今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

赤間神宮(山口県下関市阿弥陀寺町)

2018年01月25日 | 神社・仏閣
赤間神宮
壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る

石造鳥居
額には「赤間神宮」



正面に「水天門」、左側に「太鼓楼」



石段を上がる。中国人の団体がいたので静かな場所に移動する



安徳天皇御陵
壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は現場付近では発見できなかった
赤間関(下関)に建久2年(1191年)、勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させた



安徳天皇と二位の尼(下関市立歴史博物館展示)
8歳の安徳天皇は「私をどこに連れて行くのですか」と尋ねる
尼(平清盛の妻時子)は、「海の底にも都がある」と幼い天皇を慰め入水した



伊藤博文・陸奥宗光像
日清講和会議において日本側の全権を務めた伊藤内閣総理大臣、陸奥外務大臣の胸像



昔の政治家には威厳を感じる



日清講和記念館



李鴻章道
講和会議のとき清国全権大使「李鴻章」が危難を避けるためにこの道を使用した。



水天門
神門は竜宮城を模した竜宮造の楼門
「水天」の名称は安徳天皇が水天宮の祭神とされることによる



太鼓楼



手水舎






大安殿



境内図によると大安殿となっている。内側に「内拝殿」があり「祝詞殿」「神殿」へと続く









芳一堂
「耳なし芳一」を祀り、芳一の木像を安置する






平家一門の墓



壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門の合祀墓(供養塔)



14名の供養塔が並び、名前に「盛」字の付く者が多いことから「七盛塚」とも称する






高浜虚子歌碑
「七盛の 墓包み降る 椎の露」



鎮守八幡宮






水天宮を通り駐車場へ戻る



駐車場から



何の像か解らなかったが土台に平家物語が…



祗園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり  娑羅双樹の花の色  盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず  唯春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ  偏に風の前の塵に同じ



朝鮮通信使上陸港留之地






目の前に関門橋。高所恐怖症なので関門トンネルで九州に入ろうと考えた



撮影 平成29年10月5日
コメント (4)
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金山 功山寺(山口県下関市長府川端)

2018年01月24日 | 神社・仏閣
功山寺
道の駅の資料に国宝の仏殿を持つ寺があるということで訪れた
民家の駐車場に駐め数分歩いた所に寺の門が見えた

総門(国登録有形文化財)



室町時代中期建立、禅宗様、四脚門、木造、瓦葺き、間口4.4m



額の「海右第一峯」を調べてみると、海は国を峯は寺を意味し、「この辺りでは、当寺院の右に出る寺はない」と



地蔵堂
地蔵菩薩半跏像は山口県指定文化財






山門
安永2年(1773)長府藩主 毛利匡芳の命により建立(再建)されたもの



紅葉の季節には、まったく違った風景になることだろう



仏殿(国宝)
元応2年(1320年)の建立。入母屋造、檜皮葺き。一重裳階付き



元々は長福寺と呼ばれており、功山寺となったのは長府藩祖毛利秀元の菩提寺とされてから



逆光で判別しにくいが額には山号の「金山」、組物も複雑な感じがする



屋根を支える化粧垂木は放射状に広がる



いつものように格子にレンズを突っ込み内部を撮る
本尊は「千手観音菩薩 」



法堂



家紋が印象に残る



「選佛場」の額。座禅場を意味する



経蔵



八角形の回転式経庫に鉄眼一切経1600冊を納めた
扉には16羅漢図が描かれ、経庫を1廻転すると、一切経を読誦した功徳があると云われる



高杉晋作像
高杉晋作が、奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤俊輔(の博文)率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、わず80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)でもある



鐘楼



韋駄天立像
寺中守護仏として庫裏入口に安置されている



この像は光を当てると表情が変化する



書院(七卿潜居の間)
文久3年(1863)、薩摩藩・会津藩などの公武合体派が画策した八月十八日の政変で失脚した尊王攘夷派の7人の公家が京都を追放され、長州藩へと落ち延びた



