あしあとーⅡ

日々のあれこれ、綴ったものが自分の足跡に

ようやく抜糸!

2006年02月27日 | Weblog
腱鞘炎の手術から2週間、本日やっと抜糸してきました~! うれしいよぉ~

今まで一週間に2回通院してベッドに横たわって消毒をしてもらっていたが、今日の抜糸は椅子に座り目の前で行われた。 3針縫ってあったよ~(笑)
でもまだ傷口を押さえると痛いし、お風呂へ入れるのは24時間後だし、プールは3・4日後だそうだ。

腱鞘炎を発症して右手を使わなくなってから、もう5ヶ月がたっていたんだなぁーー。
右腕がスゴク弱っているのを実感する!
これからボチボチ右手を鍛えていかなくちゃぁネ。

14日の手術は外来の処置室で行われるのかなぁ~と、簡単に考えていたのだが、なんのなんの・・・、2階に有る手術室で看護士さんが3人も付いて、先生もグリーンの手術着で完全に身を包み、本格的な手術だった(笑)
勿論局部麻酔だから意識は終わるまでしっかりとある。手術は麻酔の注射から始まって傷口を縫い終わるまでが15分くらいだろうか。
手術が済んだ時、先生が切り取った腱鞘をピンセットでつまんで見せて下さった。
5ミリ四角位の小さな小さな皮膚の切端だった!
厚みがかなり厚くなっていたそうで、もう手術しか方法は無かったみたい。

術後の右手は綿の入った包帯でグルグル巻きにされ、まるでギブスをかけたような状態で、指先がホンのチョッピリ出ているくらいで、しかも腕を下げてはいけませんと言われ、白い三角巾で吊っていたのだから見た目はかなり大袈裟・・・(笑)

そんな状態ながら、翌日の15日には三角巾で吊った腕を和服用の絹のショールで隠し、左手でカート付きのバッグを引き、日帰りだったけど大阪へ『クラウディアからの手紙』を観に行って来たし、21日には福山へ市民劇場例会の『昨日からのベッド』も観に行った。
家族はもう言葉も無く呆れ果てていた・・ ハハハーーー

でもこの数ヶ月間の痛みの辛さ、不自由さから解放されたこの感覚は、何にも代え難い喜びだ! 兎に角嬉しい~!

さぁ~明日からサボりにサボって来た家の片付けなど、ボチボチと始めようかな~


『クアウディアからの手紙』 ドラマシティ

2006年02月15日 | 観劇日記

「クラウディアからの手紙」

原作=村尾靖子『クラウディア 奇蹟の愛』より

脚本・演出=鐘下辰男

キャスト

蜂谷弥三郎=佐々木蔵之介

クラウディア=斉藤由貴

久子=高橋恵子

小林勝也・すまけい・山西惇・池内大樹・・・他

 

この大阪遠征の前日、腱鞘炎の手術を受けた。右手はまるでギブスをかけたように大層な包帯で巻かれ丸太ん棒のようになって、そのうえ腕を下げてはいけないと三角巾で腕を吊っている。たった一枚あった手首がゆるゆるのセーターを着てその上にニットのコート、大袈裟な三角巾を隠す為、和服用の絹のショールを纏い 左手でカートになっているバッグを押して、大阪へ出かけていきました(^^) 良くもまぁ~(笑)

でもこんな状態ででも行った甲斐が有った舞台だった! もう泣きましたよーーー。

この作品は実話、というかこの中に出てくる3人の主役達は現在も健在でいらっしゃる・・・はずである。もう90歳を超えられているとか・・・、まずこの事に少なからず衝撃を受けた!戦後60年も過ぎて、戦争の記憶さえも薄れかけている今日この頃だが、終戦直後ロシアに抑留されてようやく故国日本へ帰還できたのが平成二年だそうだ。

