今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

民話の里 遠野を車で巡る その3(岩手県遠野市)

2016年09月28日 | 名所・旧跡
1日では廻りきることができなかった遠野。2日目に入る

とおの物語の館
「とおの昔話村」がリニューアルされたと説明を受ける。駐車場も併設されていて便利だ



館内に入ると、子供が楽しめるための空間かなと思っていたが…



様々な工夫がなされていて、初老の私でも十分に楽しむことができた
例えば、ここでは手を叩くと音に反応して物語が始まる



小さなお椀の中に映像が映し出される仕組みだが、これは面白い



基本的に音声で昔話を聞くのだが、目の前にあるオブジェによりより内容を理解することができる






高善旅館と柳田國男
遠野における柳田國男の定宿



日本民俗学の黎明期を知る老舗旅館



 


柳田は3回遠野を訪れているが、いずれもこの旅館に宿泊している



柳田のほか折口信夫やロシア人のネフスキーらも宿泊し、民族調査の拠点となっていた






日本民俗学は、為政者ではなく日本の普通の人々の歴史を発掘、記録しその意味を明らかにしようとした学問



この後、「遠野座」で楽しみにしていた、語り部による昔話を聴く

遠野城下町資料館






「博打に熱中」に目が止まる



絵貝が博打の道具とはなんと昔の人は優雅ではないか





 
遠野市立博物館
日本で初めての民俗専門の博物館
遠野の人々の自然や暮らし、文化、歴史を、『遠野物語』を軸に多彩な映像や展示でご紹介している









遠野には「町」「里」「山」という暮らしの領域がある
それぞれが独自の文化を育み、互いに影響しあいながら、一体となっている遠野の暮らしの姿を、豊富な実物資料や写真、映像で紹介している















「遠野七観音」



「供養絵額」:個人が家族団らんを楽しんだり、生前好んだ趣味、遊び、仕事をする様子が描かれている
死後の世界で楽しく暮らすことを願う気持ちが込められている















博物館から出たところにある一般会社の前に設置されていた



道の駅「遠野風の丘」:風力発電の風車が印象的な道の駅。居心地がよく、私も2泊お世話になった



夜にはライトアップされ美しい



撮影 平成28年5月27日
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民話の里 遠野を車で巡る その2(岩手県遠野市)

2016年09月27日 | 名所・旧跡
方向音痴の私にとってナビをフル活用できない遠野観光は悩みの種
「続石」も周辺を数往復してやっと駐車場(道路際にあったのだが)を見つけた
鳥居の左下に「熊出没注意」の看板が…



花や木にも囲まれ、整備された散策路を快適に歩いていく



途中から上りに変わり、次第に呼吸が乱れ心拍数が増していく
「不動岩」の案内があるが無視して先に進む



間もなく足が止まった。数十m先に「熊がいる」。熊出没注意の看板が頭をよぎる
数分間様子を見たが、動く気配がないので意を決して先に進んでみると、何と、熊の形に似た岩であった



間もなく「弁慶の寝床」に到着
鳥居があったということはここは「手水鉢」ということになる



泣石
弁慶が今の続き石に乗っている笠岩を、初めに乗せたと云われる石だ



「自分の方が位の高い石なのに、こんな石を乗せられて悔しい…。」と、悔しくて泣いたのだという
弁慶もその泣き声が煩いので、笠岩を現在の場所に代えたという話が伝わっている



続石



見る角度によっても違うが迫力ある巨石が迫ってくる



横から見るとこのようになっている
弁慶が乗せたとも言われている巨石、長さ7m奥行き5m高さ2m



更に近づいてみると、二つの石ではなく一つの石だけにのっている。これには驚いた



続石の奥に祠がある。「山神社」と近くの石に刻まれている



不動岩の方から見える「続石」



不動岩
大きすぎて動かないので不動なのか。数秒の滞在で駐車場に戻ることにした。



野に咲く花の名前は知らないが…



違う土地だと、このような何気ない瞬間も新鮮で楽しむことができる



かっぱ淵 
遠野では一番人気の場所である。「常堅寺」(後日紹介)の境内を通り向かう



ここはかつて河童が多く住んでいたという伝説の残る淵。独特の雰囲気を醸し出している






川辺には乳の神である夫婦のカッパが鎮座する祠があり、拝むと胸が大きくなるという噂も



竿先には、えさの「きゅうり」が






「稲荷堂」 奥の鳥居はかなり傷んでいる



阿部一族の屋敷跡もこの周辺にある



かっぱ淵に戻ると釣り人が一人



そこに若者が竿を持ってくると「許可証」がなければ駄目だと説明
実はこれはTV局の番組のリハーサル風景。観光客がいなくなったので始まった



かっぱ淵からの帰り道。道路の両側にホップの栽培作業を行っていた女性に声をかける
「どこのビール会社のホップですか」と私。「キリン一番搾り」だと女性



キリン本社から送られてきた苗を育てているそうだ
旨い「一番搾り」が飲みたくなった



伝承園
遠野地方の農家のかつての暮らしを再現している
数年前、愛想の良い女性が受付にいて、お土産を買った記憶が甦ってきた



佐々木喜善記念館
1908年(明治41年)頃から柳田國男に知己を得、喜善の語った遠野の話を基に柳田が『遠野物語』を著す






曲り家 菊池家(重要文化財)



