今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

「さっぽろ雪まつり」過去の雪像・氷像を振り返る

2021年02月17日 | 放言大論
2018年 平成30年 さっぽろ雪まつり
晴れた午前中に一度会場を訪れたのだが、モーターショーでレンズを落とした影響で撮ることができず、温暖な日を選んで再挑戦した

「ファイナルファンタジー 白銀の決戦」
ゲーム世代ではないのでその良さは分からないが前年に引き続いての雪像である






標準レンズが不調で、予備の望遠レンズで撮ったもの






初めてスマホで動画を撮ってみた(2分7秒)

ファイナルファンタジー

2018 さっぽろ雪まつり「ファイナルファンタジー」プロジェクションマッピングによる映像

YouTube

 


バーンスタイン生誕100年を記念
国際教育音楽祭PMFの提唱者。私自身もクラシック音楽入門のきっかけになった






PMF賛歌の「ジュピター」の合唱。寒さを忘れるほどの感動のステージだった



台湾:旧台中駅
1917年に建設された赤煉瓦の歴史的建造物を、108本の氷柱で建物を再現






氷像の前では昼も……



夜も若者向けのコンサートが開かれていた






ストックホルム大聖堂
ストックホルム最古の教会を実物の1/2大で再現



日本とスェーデンは国交150周年



この大聖堂は私の中では一番の大雪像である



スェーデン国旗をイメージしたライトアップ



プロジェクションマッピングも行われていた



奈良・薬師寺 大講堂
薬師寺には何度か訪れているのでこの大雪像を楽しみにしていた



プロジェクションマッピングが始まると「密」になる



この場所に着くまでには結構時間がかかる
待機中のこの雪像も映像が流れると見事に変化する



再びスマホでの動画(3分55秒)

薬師寺大講堂

2018 さっぽろ雪まつり「薬師寺大講堂プロジェクションマッピングによる映像」

youtube#video

 


北海道の名付け親「松浦 武四郎」
平成30年(2018年)は北海道命名150年、武四郎生誕200年の記念の年になる



手塚治虫生誕90周年記念オールスター



「ブラックジャック・鉄腕アトム・ジャングル大帝・リボンの騎士」
漫画をあまり読まない私でもスラスラ出てくる



無免許の天才外科医ブラックジャック



「心優しい科学の子~」の主題歌は今も頭の片隅に残っている



国際雪像コンクール






この年の優勝はタイ国のこの作品



雪ミク(初音ミク)タンチョウ巫女






ロシアの土産店



ススキノ会場
大通会場からススキノ会場へ移動する。私の短い脚でも7分程度で着く



昔は歩道に1m程度の氷像が置かれていたが、現在は道路の中央に約60基の氷像が設置されている



素人目にも年々彫刻の完成度が高くなっている感じがする






すしざんまいの氷魚も復活






「準優秀賞」



「優秀賞」



目立たない場所に置かれていたこの小さな「鶴」は凄かった



「最優秀賞」



「優秀賞」







イルミネーションロードを通ると妙に酒が飲みたくなる



そして、お見せの扉を開けるのであった



撮影 平成30年2月6日・9日
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「2021さっぽろ雪まつり中止」のため過去の雪像・氷像を振り返る

2021年02月15日 | 放言大論
過去の雪像・氷像を振り返る その3
平成29年(2017年)さっぽろ雪まつり

この年は前年の反省から午後は逆光になるため、午前中に会場に入り雪像を撮り
一度自宅に戻り休憩してから夕方に再び会場に向かうという方法をとった



競馬好きな私にとっては嬉しい氷像



勿論、後援はJRA。夜になると数種類のライトが当てられ躍動感が増す






大雪像「決戦!雪のファイナルファンタジー」
約20年前に発売され、大ヒットを記録しているゲームソフト「FINAL FANTASY VII(ファイナルファンタジーセブン)」



私の写真では人物を入れないようにしているが、夜の部はこのような感じで自由に動くことができない
プロジェクションマッピングが始まると来場者の足が止まる



この場所にたどり着くのにも十数分も要する



大氷像「台湾-台北賓館」
台北賓館は台湾の国家招待所(迎賓館)
現在、政府主催の祝宴、国賓の歓迎レセプション、国際条約の調印式および文化活動の重要な場となっている






