あしあとーⅡ

日々のあれこれ、綴ったものが自分の足跡に

花が咲いた!

2015年04月26日 | 

 

亡き主人が慈しんだ庭の芝桜が一杯に咲いた。

 

毎年草だらけに成る元田んぼだったところを整地して、上側に桜ともみじ、境のあたりにつつじと芝桜

下側にはブルーべりーや木蓮、ハナミズキや蝋梅(支えをしてある木)のような花が咲く木と

色んな草花を植えた。この蝋梅は庭のほかに植えてあったものを移植したもので、花の少なくなる

年末に黄色い可憐な花を咲かせ、お正月の花として重宝している。

ブルーベリーは良く実をつけ毎年ジャムを作っている。

冨有柿も3本植えたよ

 

上下で300坪のこの庭を造って今年で5年目になる。

 

私たちが歳をとって草だらけになった田んぼの草刈が出来なくなった時の事を考えて

木を植える事にしたのだ。  

木が茂り陽が当たらなくなれば草も生えなくなるだろうと・・・。

 

春梅の咲くころからから草取りに始まり、夏には毎日水遣り、秋の紅葉が過ぎて冬・落葉した木には

クリスマスイルミネーションを飾って一年中楽しんで世話をしていた。

 

まだ5年目なので大半の木はまだそんなに大きくは無いが、年々桜の花付きも良くなり春の暖かさと共に

日ごとに庭の彩が違ってくる。

その景色を眺めるのがとっても好きで、毎日庭へ出るのを楽しみにしていた。

その主人が昨年亡くなって私にその世話が一気に降りかかって来た・・・

 

暖かくなって来たこの頃、朝早く起きて朝食前に草取りに出ている。

水遣りは夕方2人の息子が交代で手伝ってくれている。

今年吉野桜の咲く頃に主人の姉妹を招き、亡き主人を偲んでささやかな花見をした。

今はもう吉野桜は散って葉桜になっているが、桜の最後名残の八重桜が奥に見える。

これから夏の花に移っていくのが楽しみ (*^-^*)ゞ 

 

なんとか主人が愛したこの庭を維持したいと頑張ってます


半年目の月命日に思う事

2015年04月01日 | 日記

4月1日、今日はエイプリルフールではあるが昨年亡くなった主人の半年目の月命日でもある。

お墓へ参って花を入れ替え、色々ブツブツブツと報告をしてきた(笑)

半年経って、ようやく一人暮らしのリズムが出来てきたかなと感じている。

 

主人はとにかく話好きな人で、話題が豊富で家でも黙っているような事のない人が

急にいなくなって、一日中話す人も無く、黙って過ごす一日が凄く苦痛な日々だった。

ついつい仏壇の前やお墓へ参った時、声を出して色々と話し掛ける癖が付いてしまった。

 

そして思う事・・・「今何処にいるの?」   「私を見てくれている?」

 

先週テレビで立花隆さんの「死ぬ時心はどうなるのか?」と言う番組が3夜連続で放送された。

 

もう20年も前になるだろうか?

立花さんの「臨死体験」と言う番組を見て、スゴイ衝撃を受けた覚えがあるが

その続編のような番組だった。

立花さん自身が癌を患い死が遠くない事を悟った上での取材でもあった。

 

「臨死体験」 死に直面した時人は何を感じるのか?

世界各国の死の淵から蘇った人を取材した番組のなかで共通した体験がある。

死の瞬間  心(自分自身)が体から離れ自分の死の状況を客観的に眺めているという状態、

これを「体外離脱」というのだそうだが、今回の取材で今3歳くらいになっている女の子が

1歳に満たない頃、臨死体験をしたそうだ。

その時の体験を今頃話し始めたのだそうだが、母親がショックを受けたのが、その中に

母親の母、つまり女に子からすると祖母に当たる人が出てきたというのだ。

祖母はもう10年も前に亡くなっていて、その女の子に一度も祖母の話をした事がないのだそうだ。

それなのに女の子は祖母が近くに座っていたと、そして祖母の名前を言ったのだそうだ

この話をきけば「体外離脱」の現象が実際にあって、死後の世界が、死者の世界が有るのだと

信じざるを得ないよね。

 

死後の世界、それは誰も行ったことのない世界だが本当に魂は存在するのか?

主人が亡くなってその事を一層強く考えるようになった。

 

両陛下が南方の太平洋戦争の激戦地を慰霊の為に訪れて、深々と頭を下げて

祈られるお姿を度々拝見する。

そのときの思う事は、死者の魂は自分が死んだその場所にあるのだろうか?

両陛下の慰霊の祈りを恐れ多いと感謝しているだろうか?

 

死後の心、あるいは魂は何処にあるのだろう?

 

立花さんの3夜に及んだ番組の中でも、その答えははっきりしたものは出なかったように思う。

ただ人が死の瞬間に脳内にセレトニンという物質が大量に出るのだそうだ。

そのセレトニンと言う物質は人間の幸福感を感じさせるものだそうで

人が死ぬ間際に、お花畑や光り輝く世界をみるのはその為もしれないと思う。

主人も入院中に二度ほど危篤に陥ったことがあって、意識が戻った時、

花畑を見たと言ったから本当なんだと思った。

ただ、もう戻る事の出来ない世界に行ってしまった今、魂は何処にいるのだろうとしきりに思う。

 

そして私が度々思う、自分と言う存在の不思議さ、自分がこの世に生まれてきた事の不思議さ。

 

私が生まれる前にもこの世は何千年も続いていた。

 

だが私という人間がこの世に生まれて始めて私はその存在を知る事になる。

 

そして私の死後もこの世は果てしなく続いていくだろう。

その時私は何処で何をしているか?それを自覚できる存在でいるか?

 

全てその時になってみなければ判らない。