二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

この新聞の記事は、面白い。

2017年07月08日 08時12分02秒 | ニ言瓦版
報知新聞の記事は、興味深い。
勝った過程が、最後の攻撃か。



「将棋の史上最年少棋士で中学3年生の藤井聡太四段(14)が6日、大阪市福島区の関西将棋会館で指された第76期順位戦C級2組2回戦で、後手の中田功七段(49)に127手で勝ち、通算30勝目を記録した。2日に佐々木勇気五段(22)に敗れ、昨年12月のデビューからの歴代最多連勝記録が「29」でストップして以来の対局。中田七段の攻めに苦しめられたが、終盤の“聡太マジック”で大逆転を決め、伝説第2章をスタートさせた。
 連勝は止まっても、強さを増す勢いに変わりはなかった。仕切り直しの一戦。佐藤天彦名人(29)の師匠でもある古豪・中田七段は「プロでも私しかやらない、こだわりの戦法」と自信を持つ「三間飛車」(7筋に飛車を振る)で藤井四段に大きく立ちはだかった。
 これに対し、自玉を左隅に囲む「穴熊」で対抗。穴熊攻略にもたけた中田七段の懐に飛び込んだが「前回負けてしまっているので、以前よりは若干、勝敗にこだわる感じにはなった」。厳しい戦いに自ら踏み込み、中盤までは苦戦を強いられたが、持ち前の終盤力で一気に形勢逆転。「途中はちょっと苦しくしてしまったんですが、こっちの勝負手が結果的に奏功したのかな」。中田七段は「端攻めを藤井さんに見事に切り替えされた」と、うなるしかなかった。」


この攻撃と、守りの場面は、面白い。


「連勝が途絶えてもなお、15社約40人の報道陣が詰めかけた。プロ初の敗戦から4日。「ずっと引きずっていてもいいことはない。なるべく切り替えて、と思っていました」。おなじみのライトブルーのリュックサックは、この日は黒の別の物に。「気分転換?」の問いには「別に…。大きさの問題で、特には」と、はにかんで表情を崩した。
 順位戦は持ち時間6時間の持久戦。午前10時の開始から12時間を超える長丁場だった。2回入る食事休憩で注文した“勝負メシ”は、昼食はカレーうどん定食(830円)。夕食に選んだのは親子丼(730円)だった。満腹になったためか、午後9時ごろには眠気を覚ますように両手を上げて伸びをしたり、ハンカチで口元を隠してあくびをかみ殺すような場面もあり、中学生らしさをのぞかせた。
 順位戦は将棋界最高峰「名人」へと続くリーグ戦。藤井四段の「C級2組」は50人の棋士がおり、1年間のリーグ戦で10局指し、上位3人に入れば「C級1組」に昇級できる。藤井四段は先月15日に瀬川晶司五段(47)に勝っており、これで無傷の2勝目。藤井四段はデビューしたてのため同組の45位で「下位なので不利。昇級には最低9勝は必要だろう」と関係者。挑戦権獲得にも最低5年かかる。今月19日に15歳の誕生日を迎える“神の子”は、名人へと続く長い階段を、また一つ上った。」



将棋の長い時間、戦いと、12時間近く、ミスがでるか、守りから、攻撃が。
戦いは、攻防が、凄い。

どこかのテニスで、敗北した選手に、教えたいものだ。
最初がいい、悪くなるか、最後の一手が、変わっていくのか。
優勢か、逆転か。

勝とは、ミスしないことかもしれない。
試合は。
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酷い話、ブログも、金になるから、起きる。