その過酷な人生に慰めの言葉も無い。

この舞台は役者さんがどうの、演技が良いとか悪いだのと批評する以前に、史実の重さがずっしりと心に残った作品だった。

弥三郎が40年間という人生の殆どを戦争に苛まれた長さと、クラウディアの心情を思い遣って涙が溢れた思いだけを綴りたい。

この物語の主人公蜂谷弥三郎は軍へ入隊したものの身体を壊し入院する事になり、そこで看護婦の久子と出会う。やがて二人は結婚して共に朝鮮へ渡り、そこで終戦を迎えるが、仲間の嘘の密告によりスパイ容疑をかけられた弥三郎はソ連へ連行され、シベリヤで10年にも渡る厳しい強制労働に従事させられ、飢えと寒さで生死の堺を彷徨うほどの日々の中、手先の器用な弥三郎は理容の技術を身に付けたおかげで、なんとか重労働に着かずに済む事になる。しかし零下40度の厳寒の中で体の弱かった弥三郎が良く生き長らえたものだと思う。刑期を終えてもスパイ容疑をかけられた弥三郎は帰国する事はできないでいた。そんな中で弥三郎は自分の境遇と良く似たクラウディアと出会い、ロシアで生き抜く為にロシア国籍をとりクラウディアと結婚する。農業を営みながら共に暮らす事になり37年間が過ぎた頃、ゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカが進み往来が自由になりクラウディアは弥三郎の妻が今も結婚もしないで弥三郎の帰りを待っている事を知る。彼を故国へ帰す事を決意するが、弥三郎は自分以外に身寄りの無いクラウディアを一人残しての帰国を決断できないでいたが、そんな弥三郎にクラウディアは「人の不幸の上に自分の幸福を築く事は出来ません」と自ら帰国の手続きをして弥三郎を帰国させる。日本へ帰国した弥三郎はようやく久子と対面するが、此処からは舞台上のスクリーンへ実際に帰国し50年ぶりに久子を抱きしめる場面が映し出される。久子さん、とても綺麗な方だった!

 

クラウディアが弥三郎を帰国させる決心をしたのは、何年経っても渡り鳥が南へ下るのを見て故郷を懐かしみ、思いが募る弥三郎の姿を見て、今帰さなければ一生故郷へ帰れないかもしれない、そう思ったからだという。その時二人はすでに80歳を過ぎていたそうだ。

だが身寄りの無いクラウディアが、年老いてたった一人ロシアに残される寂しさを思うと、それだけで涙が溢れた。

パンフレットには帰国した弥三郎が再びロシアを訪れ再会した時の写真が載っているが、その時クラウディアは精一杯のオシャレをして弥三郎に逢いに行ったという。愛しい人に逢える嬉しさが伝わって来るそのエピソード、初々しいまでの女心にまた涙した。

 

久子も夫と生き別れ苦難の道を歩んできた事は不幸であったかもしれないが、それでも生まれ育った日本で生活が出来て娘もいて拠り所が有った。それに比べればクラウディアは鉄のカーテンの向こうのソビエト時代に、命の危険に晒されながら異国の人を守り続け、心の休まる日も無かったのではないだろうか? だがそれでも弥三郎と過ごした37年間が幸せだった事だけが救いに思える。愛していればこそ弥三郎の望郷の念が痛いほど判ったのだろう。

50年と言う月日は慣れ親しんできたはずの日本語さえ忘れるほどの長さだったと言う。弥三郎は日本人としての誇りを保ち日本語を忘れない為に教育勅語を唱え小倉百人一首を何度も復唱し、童謡を歌い続けたそうだ。この舞台の中で何度も弥三郎が声を大にして謳った『立ち別れ~ いなばの山の峰に生うる まつとし聞かば~ 今帰り来む』

この歌が彼の心情をそのまま映し出している気がした。

長年の思いが叶い、ようやく戻れた祖国で蜂谷さんは幸せを噛み締めていられるだろうか? そしてロシアに残ったクラウディアさんの人生も又幸せであって欲しいと心から願わずにはいられない。

鐘下さんは戦争によって傷ついた人々の事を題材に取り上げられる事が多いが、この作品は同じ戦争被害者であっても、その切り口は今までとは一味違った作品になっているように思われた。これは戦争によって悪夢のような世界に放り出され、翻弄され続けた50年の年月の重みを唯ひたすらに追いかけているように感じる。