旧菊池家住宅は18世紀中頃までに建立された曲り家



当初は曲り部分を持たない直家(すごや)だったが、建立後間もない時期に曲り部分の馬屋を増築し、現在の曲り家の姿となった



天皇陛下もこの場所で昔話をお聴きになった



家の中の様子



私のお気に入りの場所



この奥に心残りの場所がある



御蚕神堂(オシラ堂)
心残りというのは、前回訪れたときピンぼけ写真ばかりだったということ



東北地方の家の神様といわれている「オシラサマ」を祭った「御蚕神堂(おしらどう)」






神域というのは写真には向かないと思いつつ、お堂を後にする









もう一度、佐々木喜善記念館に立ち寄り、資料をゆっくり読み直す






伝承園の出口が売店になっていて、数年前の愛想の良い女性もいた
無料の冷たいお茶をご馳走になり、何かを買いたいという衝動にかられたが…

撮影 平成28年5月26日
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民話の里 遠野を車で巡る その1(岩手県遠野市)

2016年09月26日 | 名所・旧跡
民話の里 遠野を車で巡る。遠野は二度目であるが新たな発見があるかも知れない
道の駅「遠野風の丘」で入手した「遠野マップ」を片手に出発

卯子酉(うねどり)様
道の駅に一番近い場所にあるのが「愛宕神社と卯子酉様」。近くに駐車場もある



卯子酉大明神と彫られている



案内板の下の石柱の彫刻



「愛宕神社」



更に奥にお堂があり扁額には「卯子酉」



お堂の横には無人だが赤布が売られている



縁結びの神様として知られているらしい



赤い布を購入し左手だけで結ぶことができれば縁が結ばれるという



私にはもう赤布は必要ないが、地面の木の根が張り、延びている様の方が気になる



さて、次に「五百羅漢」が近くにあるらしいので歩いていくことにする



案内が控えめなところがいい。距離にすると500m弱だが、普段歩く習慣がないため長く感じた



五百羅漢
到着したが羅漢像らしきものが見あたらない



更に緩やかな上り坂を先に進み左右を注視しても見つからない。いったい、どこにあるのだろう
 


半ばあきらめ戻ろうと振り返った時に… これかぁ~ 想像していたものとは違うものだった



200年余り前、東北地方を襲った大飢饉に心を痛めた大慈寺の義山和尚が、犠牲者の冥福を祈り羅漢像を彫ったという



苔むしていて判別できないものも多いが、義山和尚の気持ちは伝わってくる



寺山修司作詞の「野に咲く花の 名前は知らない だけど 野に咲く 花が好き…」を口ずさみながら駐車場に戻る



めがね橋
道の駅「みやもり」の駐車場からその橋がみえる



全国に「めがね橋」はいくつかあるが、ここは東北岩手県ということで何かが違う



車や列車が走っていることではなく



宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルとして知られているのだ



写真を撮っていると近くにいた園児が5~6人寄ってきて礼儀正しく元気にあいさつをしてくれた
大きなカメラが珍しかったのか、一人ずつシャッターを押させてあげると、後ろに回りまた並んでいる



何気ない行動だがこれはすごいことだ
このグループを引率しているのは若い女性の先生だが、子供たちのいないところで、私に挨拶をしてくれていた
大人の立ち居振る舞いをこの幼い子供たちはきちんと見ている。感動した



南部曲り家 千葉家(重要文化財)
修理のため休館中とのこと。駐車場から見上げる



約200年前に建築されたもので、現在も住居としても使用されているというからすごい






愛車との記念撮影



撮影 平成28年5月26日
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海岸山 普門寺(岩手県陸前高田市米崎町地竹沢)

2016年09月24日 | 神社・仏閣
道の駅で得た情報で「三重塔」がある寺ということで駆けつけた
 
普門寺
仁治2年(1241年)に安倍定俊が臨済宗の栄西の弟子・記外を招いて開山
明応3年(1494年)か永正元年(1504年)に如幻が中興開山し、曹洞宗に改められた



