今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

櫛田神社(福岡県福岡市博多区上川端町)南岳山 東長寺・安国山 聖福寺(福岡市博多区御供所町)

2014年03月21日 | 神社・仏閣
福岡空港から出発するまでの時間を利用して、宿泊していたホテル周辺の神社仏閣を訪ねてみた

櫛田神社
櫛田神社は、古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている神社である



祭神は大幡大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)の三神



少ない写真のなかでも、きちんと神馬だけは撮っていた



早朝にもかかわらず参拝者が途切れることがなかった



7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこなう






境内には、通例祭り期間中にしか見ることができないはずの博多祇園山笠の飾り山が、歴史を伝えるために唯一常設されている










南岳山 東長寺
寺伝では大同元年(806年)、空海(弘法大師)が唐での修業ののち帰国し、博多滞在の折に密教東漸を祈願して建立したと伝える



六角堂(福岡市指定文化財)
江戸時代後期の天保13年(1842年)、博多商人の豊後屋栄蔵が名古屋以西の商人に浄財を募り、名古屋の堂宮大工・伊藤平左衛門を招いて建造









本堂



史跡 福岡藩主黒田家墓所  
福岡藩2代目藩主の黒田忠之が寺禄300石と山林15万坪(約50万km²)を寄せ、寺基を現在地に移して諸堂宇を再興させ菩提所とした 



2代藩主・忠之、3代藩主・光之、8代藩主・治高が埋葬されている



聞いたことがない「福岡大仏」があるということで訪れた寺だが、大仏をみると真新しい
係の女性に「文化的価値はあるのですか」と尋ねると、「300年後にはでてくるのではないですか」と返答された
この後、地獄を体験できるといわれたので戒壇巡りを行ったが、真っ暗で何も見えない
その事を係の女性に言うと、「ごめんなさい、電源を切ったままになっていました、もう一度どうぞ」と、地獄どころかお笑いの世界になった


石城山 妙楽寺



「ういろう」伝来の地とも言われいる




史跡 安国山 聖福寺
臨済宗妙心寺派の寺院である
栄西創建で、日本最初の禅寺として有名である境内は国の史跡に指定されており、山門や仏殿などがある



境内は国の史跡に指定されており、山門や仏殿などがある






歴史を感じさせる建物






公開されておらず遠くから眺めるだけだが趣がある







撮影 平成16年9月17日
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熊本城(熊本県熊本市中央区本丸)

2014年03月20日 | 
熊本市での仕事が終わり、夕食後に熊本城がライトアップされていて見ることができるとホテルの従業員に聞いたので徒歩にて向かう
*H26.2.4付けのブログに二度目に熊本城を訪れた時の様子を紹介

夜の熊本城
仕事仲間の一人は堅く真面目な人で「夜の熊本嬢」とは絶対ならない人で、私が城にいる同時刻には本日2回のランニングをしている



熊本城は今回が初めてだが、夕暮れの中にくっきりと浮かび惹きつけられる魅力がある



写真全体の半分以上はこの角度から撮したもので、当時一番のお気に入りの場所だったようだ



しつこくもう一枚



ただ一番気になっていたのがこの「宇土櫓」 城内では一番古い建物だということを後で知った



大小の天守閣に見とれていたら、ぽつりぽつりと雨が降ってきた



天守閣に上がったが観光客は私一人
係の男性に城の歴史や見所などについて説明していただいた



雨が一段と強くなり、雨具もなく困っていると傘を持って行きなさいと親切にされた場所でもある



外に出ると真っ暗になり、ライトアップされた城がとてもきれいだ



旅では人との出会いがあり、その人の印象が想い出として残り、その土地の善し悪しが決まる
そして、良ければ、また訪れたくなる 


撮影 平成15年9月15日
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太宰府天満宮(福岡県太宰府市宰府)・観世音寺(太宰府市観世音寺)

2014年03月19日 | 神社・仏閣
仕事で福岡県に来ていたが2時間ほど時間があったので、太宰府天満宮に参拝することにした
*H26.1.29付けで二度目に訪れた時の様子を紹介

太宰府天満宮
太宰府駅からタクシーで現地に
参道から少し歩くと鳥居が見えてくる






「太鼓橋と心字池」 
心字池に架かる御神橋は太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋からなる  「過去・現在・未来」をあらわす