夜になるとアイドルグループが登場し賑やかになる



ロシアの土産店



大雪像「凱旋門」
パリのシャルル・ド・ゴール広場にそびえる凱旋門



ナポレオン1世がアウステルリッツの戦いに勝利したことを記念して1806年に建造を命じ、完成には30年の月日を要した



ステージの右側にはサラブレッドと騎手の雪像
馬産地・北海道から世界最高峰のレース、凱旋門賞を制するサラブレッド誕生を願う想いが込められている






フランスの三色旗をイメージしたライトアップ



凱旋門賞に日本馬は何度も挑戦しているが残念ながら優勝馬はまだ出ていない



「ピコ太郎」 市民雪像では、この年の話題になった人物がよく登場する。そして消えていく……



大雪像「スター・ウォーズ」
2017年、映画『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』が全米で公開されてから40周年



宇宙大作戦(スタートレック)世代でSF好きなこともあり、映画も見てみたが……






プロジェクションマッピングもモノクロ調



国際広場「国際雪像コンクール」
雪まつりの雪像で楽しみにしているのが外国人が制作したもの



この雪像の前では何度も足が止まる



夜も来てみた。外国人の発想は面白い



昼間よりも夜の方がいいなと思える雪像もある






「雪ミク(初音ミク)」 
「雪ミク」は、北海道を応援するキャラクター






昼間には何も感じることなく通り過ぎた氷像



大雪像「奈良・興福寺 中金堂」
これも昼間にはあまり感動なく通り過ぎた作品だったが……



夜になると魅力的になる



個人的には一番好きな色でのライトアップ



プロジェクションマッピングが始まった
日本の映像技術者のレベルの高さを感じる一枚になった



興福寺だけに阿修羅像も登場



ススキノ会場
スポンサー企業による氷像群

最近になってウイスキー収集を始めたが、その中心となっている「ニッカ」
創業者 竹鶴政孝の「竹」と氷像は「鶴」



馬を見ると反射的にカメラを向けたくなる



パチンコ・イーグルグループ後援だけに作品は勿論「イーグル」



「復活」の作品名。不死鳥か



ここでは数人の女性に記念写真を頼まれた
写真を頼む女性の多くは美しい。いつか王子様が馬車に乗せてくれるのだろう



撮影 平成29年2月9日
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「2021さっぽろ雪まつり」が見送られた

2021年02月14日 | 放言大論
過去の雪像・氷像を振り返る その2
平成28年(2016年)さっぽろ雪まつり
例年、この時期になるとブログに投稿する写真がなくなり、雪まつりに出かけるようになった

