<日本人の本質(5)。日本文明転換に関わる、「換骨奪胎の超システム。」は、『誤作動』することもある>
古代には、中国から、律令制を取り入れたが、その根幹である、「君主の専制。」という思想は、『排除』され、日本的な『委任』政治に合う、日本特有の合議政体「太政官。」が生まれました。
また、中華文明の不可欠の文化要素である、「宗族。」という、「大家族制。」や、『科挙』、『宦官』の制度には、一顧だに与えなかったし、儒教・仏教入れ、道教や道士なるものは、公式には、決して受容しようとは、しませんでした。
道教は、もちろん中華文明の極めて、重要な文化要素であり、それについての『官制』が、定められていたから、律令制という政治・社会の制度にも関わる、「社会過程。」の上でも、不可欠な、文明要因であるわけだが、これに対する、日本側の、極めて用心深い対処は、大変、印象的ですらあります。
天文や暦、陰陽道という、実用面での、『断片』受容や民間レベルでの、自然な流入は、はるかに時代をさかのぼって起こったが、日本が、国家として、道教の体系的受容を、厳しく、『拒ん』だのは、日本特有の「文明的アイデンティティ。」への、強い『意識』が、あったことを証明しているのであります。
また、それが、平安期に入って、徐々に、国家と文明の『乖離』が、広がるにつれ、陰陽道など、道教的文化への公権力の姿勢が、『変容』し、「超システム。」の機能低下といえる事態へと、つながってゆきます。
天武・持統朝の文明意識の強い時期から、2~3世紀後の平安初中期への、『道教』文化への日本国家の姿勢の変還は、「文明変換の超システム。」を考える上で、大変、興味あるテーマと言えます。
明治の西洋化でも、後で見るように、そうした例は、山ほどある。 しかし、おなじく、ときに、この文明『変換』に関わる、「換骨奪胎の超システム。」は、「誤作動。」することもあります。
戦後の日本の平和主義も、その一例である。 欧米人に限らず、外国人はしばしば、日本の戦後の「平和主義。」の全貌を知るや否や、「そんなものは、平和主義では『ない』。」と言います。
自分の国を、「自分で守らない。」平和主義など、世界のどこにもないからであります。
戦後の日本の平和主義も、「換骨奪胎の超システム。]を通じて、大変換されて、取り入れられたものであることは、間違いない。
しかし、このとき、「誤作動。」が起きて、本来の平和主義が、最初の段階で、大変ややこしく、ねじれてしまい、非常に歪(いびつ)な形に、変換されてしまったのであります。
なぜ、このときに、『誤作動』が起こるのか?、端的な形ながら触れておくと、「換骨奪胎の超システム。」は、日本文明のもつ、『様式』に根差した形で、作動したときには、その活力に、大きな益をもたらすのだが、「文化『構造』を、『無視』した形。」で、作動したときには、日本文明の基礎を、「揺るがす。」ことにも、繋がるのであります。
以上