あしあとーⅡ

日々のあれこれ、綴ったものが自分の足跡に

紅葉

2005年11月14日 | Weblog
私の携帯のカメラは画素数が少なくて(・・・って息子に言われています)綺麗に出ませんので今日は庭の紅葉をデジタルカメラで撮って見ました。
上手く出ればいいけど・・・。

写真をクリックすれば少し大きくなります。

「大和ミュージアム」

2005年11月10日 | Weblog
今日仲間4人と呉の大和ミュージアムへ行ってきた。
平日の昼間だというのに人の多い事!
そこで線路を隔てた向かい側に温泉があるショッピングセンターが新しくできたと聞いて、そちらの方へ先に行って昼食を摂った。
沖縄と北海道のヴァイキングが今日のメニューで1480円、南と北の地方色豊かな料理が沢山並んでいた。
おなか一杯食べた後、温泉に入って色んなジャグジーバスを体験、これで余分に取りすぎたカロリーが消費されれば良いけど・・・(笑)

午後1時半になったので陸橋を渡ってミュージアムへ行ったが人の多さは相変わらずだった。
5階建ての建物の中には実物の10分の1の模型が中央に展示してあり、その展示場の目の前には瀬戸内の穏やかな海が広がっている。
資料によると昭和12年に起工された大和は、当時の日本の持てる最高の技術の全てが注ぎ込まれ、造る工程も分業になっていて、従事している者にさえその全容は明らかにされなかったらしい。
内部も幾つにも分かれていて、別々に造られたものを合せてあるので、砲弾が当たってもすぐには沈まない構造になっていたのだそうで、「不沈戦艦大和」と言われていたのだそうだ。だが16年に竣工した戦艦大和は一度も戦う事無く昭和20年、沖縄の海にあっけなく沈んだ。
海底400メートルの所に沈んでいる大和の中には、まだ3000人近くの遺骸がそのままになっているという。その状態も写真に収められているのに、どうしてまだ引き上げる事が出来ないのだろうか?

会場には乗船した人達の住所と名前、そして写真や手紙等が展示して有るがその最後にまだ名前の判明していない人も居るらしく、情報が有ればお寄せください、と書いてあった。
鹿児島の知覧へ行った時にも思ったが、戦争は本当に惨い!
死んで行くのは何時も命令する上層部のものではなく、若い兵士達なのだ!
それを考えると靖国へA級戦犯が合祀されているのは納得できない気持ちになる。
ただA級戦犯だけに罪が有るのではなく命令を下すのは直接の上司だろうけど・・・。

多くの人達の犠牲の上に今の平和な世が有る事を思えば、有難う御座いました、安らかにお眠りくださいと、手を合わせ冥福を祈らずには居られない。