二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

ワーストか、維持か。

2018年12月15日 16時00分55秒 | ニ言瓦版
不思議だ、なんで、12月の頭に、終らせなかったのか。
誰か、12月に見るのか。
それは、視聴率は、悪いは。
今日の再放送の「ちこちゃん」のが、上かもしれない。
年の瀬の言葉は、面白かった。



「NHK大河ドラマ「西郷どん」(総合よる8時)はあさって16日(2018年12月)が最終回で、西郷隆盛は薩摩・城山に追い詰められ自刃する。主役の鈴木亮平をはじめ、これ以上はちょっと考えられないというような豪華な出演者を揃え、それぞれに見応えはあったのだが、ドラマとしては全体の印象が薄く、視聴率はみじめなものだった。
 
全47話通しての平均視聴率は12・7%前後で、「花燃ゆ」(2015年)の12・00%、平清盛(2012年)の12・01%に続くワースト3位となってしまった。よく知られた西郷隆盛が主人公だけに、幕末・明治維新の歴史の新解釈が期待されたが、前半は女性遍歴のメロドラマ、後半は権謀術数の駆け引きばかりで、歴史ドラマとしてのダイナミックさに欠けたのが、いまひとつ盛り上がらなかった原因か。
来年の「いだてん」はクドカン以下『あまちゃん』スタッフ再結集
 
来年の「いだてん~東京オリムピック噺」は、中村勘九郎、阿部サダヲのダブル主演で、オリンピックに初めて出場した日本人、東京にオリンピックを招致したした男を描く。
 
オリジナル脚本の宮藤官九郎、劇中音楽の大友良英をはじめ、チーフ・プロデューサー、チーフ・ディレクターもNHK連続テレビ小説「あまちゃん」のスタッフだ。オリンピックの知られざるエピソード、クドカン流くすぐりも満載で、低調大河を盛り返せるか、注目である。」




あんなに、他の視聴率のいい、番組が、NHKには、多いのに。
大河ドラマで、最終回も、酷い視聴率だろう。

あさが来た、再放送の大河ドラマの時間に、すると、面白いのに。
夕方、4時では、勿体ないことだ。

「あまちゃん」でもいい。
日曜のサザエさんの後に、再放送すると、凄い視聴率かもしれない。


「「花燃ゆ」(2015年)の12・00%、平清盛(2012年)の12・01%」より、酷いか、おなしようなことか。
問われるは、俳優、女優も惨めだ。


ワーストの大河ドラマにならないこと、祈りたい。



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これから、風呂敷の時代。

2018年12月15日 15時25分35秒 | ニ言瓦版
これから、必要なこと。
マイバック。




「2025年までにプラスチック製のレジ袋やストロー、食器の使用をやめた上、最終的には使い捨てプラスチックの全廃を目指す戦略を各国がつくる、などとする国連環境計画(UNEP)の閣僚宣言案が15日、明らかになった。国連加盟各国の環境相らが参加し、来年3月にナイロビで開く第4回国連環境総会(UNEA4)での採択を目指す。
 レジ袋を有料化し、プラスチックごみ排出を30年に25%削減するとした日本の環境省の「プラスチック資源循環戦略案」より大幅に踏み込んだ内容。日本政府は宣言案を受け入れるかどうかなどを巡って難しい対応を迫られそうだ。」



昭和の初期、終戦後と、同じ。
風呂敷の時代、風呂敷を多く、持つ行けば、解決。
これから、風呂敷か、Dパック。時代。


そういえば、相棒で、風呂敷の事件、あった。
ころから、風呂敷と、ストローは、使わない生活。
マイ ストローか。
マイ箸・ストローと、マイバックの時代。

そして、風呂敷。

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管理は、大変だ。

2018年12月15日 15時15分27秒 | ニ言瓦版
流出か。
680万は、凄い。



「世界最大の交流サイトを運営するアメリカのフェイスブックは14日、ソフトウエアに欠陥があったため、最大で680万人の利用者の写真が外部に流出しかねない状況にあったと発表しました。
フェイスブックの発表によりますと、ことし9月13日から25日にかけて、連携しているおよそ1500のアプリの事業者が利用者の写真を閲覧できる状態になっていて、最大で680万人の写真が外部に流出しかねない状況だったということです。

