思い出のノーサイド

カメラがつなぐパス ラグビーを撮り続けて

9/29神戸製鋼コベルコスティーラーズVS宗像サニックスブルース・後半

2018-10-12 01:14:30 | ラグビー・思い出話

笑い声


ここは札幌


空が祝福  札幌・月寒ラグビー場

9/29トップリーグ、神戸製鋼コベルコスティーラーズVS宗像サニックスブルース・後半です。
結果は69対5。神戸製鋼コベルコスティーラーズが勝利しました。

会場でアナウンスがあったのですが、今年、札幌月寒ラグビー場は新設されてから30周年を迎えたそうです。
国体に備えて作られたラグビー専用の競技場。はまなす国体開催時、私はフィルムカメラ「キヤノンF-1」に
80-200ミリのズームレンズをつけてスタンドにいました。現在は70-200、当時は80-200です。
70-210というレンズも出ており、高画質・高価格は80-200でした。
弟のラグビーを撮るため競技を学んでいた時期です。早いものですね。

神戸製鋼コベルコスティーラーズが初めて月寒で試合をしたのは1995年5月28日。
阪神大震災があった年です。北海道招待で明治大学と対戦。地元HBC放送のテレビ中継がありました。
私はVHSビデオで録画。ジャージ姿で走っている姿がちらっと入り、弟に笑われました。

専門誌のカメラマンさんが正面玄関に横付けしたタクシーから大きなレンズを取り出すのを見て
「さすがプロ。」と目を奪われた記憶があります。

その時は北海道協会から報道の腕章を許可されていたので、ピッチで撮影し、作品は後日両チームに送り
写真展の展示作品にもなりました。1998年東京・JCIIクラブ25で開催した「思い出のノーサイド2」です。

宗像サニックスブルースが初めて月寒で試合をしたのは2003年9月。トップリーグ元年。
月寒のトップリーグ初試合は、宗像サニックスブルースとリコーブラックラムズの試合でした。
宗像サニックスブルースは2003年当時は福岡サニックスボムズの名称で活動していました。

その時もピッチで撮影し、作品を両チームに送り写真展の展示作品にもしました。
2003年札幌・サッポロファクトリー内の催事場、アマチュア限定6日間貸し出しで
10万円の格安料金で借りることができました。「思い出のノーサイド3」です。

まだ地震の影響が残る北海道を「ラグビーで元気にしよう!」とお力になってくださった皆さんに感謝し
この日の作品がギャラリーで再び輝く時を信じ、撮影を重ねてゆきます。

赤ジャージ 神戸製鋼コベルコスティーラーズ  紺・水色ジャージ 宗像サニックスブルース













































祝 100試合出場


祝 地元スタメン


ハイタッチの長い列


皆さん大喜びでした

撮影協力:ベースボール・マガジン社 ラグビーマガジン