大鳥居に天満宮と刻まれている



太鼓橋側と本殿側で形状の異なる楼門



本殿(重要文化財)
この日は9月15日 本殿内で何かは不明ではあるが、何かが行われていた



このような神事を見ることができてついていると思った



 








聖人が現れて王道が行われる時に出現すると伝えられる麒麟



タクシーの運転手に歴史的には天満宮より価値があるという観音寺を紹介された

清水山 観世音寺
本尊は聖観音。開基は天智天皇
九州を代表する古寺で、造営開始は7世紀後半にさかのぼる
東大寺、下野薬師寺とともに「天下三戒壇」のひとつがある

講堂(本堂) 入母屋造瓦葺き二重屋根の仏堂。元禄元年(1688年)再建



梵鐘(国宝)
奈良時代。京都・妙心寺鐘、奈良・当麻寺鐘等とならぶ日本最古の梵鐘の一つ



本鐘の正確な鋳造年次は不明であるが、戊戌年(西暦698年)の銘を有する妙心寺鐘と同じ木型を用いて鋳型を造った兄弟鐘と推定されている






この由緒ある国宝の梵鐘だが、この小さな一個の南京錠で護られていた



この後、宝蔵にて多数の仏像を観る
その多くは重要文化財。宝蔵内では放送で仏像の説明が行われる
この日は小学生が校外学習だと思うが仏像の前で各自メモをとっていた 




撮影 平成16年9月15日
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栗林公園(香川県高松市栗林町)

2014年03月18日 | 名所・旧跡
私が四国の徳島市を訪れる1ヶ月前に四国に行った同僚から、高松の「栗林(りつりん)公園と平家物語歴史館」が良かったという話しを聞いていた
高松は母の故郷であり一度行ってみたいと思っていた

特別名勝 栗林公園
香川県営の都市公園(歴史公園)、日本庭園
特別名勝に指定されている



栗林を「りつりん」とは読めず、一致するにはしばらく時間を要した



「鶴亀松(つるかめまつ)」
約110個の石を組み合わせて亀を表現し、その背中で鶴が舞っているような姿に見えることからこのような名前がつけられている






「箱松・屏風松(はこまつ・びょうぶまつ)」
南側の背丈の低い松が箱松、北側の背丈の高い松が屏風松



この木の形は栗林公園独特のもので、300年以上にわたる手入れの積み重ねによって枝振りが保たれている






「北湖(ほっこ)」
北湖は園内に6つある池の一つ



北湖周辺の風景



「見返り獅子・牡丹石」
牡丹の花に似ているところから「牡丹石」
獅子が後ろを振り向いている姿に似ているところから「見返り獅子」といわれている



これらの石は、難民救済策として、めずらしい石や木を持ってこさせ、持ってきた者に食料などを与えたといわれている



「日暮亭(ひぐらしてい)」



この茅葺き草庵型の建物は、1898年(明治31年)に建てられた石州流の茶室



中には、茶室が5部屋あり、その真ん中に水屋が設けられるなどの工夫がされている



 


「掬月亭(きくげつてい)」
歴代の藩主が使用した茶室



江戸時代は「大茶屋」といわれていた



玄関を持たず、どこからでも出入りできるように、いろいろなところに沓脱石(くつぬぎいし)が置かれた



名前の由来は、唐代の詩の中の「水を掬すれば月手にあり」の一句から取ったものといわれている



2012年には、米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の「2011年日本庭園ランキング」で、足立美術館(島根県)、桂離宮(京都府)に続く3位を獲得している



*1位の足立美術館はH25.11.10付けで紹介

「鶏林石(けいりんせき)」
各藩の大名が築庭する際、藩主が互いに名木奇石を贈った
この石は朝鮮産の石で薩摩藩主 島津公から贈られたもの



「偃月橋(えんげつきょう)」
内の橋でも最も大きな橋



美しい反りが特徴の橋



弓張り月(半月)が湖面に影を映す姿から名付けられた



「飛来峰(ひらいほう)」
富士山に似せてつくったとされる築山



紫雲山を背景に、掬月亭、手前には偃月橋と、まさに圧巻の景色が広がる



 
帰路の途中に景色のよい場所を発見、手前には鯉も泳いでいる












三木武吉像:鳩山一郎の盟友で、自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者
「ヤジ将軍」「策士」「政界の大狸」などの異名を取った
栗林公園との関係は不明だが記念に