七卿のうち五卿がこの書院に潜居していた






七卿の一人、東久世通禧の漢詩の書



元治元年、高杉晋作は五卿に告別の挨拶をし、藩論統一のため挙兵する


















魚板



再び国宝の仏殿へ



旧長門尊攘堂(国登録有形文化財)
現下関市立長府博物館本館、1933年築、鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺






撮影 平成29年10月5日
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角島大橋と角島灯台(山口県下関市豊北町神田・角島)

2018年01月23日 | 名所・旧跡
角島大橋と角島灯台
道の駅「おふく」で爽やかな朝を迎える
数年前に山口県防府市に住む友人に案内された角島大橋を目指す

駐車場
車を運転していて風景の美しさに感動した角島大橋
昨年、ドライブレコーダーを設置したのもこの感動を撮りたかったからだ



横断歩道を渡りながら一枚



徒歩になるが、少し高い場所に見晴らしのよい場所がある



奥に見えるのが角島だ



北長門海岸国定公園内に位置することから、橋脚の高さを押さえ、周囲の景観に配慮した構造となっている



その景観から山口県の新たな観光名所となっている。週末には渋滞することもあるという



スマホで動画を撮ることにした。輪ゴムを駆使し運転席に固定、数回テストして出発した



角島側駐車場からの風景



動画
クリック→角島大橋ドライブ
駐車場を出発して40秒後に海上を走行。運転手気分で楽しんで下さい

10分ほど走り、角島灯台下にある駐車場に車を置く



青空に白い雲、風によって雲の形が変わり楽しい



この灯台は上まで上ることができる。一度経験しているのと、高所恐怖症なので今回は止めた



海の方に歩いて行く。この辺りは公園のようになっていて綺麗に整備されている。






海岸で流木を集め、洗浄乾燥し作品を制作しているというご夫婦に会った



秋を感じさせる風景だ



空から爆音が聞こえてきた。小型飛行機が飛んでいる






撮影 平成29年10月5日
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山口大神宮(山口県山口市滝町)

2018年01月22日 | 神社・仏閣
山口大神宮
永正17年(1520年)大内氏30代目の大内義興が伊勢神宮の神霊を勧請して創建したものである

石鳥居



「山口大神宮」の額



馬舎
木彫神馬:文政3年(1820)に寄進されたもの。木彫りの神馬は全国的に珍しい



石段を上がると右に稲荷神社があったので先に参拝する



鳥居が左寄りにあるのも珍しい



高嶺稲荷神社



山口大神宮の末社



農産物の守護、商売繁昌、三難(火・盗・病)消除の神として古くから篤い信仰を受けている



鷺岩
江戸時代祇園社は大神宮境内にあった
その神事に鷺舞があり、鷺舞が終わるとこの岩の上に鷺の頭や羽根を置くことになっていた
それでこの岩を鷺岩という



手水舎



多賀神社
近江の多賀大社の御分霊を勧請した古社



永和年間(1375~78)に大内弘世が社殿を建立
永禄12年(1569)の大内輝弘の乱で社殿が焼失し、慶長15年(1610)に毛利輝元が再興した



延寿・安産の神として庶民に親しまれ、さらに縁結び、学業成就などの信仰を集めている



安産石



神楽殿






神楽殿横の石段を上がる



左の建物が外宮、奥の建物が内宮になる。



籾置岩
外宮の社前左側に巨岩が置かれている
種子にする稲籾や麦などをこの岩において、農作物の厄除け、豊作を祈願したことからこの名がある



伊勢神宮と同様の内宮・外宮があり、それぞれに附属した別宮・摂社がある

外宮
主祭神 豊受大御神



右横から



応仁の乱で京都が疲弊するに反して、山口の町は平和で豊か
それで都から移り住む公卿や文化人などが多く、山口は西の京都といわれる程の繁栄を誇った



内宮
主祭神 天照大御神



伊勢皇太神宮から直接分霊を受けて、太神宮社が創建されたのは、明治になるまでは、この山口大神宮だけ



右横から



撮影 平成29年10月4日
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2018 札幌モーターショー<札幌ドーム>(北海道札幌市豊平区羊ケ丘)