進撃の巨人、サッポロ襲来!
国内外で大人気の「進撃の巨人」の世界観を、さっぽろ雪まつり特別バージョンで…ということらしい



この年は「昼の部・夜の部・ススキノ会場」を1日で終わらせようと午後からスタートしたことが裏目にでた
ほとんどの雪像が逆光でうまく撮ることができなかった




夜になると雪像がライトアップされ濃淡が強調されるので見やすくなる



環境ひろば 「さっぽろ 冬物語」
円形劇場形式の青空天井の劇場を雪像で表現
「さっぽろ冬物語」という15分間の演劇を上演していた



台湾―女王頭(クイーンズヘッド)と平渓派出所




氷像は日中よりも夕方から夜にかけてライトアップされる方が綺麗に見える



マカオ 聖ポール天主堂跡
通称「聖ポール天主堂跡」と呼ばれる教会前壁は聖ポール学院教会(聖母教会)の一部



これまで見た雪像のなかでは最も印象に残っている最高の作品だ
この雪像を見て、本物をみたいと思った



この遺跡は、今、南側の石造りのファサードと、この天主堂を創設し維持したイエズス会士の地下納骨堂からなっている






何かの人気キャラクターだと思うが…女の子達が可愛かったので撮ってしまった



「ドラゴンボール超(スーパー)」悟空&ベジータ 大雪像




国際雪像コンクール
世界各地の国・地域・都市によるチームが参加して雪像制作を競う
日本人には見られない発想があり楽しい



優勝 ラトビア:「橋」
初出場で初優勝。ラトビアの彫刻家・芸術家が制作した作品



この作品を最初に見たとき、その斬新さに驚いた



ススキノ会場に移動する
さすが「すしざんまい」やることが斬新
ところが、名物の「魚氷」がクレームにより中止に追い込まれていくことに



ホテルのシェフによる作品
「最優秀賞の幻翼」



「流金の番い」



「石狩の秋」



「ぶんぶんぶんはちがとぶ」



イルミネーションロードを通りススキノのネオン街へ向かう



撮影 平成28年2月8日
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さっぽろ雪まつりは、新型コロナウイルスの感染拡大防止対策として見送られた

2021年02月11日 | 放言大論
「2021さっぽろ雪まつり」は、新型コロナウイルスの感染拡大防止対策として見送られた
昨年の雪まつり後に、北海道から武漢肺炎の陽性者が出始め大変な騒ぎになり1年が過ぎた

そこで数年前に会場で撮った写真を整理し投稿していくことにした
(ブログのネタが尽きた苦肉の策でもある)

平成26年(2014年)さっぽろ雪まつり
人混みと寒いのが苦手で、この地に居住し20年以上も経っていたが、この年に初めて雪まつり会場に出かけた

大氷像「台湾-伝統とモダン」
これは雪像ではなく、高さ10m幅18mの「大氷像」である
氷像中央は台北の「国立故宮博物館」
氷像左は「台北101」、地上101階の超高層ビル。右は「台湾高速鉄道」



札幌市内近郊のホテルに勤務するシェフが中心となり約2週間を費やして作成した
重さ135kgの氷柱を約800本使用している



夜にはライトアップされイベントが開催されていた



大雪像「ウインタースポーツ天国、北海道!」
振り返るとこの年の雪まつり期間中が「ソチ冬季五輪開催中」だった
この時のメダリストは
金:羽生 結弦(フィギュアスケート)
銀:葛西 紀明(ジャンプ/ノーマルヒル)
  平野 歩夢(スノーボード/ハーフパイプ)
  竹内 智香(スノーボード/パラレル大回転)
銅:ジャンプ男子ラージヒル団体(清水 礼留飛、竹内 択、伊東 大貴、葛西 紀明)
  小野塚 彩那(スキー/フリースタイル)
  平岡 卓(スノーボード/ハーフパイプ)



一番応援していた「浅田 真央」選手は6位
五輪のメダルには縁がなかったが最高の選手



大雪像「スルタン・アブドゥル・サマド・ビル」
マレーシアの首都クアラ・ルンプールに建つ旧連邦事務局ビル
イスラム建築と西洋様式が融合したムーア様式の最高傑作といわれた



この年の来場者数は240万人超
自宅から会場まで比較的近いこともあり天気の良い日を選ぶことができる



雪まつりは初めてだが雪像の完成度の高さに驚いた



雪像の前のステージでは、マレーシアの民族衣装で歌と踊りを披露している



夜にはライトアップされ美しさが増す
この年の私が選ぶNo.1大雪像がこれだ



大雪像「イティマド・ウッダウラ」
ムガル帝国の宰相ミールザー・ギヤース・ベグは死後、皇帝ジャハーンギールから尊称「イティマド・ウッダウラ」(国家の柱)の称号を与えられた
娘のジャハーンギール妃であるヌール・ジャハーンはその死を悼み、墓廟をヤムナー川の右岸に建設した



