぐらい、うまい話はないですね。

カワサキが売れるカテゴリーを作ってくれて、そこにうまく乗っかるだけ。(笑)

だた、現在も「CB400スーパーフォア」は唯一新車で売られています。

この長寿に関しては想定以上の結果だったですね。


方向違い、CB-1。(番外編vol.570)

2014年07月14日 09時25分19秒 | Weblog
80年代も後半を迎える頃になると、それまで脚光を浴びていたレーサーレプリカも、

ある程度究極の領域に近づき、どことなく先が見えて来たことから、

新たなジャンルとして、カウル無しのネイキッドモデルに注目が集まり始めます。

そのタイミングでコンセプトを一新して登場したのがカワサキ・ゼファー400でした。

で、それと同時期にホンダから販売されたのが「CB-1」だったんですよね。

1989年のことです。

かつてのZシリーズを思わせるゼファーと「CB-1」とは同じネイキッドでも、

コンセプトがまるで違っており、世間はゼファーに軍配をおろします。

峠を攻める時代も次第に終焉を迎え、

ノスタルジーながらも最新の足回りを持ったゼファーが次の時代を担うこととなります。

「CB-1」の敗因は、あくまでレーサーレプリカのカウルレスだったこと。

街乗りとして味付けを変えてはいたのですが、

フレーム構造など、デザインが中途半端だったんですよね。

全体的な性能はゼファーに比べ勝っていたのですが、売り上げでは大差をつけられ敗退。

1992年に登場するゼファーと同一のコンセプトのCB400SFを待つ事となります。

振り返ってみれば、まさに方向を間違っていましたね。

「CB-1」のようなレプリカテイストを残したバイクは求められていなかったことになります。

ホンダは車種を多く持ってるので、こういった失敗が時々起こります。

同じテイストのV型エンジンを持ったブロスがあったので、

「CB-1」は悲しいかな完全に失敗作ですね!(笑)


短命!GSX-R250。(番外編vol.569)

2014年07月11日 10時18分42秒 | Weblog
かつて、2ストに比べて遅れをとりながらも進化を続ける250ccクラスの4ストレプリカ。

それが80年代中盤から徐徐に勢いづいていきます。

各社がスパルタンなレーサーレプリカを排出する中、

1987年、スズキもついに「GSX-R250」を送り出します。

当時のスズキは400ccでGSX-R400が戦陣を切って販売されてたこともあり、

期待の登場ではあったのですが、どこか不格好なデザインでした。

同時期に登場したホンダCBR250RやヤマハFZ250Rに比べ、

何となくカッコ悪く、性能とは裏腹に不人気車種となってしまいます。

エンジンは水冷式4スト4気筒DOHC4バルブで、

最高出力は当時マックスだった45ps。

一番の売りはクロスミッションで、これは当時盛んだった

SP-Fレースのベース車両を考慮して採用されたようです。

まだまだ峠ブームのまっただ中にあって、

1989年に生産中止。

最後に「GSX-R250R」という足回りをより強化したモデルを登場させますが、

人気カテゴリーだったにも関わらず、たった3年で姿を消す事になってしまいます。

他のメーカーはどんどん進化させながら90年代中盤まで生産していたことを考えると、

かなり短命に終わったことになりますね。

エンジンはその後の人気車種になるバンデット250などに流用されますが、

決定的な敗因は何だったんでしょうかねぇ。(笑)


すごいぞ!RG250ガンマ。(番外編vol.569)

2014年07月10日 09時07分31秒 | Weblog
ヤマハRZ250の出現を受けて250ccクラスの速さを追求する方向は確実なものとなり、

このスズキ「RG250ガンマ」の登場でそれが明確なものになります。

1983年に登場したこの「RG250ガンマ」は、

それまでのバイクから大きく進化をとげたもので、

16インチのホイール、アルミフレーム、アルミステップ、

超軽量な水冷式2スト2気筒エンジンなど、

すべてが吐出していました。

また、最高出力も250ccクラス最高の45psを初めてマーク。

同時期に登場したヤマハRZ250Rを遥かに凌ぐものでした。

今でもスズキは常に速さを求める部分で他社を圧倒する傾向にありますが、

すでにこの時代から、それはあったんですよね。

くさび形の車体デザインは好みの分かれるところですが、

フルカウル仕様があったことや、セパレート式のハンドルも、

当時、RZ250Rに乗っていたボクからするとお宝だらけでした。

完全に戦闘力は上だったですね。

特に驚いたのは、タコメーターが3.000回転以下を示していないこと。

これで低速を完全に無視した市販車ですと伝えたかったことがよく分かります。

さらに社外品も多く発売されてて、見た目が完全なレーサー仕様にも出来ました。

友達が乗っていた六甲山仕様は、ガンマと分からないほどでした。

悲しいかなマイナーチェンジンを繰り返すうちに、

どんどんダサくなっていくのですが、とにかく初期モデルはとても良かったです。




あったあった、CBR250FOUR。(番外編vol.568)