2018年01月21日 | 北海道
札幌モーターショー
2日目の土曜に会場に向かう。天気もよく予想通りの来場者



人が多すぎて車に近づくことも難しい
撮すことができるのは、立入のできない高級車と…



一段高い場所の展示車






レーシングカーには夢がある






国産の高級車



多目的に使用できる車



ドアの開閉の仕方がこれまでと違う






乗ってみた思ったトヨタ車。ロングノーズが魅力的



斬新なデザイン



ダイハツ車






マツダ車



外国車



価格を見て驚く。土地付きの家が購入できる





















北海道で走っているのをみたことがない三輪の高級車















モーターショーのもう一つの楽しみであるキャンペーンガール






いつも笑顔で迎えてくれる









カメラを向けると自社のパンフを持ち応えてくれる



自然な姿も可愛い



三人揃って









ヤマハの除雪機使ってますよ






メーカー専属のモデルか



他のモデルとは雰囲気が違う









最後までみていただきありがとうございました



撮影 平成30年1月20日
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山口サビエル記念聖堂(山口県山口市亀山町)

2018年01月20日 | 教会
山口サビエル記念聖堂
信仰心はないが宗教施設には興味を持っている
初代の聖堂は平成3年に失火により全焼。現在の聖堂は平成10年4月に再建されたもの



井戸端で説教するフランシスコ・サビエル
サビエルは修道士ジョアン・フェルナンデスと毎日2回市内の通りにあった井戸端で布教していた



丁度昼休みの時間帯でサビエル像の周囲でお弁当を食べている人がいた
また、園児を迎えに来た若い母親の姿も多かった。地域住民の憩いの場になっている感じがした



キリスト生誕2000年 大聖年の鐘
私も平和を祈り鳴らしてみた。心に響くいい音だった



サビエル記念聖堂
イタリア人神父のコンスタンチノ・ルッジェリと建築家ルイジ・レオニのデザイン
テントを模した大きな屋根が全体を覆う構造をもつ






斬新なデザインのステンドグラス、十字架も天井からぶら下がっている



十字架の道ゆき



死刑の宣告から復活まで、15枚のパネルと十字架で表現している






洗礼を受けるこども



パイプオルガン






フランシスコ・サビエルの聖骨



右手の指の聖骨の一部が中央に納められている



聖母子像






美しい聖母子像だ



高さ53mの2本の塔。サビエルを記念するだけではなく、人々に神様のことを強く思い出させる形を意識したものだという



カトリック教会の伝統的な建築様式ではなく、斬新すぎて驚く






撮影 平成29年10月4日
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正宗山 洞春寺(山口県山口市水の上町)

2018年01月19日 | 神社・仏閣
洞春寺
瑠璃光寺の隣にある寺で毛利家の墓所に立ち寄った後に訪れた

中門
重要文化財の山門、中門と続くが山門のことをすっかり忘れていた



本堂
大内氏滅亡後、三矢の訓で有名な毛利元就の菩提寺となる



明治維新で活躍した井上馨の墓もあるそうだ



堂内の様子



観音堂(重要文化財)
滝の観音寺にあったものを、大正4年に洞春寺境内に移建した



本尊は聖観世音菩薩



岩屋造りの厨子



観音堂左前方に安置している石仏



鐘楼門









撮影 平成29年10月4日
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保寧山 瑠璃光寺(山口県山口市香山町)

2018年01月18日 | 神社・仏閣
瑠璃光寺
瑠璃光寺には日本三名塔のひとつに数えられる五重塔がある
旅行好き、写真嫌いな知人が、この塔だけは携帯電話のカメラで撮ったという言葉に刺激され、数年前に一度訪れた