高さ12m、幅21mの巨大なもので、かなり見ごたえがある



夜にはカラフルな世界が始まる
「プロジェクションマッピング」なるものだが…初めて体験した



凄い人混みで前に進むことができない
写真が撮れる場所まで移動するのに30分程要したが、その価値はあった



雪まつりの「夜の部」はどうしようかと悩んだが、なかなかいいものだ



大雪像「beポンキッキーズinさっぽろ雪まつり」
ここは子供達が喜びそうな雪像



息子達が子供の頃見ていた番組なので当時のことを思い出す



写真では分からないが雪で作られたテレビから動画が映し出されていた



「雪ミク(初音ミク)」
北海道の雪をイメージした雪像らしいが「可愛い」



夜もこの場所へ来てしまった(笑)
昼との違いは同じような服装をした熱狂的なファンがいることだ



撮影 2014年2月10日・11日
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岩屋山 石龕寺(兵庫県丹波市山南町岩屋)

2021年02月05日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月4日

岩屋山 石龕寺(せきがんじ)
数年前から気になっていたが、訪れたのは初めてである
石龕寺駐車場ではなく仁王門前の駐車場に駐めると歩く距離も短く年配者には何かと都合がいい

仁王門
寺号標に刻まれている字体、その奥にある仁王門のバランスがとてもいい



この時は仁王門の「扁額」が兵庫県指定文化財だとは知らなかった
遠くて小さいが扁額には寺号の「石龕寺」



木造金剛力士立像(重要文化財)
重文の像となるとその護りも固い
像前の防御柵が高く低身長の私には辛い



両腕を上げカメラを持ち、勘を頼りに仁王像にレンズを向け適当にシャッターを押す



さすが重文に指定されているだけあり、迫力満点である



慶派の「肥後法橋定慶」によって仁治3年(1242年)に制作された



参道は緩い上り坂になっている






近くに寄ってみると仏様が描かれている



高野山真言宗の寺院ということは「空海像」ということになる



この辺りで2つの道に分かれる



1つは「焼尾神社」に続く道






2つ目は「毘沙門堂(本堂)」へ続く道で、こちらを選んだ



手水舎



毘沙門堂(本堂)
用明天皇の丁未の年である587年、聖徳太子による創建と伝えられる



織田信長(明智光秀)の丹波攻略を受け、天正7年(1579年)には兵火により全山焼失、仁王門を残すのみとなる
江戸時代以降に徐々に復興し、奥の院(1994年)、毘沙門堂(本堂)、鐘楼堂、持仏堂、庫裏、客殿などが再建された



扁額には「毘沙門天王」



お堂の横にある「不動明王」



大日如来の化身で「お不動さん」の名で親しまれている






奥の院への入り口



本堂から山上約800mに奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっている
いかにも歩き出したという雰囲気を醸し出しているが実際にはその気力もなくUターンした



仏足石



薬師堂






「焼尾神社」が見える



階段の昇降は嫌だなと思っていたら、薬師堂からの近道があった



信仰心など無いのだが、このような時だけ神様のお蔭だと思う






焼尾神社
仁治2年(1241年)創建






中に入ると「本殿」を風雨から保護するため覆堂だということが分かる



音の聞こえなかった「水琴窟」



1年前になる。大津市坂本の「西教寺」参拝の折、俳優 長谷川 博己 氏が参拝に来ていた
明智光秀一族の墓前で「麒麟がくる」の主役としての報告をしていたのだ



緑に囲まれた参道を歩き駐車場に戻る



令和2年(2020年)秋の放浪の旅もこの寺を最後に終了する
コロナ禍ではあったが無事終了することができた



撮影 令和2年10月4日
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鹿野山 朝光寺(兵庫県加東市畑)

2021年02月04日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月4日

鹿野山(ろくやさん) 朝光寺
国宝の本堂があるということで訪れたのだが、カーナビが案内したのは別の場所
車で行ったり来たりしていると、同じ寺を探している様子の夫婦がいて声をかけてみた

初めての場所+方向音痴+ご夫婦の助け=参道発見(30分の浪費)



200m程歩くと左手の階段上に山門が見えてくる



山門






仁王像
仁王像の前に上がることのできる場所があり像と同じ目線で撮ることができた






作者も年代も分からないが彩色も残っている






本堂(国宝)
山門の正面に本堂がある
左手の簡易テントにボランティアガイドが控えていて声をかけられた



初めての参拝ということもありガイドをお願いした



本堂の撮影スポットを最初に教えてくれた



ガイドの話を聞いたのは4ヶ月前になる
写真を見て思い出しながら書いていく



普段は全く関心のないこの屋根の写真を何の目的で撮ったのか(記憶を辿ってみた)
鬼瓦かなと思ったが、本瓦葺きの屋根の色だった
修復年によって異なっていると説明を受けたことを思い出した