2017年07月08日 08時03分33秒 | ニ言瓦版
俳優も、いろいろ、大変なことだ。
無実ことが、勝手に、書かれる。
それは、ブログで、金を稼げるから。




「俳優の西田敏行さん(69)を誹謗中傷する記事をインターネットのブログなどでまとめて拡散し、所属事務所の業務を妨害したとして、警視庁赤坂署は5日、偽計業務妨害容疑で、中部地方に住む40代の女ら男女3人を書類送検した。事務所や捜査関係者への取材で分かった。
 女の送検容疑は昨年5月ごろ、ネット掲示板や雑誌などから、西田さんが「違法薬物を使い、日常的に暴力をふるっている」などという内容の記事をまとめて自身のブログに転載して広く周知し、同7〜9月、所属事務所の業務を妨害したとしている。赤坂署は実際には薬物などの使用の事実はなく、書き込みは虚偽の内容だと判断した。
 女は「人の興味を引くような記事を掲載して閲覧数を伸ばし、広告収入を増やしたかった」などと話しているという。赤坂署は同様の目的で自らが管理するウェブサイトなどに中傷記事を転載したとして、別の60代の男と40代の男の2人も同容疑で書類送検した。
 西田さんの事務所は昨年8月に同署に被害届を提出、ホームページに「書き込みは全くの事実無根。刑事、民事の責任追及を進める」などとする告知文を掲示していた。」



このブログは、金など、得られない。
ただ、書いて、自分で読むものだ。

健全なことだ。

自分で、記事を再度みるために、書いている。
それも、金は、入らないブログ。
最近、古い記事が、消えていくも、知った。
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2017年07月08日 03時01分18秒 | ニ言瓦版
長生きしたことだ。
知らない人は、若い人、知っている人は、高齢者、中年、そして、童謡の好きな人。


「童謡歌手で元参院議員の安西愛子(あんざい・あいこ、本名・志村愛子=しむら・あいこ)さんが6日、老衰で死去。

 100歳。告別式は13日午前11時、東京都杉並区堀ノ内3の48の8妙法寺堀之内静堂。喪主は次男、志村重貴氏。

 1944年に童謡「お山の杉の子」をヒットさせ、49年から15年間、NHKラジオの「うたのおばさん」に出演。「めだかの学校」「かわいいかくれんぼ」などの歌唱でも知られ、童謡の普及に尽力した。71年の参院選全国区で自民党から初当選し、3期務めた。89年に同党を離党して「太陽の会」を結成、代表に就いた。」



いろいろ、ラジオで、そして、テレビで、知らない人は、ない。
幼いころ、今の高齢者、中年の人は、知っいる。
そして、歌声。
ご冥福を祈ります。

みかんの花咲く丘
https://www.youtube.com/watch?v=fRE1RLLClZ0

めだかのがっこう
https://www.youtube.com/watch?v=coXjz918Mv0

月の砂漠 (安西愛子・川田孝子)
https://www.youtube.com/watch?v=jr5xLVVSWIY


月の砂漠は、いい。

森繁氏は、歌うと。

https://www.youtube.com/watch?v=CMU07ioy9ZY
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解らない、人がいい人間だったかも。秀吉。

2017年07月08日 02時03分41秒 | ニ言瓦版
秀吉は、本当に、いい人間とか、人が、易しいのかもしれない。



「豊臣秀吉(1537~98年)が側室の茶々(淀殿)に宛てた直筆書状1通を兵庫県豊岡市内で発見したと、東京大学史料編纂へんさん所と同県立歴史博物館が7日、発表した。

 同編纂所は「秀吉の細やかな性格や茶々への深い愛情がうかがえる」と評価する。

 書状は掛け軸に仕立てられ、同市内の個人が所蔵する多数の古文書に含まれていた。筆跡や内容の分析から秀吉自筆と断定された。秀吉の自筆書状は約100通が知られるが、淀殿宛ては6通目で、うち茶々の名が入ったものは4通目という。本文13行、後から本文の冒頭や行間に書いた追伸6行で、「大かう(太閤たいこう)」の署名がある。内容などから文禄2年(1593年)に茶々が秀頼を出産後、間もない時期に出されたとみられる。

 高熱を発した茶々が何度も灸きゅうをすえて良くなったことを喜び、<いよいよめし(飯) こしめし候そうろうへく候、又またさいり(サンマ)進まいらせ候、せうくわん(賞翫しょうがん)候へく候>(これから食事をしっかり取るように。またサンマを送ったので味わうように)といたわっている。」