駐車場の関係で脇道から入ったが、やはり参拝者は山門を通るのがいい
特に、この参道は木々に囲まれ、緑の中を歩いているだけで心が落ち着く感じがする






本堂へ向かう石段も数種類の花に囲まれている



本堂
天正19年(1591年)と慶応3年(1867年)の二回にわたって火災があり、現在の本堂は1877年(明治10年)に建立されたもの



サルスベリ(岩手県指定天然記念物)
推定樹齢は300年以上



復興の花「中尊寺ハス」
中尊寺ハスは金色堂に眠る奥州藤原氏四代泰衡の首桶から発見された種が800年の時を越え花開いたもの
東日本大震災津波で尊い命が失われ、「鎮魂・復興の花」として株分けされた



「鐘楼」



「地蔵菩薩像」: 鎮魂・東日本大震災 石塔・石仏展覧会 入賞作品



本堂内に入ることはできず周辺を歩いてみる









本堂横の池の脇に置かれている石仏



「南無釈迦仏陀」: 存在感のある坐像



そして、その横にはこの寺を訪れるきっかけとなった三重塔が立っている



三重塔(岩手県指定文化財)
文化6年(1809年)建立、高さ12.5m



塔を撮るのが好きなので周辺を歩いてみるが、良い場所が見つからない



少し離れた場所から望遠レンズで。全体が見えるのはここだけか
初層は三軒繁垂木二手先、二層は全面に彫刻を施した三手先、三層は二軒扇垂木






塔の横にあるお堂



五百羅漢
近くで整備をしていた男性に声をかけ説明を受ける
一般市民が制作し持ち込んでいるらしい



実際には五百に達してはいないようだが、そのなかには素人とは思えない石仏も何体かある



震災の犠牲者の供養のため、市民だけでなく全国からの参加者自身が制作した羅漢像もある
2013年から毎年8月に制作会が開かれているという



この寺も参拝者は私一人だった。この車で今回は東北6県を旅しているが寺社を巡る旅の一番の楽しみは寺を後にする瞬間である
それは経験したものでなければわからないものだ



撮影 平成28年5月25日
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大梅拈華山 正法寺(岩手県奥州市水沢区黒石町正法寺)

2016年09月23日 | 神社・仏閣
正法寺
1348年(貞和4年) 無底良韶は、天台宗の古刹黒石寺奥の院に曹洞禅の道場を建てた
これが東北地方初の曹洞宗寺院、正法寺の始まり
約1km離れた場所に正法寺駐車場の案内板があり、そこに車を駐め、歩いてここまで来た
受付所の横に駐車場があることがわかり、周辺の風景を楽しみながら車を取りに戻ることにした



総門(重要文化財)
寛文5年(1665年)建立の四脚門である



扁額には、山号の「大梅拈華山(だいばいねんげざん)」



本堂(重要文化財)
総門の石段を上ると視界が開け、目の前に本堂が見えてくる



境内のあちこちに電線があり、画面に入り込まないように苦労したことを思い出した



正法寺開創2年後の観応元年(1350年)に崇光天皇が、「出羽奥州両国における曹洞の第三の本寺」として、住職に紫衣の着用が許された
大本山の永平寺、總持寺に次ぐ第三本山と呼ばれた



正法寺僧堂。曹洞宗寺院は永平寺もそうであったが堂内を自由に見学でき撮影も許可されている



本堂から庫裏が見える



庫裏(重要文化財)
正法寺は火災が多く、1444年から1799年まで6回を記録
1799年の最後の火事は、庫裏から出火、惣門、土蔵、宝蔵を残しほぼ全焼した



江戸時代後期の再建。寄棟造茅葺きである



「蛇体石」:開祖の化を蒙った大蛇の神体



庫裏の左側部分、右側に入口がある



内部の様子。炉内の石の配置といい、細かな配慮がなされている



破れた障子の修繕をしている修行僧に声を掛けた。これも修行の一環だそうだ
このゴミ一つ無い廊下をみると大本山永平寺を思い出した



外からみるとこの部分になる



正法寺七不思議「文福茶釜」
茶席などでお湯を沸かしていたこの茶釜は、お湯を汲んでも汲んでも減らず、どんどんお湯が沸いたと言われている
それが、福を招く茶釜として珍重され、今日まで語り次がれてきた



今から200年前、仙台藩伊達家による全面援助で今の伽藍が再建された
それ以後、藩主が正法寺参拝の際、この駕籠で迎えた



各部屋の様子。曹洞宗寺院は撮影禁止の制限箇所が他の宗派より寛大である






「座禅堂」:行も亦禅 座も亦禅



私の知っている曹洞宗僧侶に「永平寺で修行したの」と尋ねると「あそこは厳しいので総持寺にしました」と
確かに永平寺での修行僧を見ていると鍛えられているという感じがした。さて、ここはどうなのか、ふと考えた
 