2014年07月09日 10時25分14秒 | Weblog
80年代初頭、オートバイに速さを追求し始めた時代、

4ストの250ccクラスも次第に進化をとげ始めます。

まず最初に登場したのがヤマハFZ250フェーザー。

1985年のことで400ccにあったFZ400Rの250cc版として大注目を集めます。

で、その1年後の1986年、このホンダ「CBR250FOUR」が登場するんですよね。

それまでにあったVT250FではFZ250フェーザーに対抗出来ないとされ作られたモデルです。

しかし、世間の完璧なレーサーレプリカを求める声に答えるものではなかったので、

「CBR250FOUR」は、たった1年間の販売で生産終了し、

次のCBR250Rにバトンタッチすることになります。

当時の250ccに関して言えば、

レーサー系は2サイクルにゆだねられていた感があり、

4ストは「クォーターマルチ」というジャンルで人気を博していたんですよね。

スズキのGS250FWやVT250Fがそののジャンルに当てはまります。

「CBR250FOUR」も「クォーターマルチ」に属するバイクでしたが、

素性はレーサー系に近い存在でした。

ただ、残念ながらあっと言う間によりスパルタンな

レーサーレプリカが求められるようになったため、

変更を余儀なくされた感じです。

エンジンは水冷式4スト4気筒DOHC4バルブとかなり高性能なものが搭載されており、

アルミフレームやキャストホイールなど、装備もそれなりでした。

エンジンは1996年に登場するホーネット250にも搭載されているもので、

かなり出来の良いものだったんですよね。

ある意味、次のニーズを的確にキャッチ出来なかった残念バイクですね!



免許の取得。(番外編vol.567)

2014年07月08日 08時49分09秒 | Weblog
限定解除から大型バイクの免許に変わって教習所での免許取得が可能になり、

やっと簡単に大型バイクの免許取得がとれるようになりました。

かつて難関試験を何度もチャレンジし、

大変な思いで取得してた限定解除という制度は無くなり、

とても良くなりましたよね。

自動車やオートバイの免許は国家資格なので、

違反せず、ちゃんと更新していれば無くなることはありません。

それだけに時代の移り変わりで矛盾が起ってた状況だったりもします。

過去にさかのぼりオートバイの免許取得に関していえば、

かなり唐突な変化があったことが分かります。

ボクの父親の時代は小型自動車というカテゴリーがあって、

この免許を取得すればオートバイ免許は大型まで含め、

勝手について来たという時代もあります。

その後、自動車とオートバイの免許は別で取得するようになりますが、

まだ排気量規制はなく自動二輪車という免許を取得すれば、

何でも乗れた時代もあります。

今のような原付、小型、中型、大型という排気量別に免許が分けられたのは、

1975年の10月1日から。

ここからオートバイの免許取得は面倒くさくなっていきます。

ボクが10代の頃はすでに、

10代での中型免許取得は小型バイクを半年以上乗ることが義務づけられてて、

飛び越えて上の免許を取得することが出来なくなっていました。

ボクはそのギリギリで中型を取得したんですよね。

それだけに運転する自信がないと言ってたオヤジの限定解除免許が羨ましかったものです。

オートバイの進化と共に変化してきた免許の法律ですが、

最近になってやっと大型まで取得した人たちに言わせれば、

かつて簡単に取得出来た時代が羨ましくもありますよね!




ホンダ・MBX50。(番外編vol.566)

2014年07月07日 10時15分39秒 | Weblog
1980年あたりを境にバイクはレーサー志向の強いものへと移行するのですが、

原付の世界でも同じ流れを受けるようになっていました。

スクーターとは違う走りを求めたバイクが登場し始めるのですが、

その中でも当時、圧倒的人気を誇ったのがこのホンダ「MBX50」です。

人気の要因は車体の大きさとデザイン。

見た目がCBX400に似てる事から「50のCBX」とも呼ばれていました。

ボクにとってこの「MBX50」は生まれて初めて乗ったバイクです。

16歳の高校生で、残念ながら無免でした。(笑)

とは言っても山奥の大田舎に住んでた友達が持ってて、

林道を走ったという程度ですけどね…。(笑)

とにかく、自転車しかそれまで乗った事がなかったので、

感動的でした。

エンジンは水冷式2スト単気筒で最高出力は7.2ps。

6速のシフトチェンジが搭載されてて100km近いスピードが出せたんですよね。

規制が厳しくなったことで途中、パワーダウンしてしまいますが、

学校の目をかいくぐって原付を頑張って乗れるかどうかという状況の中では、

まぶしい存在だったです。

とても羨ましかったですからね。

ボクにとってはかなり懐かしいバイクです。