この後、平家物語歴史館に
平家一門の繁栄と悲劇をろう人形310体、17場面の壮大なスケールで再現した立体歴史絵巻
最後に驚きの落語でいうと「おち」がある
撮影禁止のため紹介できないが価値はある


撮影 平成16年11月19日
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阿波おどり会館、眉山(徳島県徳島市新町橋)

2014年03月17日 | 伝統芸能他
徳島といえば阿波おどりが頭に浮かぶ
阿波おどりの季節は8月だが、市内に「阿波おどり会館」があり、毎日阿波おどりが披露されている。さっそく足を運んでみることにした

阿波おどり会館(昼の部)
まさに「百聞は一見に如かず」、阿波おどりの考え方が変わった



「男おどりに女おどり」 見ているだけでも楽しいが、ここでは舞台にあがり「踊り体験」もできる



体験して初めてわかるのが、踊りの楽しさと難しさだ



阿波おどり会館から眉山行きのロープウェイが出ていたので流れで乗ってしまった



徳島市のシンボル的存在として親しまれているそうだ



どの方向から眺めても眉の姿に見えることからその名がついたそうだ



 





「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 懸けて漕ぐ舟 泊り知らずも」 船王(ふなのおおきみ)



太平洋戦争戦没者を慰霊するパゴダ(ミャンマー式の仏塔)



ホテルまでの帰り道に「新町川公園」があり立ち寄ってみた



光が水面に映りとても美しい



撮影 平成16年11月17日

阿波おどり会館(夜の部)
徳島市最後の夜はやはり「阿波おどり会館」
夜の部は「阿波おどり有名連による夜の阿波おどり公演」



さすが有名連だけあり迫力がまったく違う



どの写真を見ても全員の形が指先に至るまで揃っている



個人情報の保護から顔が判別できない失敗作の写真しか掲載できない
とても残念だ  




撮影 平成16年11月19日
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大歩危峡(徳島県三好市山城町上名)

2014年03月16日 | 名所・旧跡
「祖谷(いや)渓」をこえると「大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)」という、漢字の読めない地域に入る
道路から見える川は急流だが、美しい



大歩危峡観光遊船
道路沿いに大きな建物があり、車を駐めるとそこは観光船のチケット乗り場になっていた
北海道ではこのような川の色を見ることはできない



下の方で賑やかな声が聞こえてきたので移動してみると、観光船乗り場が見える



乗り場の方に近づいてみると噂通り流れが急だ



船には雨でも大丈夫なように覆いがつけられていて写真も撮れそうなので乗ることにした



「日本三大暴れ川」というのがある。坂東太郎(利根川)、 筑紫次郎(筑後川)、そして 四国三郎と呼ばれているのが吉野川



数日前までは台風により四国三郎が暴れ、この岩の上まで川の水がきていたと船頭が説明していた



観光船は流れの穏やかな場所を選んで進んで行くが、船内は男は私一人に大阪のおばちゃん集団…



すれ違った遊覧船の様子
一方こちらの船は男は私一人、当然話しの矛先が私に向かってくる…



この大きな岩は有名な岩らしいが、船頭の説明も聞かず「仕事をしているのか」などと話しかけてくる



この場所で船はUターンして元の乗り場にもどる。写真左上にあるのが道路になる



V字に切り立った大歩危峡の峡谷美をゆったり堪能することができる



往復で約30分の船旅、結構楽しめる
最後の一枚は船着き場から




撮影 平成16年11月18日
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祖谷渓(徳島県三好市西祖谷山村戸ノ谷)

2014年03月15日 | 名所・旧跡
選抜高校野球の組み合わせが決まり、そのなかに懐かしい池田高校の名前があった
「さわやかイレブン」「やまびこ打線」と呼ばれたその豪快な攻撃野球はこれまでの常識を破るものであった
今日紹介する「祖谷渓」に向かう途中に池田高校があり、そのことを思い出した

祖谷渓
吉野川支流の祖谷川にあり、全長は10kmにも及ぶ
高さ数10~100mの高低差もさることながら、降水量も多いために樹木が生い茂り、隔絶された深山幽谷の景観を擁する