五重塔(国宝)
香山公園内にあり、無料で拝観できる。近くのベンチに座り、はやる気持ちを抑えながら美塔を眺める



定番の池の近くから



正面から。古木の質感がとてもいい



斜め左から



地元の方がここが一番だと教えてくれた場所からも



山門
山門には「保寧山」の山号。有料だった拝観料が無料になっていた



慈母観音
幼き子供を失った両親が、世の子供たちが観音様の胸に抱かれて永遠に育っていくことを念願して安置されたもの



鐘楼






身代り地蔵



後生車
生前の罪過を懺悔し、世の為、人の為、善行を尽くすことを約束し「後生ですから、極楽浄土の道へお導き下さい」と後生車を回す



1回廻す毎に罪過が浄化されるという



本堂






知足の手水鉢
「吾唯足知」は釈迦の最後の説法の中で言われたことば



水掛け地蔵



本堂内に入りお参りをする



隣の部屋には弥勒菩薩像が…



弥勒菩薩
迷いを救う菩薩と書かれている






自分自身を見ているようだ。









以前、一畑薬師を参拝したときに、俳優の中井貴一に会ったことを思い出した



大念珠(百八の煩悩)
心静かに念じ、ゆっくりと「八個」に数珠玉を落として自分の煩悩を取り除く
7個落とした後にやってくる緊張感。他人のを見ているのが楽しい






薬師如来と道元禅師
左奥が道元禅師像



仏足石



大内弘世像
第9代当主。後の大内文化に繋がる基礎を築いた



再び、五重塔へ









雪舟
京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防国に移る
雪舟の「慧可断臂図」を東京国立博物館で観たことを思い出した



撮影 平成29年10月4日
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覚皇山 永明寺(島根県鹿足郡津和野町後田口)

2018年01月16日 | 神社・仏閣
永明寺(ようめいじ)
津和野のマップを見ながら古い町並みを歩いていた
永明寺は少し歩かなければならないが、茅葺きの本堂と森鴎外の墓をもう一度見たくなり向かった
緩やかな坂を上がっていくと、山門が見えてくる



山門
左右に立てられた旗には「藩主亀井家入場400年」と書かれている



山門の右側にお堂があり、左側が墓地になっている



中雀門



本堂
中雀門の正面に茅葺きの本堂がある。柵があり立ち入ることはできない






鐘楼堂
不安になるほど歴史を感じる



受付所は閉まっていたが呼び鈴を押すと若い僧が来てくれた



曹洞宗寺院は堂内での撮影は許されている



「浄光」の扁額



本尊は「釈迦牟尼佛」






「大哉」と書かれたお堂



位牌が置かれていた



文化財をメモしていなかったため、何処に何があったか記憶していない









部屋内に「講堂」の札があった





















襖に描かれた画






その一部を拡大してみた















本堂彫刻



魚板












森鴎外の墓



鴎外の遺書に「余ハ石見人 森 林太郎トシテ 死セント欲ス」



更に「墓ハ 森 林太郎墓ノ外一字モホル可ラス 書ハ中村不折ニ依託シ」とある



撮影 平成29年10月3日
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津和野の町並み(島根県鹿足郡津和野町)

2018年01月15日 | 名所・旧跡
津和野の町並み
山陰の小京都と呼ばれる津和野を歩いてみた
地元の人の話ではブームが去り観光客は減ったというが、結構賑わっている

旧津和野藩家老多胡家表門(島根県指定文化財)



鷺舞の像
「津和野弥栄神社の鷺舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている









大岡家老門
現在は教育委員会などの庁舎として使われている



藩校養老館
幾多俊才を輩出した藩校として名高く、西周(近代日本哲学の祖)、森鴎外(文豪・軍医総監)も学んだ。修復工事中だった



津和野カトリック教会
シェーファー神父によって建てられた石造りの教会



城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物



内部に入ってみる。ステンドグラスが印象的



中央にキリスト像



壁の左右にある像






畳敷きの教会に入ったのは初めてだ



桑原史成写真美術館
興味があったので入ってみた



館内の様子






安野光雅美術館



この後、森鴎外の墓がある「永明寺」へ(次回投稿)