考えると、側室が、問題だったというのが、現実かもしれない。
もっと、長生きしていたら、大阪が首都、経済と、日本の今日になったかもしれない。

側室の問題が、世の中、変えた。

徳川家康は、あんなに、側室がいるのに、才覚のある側室が、いるから、成功したのかもしれない。

女性の選び方で、天下が、変わるのかもしれない。

徳川家康の正室、側室。


「正室
正室・築山殿(清池院) - 関口親永(今川氏親族の関口氏(今川貞世の末裔))娘
継室・朝日姫(南明院) - 竹阿弥娘、(豊臣秀吉妹)


側室
西郡局(蓮葉院) - 鵜殿長持娘(駿河今川氏旧臣。鵜殿長照妹。松平伊忠妻姉妹)
下山殿(妙真院) - 秋山虎康娘(甲斐武田氏旧臣。のち穴山信君養女)
蔭山殿(お万)(養珠院) - 正木頼忠娘(安房里見氏旧臣、のち北条氏家臣蔭山氏広の養女。紀州藩家老正木為春妹)
小督局 於万の方(長勝院) - 永見吉英娘(知立神社神職)
西郷局(お愛)(竜泉院) - 戸塚忠春娘(三河西郷氏)
お竹(良雲院) - 市川昌永娘(甲斐武田氏旧臣)

茶阿局(朝覚院) - 遠江国金谷出身。百姓の娘とされる(前夫との娘は花井吉成妻)

お夏(清雲院) - 長谷川藤直娘(伊勢北畠氏旧臣。長崎奉行長谷川藤広妹)
お梶(英勝院) - 太田康資娘(実父は遠山直景・江戸重通など諸説あり。太田重正妹)
お梅(蓮華院) - 青木一矩娘(豊臣氏家臣)
阿茶局(須和)(雲光院) - 飯田直政娘(今川氏旧臣)
お牟須(正栄院) - 三井吉正娘(甲斐武田氏旧臣。姉妹に北条氏治母)
お亀(相応院) - 志水宗清娘(「清水」とも。石清水八幡宮社人)
お仙(泰栄院) - 宮崎泰景娘(武田家臣。お仙兄弟に宮崎泰重)
お六(養儼院) - 黒田直陳娘(武蔵七党の一つ丹党の中山氏の一族か。譜代黒田氏。)
お久(普照院) - 間宮康俊娘(後北条氏旧臣)
富子(信寿院) - 山田氏娘
法光院
三条氏
松平重吉娘」


こんなに、女性が、いたのだから、いろいろな政略があるか。


調べたら、去年の大河ドラマを思い出す。
「茶阿局
さあのつぼね、(生年不詳 - 元和7年6月12日(1621年7月30日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。徳川家康の側室。松平忠輝、松平松千代の母。名は久。本姓は河村。法名は朝覚院。
生涯[編集]
初めは遠江国金谷村の鋳物師[1]の後妻[1][2]となり、娘(於八)[1]を生む。しかし、お久が美人であることから代官が横恋慕し、夫を闇討ちにするという事件が発生する。お久は3歳になる於八を連れて、謀殺された夫の仇を討ってもらおうと、鷹狩に来ていた家康の一行の前に飛び出して直訴し、代官は処罰されることになった。
家康はお久を一目で気に入り、娘と一緒に拉致に近い形で浜松城に連れ帰り、側室として「茶阿局」と呼び、厚く寵愛した。なお、この夫の仇は長谷川八郎右衛門という者がとったとある。[1]。

天正20年(1592年)に辰千代(後の松平忠輝)、文禄3年(1594年)に松千代を出産する[3]。しかし家康は忠輝を冷遇したとされ、生後間もない弟の松千代に長沢松平家を相続させて深谷藩1万石の藩主とした。ところが慶長4年(1599年)松千代は6歳で早世し、後嗣として兄の辰千代が藩主となった。辰千代は慶長7年(1602年)に元服し忠輝となり、翌慶長8年に深谷は廃藩とされ信濃国川中島14万石を与えられた。

