<西部邁師の論(41)。保守とは何か? 目に見えない価値観とは何か?>
『保守』とは本来、その国の歴史や文化から出発する思想です。
『保守』とは、無条件で普遍的な、しかも、フランス革命の指導駅理念であった「自由、平等、『人権』の普遍性。」という感根を『疑う』ところから出発した思想であります。
「価値観。」というものには2つあって、1つは「目に見える価値観。」と他の1つは「目に見えない価値観。」であります。
たとえばルールといっても、「目に見えるルール。」である『法』と、「目に見えないルール。」である「道徳や慣習。」といった2つのレベルがあるのと同じです。
アメリカは、「目に見える価値観。」としては、自由、平等、『人権』、多元主義、世俗主義(政教分離)などを標榜しています。
しかし実際に日常生活を律する「目に見えない価値観。」のほうは、アメリカの優位(アメリカ例外主義)、ユダヤ・キリスト教、エリート主義、隠然とした人種意識、画一主義なお、決してそれほど『結構』なものではありません
日本の場合には、「目に見える価値観。』としては、憲法で記された、自由、平等、『人権』、平和主義などがあります。
他方、「目に見えない価値。」としては、ある種の集団主義、和の精神、家族的価値の重視、謙虚の美徳、日本的な美意識やゆるやかな宗教意識といったものがあるでしょう。
一般的にいえば、自由、平等、民主主義、『人権』などの価値「目に見える」をそのまま信奉し、それを『正義』にしてしまうのが、「左翼『進歩』主義。」です。
一方、「目に見えない価値。」の持つ『歴史』的で「非合理的。」、『慣習』的なものを重視するのが『保守』です。
だから、どうしも、『左翼』進歩主義の方が、「普遍的。」な『正義』を唱える。
これに対して、『保守』のほうは、「具体的。」な局面で、その国の歴史や文化に関心を向けます。
こうなると、アメリカと価値観を共有するという「親米保守。」というのは、語義矛盾しており、自由、民主主義、『人権』、合理主義、技術主義などによって社会の『進歩』を生み出そうとするアメリカの価値は、むしろ、『左翼』進歩主義にこそぴったりくるものです。
にもかかわらず、左翼進歩主義者が、一般に反米的なのは、アメリカの理念に対してではなく、それを実現しようとする軍事的強行主義に対してでしょう。
一方、親米保守がアメリカにシンパシーを持つのは、その理念というより、アメリカの政治・軍事的な強硬さや強い国家意識に対してでしょう。
どちらも、都合のよいアメリカの掲げる進歩主義的理念に対して、強い懐疑の念を向けるべきなのです。
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