「蝸牛角上争何事 石火光中寄此身」 白居易詩
「かぎゅうかくじょう 何事をか争う せっかこうちゅう 此の身をよす」
意味は・・
「かたつむりの角の上のような小さな世界で 何を争ったりするのか
石の火花がちる間だけ この身を世の中にあずけているというのに」
年を重ねたせいか、なんだか世の中を憂うことも増えた。
二十代、三十代は今思うとほんと怖いものは何もなかったし、生きていることが
当たり前で、未来は自分のために永遠に続くなんて思ってた気がする。
だけど、だんだん人は気づく。
あれ? 私ってこんなものだったの?っていう無力感とか焦燥感と共に。
昨日は成人式。
私はどんな「はたち」だったっけ・・って思いながら、テレビの新成人を観ていた。
ついこの間のことのようでもあり、遠い昔のことのようでもあり。
今日のsuntoryの新聞広告、伊集院 静氏のエッセイの一節。
「生きていることがどんなに素晴らしいか、若い時にはわからない。
だが、君はいつか生きている意味を思い知る日がくる。(中略)
それは、人間は己以外の、誰かの、何かのために懸命に生き抜くことだ。(中略)
そうすれば君に見えてくる。世の中が、人間の生が、いかに哀しみで溢れて
いることが・・・。(後略)」
生きていることが当たり前で、自分のためだけに生きていると、いつか自分から
離れられずに、失うことを怖れ、けれど大切なものを失うような気がする。
でも同時に言えることは、自分を大事にできない人は、誰かを大事にできない。
自分なんかどうでもいいやって思ってる人は、相手のこともそう思ってしまったり。
そしてそのしっぺ返しは、また自分に戻ってくる。
人は皆、この身をこの世にあずけていると思えたら、肩の力も少し抜けるような
気がする。。
この世は儚く憂うものだから。 だからこそ強い心で。
でもやっぱり、二十歳の頃は気づかなかったけれど・・
「かぎゅうかくじょう 何事をか争う せっかこうちゅう 此の身をよす」
意味は・・
「かたつむりの角の上のような小さな世界で 何を争ったりするのか
石の火花がちる間だけ この身を世の中にあずけているというのに」
年を重ねたせいか、なんだか世の中を憂うことも増えた。
二十代、三十代は今思うとほんと怖いものは何もなかったし、生きていることが
当たり前で、未来は自分のために永遠に続くなんて思ってた気がする。
だけど、だんだん人は気づく。
あれ? 私ってこんなものだったの?っていう無力感とか焦燥感と共に。
昨日は成人式。
私はどんな「はたち」だったっけ・・って思いながら、テレビの新成人を観ていた。
ついこの間のことのようでもあり、遠い昔のことのようでもあり。
今日のsuntoryの新聞広告、伊集院 静氏のエッセイの一節。
「生きていることがどんなに素晴らしいか、若い時にはわからない。
だが、君はいつか生きている意味を思い知る日がくる。(中略)
それは、人間は己以外の、誰かの、何かのために懸命に生き抜くことだ。(中略)
そうすれば君に見えてくる。世の中が、人間の生が、いかに哀しみで溢れて
いることが・・・。(後略)」
生きていることが当たり前で、自分のためだけに生きていると、いつか自分から
離れられずに、失うことを怖れ、けれど大切なものを失うような気がする。
でも同時に言えることは、自分を大事にできない人は、誰かを大事にできない。
自分なんかどうでもいいやって思ってる人は、相手のこともそう思ってしまったり。
そしてそのしっぺ返しは、また自分に戻ってくる。
人は皆、この身をこの世にあずけていると思えたら、肩の力も少し抜けるような
気がする。。
この世は儚く憂うものだから。 だからこそ強い心で。
でもやっぱり、二十歳の頃は気づかなかったけれど・・
その証拠に、同窓会で友達に会うと、あの頃あなたはこうだったよねって言われても、ちっとも記憶がなくて。。。
ま、いい意味に解釈すれば、それが若さってやつですかねえ 多少大人になった私としては、ま、若いってそれでいいんじゃないかなって思ったり。 後悔や今更気づくあれこれ・・も、人生のうちと思えば・・なんて