その際、茶阿局は前亡夫の二人の息子(善八郎[1]、又八郎[1])を、先の長谷川八郎右衛門の一族であった木全刑部の養子にして忠輝の小姓として召し出し[4]、娘婿となっていた花井吉成を忠輝の家老にした。彼らは後に松平清直や山田勝重など、古参の家臣との対立を招いた。
茶阿局は聡明であったため、奥向きのことを任され、強い発言力と政治力を持っていたようである。故郷の金谷村には、周辺の寺を保護して寺同士の紛争の解決にも尽力し、弟が住職だったとされる能満寺の寺領のため奔走したとする慶長9年(1604年)の記録が残る(『能満寺寄進状[5]』)。
慶長11年(1606年)、忠輝は伊達政宗の長女・五郎八姫を正室として娶る。その後、順調に加増を重ね、越後国高田75万石を所領した。元和2年(1616年)、家康死去後は髪を下ろし朝覚院と号した。しかし、直後に忠輝は兄の秀忠により度重なる失態を責められ改易、伊勢国に流罪になった。茶阿局は家康の側室の阿茶局に取り成しを依頼し奔走したが、聞き入れられることはなかった。
茶阿局は元和7年(1621年)6月に病死した。法名は「朝覚院殿貞誉宗慶定禅尼」[6]。墓碑は、これに因む寺名を持つ宗慶寺(東京都文京区小石川)にある。」


茶阿局が、徳川の策謀の女性だったかもしれない。
人は、女性で、人生が、変わるのかもしれない。
女性も、男で、人生が、変わる。
選び方で、人は、天と地である。
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この天災、何か行政の問題に見える。

2017年07月08日 01時47分23秒 | ニ言瓦版
何か、集中豪雨と、違う気がする。
今回の九州の豪雨。
梅雨前線。
東南アジアと、変わらない熱帯の地域になったということ、九州の県は、対策を怠ったことが、
現実かもしれない。



「九州北部は7日も局地的に非常に激しい雨が降り、福岡、大分両県の被害は拡大した。福岡県朝倉市と東峰村で新たに8人の遺体が見つかり、死者は15人となった。消防などによると、母親と幼い子どもが含まれるとみられる。行方・安否不明者は20人超。両県では7日も988世帯2200人が避難し、交通の寸断などで20カ所近い集落の孤立が続いている。被災から3日目になっても被害の全容は明らかになっていない。
 被災地は大量の泥水や土砂に覆われ、捜索が難航。災害現場での生存率が下がる目安の一つとされる「発生後72時間」が迫る中、政府は救助態勢を7800人から1万2千人に増強した。」



梅雨前線が、停滞すれば、豪雨になる。
日々、熱帯の豪雨と、変わらない。

現実、対策は、川の護岸工事か、避難場所の高いビル。
川に近くの住民は、訓練する安全な避難場所が、ないか、
行政の怠慢で、学校が、安全と、勘違い。

何か、市、県の怠慢に見えてならない。
地方の田舎でも、川の護岸工事が、梅雨前線のときは、入梅は、
都会に暮すことが、必要かもしれない。
水浸しに、なるは、当たり前。

小学校とか、公共の施設も、果たして、安全な建物が、問われる。
去年か、川の決壊して、酷いことになった、県。
数年前に、京都でも、川の氾濫。

その後、地方の自治は、対策しているのか、怠慢に見える、今回の九州の市町村である。

自衛隊の大変だ、救援するも、狭い道路と、川の決壊。
映像みると、飲料水をリックに入れて、自衛隊は、避難場所に、持っていく、姿。
情けないことだ、空からの飲料、渡せないという、酷い、護岸工事しなかった、地域。
水浸しも広い場所。

九州には、行政は、地震で、対策していたか、してないか。
危機管理の対策は、あるのかと、言いたい。

梅雨前線は、何処で、停滞するか、解らない、熱帯地域になった、日本。
秋の長雨、梅雨の対策は、深刻なことかもしれない。
川の近くには、梅雨前線、秋の長雨の時期は、別のところに、暮すことが、一番の対策かもしれない。
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