あしあとーⅡ

日々のあれこれ、綴ったものが自分の足跡に

100年に一度の風景

2006年03月12日 | Weblog
昭和47年の豪雨で激甚災害を受けたあと持ち上がったのがこのダム計画。
3町に跨るダム計画は紆余曲折を経て30年の月日を費やし、ようやく完成まじかに成り、今湛水実験が行われている。3月9日に満水に達したので、工事中ではあるがその姿を一般に開放し見学できる事になり、行事が立て込んで忙しい中なのに出かけていった。

このダムは完全に洪水治水の為のダムで普段は殆ど水が溜まる事は無い。
だが今回はダム本体の強度やひずみ、周辺の道路にかかる圧力などを測るために満水になるまで水を貯めるわけで、ここまで水位が上がるのは100年に一度と言われている。
今見ておかなくてはもう生涯この風景にお目にかかる事は無いとなれば、何をさて置いても行かずばなるまい(笑)

完成したダムの最上部から綺麗な文様を描きながら水が溢れ落ちていた!

このダム計画で移転をした戸数は500軒ぐらいと聞いている。
だがそれらの以前の家が有った辺りは昔の面影は全く消え失せ、満々と水が貯まっていた。周辺には真新しい道路が造られ整備が着々と進んでいる。
億と言われる御殿のようなお屋敷が其処ここに立ち並んでいるが、その中にはすでに水道代も払えなくなって売りに出ている家も有るらしい。
勿論健全に家を維持している人も大勢居るが、なにしろ山奥でお百姓で生計を立てていた人が突然に大金が入れば有頂天になるのも判る気がするが。

御殿の何軒かを訪問してお宅を見せて頂いたことが有るが、広い敷地に10以上の部屋を持つ大きな家を造り、玄関には売り付けられたに違いない、ど派手な木の根っこの衝立や調度家具、どの部屋にも冷暖房に床暖房・・・、だが住んでいるのは老人夫婦が二人きり・・・。
部外者が口出すべきことでは無いが、心の中で溜息をついた。

このダム周辺の地域も当然の事ながら過疎地域であり高齢化が進んでいる。
学校や集会所など立派な箱物は出来ているけど辺りに殆ど人影は見えない。
人生半ばからダム計画に翻弄され、年老いてから手にした億単位のお金。
その一瞬は幸せだったかもしれないが、果たして今はどうなのだろう?

そんな人々のドラマを飲み込んだ湛水は集落の奥の奥までズーッと続いていた。

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