<縄文時代が日本の独自性に大きな影響を及ぼした>
文明が起こるときに必要なのは、『文字』の誕生、『都市』の成立、『階級』の発生があげられます。
文字が生まれたことで記録が残るようになり、都市が生まれて農村では入手できないものが交易で手に入り、そして戦う人(戦士)や祈る人(祭祀者)が上に立って(エリート)、耕す人を『支配』する構図が成立することで、『文明』は生まれ発展していきます。
人間が定住して農業を行うようになると、戦争も起きるようになってきます…。
農業が定着したあとに都市が生まれ、交易が始まり、何を輸出し、何を輸入したかを整理する必要から『文字』で記録をとるようになります。
やがて、都市同士の対立、戦争が起こり、戦士、祭祀者というエリ-トが生まれ、農民たちを支配します。
これが一般的な文明の発展の流れですが、日本はそういった道を歩みませんでした…。
なぜかというと、日本には「縄文時代。」という大変「不思議。」な時代があったからです。
他の国では採集・狩猟・漁労経済から農業へ移行しましたが、日本はなぜか農業の手前で足踏みし、採集・狩猟・漁労を主とする縄文時代が1万年以上も続くことになります…。
そして縄文時代が長きにわたって続いた結果、日本は他の国とは違う独自の発展を遂げていきます。
縄文時代は、その初期の段階から『都市』といえるほどの巨大な集落が出来上がっていました…。
大規模集落があったとされる三内丸山古墳(青森県)には、文明や文化といってもいいほどの高度な発達をした形跡が見られます。
縄文時代が長く続いたのは、「狩猟・採集だけで、栄養状態がよかった。」ので生活スタイルを変えようとはしなかったため、日本人は農業の侵攻を食い止めることができました…。
他方、メソポタミアから中国、エジプトなどでは、飢えから身を守るために農耕社会に転じましたが、それにより争いも頻発するようになりました。
平和な縄文時代が1万年以上も続いた日本とは、まるで「対照的。」だったといえます。