「釈迦涅槃図」: 江戸時代 縦411cm 横484cm



沙羅双樹に囲まれた寝台の上で、北枕西面し右脇を下にして身を横たえ入滅する様子を描いている
私も体調が悪いときこの姿勢を取ることが多くなってきている



「道元禅師坐像」:永平初祖 道元大和尚 禅師と書かれている。



「韋駄天像」:日本の禅宗では厨房や僧坊を守る護法神として祀られる



鐘楼堂(重要文化財)
梵鐘に太鼓の組み合わせを初めて見た



 


庫裏の右隣にあり重要文化財には鐘楼堂を附(つけたり)指定とするとなっている



正法寺七不思議「児なきの池」
ある母親が子供を育てられなくなって、7月15日の夜に寺内の池に子供を捨ててしまった
それから毎夜、池から悲しい子供の泣き声が聞こえるようになり、不憫に思った和尚は、子供が成仏できるよう読経した
それ以来泣き声が聞こえなくなったと言われている



「御開山お手植えの柏の木」



緑一色の境内に赤い花を見つけた。花など興味はないのだが、このような空間に入ると意識してしまう



惣門の左に私の愛車。結構長い時間滞在したが、参拝者は私一人だった



この惣門に魅力を感じていたので最後にもう一枚



撮影 平成28年5月25日
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妙見山 黒石寺(岩手県奥州市水沢区黒石町山内)

2016年09月22日 | 神社・仏閣
旅の途中で重文の仏像を持つ「黒石寺」の存在を知った
寺に向かう途中、急に雨も降り出し嫌な予感が頭をかすめた
駐車場に着いた頃には雨は上がっていた



黒石寺(こくせきじ)
天平元年(729)行基菩薩の開山で、東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火にあい寺は焼失した



大同2年(807)飛騨の工匠が方七間の薬師堂を再建し、嘉祥2年(849)慈覚大師円仁が復興し妙見山黒石寺と改名した



現在の本堂と庫裏は、明治17年(1884)に再建された



扁額には「薬師如来」



雨が降ってきたので雨宿り。見上げると和歌や俳句が掛けられている






彫刻も見事だ



格子から堂内を覗くと暗くてぼんやりとしか見えなかったので、いつものようにカメラのレンズの力をかりた
 


雨が止んだので狛犬を撮りにいく。あまり観たことのない記憶に残る狛犬。穴から雑草が出ている



こちらは大事な部分から…



御供所・鐘楼
1階は御供所(ごくしょ)といって、以前は本尊に供える供物を準備するところ






2階は鐘楼。この梵鐘は戦時中、鰐口とともに供出されたが、まもなく返還されたという



釈迦観音堂






周辺を散策






石段の上にお堂が見える






この建物の中に重要文化財の仏像が安置されているようだ
拝観には事前予約が必要だということを後になって知った



無形民俗文化財の黒石寺蘇民祭で知られているというが、仏像を観ることができないのは何か物足りない
この寺で一番印象に残った狛犬の側に… 



壁の構造を理解することはできるが、壁面の傷みを見るのはつらい



もし寺の人から仏像の話しを聴けていたらこの寺の印象は大きく変わっていたことだろう
次の機会があるとしたら仏像拝観のため事前に予約しようと思う



撮影 平成28年5月25日
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達谷窟毘沙門堂(岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢)

2016年09月20日 | 神社・仏閣
中尊寺から道の駅「厳美渓」へ向かう途中、車中から偶然見つけたお堂である
遅い時間でもあり、翌日訪れようと軽い気持ちで考えていた
朝になると当然のように記憶から消え、黒石寺に行く途中にお堂の横を通り過ぎたときに思い出し、Uターンして駐車場に車を駐めた

史跡 達谷窟(たっこくのいわや)
正式名称は「達谷窟毘沙門堂」、Hpでは「達谷窟毘沙門堂別當達谷西光寺」となっている

壱の鳥居 石之鳥居
達谷村の三人の石工により、江戸時代末に建立された



二の鳥居 丹之鳥居



不動堂
智証大師円珍が達谷西光寺の姫待瀧の本尊として祀ったものを藤原基衡が再建した



 


 





桂材の一木彫の大師様不動の大像である



不動堂の近くにあった像。なぜ髑髏なのか…気になった



金堂
明治の廃仏毀釈で破棄されていたが、昭和62年に着手し、平成7年に完成した



桁行5間梁間6間の大堂。後世に技を伝えるため、昔ながらの工法を用いて作られた



本尊は薬師如来






三の鳥居 杉之鳥居



鐘楼
慶長20年(1615)の建立



 


かつては450kgの洪鐘を吊っていたが、戦時供出。現在のは昭和58年のもの。午前8時、正午、午後4時の三回、時を報せている



達谷窟毘沙門堂
延暦20年(801年)、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた蝦夷を討伐した記念として建てた