ソフトウエアに欠陥があったことが原因で、すでに修正したということです。日本の利用者への影響は明らかになっていませんが、対象者には来週以降、通知することにしています。

本来は、フェイスブック上で公開した写真しか見ることができませんが、ソフトウエアの欠陥で、利用者が公開していない写真などもアプリの事業者に閲覧されたおそれがあるということです。会社は「申し訳ありません」と謝罪しています。

フェイスブックをめぐっては、ことし3月に大量の個人データが流出したことが明らかになって以降、不祥事が相次ぎ、アメリカでは再発防止策が不十分だとして、規制の強化を求める声が広がっています。」




管理も、難しいことかもしれない。


一つは、人材が、いないのかもしれない。
いい人材は、中国の企業に取られているのかもしれない。

捕まった、ある企業の初任給の給料は、凄いから、人材は、行く。

「ソフトウエアの欠陥」人材の問題かもしれない。



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考えると、試験が、甘いのかもしれない。裁判官の

2018年12月15日 15時03分58秒 | ニ言瓦版
この事件も、分からない。
普通は、無期懲役か、極刑。




「去年、福島県下郷町で2人の男性の遺体が別々の場所から見つかった事件で、殺人や傷害致死などの罪に問われた男に対し、福島地方裁判所は懲役30年の判決を言い渡しました。
下郷町出身で住所不定の無職、星久宏被告(40)は、平成19年に福島市で知り合いの男性に暴行を加えて死亡させた傷害致死の罪や、平成28年に宇都宮市のアパートで一緒に暮らしていた男性を殴って殺害した殺人の罪などに問われていて、2人の遺体はいずれも下郷町で見つかりました。

14日の裁判で、福島地方裁判所の柴田雅司裁判長は「被害者2人を暴力などによっていいなりにさせ、被害者が反発したことに激怒して犯行に至った。およそ10年前に傷害致死事件を起こしておきながら、これを悔いて自重した生活を送るどころか、再び同じ経緯で殺人などに及び、非難されるべきだ」と指摘しました。

そして、「被告の動機は身勝手で、暴行は執ようかつ危険で悪質だ」などとして、懲役30年の判決を言い渡しました。」




試験、司法試験が、問題なのかもしれない。
頭にいい、人材は、裁判官にいないのかもしれない。

普通は、また、事件、事件。
明日は、誰か、殺されるのか、問われる、判断。
30年後でも、事件は、想像すると、怖い。


再犯、再犯、最近、刑務所にいるものが、事件がある。
死刑囚が、昔の犯行、自供するか、知られる。

死んだ、遺族は、辛い。
そして、新しい遺族も、辛い時代かもしれない。

刑期三百年とか、刑期百年とか、必要なことかもしれない。
そして、昔の佐渡金山のような、場所のような、刑務所で、生活とかあると、

再犯は、ない。


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考えると、歴史は、試験の問題。2

2018年12月15日 14時48分57秒 | ニ言瓦版
歴史で、公務員の試験の原点かもしれない。
医者のなるも、医大に入るは、公平と、頭のいいものが受かる制度が必要。



「科挙という語は「(試験)科目による選挙」を意味する。選挙とは郷挙里選や九品官人法などもそう呼ばれたように、伝統的に官僚へ登用するための手続きをそう呼んでいる。「科目」とは現代の国語や数学などといった教科ではなく、後述する「進士科」や「明経科」などと呼ばれる受験に必要とされる学識の課程である。北宋朝からはこれらの科目は進士科一本に絞られたが、試験自体はその後も“科挙”と呼ばれ続けた。
古くは貴族として生まれた者たちが政府の役職を独占する時代が続いたが、隋朝に至り、賢帝として知られる楊堅(文帝)が初めて導入した。家柄や身分に関係なく誰でも受験できる公平な試験で、才能ある個人を官吏に登用する制度は、当時としては世界的にも非常な革新であった。しかし隋から唐までの時代には、その効力は発揮できていなかった。これが北宋の時代になると、科挙によって登場した官僚たちが新しい支配階級“士大夫”を形成し、政治・社会・文化の大きな変化をもたらしたが、科挙はその最も大きな要因だと言われている。士大夫たちは、科挙に合格して官僚になることで地位・名声・権力を獲得し、それを元にして大きな富を得ていた。
建前上、受験資格に制限のない科挙ではあったが、科挙に合格するためには幼い頃より労働に従事せず学問に専念できる環境や、膨大な書物の購入費や教師への月謝などの費用が必要で、実際に受験できる者は大半が官僚の子息または富裕階級に限られ、士大夫の再生産の機構としての意味合いも強く持っていた。ただし、旧来の貴族の家系が場合によっては六朝時代を通じて数百年間も続いていたのに比べ、士大夫の家系は長くても4~5代程度に過ぎず、跡取りとなる子が科挙に合格できなければ昨日の権門も明日には没落する状態になっていた。