この日も雨が降り「祖谷渓展望台」から見える景色も霞んでいる



この吉野川支流の祖谷川の色は北海道では見ることができない



しばらく進むと案内板と面白い像が見えてきた



後ろから見るとこのようになっている



1968年 河崎良行 作 「祖谷渓の小便小僧」だが…



何と、この像は断崖絶壁に立っているのだ
これ以上先に進む勇気はない



さらに車を進めると車窓から美しい風景が見えてきた



一帯は平家の隠れ里として名高く、日本三大秘境を謳う地であり、山麓にへばりつくように住宅が点在する 




撮影 平成16年11月18日 
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祖谷のかずら橋(徳島県三好市西祖谷山村善徳)

2014年03月14日 | 名所・旧跡
四国は私の母の故郷であるが、四国の地に足を踏み入れたのはこの時が初めてである
徳島市に2泊。写真で見たことのある「祖谷のかずら橋」をこの目で確かめてみたかった

祖谷のかずら橋
サルナシ(しらくちかずら)などの葛類を使って架けられた原始的な吊り橋
文書によると、かって7ないし13の橋が存在したとされる



起源はその昔、弘法大師が祖谷に来たとき困っている村民のために架けたとか…



平家の落人がこの地に潜み、追手が迫ってもすぐ切り落とせるように葛を使って架設したとの伝説がある
ところで、橋を渡っている夫婦。妻は積極的、夫は本当に嫌がっていた



雨も降っていて足下の木も滑る
夫の歩が進まない



橋に近づくと橋床のさな木から下がはっきりと見える
高い所は苦手で渡るかどうか迷ってしまう



例の夫は必死に頑張っているが、妻は対岸で笑顔かあきれ顔で待っているはずだ



頑張る姿は美しく、人を動かす力がある
私も入場料を払い渡ることにした



実際に渡ってみると、考えていた以上に恐怖感がある



長さ45m、幅2m、谷からの高さ14mで日本三奇橋の一つであり、重要有形民俗文化財



橋から撮った普通の写真だが、傘をさし、カメラを構えて、横向きになって下の景色を撮る



特に横向きになる動作が難しく「綱渡り」のような感じになり足がすくむ



さらに揺れも含めると決して短い距離とは思えなくなる












だが、慣れというのは恐ろしいもので、余裕も出てくる
目は美しい風景を探している



紅葉している木もあり、流れている川の色も美しい



渡り終えて振り返る橋はとても美しく見える






 


琵琶の滝の由来



「逃げる平家」  このような山奥まで歴史の道は続く



 





川岸まで降りかずら橋を撮る



車道から見えるかずら橋



安全のためワイヤーが使われており、かずらはワイヤーを包み込む装飾になっている



期待通りの橋であった




撮影 平成16年11月18日 
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犬山城(愛知県犬山市大字犬山北古券)

2014年03月13日 | 
ブログの写真ネタがなくなり、古いHDを探すことにした
その中に平成15年、初めて犬山城を訪れたときの写真がそこにあった。改めて写真を見ると当時感動していた様子がわかる

名古屋駅から名鉄「犬山駅」で下車
案内板を見ながら歩いて城を目指すことにした



木曽川沿いを歩いていくと、それほど遠くとは思えない山頂に城が見えてくるが…



歩いても歩いてもなかなか目的地に近づいていくような感じがしない



しばらく歩くとやっと近くに青空によく映える天守閣が見えてきた



国宝 犬山城(別名:白帝城)
10年後に訪れた(H25.10.26ブログ公開済)昨年は、工事中で残念な思いをしたが、天守閣を見るには古い写真の方が雰囲気がある



 


正面から見上げる姿も堂々として実に美しい



観光客の姿も見える



普段はこのような写真は撮らないのだが



天守閣を意識し周囲を歩きながら撮影している



「どこから見てもいい」 当時の記憶が鮮やかに甦ってくる



この当時、城の持ち主は確か犬山市長の娘さんだったと思う



城の中に入り最上階を目指す



私は城を訪れるときに常に「敵側の視線」で見るようにしているが、この城も天然の要塞になっている



この方向にある道を通り帰ることになる



途中「からくり展示館」に立ち寄り帰路につく
辺りが急に暗くなり振り返って城の方を見るとまったく違った表情になっていた




撮影 平成15年11月12日
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餘部鉄橋・橋梁(兵庫県美方郡香美町香住区余部)