東西の長さ約150メートル、最大標高差およそ35メートルにおよぶ岸壁に建っている



地面の狛犬も珍しいが阿吽の呼吸でお堂を護っている






参拝は一方通行。こちらから入り反対側から出るようになっている



堂内の様子



岩面大佛
前九年後三年の役で亡くなった敵味方の諸霊を供養するために源義家が馬上より弓削をもって彫りつけたと伝えられる



高さ16.5m、顔の長さ3.6m、肩幅9.9m 全国で五指に入る大像



記録では「大日之尊體」(岩大日)、その後、岩大佛と記され、現在は岩面大佛と呼ばれている



大日如来ではなく「阿弥陀如来」としている



青空の下、磨崖仏を眺めるは楽しく、時間が過ぎるのをつい忘れてしまう






蝦蟇ケ池辨天堂






源頼朝も鎌倉への帰路に参拝しているという



ふらっと立ち寄ったのだが、印象に残る場所となった



撮影 平成28年5月25日
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関山 中尊寺 その2(岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関)

2016年09月16日 | 神社・仏閣
不動堂
本堂近くにある、昭和52年建立の祈祷堂



「聖不動尊」の扁額



本尊の不動明王は1684年に造られた。酒好きなのか…



峯薬師堂



案内板の説明を読む



薬師如来坐像、日光・月光菩薩



私も長らく飛蚊症で悩んでいるが、眼病にもご利益があるらしい



願成就院宝塔(重要文化財)
平安時代後期(12世紀)の造立



大日堂






梵鐘(岩手県指定文化財)
康永2年(1343)に金色堂別当頼栄の発願により鋳造された



阿弥陀堂






弁財天堂
正徳6年(1716)の建立。奥州藤原氏以後の歴史を伝える



本尊の弁財天十五童子は宝永2年(1705)、仙台藩伊達綱村公正室仙姫の寄進



釈迦堂



白山神社



竹林に囲まれた参道



白山神社能楽殿(重要文化財)



公開されていたのはこの建物だけで、修復作業のためシートで覆われていた



肉眼よりもレンズを通した方が彩色がはっきりする






「茅の輪くぐり」を体験してみた
穢れを祓って清浄な心に生まれ変われるという。今回が2回目になるが穢れたままである



白山神社までが無料で参拝できるが、これからは拝観料が必要となる



金色堂(国宝)
定番の撮影ポイントとなっているが、この場所でしか撮れないというのが現実である


 
拝観は一方通行となっている



入口近くにある手水鉢






金色堂への入口となる。もちろん内部は撮影禁止。内部では藤原氏の歴史や仏像などの説明を繰り返し音声で流す
私は記憶力というか、頭が悪いのでいつも3~5回聴くように心がけている



「芭蕉句碑」
五月雨の 降り残してや 光堂



経堂(重要文化財)
創建時の木材を用いて再建された






 


関山天満宮



金色堂旧覆堂(重要文化財)
1962年、金色堂の解体修理工事が始まるまでの約500年間、金色堂を風雨から守ってきた堂



建築年代は室町時代中頃



覆堂内部



「芭蕉像」
東北の旅では、秋田県の蚶満寺に次いで二度目の芭蕉像である






旧覆堂の風景に溶け込んでいてとてもいい



讃衡蔵(さんこうぞう)
中尊寺ほか山内寺院の文化財を収蔵・展示する施設
国宝や重文などが目の前で観ることができる



時間を確認すると約3時間も中尊寺に滞在していたことになる。後はこの道を下って駐車場に向かうだけ



撮影 平成28年5月24日
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関山 中尊寺 その1(岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関)

2016年09月15日 | 神社・仏閣
中尊寺参拝には長い距離を歩かなければならない
運動不足解消にはいいかもしれないが、気が重い
 


緩やかだが長い坂道。すでに呼吸が乱れている。写真を撮りながら呼吸を整え出発する



八幡堂
天喜5年(1057)源頼義・義家、安倍氏追討のためこの地に至り、ここ月見坂で戦勝を祈願した
勝利の記念に京都石清水から迎えたのが鎌倉の八幡宮



吾妻鏡のなかに「中尊寺寺年中恒例の法会」として「八月放生会」とみられる記載あり



「総門跡」の小さな石柱がある。先へ進む



弁慶堂



1826年に再建されたとされている



堂内に、弁慶と、義経にまつわる像が安置されている



月見坂の両脇には樹齢300年の杉が参拝者を迎える
この景色を見ると来て良かったと思うから不思議だ



地蔵堂






薬師堂
藤原清衡が建立した堂塔の一宇。明暦3年(1657)に現在地に。現在の堂は明治18年に改築された



本尊に薬師如来立像、脇仏に日光・月光菩薩。十二神将の姿も見える



詳細を記した案内板



観音堂
中尊寺境内図に記載のない不思議なお堂






本堂
山門の姿が目に入る



天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所になっている



周囲の写真を撮りながら、参拝者が写り込まないようタイミングをはかる



高齢者の団体と時折外国人の姿が



寺伝によると嘉祥3年(850年)に円仁が関山弘台寿院を開創したのが始まり
貞観元年(859年)に清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったという






丈六の本尊「釈迦如来坐像」 平成25年に安置された



本堂内に入ったのは初めて、見たことのない額があったので一枚



今一人で旅をしてこの場に来ているが、近い将来このような団体客の一人になる日も近いなと思いながら本堂を後にする。



撮影 平成28年5月24日
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高館義経堂(岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所)

2016年09月14日 | 神社・仏閣
毛越寺で入手した資料で高館義経堂の存在を知った
義経終焉の地という文字に興味が湧き、中尊寺の近くにあるその地に車を走らせた

駐車場から緩やかな坂を上がると受付所がある



受付を済まし更に坂を歩くと案内板がある。左方向を選択した



ふだんあまり花など撮らないのだが、緑の中で咲く一輪の花が気になった



「頼三樹三郎 詩碑」
儒学者 頼山陽の第三子






資料館
民家のような建物の入口の表札に「資料館」と書かれている。



内部には資料として義経最期の様子などがイラスト入りで展示されている



常盤御前が美人でなかったら日本史も変わっていたろう。この時代の影の主役である



 


全国を車で旅をしていると、義経と弁慶が至る所に現れてくる
日本人が大好きな人物ということがわかる



特に弁慶の非業な最期の場面は感動的だ。その場所がこの地だとは知らなかった



「義経堂上梁文(拓本)」 義経堂落慶のとき納めた棟札



「仁王像」
東北地方で出会った仁王像にはユニークなものが多いが、これは横綱級



「北方的な趣がある彫像」との説明書きがある



換気扇のある狭い部屋に安置されているのも面白い



義経堂
資料館を出て少し歩くと左手に石段があり、遠くに義経堂が見えてくる



扁額「白旗大明神」



頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた義経は、秀衡の庇護のもと、この高館に居館を与えられた
文治5年(1189)閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられている



天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村が義経を偲んで建てたのが義経堂。義経公の木造が安置されている






「源義経公供養塔」



高館は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれている
現在、北上川に浸蝕され狭くなっているが、この一帯は奥州藤原氏初代清衡の時代から、要害地とされていた



芭蕉が平泉を訪れたのは元禄2年(1689)旧暦5月13日(6月29日)のこと
高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様を眺めた芭蕉は、100年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経を思い、かの名句を詠んだ



芭蕉句碑
夏草や  兵どもが 夢の跡

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有
秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す
先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也(中略)
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て時のうつるまで泪を落し待りぬ



受付所ちかくにある案内板が面白い。観光連盟と観光協会…






撮影 平成28年5月24日
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毛越寺庭園(岩手県西磐井郡平泉町)

2016年09月13日 | 神社・仏閣
毛越寺庭園(世界遺産・特別史跡・特別名勝)
仏の世界すなわち浄土を地上に表現したと伝わる浄土庭園
学生時代に一度訪れたことがあるが「何もなかった」という記憶から、眼前の景色は一変していた
「大泉が池」に小舟を浮かべ清掃作業をしていたので、その様子をしばらく眺めていた



写真を撮りながら時計回りに大泉が池を散策する



築山
池水面より約4メートルほどの高さがあり水際から山頂近くまで大小各種の石を立て、岩山の姿を造り出している



深い淵に臨む断崖の景観を思わせると『作庭記』に記されている






開山堂



周囲を緑の樹木に囲まれている



 


毛越寺を開いた慈覚大師円仁を祀る



大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置している



嘉勝寺跡
吾妻鏡によると二代基衡が工を始め三代秀衡が完成させた堂。寺名は開山時の年号に由来する



この堂跡は金堂円隆寺と同規模の上に、同規模同形式の廊が付属することからみて、金堂なみに高い地位であった






講堂跡
基衡が建立したと言われ、『吾妻鏡』の文治5年9月17日条の平泉寺塔以下注文にも記されている建物



仏法を説き仏法を聴く堂舎であった
灌頂(かんじょう)という密教儀式を行う奥羽の灌室であったという



金堂円隆寺跡
基衡が万宝を尽くして建立した勅願寺で、本尊は雲慶作の丈六の薬師如来だった



毛越寺の中心伽藍で、東西に翼廊が出て南に折れ、東廊先端には鐘楼が、西廊先端には経楼があった
基壇は石造り壇上積



遣水(やりみず)
池の東北側にある遣水は、池に水を引き入れるためと造られたもの。



「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されている



毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構
この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催されている



