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『文化』とは、何か? 『文化』とは、「暮らしの立て方。」、『文明』の基礎

2014-09-16 05:28:11 | 日本文化

 文化は、英語のculture、ないし独語のKulturの訳語であります。

 

 独語のKulturには、『物質文明』に対する、『精神文化』という意味合いがあります。 一方、英語のカルチャーは、人々の『生活様式』(way of life)と定義されます。 ひらたく言えば、「暮らしの立て方。」であります。

 

 日本語で、文化という時には、両方の意味が、混在しているが、英語圏の文化の定義は、文化人類学(民族学)で、広範に使用され、国際的な普及度が高いのであります。

 

 近代『文明』と経済発展とは、一体のものとみなされているが、文化と経済とは、『対立』的に考えられがちだが、しかし、その考えは、浅薄であります。

 

 メセナ活動への理解が進み両者を、両立させる動きがあるが、メセナ活動は、企業による、芸術活動への援助なので、経済は、富を生み、文化は、富を使うという理解を、もっている人がいます。

 

 「文化は、金食い虫。」といって、はばからない、向きもあります。 又、数式は、文化論には適用しにくいが、経済学には、活用できるから、文化は、『非』合理的だが、経済は、合理的だという人もいます。

 

 ことは、そう単純ではありません。 経済は、生産と消費、供給と需要、販売と購入からなります。 しかし、いかに生産の合理化を追求し、供給ルートを押さえ、販売に力を入れても、人々が、消費せず、需要がなく、購入しなければ、経済活動になりません。

 

 消費は、経済活動であり、同時に、「生きる行為。」であります。 『消費』なくして、暮らしはありません。

 

 暮らしには、『スタイル』が、あります。 ライフスタイルであります。 ライフスタイルは、個性であり、人間のアイデンティティに、かかわることであります。 どのようなものを、どのように消費・需要・購入するかは、一律ではありません。 

 

 性別、年齢、社会的地位、用途、人格、好みなど、さまざまな要因に、左右されます。 これらは、量に還元できません。 人生の『質』にかかわることであります。

 

 海外で、物を売るには、その地域の暮らし(文化)に合ったものを、売らねばなりません。 それゆえ、市場調査が、不可欠になります。 市場調査とは、消費性向、需要動向、購入意欲を調べるものであり、『文化』調査といっても、よいものであります。

 

 生産は、消費のためにあり、供給は、需要を生むためにあり、販売は、購入に支えられます。 その点からすれば、生産・供給・販売は、消費・需要・購入に、『従属』するとすら、いえます。 言いかえれば、経済は、『文化』に従属します。

 

 あるいは、『経済』は、文化のしもべであり、文化の発展に、『奉仕』する活動といっても、よいでありましょう。 

 

 文化は、衣食住のように、目に見えるものと、価値観・制度などのように、目に見えないものとからなります。 アメリカ文化とは、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフのことであります。 ウェイ・オブ・ライフは、「生活様式。」と訳すのが、慣例ですが、個人レベルに即して、もっと単純に訳せば、「生き方。」であります。

 

 ライフスタイルと『同義』であります。 日本人一人ひとりの生き方(ライフスタイル)の集合が、日本文化(ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ)であります。 日本では、人々の暮らしや、一人ひとりの生き方に、花を添える、芸術・芸能・学問のみを、文化扱いしています。

 

 それは、誤りではないが、いかにも、『狭義』の文化理解であり、いわば、文化の『花』の部分だけを、見ているのであります。 花を『支え』ている、土壌・根・茎・葉にも、目配りがいります。 『生活』文化を、視野に入れなければなりません。

 

 日本人の生活様式ないし、暮らしの立て方が、日本文化なのでありますから。

 

 既述のように、文化には、「生活様式。」という定義があるが、文明には、文明論者の数だけ、定義があります。 そこで、まず、私なりに、文化と文明の区別に触れ、次いで、文化・文明の観点から、『経済』文明としての、近代社会の成立を、略述してみましょう。

 

 文化は、地球上のどの地域に住む人も持っています。 しかし、文明は、そうではありません。 地球上の一部の地域にしか、存在しなかったし、現にそうであります。 エーゲ海にギリシャ文明が、栄えたころのローは、文明とは、いえません。

 

 その後、ギリシャに代わって、ローマ帝国が、文明の担い手になりました。 あるいは、英国は、中世までは、文明ではありません。 やがて、19世紀に、世界の7つの海を、支配する大帝国になったとき、英国は、近代資本主義の覇者として、自他ともに認める、文明になりました。

 

 英国人が、『文明』という言葉を使い始めるのも19世紀であり、それ以前にはありません。 日本最初の文明論というべき、福沢諭吉の『文明論の概略』で参照された、英国人バックルの『英国文明史』が、書かれたのは、1857~61年、19世紀中葉に、大英帝国が、世界に君臨したときであります。

 

 英国の『衰退』とともに、人々は、文明としての大英帝国よりも、英国『文化』を語るようになります。 文化は、『遍在』するが、文明は、『偏在』するのであります。

 

 このように、ある地域の文化が、文明になります。 文化は、人々の暮らしがあるとことに、遍在するだけでなく、永続します。 一方、文明は、『興亡』するのです。 古い文明は、衰亡し、新しい文明が、隆盛します。

 

 それに応じて、文明地域は、移動します。 文明は、長続きするが、永続はしません。 文明の存在する地域には、必ず、その地域の『文化』があります。 文化が、文明の『基礎』であります。 それゆえ、文明を論じる際にも、文化を見据えて、置かなければならないのであります。

 

                 以上

 

 

 


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