<年をとった晩年こそ「稔り(収穫・プラチナ)の時。」>
あなたが、いろいろな問題のある中でも頑張ってやっている様子を聞いて、偉いなあと思いました。
「それなりに仕合せだとも思っている…。 考えてみると、随分と面白い人生だったともいえる…。」という言葉を聞いて少しく感動しましたよ…。
そういえば、母が生前に「いろいろなこと(すったもんだ)があったけれど、私の人生は、まあこんなものだなあと満足(得心)しているよ…。」と言っていたのを思い出しています。
『真理』(この世の仕組み)にも「年をとるというのは、良い(素晴らしい)ことだね…。」というものがありましたよ…。
つまり、1、は経験をつむことであり、2、は少欲となることによるというのであります…。
1の『経験』を積むということは、人生の有り様(仕組み)が見えてくることによって、「生き方。」が巧み(上手)になり、「人生を楽しんで過ごすこと。」ができるようになるということでありましょう。 (それなりに人生の達人に近づくということでしょうか…?)
2の『少欲』とは、人の3大欲(色、見栄、金)がそれなりに抑えられ、良い意味で枯れてくるということでありましょう…。
「足るを知る者は富む(富者)。」というように、「今に満足、今日に感謝。」、「今あるだけで有難い、有難い、全てが感謝、感謝(金さん、銀さん)。」ということは幸せの極意であります。
あなたは、「断捨離。」といっていましたが、「もっと、もっと…。」という人の常である「過分欲。」から離れる境地にあることは見習うべきと感心しておりますよ…!
「メメント・モリ。」という中世の言葉があるようですが、これは「死を思い、今を生きる(実存)…。」ということで、「生ある『今』をしっかり生きる…。」ということでありましょうか?
「人生とは何か?」、過ぎ去った過去は戻らない(その意味を変えることはできますが)し、これからの未来は、「あるかどうかわからない。」、それでは、「人生とはいつか?」⇒それは「今でしょう!」(笑い)でありますよ…。
「人間の正体は、魂。」、そして人はその人生を終えて(眠りについて)再びその血筋の中に生まれ来る(目覚める)ということでありましょう。 スポーツも勉学もその睡眠中に「バージョンアップ。」されると言われています。 いずれ、このことも「睡眠の真理。」として表されるものと思っています…。
そして生まれ来る「次の世。」には、いちだんと「運命(生きる力)の階級。」が引き上げられてのスタート(さわやかな目覚め)になると約束されています。
自分の生命の持続(永続)性のためからも、子孫への「遺伝性。」の為からも、今あるこの一時一時を「良いもの。」として『大事』に味わっていきたいものと思っていますよ…。
この意味においても「人生の良さ。」が味わえるようになっている「人生の晩年。」こそが「稔り多い。」プラチナ(収穫)のときと思うのであります。
私においても、ブログに書いたように、「過ぎた1年。」(昨年)が人生で最高の年であったと感じることができたのは(人生の仕組み=真理を学び、少欲?で満足を知った?からでしょうか)、とても有難いことで、それこそ感謝、感謝ということになりますかね…!?