8月15日は終戦記念日
お盆の日にちは地方によって違うみたいだが、我が家の方は14・15.16日がお盆になる。
14日は迎え盆、16日は送り盆と言い、この3日間はご先祖様が家に帰って来ておられる、筈である
主人の友人や親戚などの盆参りなどもあり、盆前は色んな準備とかが、あれこれ忙しかったが、昨日の夕方
家族で墓参りをし夕食を食べ今日はそれぞれの嫁の実家へ墓参りに出かけて・・・、ようやく私はほっと一人の時間を
ゆっくりと過ごしている
8月15日、終戦記念日のこの日が近づくとTVでは戦争に関する番組が多くなる。
悲惨な映像を映すものが多い中、心惹かれる番組が有った。
広島ローカルの番組だと思うが、「はだしのゲン」の作者・中沢啓二さんが作詞した詩に山本加津彦さんという
37歳の気鋭の作曲家が曲をつけたという、広島をテーマとした曲にしてはとても優しい曲だ
原爆被害に関する苦しみも恨みもない歌は珍しいなと思った。
この曲を広島の川の堤で合唱する風景です
https://www.youtube.com/watch?v=vbNyHpGEgr0
太平洋戦争末期に日本が受けた爆撃の映像を見た。
日本の殆どの市町が空爆を受ける様子を米国爆撃機B29に搭載された「ガンカメラ」で映した映像だった。
初めのころは軍需施設に限られていた空爆も終わりの頃はまさに無差別に民間の家や人、鉄道、学校まで
爆撃された。
当然国際法違反であるが、しかし動くものは全て敵だと元搭乗員の兵士が語っていた。
8月15日を迎えるころは日本は国土の大部分が壊滅していた。
そして原爆投下、
終戦になると進駐してきたアメリカはすぐ原爆の調査に取り掛かった。
その頃の被爆者の証言、
被爆者の傷の調査はするけど治療はしない。
病状は聞くけど薬はくれない。
つまり原爆の効果を調べていただけだ。 しかも被爆者の資料は「軍事機密扱い」だったそうだ。
被爆者たちは言った。
自分たちはモルモット、人体実験だったのだと。
広島へ落した原爆はウラン235、長崎はプルトニュウム、・・・、どう考えても実験だよね。
そして年末までに亡くなったのは
広島が14万人長崎が7万人、
その後原爆症などで亡くなった人数は広島23万人長崎12万人。
普通の爆撃で亡くなる人数とは桁が違う。
もう一つ、気になるというか無性に腹の立つ番組が有った。
「インパール作戦」・・・この大戦中最も無謀だと言われた作戦だ。
インド北部、インパール攻略の為の補給ルートを軽視したずさんな作戦により
4万人とも10万人ともいわれる兵士が亡くなった。
兵の殆どが撤退の途中でなくなっている。
しかもその大部分は病気や餓死だという。
その道は白骨街道と呼ばれたそうだ
ジャングルと2000m級の山々が連なる山岳地帯での補給が不可能と殆どの司令官や参謀たちが反対したにも関わらず
強引に推し進めた結果だ。
最初から反対の多かったこの作戦を強引に進めたのが牟田口廉也(むたぐちれんや)軍司令官だ。
しかも撤退する時は一番早く帰国し、戦後77歳まで生きていたという。
無性に腹が立った。
自分の無謀な作戦で死んだ多くの兵士達にどう詫びたのだろう?
いやいや、恐らく言い訳ばかりしていたに違いない。
戦争というものは如何に非道・悲惨なものと思い知る。
この戦争での死亡者は310万人に及ぶという。
死亡した人の多くは一般の兵士や何の罪もない国民たち
だが上層部にいるものはこういう辛酸を逃れて、多くがのうのうと生き残っている。
理不尽なことだと声を大にして叫びたい!
そんな中で唯一優しい気持ちになれたのがあの歌・・・、「広島 愛の川 」だった。
太田川河畔での大合唱・・・。
戦後も70年を過ぎた。
中沢さんは子供達には愛を残したいと願われたのだ。