科挙の競争率は非常に高く、時代によって異なるが、最難関の試験であった進士科の場合、
最盛期には約3000倍に達することもあったという。最終合格者の平均年齢も、
時代によって異なるが、おおむね36歳前後と言われ、
中には曹松などのように70歳を過ぎてようやく合格できた例もあった[2]。
無論、受験者の大多数は一生をかけても合格できず、経済的事情などの理由によって受験を断念したり、過酷な勉強と試験の重圧に耐えられず精神障害や過労死に追い込まれたり、
失意のあまり自殺したという鍾馗の逸話など悲話も多い。
科挙は皇帝が直々に行う重要な国事だったため、その公正をゆるがすカンニングに対する罰則は極めて重く、犯情次第では死刑に処される場合もあった。
賄賂で試験官を買収した大がかりな不正により、
多数の関係者が集団死刑にされた事件などの記録も残っている(zh:戊午科场案)。しかし、科挙に合格できれば官僚としての地位と名声と富が約束されるとあって、科挙が廃止されるまでの約1300年間、厳重な監視にも関わらず様々な工夫をこらして不正合格を試みる者は後を絶たなかった。具体例として、手のひらに収まるほどの小さなカンニング用の豆本や、数十万字に及ぶ細かい文字をびっしりと書き込んだカンニング用の下着が現代まで残っている。
このような試験偏重主義による弊害は、時代が下るにつれて大きくなっていった。科挙に及第した官僚たちは、詩文の教養のみを君子の条件として貴び、現実の社会問題を俗事として賎しめ、治山治水など政治や経済の実務や人民の生活には無能・無関心であることを自慢する始末であった。これを象徴する詞として「ただ読書のみが崇く、それ以外は全て卑しい」(万般皆下品、惟有読書高)という風潮が、科挙が廃止された後の20世紀前半になっても残っていた。こういった風潮による政府の無力化も、欧米列強の圧力が増すにつれて深刻な問題となっていた。また、太学や書院などの学校制度の発達を阻碍した面を持っていることは否めない。これに対しては、王安石などにより改革が試みられた例もあったが、頓挫した。それ以後もこの風潮は収まらず、欧米列強がアジアへ侵略すると、科挙官僚は“マンダリン”と呼ばれる時代遅れの存在となり、清末の1904年(光緒30年)に科挙は廃止された。」



大学の試験は、医大の試験は、
厳しく、そして、公平に、現役では、受からない制度が必要。
公務員も、そうだ。

バカなものが、受かるから、不正が起きる。
試験が、楽なことは、不正が、人材の無能の中の競争が、ない。
頭がいいと、医者、公務員が、理想。
そして、すべては、試験。

そして、家柄、依怙贔屓は、民間の企業だろう。
そうすれば、バカの企業は、倒産していく、淘汰。


事によると、今の総理も、財務大臣も、公務員の試験、受けと、受からないかもしれない。


中国の歴史で、日本から中国の公務員のなった人もいる。

バカの日本人ではない。
いつから、バカの総理、財務大臣に出てきたか。歴史は、公務員制度、医者の制度。
アメリカの大統領の制度も、問題かもしれない。
学力のないものが、大統領になる。

何人、公務員、官僚、首にするのか、
不思議でならない。


司法にも、頭のいい、人材は、いない。
裁判の判決が、分からない判断。

試験の制度が、甘いのかもしれない。

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