ただ、8月5日付けの編集担当取締役杉浦信之の社告を読む限り、朝日には真摯な反省はない。
彼は「慰安婦問題は90年代始めにクローズアップされ…。」と曖昧な「受動態。」で書く。 これは、「朝日が慰安婦問題の『嘘』を集中的に掲載した、90年代初め…。」と書くべきだろう…。
「慰安婦問題は、朝日の『捏造』といういわれなき批判が起きています。」と続く…。 「いわれ。」があるからから、『反省』しているのではないか!?
まっさらなところに朝日が歴史の断片を『偽り』の証言でつなぎ合わせたのが慰安婦問題だ。 そのつぎはぎを、学者どもが朝日に媚びて、さらなる偽りで塗り固めた…。
朝日新聞が、8月5,6日付けの紙面で『慰安婦問題を考える』との大特集を組み、過去に取り上げた吉田清治証言の「慰安婦強制連行。」は虚偽とし、関連記事を取り消した。
朝日の記事のポイントは、
1、慰安婦にするために「女性を強制連行した。」という『吉田証言』の記事を取り消す。
2、慰安婦と挺身隊を『混同』した。
3、植村高元記者による元慰安婦記事は「事実の捻じ曲げは無かった。」と『擁護』。
4、政府は「強制連行。」を認めていないが、女性の尊厳を傷つけられたことが問題の本質だと「すり替え。」をしている。
『個の自立』、あるいは『近代的自我の確立』抜きに、経済発展はありえないという西欧、北欧、北米大陸諸国には、ぴったり適合する『ローカル・ルール』を、世界経済の『不変の法則』に祭り上げてしまった、欧米人にとって、「人間は、相互依存なしには生きられない。」という、平凡で、冷厳な事実を、すんなり受け入れる日本人が、経済成長を達成できていること自体が、不思議でしょうがないでありましょう。
その意味では、インド・中近東諸国はいうに及ばず、中国や韓国と比べても、人類数10万年の歴史によって形成された、『相互依存本能』を、「ずるずる引きずっている。」日本人は、経済成長には、いちばん不向きな連中と見られているに違いありません。
高度成長期から「今は好調でも、そのうち化けの皮が剥がれて、没落するに決まっている。」と思っていたからこそ、バブル崩壊後の長期低迷も、当然のように思われているわけです。
「世界恐慌の後に、覇権国に成り上がっている国は、恐慌でいちばん苦しんだ国だ。」という法則からいうと、1990年代の日本の不況は穏やかで、この程度の苦しみ方で、経済覇権のお鉢が回ってくるとすれば、話がうますぎるというものです。
だが、2008年のリーマン・ショックの勃発で、謎が解けました。 日本人は、1930年代のアメリカ発の大不況と比べても、『2倍』くらいの歳月を不景気の中で過ごすという、「細く、長い、苦しみ。」(失われた20年)を味わうことで、瞬間風速的な、「苦しみの、足りなさ。」を、十分、埋め合わせるという巡り合わせだった、のでありましょう。
西欧型能動主義を支える3本柱の中で、最も強力な「科学的技術的能動主義。」が、他の2本柱、「個人主義型はずみ。」、「有の世界観型はずみ。」が弱くなるほど、強力になっています。
これによって、世の中が、便利になることは、確かですが、その反面、人間疎外が強くなり、下手すると、「人間疎外。」という名の、自然の破壊をも、引き起こすことも、十分予想されます。
テクノ・エンジニアリング型能動主義を、規制するためには、その原点にある、「理性人。」という、思いあがった、人間像を、何とかしなければなりません。
次に、能動主義は、その動機が、その『内部』からの「はずみ。」によるものだけに、とかく、何のための行動か?という「目的意識。」を見失い、「行動のための、行動。」ということに、なりがちです。
つまり、行動が、手段としての域を超えた、「自己目的化。」(コンサマトリ―化)する、わけであります。
さて、ここでの『検討』課題としては、
(1)、西欧型能動主義の「はずみ。」の1つである、「『個人』主義。」についてであります。 これについては、前に指摘したように、「『個の自立』、あるいは『近代的自我の確立』の概念自体が、西欧の「ローカル・スタンダード。」に、「すぎない。」ということ、であります。
つまり、西欧文明の『衰退』(滅亡。 え~つ、そこまで、言うかあ~)につれて、西欧型能動主義の『衰退』になるという、「問題提起。」であります。
(2)、近代西欧文明の成立、「人間疎外。」という名の、自然の破壊についてであります…。
継続するボディブローに耐えかねての8月5日の訂正記事に追い込んでいます。
マスコミも取り上げざるを得なくなり、国会での追及など、朝日新聞倒壊の国民運動にしたいと思っています。