<水野さんの知(4)。 過剰な『蒐集』の3つの現象>
1970年代半ばから、過剰な段階に達した『蒐集』は、今までには見られない、3つの現象を、招来させたのです。
1つは、金融経済の実体経済に対する、圧倒的な優位です。
いわば、「犬の尻尾(金融経済)が、頭(実体経済)を、振り回す。」ようになりました。
第2は、新興国の先進国に対する『優位』です。
いわば、「陸と海のたたかい。」が、始まったことで、資源価格の高騰時代を迎えたことになり、先進国にとっては、交易条件の悪化で、生産(実質GDP)ほどに、所得(実質GDI)が、伸びなくなりました。
最後に、資本の労働に対する、『優位』です。
労働分配率の極端な低下に、それが、あらわれています。
第1の現象によって、金融危機が、不況を深刻化させるため、大リストラが、断行され、正規社員を、非正規化させ、若年層の失業率を高めました。
そして、第2の現象では、景気回復期に、資源価格の高騰で、中間投入額(変動費)が、膨れ上がり、売上高から変動費を控除した、限界利益が、僅かしか、増加しなくなりました。
第3の現象では、資本に対して、労働力の力が弱いので、景気回復下で、増加した限界利益は、そのほとんどが、企業利潤の増加となります。
結局、賃金は、不況下では、もちろんのこと、景気回復下でも、減少するのです。
「歴史における危機。」にあって、今、喫緊にすべきことは、『中間』層の再建なのです。
健全な、中間層がいなければ、「歴史における危機。」を乗り越えられないのが、歴史の教訓なのです。
ある人は、言います。
「市場との格闘を通じて、強く感じたことは、『歴史は、現在と過去の対話。』である。
(中略) 過去を見る目が、新しくならない限り、現代の新しさは、本当につかめない。」であろうということです。
過去から、現在間に至るまで、『無言』で、何も語らない市場が、必死で、伝えようとしていることは、何だろうか?ということを、常に、念頭におくことによって、『私たちを、遠い過去へ、連れ戻すのではなく、過去を語りながら、現在が、未来へ、食い込んでいく、その《先端》に、私たちを立たせる。』ことになります。」と述べています。
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