堂内に入る。正面軒先に吊り下げられている「鰐口」は兵庫県指定文化財



外陣・内陣を隔てている格子戸と菱格子の欄間






内陣は暗くて目視することはできなかったが、レンズを通すとこのように見える



国宝の雰囲気を感じさせる外陣






本堂から山門を見る



柱の曲線に注目すると、一つ一つが異なった造りになっている



ここも普段は無視する場所だが説明を受けると面白い
足元の空間を広くしているのは、この場所が山中にあり湿気を防ぐために通気性を良くしているとのこと



本堂は斜面に建っているため柱の高さが違う
右側では立っていられたが、左側では膝を曲げなければ通ることができなかった



一本だけ形状の違う木が使われている不思議



木の形に合わせて側面の壁や戸を造っている(匠の技)






鐘楼(重要文化財)
私の場合、建物だけに目がいくが、石の土台にのっている鐘楼というのが珍しいそうだ



鐘楼を美しいと感じたことはなかったが、この鐘楼は実に美しい



山中にあるだけに周囲の景色に溶け込んでいる感じがいい






多宝塔(兵庫県指定文化財)
私の好きな多宝塔もある






石仏
境内にはいくつかの石仏が鐘楼周辺を中心に置かれている















ツクバネ(加東市天然記念物)
北海道では見たことのない木である



羽子板で突く羽根に似ているので「衝羽根(つくばね)」と名付けられた



落下する時、羽根つきの羽根のようにクルクル回転するという



3名ガイドさん達には歓迎して頂き大変感激した
今回はその説明を思い出しながら書いてみた

帰ろうとして階段を下りようとしたところ、下から白い布を被り誰かかが踊りながら上がってくる
舞踏家のようで上ではスタッフがビデオで撮影していた



つくばねの滝









撮影 令和2年10月4日
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極楽山 浄土寺(兵庫県小野市浄谷町)

2021年02月03日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月4日

極楽山 浄土寺
国宝の「阿弥陀三尊像」で有名な浄土寺。二度目の参拝となる
30枚程撮った頃にカメラに記憶媒体が入っていないことに気付き駐車場へ戻る(汗)

手水舎



「境内案内図」



文殊堂側からの入り口から入る



今上天皇 徳仁 陛下 皇太子時代の参拝記念樹






浄土堂<阿弥陀堂>国宝
奈良時代の僧・行基が建立したとされる「広渡寺」が浄土寺の前身寺院とされる
荒廃していた広渡寺を浄土寺として復興させた実質的な開山は、東大寺大仏・大仏殿の復興に尽力した「重源」である



治承4年(1180年)平重衡の軍勢による南都焼討で、東大寺、興福寺は壊滅的な打撃を受け、東大寺の大仏殿も焼け落ちた
この大仏・大仏殿の再興の大勧進(総責任者)となったのが、当時61歳の重源であった



重源は大仏再興事業の拠点として、日本の7か所に東大寺の「別所」を造った
七別所のうちの「播磨別所」がこの浄土寺である



浄土堂(阿弥陀堂)は重源によって建てられたもので、本尊として快慶作の阿弥陀三尊の巨像を安置する
堂は建久5年(1194年)に上棟し、同8年(1197年)に完成供養を行ったと記録されている



浄土堂は境内の西、すなわち極楽浄土の位置する側に建てられ、阿弥陀三尊は東向きに立つ
堂の背後の蔀戸(しとみど、建物の内側または外側へ跳ね上げる形式の戸)を開け放つと背後からの西光が入る
晴れた日の夕刻には堂内全体が朱赤に深く輝くように染まり、雲座の上に位置する三尊像が浮かびあがって来迎の風景を現す劇的な光の演出効果を備えている