道の駅「津和野温泉なごみの里」
併設されている温泉で疲れをとる



西周旧居



ヨーロッパの学間や思想の啓蒙運動に努力した、哲学者・西周が21歳まで暮らした家



鴎外と同じく医者の家









勉強部屋に使った土蔵



津和野川をはさみ、森鴎外旧居の向かいにある



史跡 森鴎外旧宅
森家は代々津和野藩の藩医



森鴎外記念館と隣接している



若かりし鴎外の勉強部屋









撮影 平成29年10月3日・4日
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太皷谷稲成神社(島根県鹿足郡津和野町後田)

2018年01月14日 | 神社・仏閣
太皷谷稲成神社
道の駅「ゆうひパーク浜田」で車中泊。その名の通り、景色は素晴らしいが生憎の雨
萩か津和野か迷うところであったが、以前、短時間しか滞在できなかった津和野を選択した
この神社には「四か所参り」という独特の参拝形式があり順序も定められている

参拝① 元宮(旧熊野神社)
江戸後期の安永2年(1771)、藩主七代亀井矩貞により、京都伏見より稲荷大神を、太皷谷の峰(津和野城の鬼門)に勧請し、稲成神社を建立



慶應3年(1867)、津和野乙女山に鎮座の熊野権現社を稲成神社に遷し、相殿として奉斎。以来、社号を熊野神社と称した



稲成神社だけに、画の中心には狐が









昭和44年(1969)新社殿建立、旧社殿を「元宮」と改めた



出雲大社の大注連縄を小さくしたような感じがする



注連縄の上にある龍の彫刻



参拝② 命婦社
「命婦」とは、現代では稲荷大神の眷属である「狐の異称」






命婦社での祈りは、京都の伏見稲荷大社に通じるとの伝説がある



参拝③ 新殿
拝殿、本殿は昭和44年(1969)に建て直されたもの。全国で唯一「いなり」を「稲成」と表記する神社



雨の社殿も朱色が映え趣がある



以前訪れた時に偶然いい写真を撮ることができ、現在もフェイスブックの背景に使用している



参拝④ 新殿裏奉拝所
新殿の裏側に位置している。自宅に戻って、その存在を知り、悔しい思いがこの度の再訪のきっかけとなった



キツネ眼が鋭い



本殿を背後から拝する神聖なる神域



稲荷信仰では、祭神は本殿の背後より出入りするとの言い伝えがある



以上が参拝順序になる

もう一つ
この神社では「油揚げ・ローソク」をお供えする習慣がある
手水鉢の右にある箱に「お揚げ1包150円」とある



稲成神社といえば、千本鳥居が頭に浮かぶ
雨で転倒する可能性があるという理由をつけて階段を下りるのを止めた



「神門」 いつ扉が開くのか…



「宝物館」の拝観を申し込む。宮司と思われる方から、誰でも解るように解説していただいた
1ヶ月程前、津和野を紹介するテレビ番組の中でもこの方が説明されていた

境内から津和野の町並みを眺める。石州瓦の色が映える



撮影 平成29年10月3日
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島根県立古代出雲歴史博物館(島根県出雲市大社町杵築東)

2018年01月12日 | 博物館・美術館・記念館
島根県立古代出雲歴史博物館
疲労が激しく一番近い場所にある、道の駅「あらエッサ」に連泊
雨の朝を迎えた。終日雨の予報だったので移動を中心に美術館か博物館へと
博物館駐車場に着いたが雨が激しく、雨脚が弱まるまで車内で待機する
出雲大社の近くにあるこの博物館、今回が3回目の入館になる

宇豆柱(重要文化財)
平成12年、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見された



棟を支える棟持柱で、古くから宇豆柱と呼ばれてきた



柱が発見された場所(模型)