常行堂



現常行堂は、享保17年(1732)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建



須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏の摩多羅神が祀られている



本尊・宝冠の阿弥陀如来



堂は宝形造り。祭礼の正月20日は、古式の修法と法楽としての延年の舞が奉納される






「地蔵菩薩」
手に持つ宝珠は如意の玉ともいわれ、この地蔵を信仰すれば、願い事が心のままになるという



この風貌と傾いている姿勢に親近感を覚え願い事をしてみたが…



鐘楼堂
昭和50年、人間国宝香取正彦氏の作






法華堂跡・常行堂跡



法華堂と常行堂はそれらを結ぶ渡廊とともに、一体として計画され建築され、ある時期まで並存したと考えられている






洲浜
池の東南隅に築山と対照的に造られた洲浜は、砂洲と入江が柔らかい曲線を描き、美しい海岸線を表している



池底を特に浅くし、広々と玉石を敷き詰めているので、水位の昇降に応じて現れるゆったりした姿を眺めることができる



出島石組と池中立石



毛越寺大泉が池のなかでも東南岸にある荒磯風の出島は、庭園中最も美しい景観の一つ



水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2メートルの景石が据えられ、庭の象徴として池全体を引き締めている



遠くに修学旅行の高校生の姿が



池の周囲を回り、元の場所に戻ってきた。ベンチに腰掛け、しばし極楽浄土の景色を楽しんだ



本堂を眺め駐車場に戻った



撮影 平成28年5月24日
コメント (4)
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医王山 毛越寺(岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢)

2016年09月12日 | 神社・仏閣
毛越寺(もうつうじ)には学生時代に一度訪れ、何もないことに失望した記憶がある
ところが、どこかのテレビ番組で毛越寺が紹介され、発掘調査によって考古資料をもとに、再建されていたことを知った
駐車場から少し離れたところに受付所がある



宝物館
この日は朝から暑く、涼をとるため宝物館から
いつもはただ展示物を見ながら通過するだけだが撮影禁止の札がない



ただ展示物の前がガラス張りになっているため少し苦労したが、仏像を撮ることができるはうれしい



「木造観世音菩薩(岩手県指定有形文化財)」



「男神(岩手県指定有形文化財)」



鉄樹(重要文化財)
秀衡将軍の床の置物(平安時代末期)






「阿弥陀如来(岩手県指定有形文化財)」



「銅造不動明王立像(岩手県指定有形文化財)」



「木造鬼子母神像(岩手県指定有形文化財)」



「木造阿弥陀如来坐像(岩手県指定有形文化財)」



「木造熊野神像(岩手県指定有形文化財)」





「義経堂梁札文」



手水舎



芭蕉の「夏草や~ 」の英訳句碑



「芭蕉句碑」
「夏草や兵どもが夢の跡」を刻む。大きい碑は、文化3年(1806)に地元俳人素鳥たちによって建てられた副碑



そして小さいこの碑は「芭蕉の真筆」



本堂
嘉祥3年(850年)、中尊寺と同年に円仁が創建
その後、大火で焼失して荒廃したが、奥州藤原氏第2代基衡夫妻、および、子の第3代秀衡が壮大な伽藍を再興した



毛越寺一山の根本道場であるこの本堂は、平安様式の建物で、平成元年に建立された



本尊は薬師如来で、平安時代の作。脇士は日光・月光両菩薩、さらに本尊守護の四天王が安置されている



修学旅行の高校生の集団が入ってきた



撮影 平成28年5月24日
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五大堂(宮城県宮城郡松島町松島町内)

2016年09月11日 | 神社・仏閣
瑞巌寺を後にして五大堂に向かう
日頃の行いは褒められたものではないが、松島ではいつも晴天に恵まれる

五大堂(重要文化財)
伝承によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされる



景勝地・松島の景観上重要な建物。震災による津波の影響を受けていないようだ



五大堂の入口。堂へ渡るすかし橋は、縦板が2枚しつらえられている



橋を渡ると小さなお堂がある



このすかし橋、昔ははしご状であり、五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために、造られたと言われている



現在の建物は慶長9年(1604)伊達政宗公が造営、東北地方最古の桃山建築



この場所は外国人に人気があるのか、異国の言葉が飛び交っている



大きさ方三間(22.68尺=6.87m)、宝形造、本瓦葺






額には「五太堂」と刻まれているが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれている



軒まわりの蟇股に、方位に従って十二支の彫刻がある



十二支の子から始まり…



私の干支である辰



この狭い空間ではあったが、観光客とのふれあいもあり充実した時間を過ごすことができた



道の駅に向かう途中、夕陽が綺麗だったので撮ってみた



撮影 平成28年5月23日
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松島青龍山 瑞巌円福禅寺「瑞巌寺」(宮城県宮城郡松島町松島字町内)

2016年09月10日 | 神社・仏閣
日本三景・松島へは学生時代を含め、確か今回で4回目になる
震災後、どうなっているのか気になっていた
この日は平日にもかかわらず観光客で賑わっていた
駐車場も満車状態でかなり遠く離れた場所に駐めることになった