鐘楼堂(兵庫県指定文化財)
創建不明。現在のものは寛永9年(1632年)築。入母屋造 本瓦葺 鐘楼









「水向石」
古墳時代の石棺の蓋を再利用したもので、水を溜める場所を設けている






鎮守 八幡神社






拝殿(重要文化財)
文暦2年(1235年)創建。室町時代中期の再建



「狛犬」






拝殿の中央を通り本殿へ



本殿(重要文化財)
文暦2年(1235年)創建。室町時代中期の再建



「傷痍軍人之碑」



収蔵庫



観音像






不動堂



本堂<薬師堂>(重要文化財)
境内には池を中心にして、西に浄土堂(阿弥陀堂)、東に室町時代の永正14年(1517年)に再建された薬師堂(本堂)が建つ



この配置は、東方浄瑠璃世界の教主・薬師如来と西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の居所を意味している



建久8年(1197年)創建とされ、現在のものは焼失後の永正14年(1517年)築。宝形造、本瓦葺






開山堂(兵庫県指定文化財)






経蔵



「芭蕉句碑」文化9年(1812年)建立
 寿(すず)しさは 飛騨の匠の 指図哉  芭蕉



境内を時計回りで歩いてきた



(個人の感想だが)この寺の魅力の8割以上を占めるのが国宝「木造阿弥陀如来及び両脇侍立像」の存在



仏師快慶の代表作
巨大な三尊像で、阿弥陀如来は像高5m30cm(須弥壇を含めると7m50cm)
両脇侍の像高は各々3m70cmある(右・観音菩薩、左・勢至菩薩)
快慶は重源とは近い関係にあり、熱烈な阿弥陀仏信者だったことが知られている



夕方になると、堂内西側の蔀戸から西日が射し、床に反射して、仏像が赤く染まっていくという



撮影 令和2年10月4日
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極楽山 浄土寺(兵庫県小野市浄谷町)

2021年02月03日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月4日

極楽山 浄土寺
国宝の「阿弥陀三尊像」で有名な浄土寺。二度目の参拝となる
30枚程撮った頃にカメラに記憶媒体が入っていないことに気付き駐車場へ戻る(汗)

手水舎



「境内案内図」



文殊堂側からの入り口から入る



今上天皇 徳仁 陛下 皇太子時代の参拝記念樹






浄土堂<阿弥陀堂>国宝
奈良時代の僧・行基が建立したとされる「広渡寺」が浄土寺の前身寺院とされる
荒廃していた広渡寺を浄土寺として復興させた実質的な開山は、東大寺大仏・大仏殿の復興に尽力した「重源」である



治承4年(1180年)平重衡の軍勢による南都焼討で、東大寺、興福寺は壊滅的な打撃を受け、東大寺の大仏殿も焼け落ちた
この大仏・大仏殿の再興の大勧進(総責任者)となったのが、当時61歳の重源であった



重源は大仏再興事業の拠点として、日本の7か所に東大寺の「別所」を造った
七別所のうちの「播磨別所」がこの浄土寺である



浄土堂(阿弥陀堂)は重源によって建てられたもので、本尊として快慶作の阿弥陀三尊の巨像を安置する
堂は建久5年(1194年)に上棟し、同8年(1197年)に完成供養を行ったと記録されている



浄土堂は境内の西、すなわち極楽浄土の位置する側に建てられ、阿弥陀三尊は東向きに立つ
堂の背後の蔀戸(しとみど、建物の内側または外側へ跳ね上げる形式の戸)を開け放つと背後からの西光が入る
晴れた日の夕刻には堂内全体が朱赤に深く輝くように染まり、雲座の上に位置する三尊像が浮かびあがって来迎の風景を現す劇的な光の演出効果を備えている