2014年03月12日 | 名所・旧跡
平成21年7月に初めて餘部鉄橋を訪れた時の写真である
訪れた当時は補強工事をしていていると思っていたが、昨年秋に再度訪れた時にまったく違った橋梁になっていたので、今となっては貴重な写真になったと勝手に考えている
(現在の橋梁はH25.11.7付けで報告)

餘部橋梁(通称:餘部鉄橋)
「高くてなんと美しい鉄橋だろう」が初めて見たときの感想である



工事をしているため近づくこともできないし景観も悪いのが残念だ



 


転落事故の報道は、かすかに記憶に残っていたが、民家との関係がよく理解できた



時刻表があり列車の通過時間を確認する



徐行運転をしているため、素人でも写真を撮ることができる



列車が通過している部分(山陰本線 餘部橋りょう)は、現在は下に降ろされ展示されている



高さ41m、長さ309mの規模はトレッスル式鉄橋では日本一



この日は雨が降ったり止んだりで傘をさしながら周辺を歩く



 


駅の方に向かって歩いて行くと、下からも撮ることができた






この民家の近くに駅があったが、今は(不確かだが)位置が変わっていると思う

 

2013年(平成25年)5月3日:旧橋梁を生かした「空の駅」がオープン  
すっかり生まれ変わった




撮影 平成21年7月31日
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天橋立(京都府宮津市)

2014年03月11日 | 名所・旧跡
天橋立には2度ほど訪れたことがあったが、あまり天気には恵まれず2度目などは車から降りる気もなれず、今回紹介するのは3度目に訪れたときのものである

日本三景 天橋立
宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる、全長3.6km及ぶ湾口砂州



初めて訪れたときは駐車場の係員に手招きされ、そこから約4kmの「砂の道」を歩くことになった(写真は捜索中)
途中からは降雨となりやっとの思いで向こう岸に着いて驚いたのはこちらにも駐車場があるということだ
歩くのが苦手な人は観光船の利用を勧める。写真に小さく写っている船がそうだが安価で便利



天橋立の眺めは「斜め一文字」「飛龍観」「一字観」「雪舟観」のものが有名らしい
この場所は北側の「傘松公園」からの天橋立の眺め
名前のとおり斜め一文字に見える景観からその名がついた






 


「股のぞき」: 自身の股の間から顔を出し、逆さまにものを見るために台が設置されている



体の柔軟性に欠け、地面から股間までの距離が他人より短い私にとっては至難の行為である



恥ずかしいので周囲に観光客がいないときに数枚撮るが、頭に血が上り血管が破裂しそうになる



天橋立は『丹後国風土記』にイザナギが天へ通うために作ったものとあるように、股のぞきを行うことで、天地が逆転し、細長く延びた松林が一瞬天にかかるような情景を愉しむことができる
これは吉田皆三によって明治後期ごろに観光事業活性化の一環として喧伝された手法で、観光客を通して広まったとされる



公園内を歩きながら写真を撮りながらあることに気づいた…



「股のぞき」だが自分が股からのぞかなくても、カメラを反対にして撮せばいいと、一休のようなひらめきと当時は思っていたが…



写真なら、普通に撮ってひっくり返して見ても変わらないことに今気づいた(私の写真は苦労して撮っています)






開運の「かわらけ」投げ  
長い柱の先についた輪のなかに、円盤状の「かわらけ」を投げ、うまく輪の中をくぐると開運が訪れるかもというものだが



カップルの下手さ加減にあきれて私も挑戦してみたが、一人でやるものではないということがわかった(愉しくなれない)
ところで結果の方だが、2回も挑戦し6回も投げたため手首を痛めてしまったのにもかかわらず、未だ運が開けていないが答えになる



駐車場から傘松公園までは「ケーブルカーかリフト」を利用することになる



往路はリフト(写真右)を利用、帰りはケーブルカーにしたが車窓からの風景も美しい



途中で上りのケーブルカーとすれ違い、見ず知らずの人だが親しげに笑顔で手を振り合う




撮影 平成21年7月31日
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石見銀山(島根県大田市大森町)

2014年03月10日 | 名所・旧跡
この週末、体調を乱してしまった
高血圧・発熱・腰痛・頻脈・頻尿が重なり自室にて安静
3日目の今日も安静にと思っていたが、朝起きて窓から外を見ると20cm以上の積雪があり、ゆっくりしてはいられなくなった

世界遺産 石見銀山
戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山である
最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、石見銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めていた