三聖堂(松島町指定文化財)
瑞巌寺へ向かう途中にある。
天和2年(1682)瑞巌寺101世鵬雲によって建てられた。方3間の素木造、屋根は宝形造で萱葺



堂内中央には聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂という



「三聖堂」の扁額は創建者鵬雲の筆






御水主町の民家(松島町指定文化財)
御水主町(おかこまち)は瑞巌寺の東に隣接した一画。藩主等が松島遊覧の際に御座船を操った水主(かこ)衆が住んでいた



瑞巌寺
参道に杉並木があったが、東日本大震災の津波の被害に見舞われた
その後の塩害による立ち枯れにより、約300本が伐採されることになった



工事の人に話を聞くと山門の目の前まで津波がきていたという



この塔も心なしか錆が濃くなってきている感じがする



「延命地蔵」
文久3年(1863)鋳造。飢饉時の幼児保護などに勤めた117世中方明哉和尚の業績や長命にあやかったと伝えられている



庫裡(国宝)
境内工事中のため参拝順路が示されている。庫裡は禅宗寺院の台所



正面は千鳥破風の曲線、その下に唐草が彫刻されている



「光雲観音」
高村光雲作。宮城電鉄が松島まで延線、事業の発展と無事故を祈念して昭和2年(1927)に造られた



単層切妻造本瓦葺で、大屋根の上にさらに入母屋造の煙出をのせる



本堂(国宝)
本堂は平成21年9月より平成の大改修、平成28年4月5日より拝観を再開したということで、参拝者の賑わいも理解できた



堂内では外国人の僧侶が流暢な日本語で分かりやすく説明してくれる



庫裡と本堂以外は白いシートで覆われている。どうも耐震工事のようだ



松の上にセッコクが咲いているとの案内板があり、皆が見ているので私も
セッコクって何かとも知らず見上げていると、ランで樹木の幹に根を張ると誰かが話してくれた
その仲間のうちでも北限まで(日本の東北地方)生育する種がセッコク(中央の白い花)



法身窟
鎌倉中期(13世紀半ば)北条時頼が、臨済宗円福寺の開山となる法身性西と出会った場所といわれる
瑞巌寺にくるとここを訪れるのを楽しみにしている



鎮海・楊柳観音像
粘板岩の巨石に刻まれた2体の観音像が実に美しい
「鎮海観音像」 寛政12年(1800)の建立(左側の小さい方)



光の加減でうまく撮れないこともあるが、この日は運が良かった



「楊柳観音像」 文政6年(1823)の建立(右側の大きい方)



塩釜出身の小池曲江の模写。ここは参拝者の盲点になっているのか誰もこない



「六地蔵塔」 竿中央部の円盤を回すと、地蔵菩薩が六道を輪廻する未成佛霊を救済。



洞窟遺蹟群



洞窟内は塔婆・五輪塔・戒名等が無数に刻まれ、供養場として使用されていた



墓所ではないので、納骨はなく(例外有り)、供養者には岩手、山形等の人物も認められる



この観音様と目が合ったので撮ってみた



古来松島は「奥州の高野」と呼ばれ、亡き人の供養が営まれた場所



この案内板の通り、まだまだ復興途中。色々な思いを胸に「五大堂」へ向かう



撮影 平成28年5月23日
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大悲山の石仏 その2<観音堂>(福島県南相馬市小高区小高区泉沢)

2016年09月09日 | 名所・旧跡
大悲山の大杉(福島県天然記念物)
観音堂石仏に向かう石段の途中にある霊木



杉というと真っ直ぐ伸びている感じがするが、この杉はかなり変形している






「大悲山大蛇物語公園」内に大きな絵でその伝説を伝えている



公園内のこの絵は遠くから見るといったい何だろうと思うほど目立つ



この公園は地域の歴史的文化遺産の保存と、歴史や伝説とのふれあいややすらぎの場として整備されている






観音堂石仏
「観音堂石仏」に行くには少し距離があったので車で移動することにした
駐車場もなく路上駐車をして100mほど歩くと案内板が目に入る



覆屋が真新しいが東日本大震災で、千手観音像の覆屋が倒壊した。2016年1月に修復工事が完了
 


いわき市から南相馬までの間、悲惨な状況を目にしてきたが、震災の爪痕がここにも残っていた
5年の年月がかかったが「観音堂」の額を掲げるまでに復興してきたということか



高さ9メートルをほこる千手観音坐像。頭部から下は剥落している



日本三大磨崖仏の一つに数えられる大悲山の石仏
他の二つは大谷磨崖仏(栃木県宇都宮市)、臼杵磨崖仏(大分県臼杵市)
 


周囲に化仏と呼ばれる小さい仏像が壁面に多数彫られているというが確認することはできない



 


撮影 平成28年5月23日
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