古事記
出雲大社の創建を物語る神話<奈良時代712年成立、明治3年(1870)刊>



出雲大社の創建を物語る神話<奈良時代720年成立、江戸時代(17世紀)刊>



出雲大社模型



平安時代の出雲大社本殿1/10模型






全国有名神社の模型。手前の出雲大社の大きさが際立つ。



出雲大社境内模型(慶長期)



出雲大社境内模型(寛文期)



千木(実物)
神社の大棟の両端に載せたX字状の材。堅魚木とともに神社建築のシンボル。









出雲風土記



青銅器と金色の大刀(国宝)
荒神谷遺跡より出土した国宝を含む銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個が公開されている

展示室に足を踏み入れるといつも圧倒される















この展示室の魅力は自由に写真を撮ることができることだ
この場所で係の人から声を掛けられ説明を受けた



ウミガメが描かれた銅鐸(国宝:弥生時代紀元前2-1世紀)



熱心な説明に普段なら撮らないのだが…






シカが描かれた銅鐸(国宝:弥生時代紀元前2-1世紀)






描かれた弥生絵画(国宝:弥生時代紀元前2-1世紀)



イノシシ、シカ、トンボなどが描かれている






銅鏡(重要文化財)
「卑弥呼の鏡か」の記載があり、俄然興味が湧いてくる。



「景初三年」銘三角縁神獣鏡(神原神社古墳)



馬上の大首長像(上塩冶築山古墳・復元品)



金銅装龍環頭大刀(重要文化財)



係の男性には長時間お世話になった
彼は、この博物館が松江市ではなく、この地に建てたことがすばらしいという
私も同じ思いでいる。最後は埴輪を…背景に写っているのが私である。年代物になってきた



撮影 平成29年10月2日
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瑞塔山 雲樹寺(島根県安来市清井町)

2018年01月11日 | 神社・仏閣
雲樹寺
H25年に重文の建築物がある寺ということで訪れたことがある
ところが、重文だと思って撮った建物が自宅に戻り調べてみると全く違うものであったことがわかった
この日は、駐車場から真っ先に四脚門を探した

四脚門(重要文化財)
見逃した理由がわかった。四脚門は右に折れ、70mほど離れた所にある
思っていたよりも小さな門であった



額には「瑞山」 山号は瑞塔山だが…



案内板によると、鎌倉末期~室町前期の禅宗様式の手法
構造は独特で四つ脚門としては他に類を見ない貴重なものとの記載がある



案内を見ながら特徴ある部分を撮ってみた









重文と知らなければ、何枚も撮ってはいなかったと思う



石柱門



酒断ち地蔵
正面に地蔵菩薩が安置されている



その左横に「断酒勤労」 誓「一日働かざれば 一日食わず 働かんがために 一切飲酒せず」
私の場合は「働いていないが 一日三食食う 働いてもいないのに ススキノで痛飲」



山門
ここから見える山門は雰囲気があっていい



私が初めて訪れた時に、重文の建築物と思っていた門である
元禄8年(1695)再建。楼上に釈迦牟尼佛、十六羅漢を安置



案内札によると「額は後醍醐帝親筆にして当山の山号なり…」と。「天長雲樹興聖禅寺」と彫られている



実に姿の良い門である









手水鉢



観音堂



中国観音霊場27番札所になっている






台座には「第二七番 中国観音」と彫られている






仏堂



仏堂内部



本尊の拈華微笑仏









高麗梵鐘が重文に指定されているが、仏殿横に安置されているこの梵鐘かどうかは定かではない


















四脚門の確認もでき満足して寺を後にする



やはり、この山門は雰囲気があっていい



撮影 平成29年10月1日
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瑞光山 清水寺 その2(島根県安来市清水町)

2018年01月10日 | 神社・仏閣
清水寺
最初に清水寺を訪れたときに複数の方からコメントを頂いた
その中で山並みの景色が美しいというのが、見ていなかったので気になっていた

