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2016-05-01 14:18:03 |  プロパガンダ・策謀
   <明石大佐のスパイ大作戦>

 明石元二郎は、20世紀、世界史上の大事件となった日露戦争において、児玉源太郎や大山巌に匹敵するくらいの活躍をした陰の「立役者。」である。

 明石は、駐在武官として世界各国に派遣され、在外公館に駐在して軍事に関する情報収集を担当する軍人と外交官の中間のような役回りを果たしていたさんてん。

 明石は、ロシア戦争前夜、児玉源太郎よりの秘密命令を受け、露都ペテルブルクに派遣されたが、豊富な資金を慕って、やがて明石のもとへ磁石のように革命運動の闘士達が集まってくるようになった。

 明石には、工作資金として日本政府から100万円が(国家予算の12万分の1、1200億円にも相当する)渡されていた。

 明石大佐は、ロシア国内ではレーニン、ヨシフ・ジュガシヴィリ(後のスターリン)等とも関係を持ち、反露地下運動の大会を開催するなどして、革命運動と破壊工作と諜報を世界規模で行ない、ロシア内部はもちろん、その支配下にある国々で反ロシア運動があるとき、必ずそこには明石の影があった。

 明石がロシア国内に投じた波紋は、大きなうねりとなってロシア全土に広がり、内務大臣プレーヴェの暗殺、血の日曜日事件、戦艦ポチョムキン号の叛乱など、ロシア革命を構成する重大事件は、全て明石の差し金である。

 かくしてロシア全土に広がった革命の烽火は、戦争の継続を不可能にし、帝政ロシアの敗戦、そしてロシア革命へとつながったのである。

 戦後、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が、明石を評して「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果をあげた」と語るほど、明石の功績は甚大なものだった。

 その後、明石は、台湾総督に就任し早々、電力事業に取り組み、明石が作った水力発電所用の人口湖「日月譚」の発電量は10万キロワットにもなり、日月譚は、現在観光名所になっている。

 明石はその後まもなく熱病に倒れ、日本の総理になることなく、台湾総統就任後1年で還らぬ人となった。
明石は故郷福岡で息を引き取ったが、「余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」との遺言に従って、遺体は台湾に埋葬された。

日本による50年間にわたる台湾統治時代を通して、台湾に葬られた総督は明石元二郎ただ1人である。
明石を慕う台湾民衆の寄付によって、皇族を除いたどんな軍人よりも立派な墓ができたという。


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