<本居宣長の『古意』(いにしえごころ)>
徳川時代が、成熟するにしたがって、「一体、日本とは、どういう国なのか?、日本語とは、どういうものなのか?、日本人は、どのような日本人らしさを持っているのか?」ということが、問われるようになりました。
これは、「日本自身。」という、問題です。
本居宣長が、日本や日本人の将来を、考えようとしたときに、本来のことを考える力が失せて、将来のことを展望する気力が、萎えてしまうようなものがあることを、感じたのです。
あたかも、日米安保による、『桎梏』に似ていました。
宣長は、その桎梏が、「からごころ。」というものでは、ないかと突きとめたのです。 「中国的思考法。」とも、いうべきものです。
自分たちが、日本人自身であることの根拠を、きれいに、言おうとすると、その「からごころ。」が、邪魔をする。
「そういう実感をもたらすものとを、取り除いた思索を、してみたい。」、そう考えたのです。
それが、いわゆる『国学』というものでした。
宣長が、生涯を通して迫ろうとしたのは、「いにしえごころ。」(『古意』)というものでした。
それに対して、その古意を、失わせるもの、それが、「からごころ。」(『漢意』)です。
宣長は、『玉勝間』に、こう書いています。
『漢意』(からごころ)とは、漢国(からくに)のふりを好み、かの国を、たふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、万の事の善悪是非を論(あげつら)ひ、物の理をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍の趣なるをいふ也。」と。
多くの日本人は、中国のことを、引き合いに出しては、それをものごとを考える『基準』にしているけれど、「その日本人の、中途半端な『編集』の仕方が、『からごころ。』というものだ。」と言っているわけです。
では、どういう「編集方法。」で、日本の本来や将来を、考えればいいのでしょうか?
それを、宣長は、『古事記伝』だけをとっても、全44巻を著述しつくして、35年をかけて、考えたのでした。
(続く)