二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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無影燈が残る。

2014年05月06日 04時04分12秒 | ニ言瓦版
年齢からすると、そうかもしれない。
残念であるが、そうかもしれない。
毎日新聞を記事読むと、
何か、足りない。



「性愛小説を大胆に書き続けた作家、渡辺淳一さんが4月30日、東京都内の自宅で80歳で亡くなった。2008年、前立腺がんと診断され、脊椎(せきつい)に転移するなど治療を続けていた。昨年から体調を崩し、今年1月に開かれた直木賞の選考委員会には欠席し、この会を最後に選考委員も辞任した。

    ◇

 13年2月、直木賞の贈呈式で選考委員だった渡辺淳一さんは、あいさつに立ってこう切り出した。

 「作家として生き残っていくためには、自らの欲望と好奇心をギラつかせなければいけない。品よく落ち着いたら消えますよ。金がほしい、有名になりたい、女にもてたい、家を建てたい−−」。次いで「これ、結構大変なんですよ」と声を落とした後、一転「どの世界もスターはギラついている。だからスターなんだね」と語り喝采を浴びた。

 まさにこの言葉通りに生きたスター作家だった。夜の銀座で遊び、女性とのうわさも絶えなかった。常々、「僕の小説はある種“私小説”なんだ」と話していた。小説になった恋愛の核の多くは実体験ということだ。例えば、京都の女性と縁ができれば京都が舞台になる。その半面では、帯や反物の製作現場から取材するなど世界観を構築するための努力を欠かさなかった。

 自身が“男女小説”と呼ぶ一連の現代小説を手がける前は、
「死化粧」などの医療小説や「花埋み」などの評伝小説も書いていた。やがて医師だった経験と、資料が使える小説世界を意図的に排除していった
。それは独自の世界を練り上げ、現代と対峙(たいじ)することを意味する選択だった。

 そこまでして男女ものに挑んだ理由を、次のように語ったことがある。「まずは僕が女性を好きだったから。さらに男女ものが小説の圧倒的な美意識の基本と思っていた。男と女の感性は『源氏物語』の昔と変わらない、古びないジャンル。しかも人間の一番ラジカルな心情、素直な姿が出るから、絶対書きたかった」

 そうやって描いたのは人間のリアリティー、実感だ。自分も含めた「人間」に迫ったからこそ、自らの経験も冷徹に作品にとりこんだのだ。自伝的小説「何処(いずこ)へ」(1992年)では、逃げた彼女を追いかけて警察ざたになったことも赤裸々につづっている。

 率直な発言でも知られ、鈍感になって生きることを提唱した「鈍感力」(07年)、恋愛の指南書「欲情の作法」(09年)などエッセーでも人気を博した。

 人間に対するあくなき好奇心をもって、小説にささげた人生だった」



鈍感力、失楽園も、そうかもしれない。
でも、本当は、一番の作品は、「無影燈 」である。
テレビドラマだと、「白い影」である。

医者の原点は、何か、ドラマで、医者の意味を感じる。
田宮次郎の演技と、難病の自分。
無影燈 か、別の作家の医者の作品「白い巨塔」が、そして、山本周五郎『赤ひげ診療譚』か。
医者とは、何か、問われるのは、何か。


結局、無影燈の中で、自分の病魔に、犯され、死んでいく姿は、
現実と、似ていることだ。

もっと医者の物語を欲しかったものだ。
多分、作品は、無影燈 以外、消えていくことだ。

ご冥福を祈ります。

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