50年という激動の長い月日を舞台で表すのは難しかったのだろう。かなりの部分をナレーションで埋めているのは納得なのだが、鐘下さんはもう一つの手段としてダンスを取り入れていた。パンフではこのダンスに対する意気込みが語られているのだが、私はむしろこれが邪魔な気がしてダンス無しの方が良かったのではないかと思う。

カーテンコールの時の蔵之介さんの首の白さが涙で潤んだ目に沁みた・・・。


明日は手術日

2006年02月13日 | Weblog
朝8時半までに外来へ来て下さいとの事なので、主人に車で連れて行ってもらう積り。
手術日が決まってから、これで痛みを我慢しな済む、という気持と、しておかなければいけない事が沢山あって、今までは手首を庇いながらしていた仕事をバンバンやっているので、今現在手首はもうビリビリ・・・(笑)
でもこれも明日までだ~。

術後がどの程度手や指が使えるのか判らないので、もしかしたら暫く日記はお休みするかもしれません。

食べ過ぎた・・・。

2006年02月12日 | Weblog
次男が退院してから今日は始めての日曜日。
私の手術の日も迫っているし、やっておかなくてはいけない事が山ほど有る。
主人のお尻を叩きながら(笑)あれこれと指図をして終わったのが午後3時ごろ。
次男の入院中は主人と交代で広島へ何度も通って少々疲れたし、手術をすれば又色々とお世話になるわけで・・・

お疲れ様と、これから御迷惑を掛けるのでヨロシク、の意味も兼ねて温泉へ誘った。
私と行けば安心してお酒が飲めるので、すこぶる機嫌が良いんだ~(笑)

気持の遣えが取れて、久し振りにのんびりとお湯に浸かった。
温泉ではあらゆるジャグジーを楽しみ、ミストサウナへも入った。
長湯をしすぎてお腹がグーッ(笑)

さぁー食事だよ~!
今夜のメニューは、
最初におつまみとして海老のあえ物
メインはヒバ牛の網焼きたたき・魚介類の酢のもの・牛肉のレンコンはさみ揚げ・ブイヤーベス風一人鍋・それにご飯と香の物。

味も良かったし器の取り合わせも素敵で、主人はひれ酒を3杯もお変わりをしたし、
私はお腹がすき過ぎて、ついつい箸が進んでしまい・・・

ダイエットは手術が済んで体調が戻ってから本気で取り組むことにしよう

『天保十二年のシェイクスピア』

2006年02月11日 | Weblog
WOWOWで前回放映の有った日が大雪で、前半が全く撮れていなかったが、早々と再放映が有ったので、昨夜録画したものを見たが・・・、長かったなぁ~(笑)
劇場へ行ってその時間を全て観劇に費やすと決めている時は、少々長くても我慢ができるが、家にいて家事をしながら長い作品を観るのは中々大変な事だよ~!

シェイクスピア全作品を取り込んでいると言うこの作品だが、判るものも有ったが、多分知らずに観ていてものも沢山有ったと思う。
だってシェイクスピアの全作品のストーリー、知らないもんな。

見た後の感想は・・・、面白いには面白かったけど、R指定になるような、あからさまな表現が度々出てきて、うーん少しくどかったかな。
それにしてもシェイクスピアの作品て、大勢の人が死ぬんだなぁ~!
主だった人が全部死んじゃった・・・? 見た後の心が重かった・・・。

それに比べるとつい先日観た『ベガーズ・オペラ』は、暗い話のはずなのに、楽しく底抜けに明るくて、観た後の気持は晴れやかだった(笑)
そういえば最初の舞台設定を見た時、「あら!ベガーズに似てる!」と
思ったのは私だけ?