毘沙門堂
観音様の侍者の一人で、 多聞天とも呼ばれ、 武運長久の神として信仰されていたが今日では商売繁盛の神様として信仰されている






鐘楼堂






仁王門から境内に入り1番から33番の石仏がある。鐘楼堂横にあるこの聖観音が33番目になる



楽しみにしている、三重塔が見える



百観音霊場お砂踏み



三重塔(島根県指定文化財)
石垣の階段を上がる。駐車場から数えて333段目となる
戦国期の城郭を思わせる石垣






島根県指定文化財。高さ33.3m



塔が好きで撮影場所を探し歩いたが塔全体を撮れる場所は二か所
1・2歩後ろのいいポイントがあるのだが、石垣から落ちてしまう






塔周辺にある石仏



展望台があり、その方向に歩いている集団がいたのでついて行くことにした
近づくと全員喪服を着ていて、札打ちをしていた



展望台への散策路はこのような感じで、それなりの服装が必要だ



急に視界が開けてきた。展望台に着いたようだ



コメントを書かれた人は、きっとこの場所から眺めていたのだろう



周辺ではハイキングで来たグループが楽しそうに美味しそうに飲食している
私も汗だくで体は水分を欲していたが、我慢するしかない



狛犬と根本堂
散策を終え根本堂(重文)に戻ってきた。狛犬からも寺の歴史を感じとることができる。



仁王門
境内案内図に仁王門の記載があったが、その場所がわからず、境内に駐まっていたタクシーの運転手に尋ねる
かなりの急坂を息切れと戦いながら着いて一番驚いたのは仁王門の横にある駐車場の存在だった。ナビにはなかった…



扁額には山号の「瑞光山」



仁王像
うまくレンズを潜り込ませ仁王像を撮ることができた。達成感がある






旅先であるが故にこのような偶然にも感動する



稲荷社



宝蔵
日曜日には開いていると思っていたが、事前予約が必要らしい。放浪の旅人には機会が巡ってこないのか



何と、3時間も滞在してしまった。今度は長くて緩やかな坂道を下る



大門が見えてきた。寺の帰り道では、いつも頭で色々なことを考える
この時間が大切だと思えるので、寺社巡りをしてしまうのかも知れない



私の前を歩いていた人が「岩不動」に向けて何かを投げつけている。何をしているのですかと尋ねると
お金を投げて岩不動の近くに止まるとご利益があると。見ていると急勾配なのでお金が落ちてくる
やってみませんかと言われたが…



撮影 平成29年10月1日
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瑞光山 清水寺 その1(島根県安来市清水町)

2018年01月09日 | 神社・仏閣
清水寺
前日、5か所を巡り疲れがあったのか、昨夜は道の駅「あらエッサ」で爆睡
疲労が蓄積し、快適とはいえない朝を迎えた
清水寺は二度目である。前回訪れたときに頂いたコメントが気になり再訪した



緩やかな坂道も前日の疲れのせいか長く感じる
この石段は先の方に見える大門まで108段、三重塔までは333段続く



岩不動



大門



額の文字も大門と読める



無常橋
橋の向こうに何があるのか気になってはいたが、気持ちが前に進まない



さらに緩やかな坂道が続く



お出迎え観音
穏やかな顔立ちの観音様に迎えられるとは嬉しい



開山堂
用明天皇2年(587年)、尊隆上人によって開かれたと云う



慈母観音



浮身観音



小さな像だが美しい



弁財天堂



手水舎



売店横の石仏



聖観音菩薩像



左手に高燈籠、石垣の上に見えるのは根本堂。最後となる石段をゆっくり上がる



護摩堂



堂内の不動明王



根本堂(重要文化財)
十一面観音様を本尊に厄払いの寺として慕われている






外陣のみ撮影が許されている



壁一面に額内に描かれた画が掲げられている












この下が内陣になるが、撮影禁止



撮影 平成29年10月1日
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