今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

虎渓山 永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町)

2014年11月20日 | 神社・仏閣
虎渓山 永保寺
神社仏閣を廻っていると自然と足が向く場所がある
永保寺もその一つである。確か今回が3回目となるはずだ
観光用駐車場に車を駐め、踏切を渡って永保寺へ向かう道は少し遠いが迷わず行ける

観音堂(国宝)
禅宗の伽藍の中では一番大切な仏殿すなわち本殿となる



夢窓国師一行が道に迷い、白馬に乗った女性に道を尋ねた所、返事が無かった



そこで夢窓は「空蝉(うつせみ)の もぬけのからか 事問えど 山路をだにも 教えざりけり」と歌を詠んだ



すると女性は「教ゆとも 誠の道はよもゆかじ 我をみてだに 迷うその身は」と返歌して忽然と消え失せ、付近の補陀岩上に一寸八分の観世音菩薩像が出現した



夢窓はこの観世音菩薩像を本尊とし、1314年に水月場(観音堂、国宝)を建立した
私の側にすっと見知らぬ老人が近寄ってきて、この観音堂の建物の説明や、なぜ水月場と呼ばれているかとか詳細に説明してくれた
額に「水月場」と書かれていることを老人に教えられた
肉眼では判別できないがレンズを通すとわかる



正面観音開きの桟唐戸には上半に精巧な美しい花狭間の組子がはめこまれている
観音堂の魅力は桧皮茸の軒ぞりの屋根と思っていたが、説明されると戸もすばらしい
老人にお礼を言って別れる



名勝 永保寺庭園
池の中央にある「無際橋」
土門拳の庭園に架かる無際橋の写真を見たのがきっかけとなり数年前に訪れたのが最初だ。






「梵音巌」 写真ではわからないが石仏が点在している。






この庭園の他の池を含めて高所から見ると「心」という字になると、先ほどの老人が話してくれた



池の周囲を歩きながら開山堂の方へ歩いて行く
場所を変えると風景が大きく変わるのもこの庭園の面白いところだ



開山堂(国宝)
先ほど観音堂で説明してくれた老人が開山堂の前で絵を描いていた
1年前には入ることができた場所が、立入禁止区域になっていた



老人から撮影ポイントを教えてもらったが、立入禁止区域
気の小さい私は両方の顔を立てるため、5歩・5秒だけ進入し撮った一枚である



スケッチブックにデッサンしていた老人の作品である
鉛筆に加え色鉛筆で彩色していた



先ほど別れたばかりなのに、もう一枚の絵が描かれていた



私がバシバシとシャッターを切るのを気にしてか
「こんな白い空を撮ってどうする」「土門先生はじっくり考えて撮っていた」と
「土門先生って、土門拳のことですか」と私
ここから二人の長い話しが続く…
この老人は若いときに陶芸家の道を歩んでいたらしい
荒川豊蔵の下で数十年間働いていたと話してくれた
その師匠が彫った石碑が永保寺にあると、案内してくれた



石碑の後ろに「斗出庵」と彫られていた
この石碑のおかげで永保寺の山門の場所を知った
この時は斗出庵(荒川豊蔵)という人物が、人間国宝だということを理解していなかった
荒川豊蔵(志野焼)の作品を土門拳が撮影していた現場を見ていたと話してくれた



近くの寺の石碑も彫っていると案内され、ついていくことにした
戻ることができないかも知れないと思い、途中の建物を撮していく

鐘楼




庫裏



定番となる場所からも






僧堂 座禅堂
臨済宗ではこの禅堂は食堂・浴堂とともに三黙堂とされている



六角堂
千体地蔵が祀られている



六角堂からの様子



虎渓山 保壽院
山門の横にある石碑も、斗出庵の作品






ここで、老人と別れたが長時間にわたり貴重な話しを聞くことができた
毎朝、自宅近くの神社の清掃から1日が始まり、今日は何を描くか考えているという

虎渓山 続芳院
駐車場に戻る途中にあった寺



最後の一枚は、無際橋
毎年3月15日の1日のみ、釈迦の命日である涅槃会に合わせて国宝「観音堂」と「開山堂」が公開される



撮影 平成26年10月15日
コメント
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