龍源寺間歩
間歩(まぶ)とは、鉱山で鉱石を取るために掘った穴や坑道のことで、現在唯一公開されているのが龍源寺間歩
ここに行くには徒歩か自転車になるが、私はレンタルの電動自転車で向かった



久し振りに乗る自転車に加え、狭い坑道で水も滴ると事前に聞いていたので、700万画素のコンパクトカメラだけを持つことにした



高所恐怖症であることは以前に書いたが、閉所恐怖症でもある
観光客も私一人で一層不安になった



坑道の横に採掘に使われた大小の横穴がいくつか見える






この立坑は「排水坑」で龍源寺間歩に溜まった水を約100m下の永久坑道へ排水したといわれる



江戸時代の中頃に開発された代官所直営の坑道で、大久保間歩に次いで長く、約600mあり、公開されているのは273m



坑道の壁面 には当時のノミの跡がそのまま残っている



 


奥に進むほど人間の上半身しか入らないような狭さになっている






自分の感覚ではやっと安全な場所に出てきたという感じだ



坑道の出口附近に石見銀山の案内が掲示されている












坑道は一方通行で、ここが出口になっている
何故か急ぎ足になっていたので所要時間は10分もかかっていない



佐毘賣山神社
日本の鉱山には守り神として、また鉱山の繁栄を祈願する神社がある
佐毘賣山(さひめやま)神社は、銀精錬の神である金山彦命が祀る石見銀山の守り神で、1434年(永享6年)から鎮座し、世界遺産石見銀山のかつての繁栄を示す象徴



レンタル自転車ということもあり、放置して参拝するわけにいかず鳥居のみ




撮影 平成21年7月30日
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松江城<千鳥城>( 島根県松江市殿町)

2014年03月07日 | 
山陰地方を訪れたのは今回(H21.7月)が初めてだが、親切な人が多く居心地がよい
松江城近くの駐車場の男性も「札幌」ナンバーを見て「遠くからよく来てくれた」と歓迎されたようないい気分になった

松江城<千鳥城>(重要文化財)
気持ちよく駐車場から松江城に向かう。途中、石垣の奥に天守閣が見えてきた



登閣料を納め城を眺める。1935年(昭和10年)「国宝保存法」により国宝に指定されたが、1950年(昭和25年)5月文化財保護法制定により、「重要文化財」となる



亀田山に1607年(慶長12年)から5年の歳月をかけ築城
1611年(慶長16年)に竣工。完成数カ月前に堀尾吉晴公死去(69歳)
孫の三之助(忠晴)(13歳)が城主となる



廃城令により、松江城諸建造物と三の丸御殿を民間に払い下げることとし、ことごとく取り壊された
天守閣は180円で落札されたが、出東村の勝部本右衛門、高城権八らにより資金を調達、買い戻され取り壊しは中止、保存されることとなった



「松江のシンボル松江城は、全国で現存する12天守のうちのひとつで、唯一の正統天守閣ともいわれている



人柱伝説:天守台の石垣が何度も崩れ落ち、人柱がなければ工事は完成しないと、工夫らの間から出た
そこで、盆踊りを開催し、最も美しく、踊りの上手な少女が生け贄にされた。娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという
石垣は見事にでき上がり城も無事落成したが、城主の父子が急死し改易となった
人々は娘の無念のたたりであると恐れたため、天守は荒れて放置された
その後、松平氏の入城まで天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残る
また、城が揺れるとの言い伝えで城下では盆踊りをしなかった



石垣積は、築城工事にあたって、全体の半分以上の労力を要した
松江城は5年間で完成したが、そのうちの3年間を石垣に費やされた



興雲閣
松江城内に1903年(明治36年)に明治天皇行幸時の御宿所として建設された擬洋風建築の迎賓館 



日本の大工が欧米の建築を見よう見まねで建てたという擬洋風建築で、洋風スタイルの中に和の要素が織り込まれている
当時は「ロシア宮殿風」といわれ、迎賓館や博覧会場として使用されていた



松江城周辺には、小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、武家屋敷の各施設があるが、5年前のこの日は、この後に一畑薬師、出雲大社、石見銀山を訪れていて、つまみ食いのような観光をしている

