eつれづれ管理者(66kV特高変電所、技術者)

電気の出来事を技術者向けに適宜up中。
質問等はコメント欄にて。

国民裏切り三文役者の野党議員か

2015年07月17日 | eつれづれ
プラカードを掲げるぐらいなら、議員辞職せよ国民を裏切ったのは政府ではなくお粗末な野党だ「採決拒否」に国会議員の資格なし
安全保障関連法案の採決で議会制民主主義を踏みにじったのは、だれなのか。左派系マスコミは政府与党であるかのように報じているが、そうではない。採決を欠席した野党である。お粗末な野党のおかげで、政局の潮目はまた変わった。
7月15日の衆院特別委員会室は、まるで街頭デモのようだった。民主党議員はプラカードを掲げて委員長席を取り囲み「反対、反対」と大声を張り上げた。維新の党の議員は自分たちが提出した対案を否決されると、さっさと退席した。
翌16日の本会議では民主、維新、共産、生活、社民の野党5党がそろって採決を欠席した。ここに野党の未熟さが如実に表れている。彼らは「採決を拒否する」という行為が、いったい何を意味しているか、分かっているのだろうか。
議会制民主主義の下で国民が国会議員を選ぶのは自分たちに代わって国会で法案を審議し、最終的に採決してもらうためだ。なかでも採決はもっとも重要な国会議員の仕事である。それをサボタージュするのは、自分を選んでくれた「国民に対する裏切り」にほかならない。
野党議員たちは「自分が議員でいられるのは、国民が自分に1票を投じてくれたからだ」という議会制民主主義の根本原理を無視している。自分の選挙では国民に投票を呼びかけながら、いざ国会で国民に代わって投票しなければならないときに、投票するのを拒否したのである。
国民はそんな議員に仕事を続けてもらいたいと思うだろうか。私はまったく思わない。ずばり言えば、採決を拒否した野党議員は国会議員である資格がない。採決に応じないなら、辞職すべきである。もっとも肝心なときに、国民の代理人たる役割を果たしていないからだ。
なぜ「議員辞職」をしなかったのか
野党議員は採決拒否戦術ではなく、潔くそろって全員が「国会議員を辞職する」という戦術を考えなかったのか。野党がそこまで腹をくくって抵抗したなら、もしかすると局面は変わったかもしれない。採決に応じない代わりに、国会議員を辞職する。それは議会制民主主義の原理に沿った最大限の抵抗である。
だが、野党は腹を決めるどころか、そんな抵抗戦術などチラとも頭をかすめなかったに違いない。彼らは自分たちの議員バッジと既得権益は絶対に守ろうとする。それでいながら、仕事は放棄したのだ。所詮は事前に決められた役割分担に応じて、国会で安っぽい三文芝居を演じただけだ。
ある女性の野党議員は「私の祖父は戦争で死んだ」と涙混じりにカメラの前で訴えてみせた。テレビドラマさながらのお涙ちょうだい芝居を見せられた国民はシラケかえったに違いない。
今回の出来事は民主主義原理の根本を問うている。そんな本質を見極めないで「強行採決の暴挙」などと報じている左派系マスコミも、まったくトンチンカンとしか言いようがない。記者や論説委員は採決欠席こそが民主主義に対する最大の暴挙だったと思わないのか。
採決欠席を批判しないのは、国民が選挙で棄権するのを容認するのと同じである。選挙で国民に投票を呼びかけておきながら、国会採決で議員が投票を拒否しても批判しないマスコミは二重基準どころか完全に思考が停止している。
そういえば、同じ左派系マスコミは昨年の解散総選挙でも「解散に大義はない」と批判していた。国民に選択権が委ねられた選挙こそが民主主義の根幹と理解していなかった。今回も頭の中身、発想はまったく同じである。
彼らも野党と同じく先に反対ありきで「どうせ負けるなら選挙や採決などどうでもいい」と本心で思っているのだ。左派系マスコミとは、その程度なのである。

こんなのでは安倍さんヤリホーダイでも野党の議席など増えず、ますます沈没するだけ国民もアテもしないと大方予想がつくが先の与党でのウソつき民主は全く政権担当能力無しを露呈、今回、支持率低下となっても自民イヤになったので次回の選挙は野党に入れマスなどと言うノーテンキな人はいない現実...もうパフォーマンスだけの野党、政権担当能力0とバレたので自公の連立独裁となるが致し方なく国民は民主政権などに戻るのは、もうコリゴリなのだ。




沢山ある安保関連法案

2015年07月17日 | eつれづれ

町の意見など良くテレビに出るが大部分、反対意見ばかり公平中立では無い報道と言われているが...そもそも難解な法で丁寧に説明を、これからもすると言われても国民、学者の頭持ち合わせてないので到底理解など出来ない。反対.反対も良いが、中国台頭、北他、世界も変わってきた日本だけ、ノーテンキに、お花畑でノンビリでは残念ながら済まされない様だ。



白紙となった深刻立競技場

2015年07月17日 | eつれづれ

新国立競技場の建設計画 「白紙撤回」は安倍首相自らの判断
新国立競技場の建設計画について、安倍首相が白紙撤回を表明した。
このタイミングでの表明について、政治的思惑もあるのではないかという指摘も、少なくない。ある政府関係者は、建設費の高騰の問題は、長引くほど、どんどん批判が強まると述べていた。安全保障問題で内閣の支持率が下がる中、安倍首相は、週内の決断、そして白紙撤回するという強い言葉が必要と、首相自ら判断したものといえそう。
安倍首相は、16日夜も、オリンピック組織委員会会長の森元首相と与党議員も交えて会談するなど、17日、森元首相の了解を取りつけるにあたり、事前の接触を進めていた。
森元首相は「(どんな話をしたのか?)そういう話を、皆さんにする資格はない」と話した。
森元首相は、組織委員長として、政財界、またスポーツ界まで幅広い人脈を持っていて、安倍首相としては、競技場計画の撤回にあたっては、森氏の了解を取ることが不可欠と判断した。また、ある別の政府関係者によると、建設費の高騰をめぐる責任問題は、責任者が不在の構図になっていると指摘した。
今回、安倍首相が自らの判断と責任で、見直しを決定して発表するというスタイルの形が取られた。そして、もう1つ大事なポイントは、「白紙ゼロベース」というもの。
首相周辺は、今週前半の段階では、計画の見直しというのは腹は固めていたものの、設計事務所との折衝がうまくできていなかったこともあり、「白紙」と表現するには、最後、この数日での、首相の決断だった。
新たなコンペを今後、行ったとしても、オリンピックに間に合うという確約を取ったことで、最終的に首相が言葉を選んで、今回の決断をしたというもの。

真ん中の建物は白紙となり幻のデザインとなったが安倍さん、今回のリーダーシップを発揮して支持率UPするのか。