チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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 日本文明転換の「換骨奪胎の超システム。」の『誤作動』:チャンネル桜・瓦版、朝日購読中止を!

2015-07-17 11:43:36 | 日本文明

  <日本人の本質(5)。日本文明転換に関わる、「換骨奪胎の超システム。」は、『誤作動』することもある>

  古代には、中国から、律令制を取り入れたが、その根幹である、「君主の専制。」という思想は、『排除』され、日本的な『委任』政治に合う、日本特有の合議政体「太政官。」が生まれました。

 また、中華文明の不可欠の文化要素である、「宗族。」という、「大家族制。」や、『科挙』、『宦官』の制度には、一顧だに与えなかったし、儒教・仏教入れ、道教や道士なるものは、公式には、決して受容しようとは、しませんでした。

 道教は、もちろん中華文明の極めて、重要な文化要素であり、それについての『官制』が、定められていたから、律令制という政治・社会の制度にも関わる、「社会過程。」の上でも、不可欠な、文明要因であるわけだが、これに対する、日本側の、極めて用心深い対処は、大変、印象的ですらあります。

 天文や暦、陰陽道という、実用面での、『断片』受容や民間レベルでの、自然な流入は、はるかに時代をさかのぼって起こったが、日本が、国家として、道教の体系的受容を、厳しく、『拒ん』だのは、日本特有の「文明的アイデンティティ。」への、強い『意識』が、あったことを証明しているのであります。

 また、それが、平安期に入って、徐々に、国家と文明の『乖離』が、広がるにつれ、陰陽道など、道教的文化への公権力の姿勢が、『変容』し、「超システム。」の機能低下といえる事態へと、つながってゆきます。

 天武・持統朝の文明意識の強い時期から、2~3世紀後の平安初中期への、『道教』文化への日本国家の姿勢の変還は、「文明変換の超システム。」を考える上で、大変、興味あるテーマと言えます。

 明治の西洋化でも、後で見るように、そうした例は、山ほどある。 しかし、おなじく、ときに、この文明『変換』に関わる、「換骨奪胎の超システム。」は、「誤作動。」することもあります。

 戦後の日本の平和主義も、その一例である。 欧米人に限らず、外国人はしばしば、日本の戦後の「平和主義。」の全貌を知るや否や、「そんなものは、平和主義では『ない』。」と言います。

 自分の国を、「自分で守らない。」平和主義など、世界のどこにもないからであります。

  戦後の日本の平和主義も、「換骨奪胎の超システム。]を通じて、大変換されて、取り入れられたものであることは、間違いない。

 しかし、このとき、「誤作動。」が起きて、本来の平和主義が、最初の段階で、大変ややこしく、ねじれてしまい、非常に歪(いびつ)な形に、変換されてしまったのであります。 

 なぜ、このときに、『誤作動』が起こるのか?、端的な形ながら触れておくと、「換骨奪胎の超システム。」は、日本文明のもつ、『様式』に根差した形で、作動したときには、その活力に、大きな益をもたらすのだが、「文化『構造』を、『無視』した形。」で、作動したときには、日本文明の基礎を、「揺るがす。」ことにも、繋がるのであります。

            以上

 

 


 麻布問答(54)。「理解力不足。」(馬鹿):チャンネル桜・瓦版、ドイツの戦後賠償は済んでいない

2015-07-17 07:26:57 |  麻布問答

  <麻布問答(54)。「知識不足。」(無学)なのか、「理解力不足。」なのか?>

 R(麻布老人):わたしが「早期発見・早期治療。」という医学『常識』(多数意見)を述べるのに対して、Kさんは「検査・治療。」は「自然治癒力。」(放っておけば治癒する-現代医学の禁句)を妨げるという意見なのだよね~!?

 さらに、『世論』(通説・多数意見)とは、「意見のない人たちの意見の集まり。」だとも言っているよねえ…。

 つまり「多数意見。」というのは、「根拠(何故か?)構わずに、皆はどう思うのか?という思惑の集まり。」だということで、ブログも「世論(多数意見・論拠要らない)の真逆(少数意見・何故かを言わなければならない=論拠有り)が殆ど正しい。」と西部邁さんの『書名』からのパクリがタイトル名になっているというのだよね。

 K(喜多八):う~む。

 Rさんは、「私は馬鹿(理解力なし)なのかなあ…?」と言っていたけれど、「本はすでに、誰かが考え付いたことでオリジナリティがないから読まない。」というわけで、知識が足りないだけ(無学)だと思うのですよ…。

 ところで、私の関心は、「どっちが得か?」であるため「経済の先行き。」とか「人生観。」が主なのですが、Rさんからたびたび「現代医学礼讃。」の意見(検診・治療)を勧められるので、「病院へ行くと病気になる。」(世論と真逆)というカテゴリーを200本も述べることになってしまったのですよ!

 R:いや~、しかし、その200本を半分ほど読んでみたけれど、まったく「エビデンス。」になるものはないじゃあありませんかあ…??

 K:ふ~む。

 Rさんのいう「エビデンス。」というのは、貴方の良くいう「大阪大医学部。」の研究データとか『厚労省』(医学・医薬業界御用達)の「ホームページ。」などのことを言うのですかしらね?

 私の200本のブログというのは、Rさんのいう「検診・治療・服(毒)薬。」が、「有害無益。」だという『知見』(月50~100冊購入の東西古今の賢人と思う人の意見)をピックアップしたものなのですよ…。

 R:う~ん。

 しかし、そこで、それらの『知見』の「どこが違うと思うのか?」を言って欲しいというが、どれもこれも『自明』(何だそりゃ?)の「医学通説(多数意見)。」と違うから、『反論』の必要は無いではないですか!??

 K:(さらに)う~む。

 ちょっと、待ってくださいね。

 え~と、そもそも「その医学通説が、違う。」という『論拠』を200本も述べているわけなのだけれど、Rさんには、更にその『論拠』の「どこが違うか?」を、何度もお訊ねしているわけなのですけれどねえ…??

 R:いやあ~。

 どこが違うかと云われても、あなたの言っていることは「皆の言っていること(多数意見・論拠はないかもしれないけれど)と違う。」から、間違っていることは『自明』だと思いますよ…。

 「民主主義。」と同じで「多数意見は正しい。」わけ(?)で、「大勢の意見の方が、正しい。」に決まっている(?)ではありませんか!

 それに、あれですよ、Kさんのブログは、分かりにくくて、なかなか『理解』することはできないよ…!

 もっと分かるように書かなければ、誰も読む人などおらず、アクセス数が少ないというのも当然だと思うなあ。

 K:ふ~む。

 本を読まないので『知見』が不足している(無学)だけだと思ったけれど、「理解(判断)力。」もやや足りないということなのですかねえ…。 (とほほ)