帰り際に撮った写真



駐車場に戻ると「いい物をあげようかな」と係の男性が笑顔で話しかけてきた
数回子どものようなやりとりの会話があり手に入れた「いい物」は松江市内の観光マップが書かれている「うちわ」であった
「使わないけどもらっていくわ」互いに笑顔で手を振りながら別れた  


撮影 平成21年7月30日
コメント (2)
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角磐山 大山寺(鳥取県西伯郡大山町大山)

2014年03月06日 | 神社・仏閣
平成21年7月の旅行記である
「鳥取砂丘」に始まり「三仏寺」参拝後に、今日紹介する大山寺に来ている
この頃の旅は日の出と共に行動し、夕暮れ時まで最低3ヶ所以上巡るという忙しい内容のものである
大山寺を訪れるのは初めてであるが、道路からの眺めもよく所々細い道もあり霊場を目指しているという感じにもなれる

大山寺
伯耆大山中腹にある天台宗別格本山の寺。本尊は地蔵菩薩
雨が降りそうな天気であったが、傘も持たずに駐車場から石段を上がり本堂へ



途中、山号と大山寺と刻まれた石碑がある



本堂
奈良時代に成立した山岳信仰の霊場であり、養老2年(718年)に金蓮上人が草庵をむすび地蔵菩薩を祀ったことが起源



西日本に於ける天台宗の一大拠点となり、座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、比叡山に戻って昇格するという、僧侶のキャリア形成の場となった



廃仏毀釈により大山寺の号が廃され、大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した
これにより大山寺は急激に衰退した
明治36年(1903年)に大山寺の号が復活した
昭和3年(1928)には4度の火災に見舞われ、昭和26年(1951)に再建された



護摩堂
御本尊不動明王のもとで、天台密教の修法「護摩」をたく



戸の隙間から堂内を見る



鐘楼
「開運鐘」と記載されている
この鐘を撞いたかどうか記憶にないが運がないので「ついてない」と思う



さて、この写真もどこで撮ったのか記憶にない



外では雨が強く降り始め、大山寺の宝物館になっている「霊宝閣」で雨宿り
重文の観音像四躰・鉄製厨子をはじめ多数の仏像などが展示されていた
ここの担当の女性はとても親切で、閉館時間をこえていたが「雨が止むまでいてもいいですよ」と言ってくれた



大山寺といえば「阿弥陀堂(重文)」が有名であるが、拝観には予約が必要で拝観料は3000円よりとなっている
雨のため境内を廻ることができず、今写真を見ても枚数も極端に少ない。これからは「悔いは残さない」という人生を目指しているので今年の旅行の候補地にしたい


撮影 平成21年7月29日
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出雲大社(島根県出雲市大社町杵築東)

2014年03月05日 | 神社・仏閣
H21.7.30「一畑薬師」から出雲大社へ入った
短パンによれよれのTシャツにサンダルという格好では神域に入ることができないと、係の人に拒否されたのには驚いたが、初めて訪れただけにそれも仕方がない
H25.5.15に再び訪れたときは、Yシャツにネクタイ、ジャケットをはおり、黒革靴を履き完璧なスタイルで参拝したが、遷宮後はあまりうるさく言われないようで、肩すかしをくった
この時には長時間滞在し隅々まで記録したものをH25.6.30付けで紹介しているので比較していただきたい

出雲大社
正式名称は「いずもおおやしろ」であるが、一般には主に「いずもたいしゃ」と読まれる
二拝四拍手一拝の作法で拝礼する

神楽殿
出雲大社といえば「大注連縄」というイメージがある






正面破風下に張られた長さ13m、周囲9m、重さ5tの大注連縄



近くによると沢山の硬貨が挟まっている



十九社(じゅうくしゃ)二宇(重要文化財)
神在祭の間(旧暦10/11~17)、集われた全国各地の神々の宿所となる社






荒垣をさかいとする境内・境外に合わせて23建てられている摂末社









八脚門(重要文化財) 御本殿(国宝)
約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開される
この日は公開されていてその列に加わり順番を待っていたら「服装規程」で除外



奥の覆いのある建物が御本殿
Yシャツにベルト付きズボン、紐付き靴が最低条件と記憶する
苔のある屋根も素晴らしいのだが、今は綺麗に葺かれている






拝殿
本殿の建て替えに際して、神体が仮殿となった拝殿に遷御された



帰りには「神こ殿」の2階にある宝物殿に寄り文化財を鑑賞した 


撮影 平成21年7月30日
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