しかしWOWOWは見逃したっ!と、思っても
意外に早く再放送が有るのは嬉しいねぇ~



寒いですねぇ~。

2006年02月09日 | Weblog
昨日も今日も雪です。最高気温が0度だって・・・。

腱鞘炎の手術日がようやく決まった! 来週火曜日・・・。
4ヶ月に渡る痛みからようやく解放されるぅー

だがその翌日は大阪で「クラウディアからの手紙」を観る予定になっているのだが・・・。
多分手を吊ってでも行くと思う(笑)
20日には尾道の「昨日までのベッド」も有るけど、車の運転は難しそうだから、
こちらは公共交通機関で行ける会場に変更してもらおうかな?

もう一つ嬉しいニュース!
次男が明日退院できる事になりました!
検査の結果は何処も異常なし! 有り難い事です

最近三谷ブームが来てる?

2006年02月04日 | Weblog
昨日次男の所へ行ってきた。
日増しに快方に向かっているようで嬉しい!
本人は来週には退院できるだろうと勝手に決めている(笑)

入院1週間目の頃、言葉が出なくて先生の診断では失語症の症状が出ているといわれてショックを受けた。
もしこのまま話せないようになってしまったらどうしよう・・・。
こちらが言う事は理解できるのだが、その返答を言葉に出来なくて、本人も焦っているようだった。
先生が言われるには脳がまだ腫れているから、それが原因の可能性も有るが
後遺症が残るかもしれないと言われて 



でも昨日は何でも喋れるし、カレーが食べたいの、マクドナルドが食べたいのと言いたい放題を言うようになっていた(笑)
お陰様です!

で、夜はテレビで『みんなのいえ』を見ました。
今夜は「ラジオの時間」だよ 

「有頂天ホテル」がヒットしたのを記念して2夜連続で三谷作品が放映されるらしい。
見に行きたいと思った映画なので楽しみにしていたのだ。
「みんなのいえ」に白井晃さんが三谷さんそっくりの顔で出てきたのには大笑い! 流石に役者だわぁ~

大河ドラマ「新撰組」も好評だったし「有頂天ホテル」も当たっているらしい。
舞台もチケットが取れない程の超人気・・・。
そして次は歌舞伎に進出・・・、なんか最近の三谷さんはスゴイよ!(笑)

WOWOWでも続いて三谷作品が登場する。
しかも番組の初めに御本人が登場して御挨拶があり、劇場の臨場感を出すために生中継に拘ったのだそうだ。

生中継だよ~!『決闘高田の馬場』

『ベガーズ』の感想も書きかけているのに、そうでなくても記憶力の悪い私の頭の中は、
もうごちゃごちゃになりそうだよ・・・


今日は出社。

2006年02月02日 | Weblog
1月末が決算なので色んな雑事が有り今日は出社した。
NTTの営業マンが来るので、ビジネスホン買い替えの相談にのる。
この電話ももう10年使っているからそろそろ寿命かも。
最近は様々な機能がついているし便利になっているけど、全部おかね次第でね・・・(笑)
ディスプレイに着信履歴とか、リダイヤルが表示され、得意先登録も出来てまるで携帯電話だわ。

程ほどの処で決めて工事は1週間後と決まった。
又暫くは新しい機械に慣れるまでテンヤワンヤだなぁ。

明日は広島へ次男の様子を見に行ってきます。

という事で久し振りにメニューを・・・。

ししゃも
里芋の煮っ転がし
餃子のスープ
きゅうりの塩もみ
ご飯



手術日は・・・?

2006年02月01日 | Weblog
『ベガーズ』が終わったので今日病院へ行ってきた。
主治医の先生も居られてすぐに手術日が決まるものと思っていたのに・・・。

腱鞘炎の手術は外来手術と言われていて割りに簡単なものらしい。
ここを少し開いて、と指で示されたのは2センチほどの広さ、すぐだからといわれたのに、手術日が決まらなかった。
先生の外来担当日以外の日は火曜と金曜なのだが、
来週は予定が一杯なんだよなぁ~!だって・・・。

決まれば連絡しますと言われるのでそのまま帰ってきた。
なんか出鼻をくじかれた感じ

早くこの痛みから解放された~~い!!