鐘楼堂(兵庫県指定文化財)
創建不明。現在のものは寛永9年(1632年)築。入母屋造 本瓦葺 鐘楼









「水向石」
古墳時代の石棺の蓋を再利用したもので、水を溜める場所を設けている






鎮守 八幡神社






拝殿(重要文化財)
文暦2年(1235年)創建。室町時代中期の再建



「狛犬」






拝殿の中央を通り本殿へ



本殿(重要文化財)
文暦2年(1235年)創建。室町時代中期の再建



「傷痍軍人之碑」



収蔵庫



観音像






不動堂



本堂<薬師堂>(重要文化財)
境内には池を中心にして、西に浄土堂(阿弥陀堂)、東に室町時代の永正14年(1517年)に再建された薬師堂(本堂)が建つ



この配置は、東方浄瑠璃世界の教主・薬師如来と西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の居所を意味している



建久8年(1197年)創建とされ、現在のものは焼失後の永正14年(1517年)築。宝形造、本瓦葺






開山堂(兵庫県指定文化財)






経蔵



「芭蕉句碑」文化9年(1812年)建立
 寿(すず)しさは 飛騨の匠の 指図哉  芭蕉



境内を時計回りで歩いてきた



(個人の感想だが)この寺の魅力の8割以上を占めるのが国宝「木造阿弥陀如来及び両脇侍立像」の存在



仏師快慶の代表作
巨大な三尊像で、阿弥陀如来は像高5m30cm(須弥壇を含めると7m50cm)
両脇侍の像高は各々3m70cmある(右・観音菩薩、左・勢至菩薩)
快慶は重源とは近い関係にあり、熱烈な阿弥陀仏信者だったことが知られている



夕方になると、堂内西側の蔀戸から西日が射し、床に反射して、仏像が赤く染まっていくという



撮影 令和2年10月4日
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刀田山 鶴林寺(兵庫県加古川市加古川町北在家)

2021年02月01日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月3日

刀田山 鶴林寺
数年前、旅行中に有名寺社を回っていると話すと関西のおばちゃんから鶴林寺へ行ったかと聞かれた
行っていないと言うと「モグリだ」とも言われた。悔しいので翌年参拝し、今回が2回目になる
鶴林寺は聖徳太子の草創と伝える播磨の古刹である

仁王門(兵庫県指定文化財)
駐車場は満車状態。数年前もそうだった



3間1戸の楼門形式で、大伽藍の正門として位置する
江戸時代、寛文12年(1672年)の建立






仁王像









三重塔(兵庫県指定文化財)
仁王門から三重塔の姿が見えた。塔があったことすら忘れていた
相輪がはっきり見える



室町時代の創建だが、江戸時代に大修理が行われている






歴史的に国宝や重要文化財に値すると思うが、浮浪者が塔内で焚き火をして損傷させた
ボランティアの話によるとそれが原因で県指定になっているのではないかと話してくれた





手水舎



新薬師堂(仏像)
次に足が向いたのは「新薬師堂」
仏像のことだけが気になり建物を撮るのを忘れてしまった

薬師三尊像






本尊:薬師如来



右脇侍:月光菩薩



左脇侍:日光菩薩



十二神将






その一つ「ウインクする仏像」が話題になった




石碑「太子会の人出の中を蝶飛べる」播水
「刀田の太子っさん」と慕われる春の大祭、鶴林寺太子会の賑わいぶりを詠んだもの



講堂(研修道場)



講堂の奥に何かが見える



「不開の門跡」
12歳の聖徳太子が恵便法師を招いて仏教の修学に励んだ「木の丸殿」の門がここにあったという



「聖徳太子十二歳像」



地蔵堂



「小安地蔵尊」



常行堂(重要文化財)



「常行三昧」という、口で阿弥陀仏を唱え、心で阿弥陀仏を思いながら
休むこと無く何十日も歩き巡る厳しい修行が行われた









本堂(国宝)
室町時代 入母屋造、本瓦葺き
桁行(正面)7間、梁間(側面)6間






伝承では創建は崇峻天皇2年(589年)聖徳太子が当時物部守屋に迫害されて播磨の地にいた高麗僧・恵便のために秦河勝に命じて建立させた



推古天皇14年(606年)、聖徳太子が法華経を講義し、その功で天皇から播磨国の水田百町を得た
創建時は四天王寺聖霊院という寺号であったものを、天永3年(1112年)に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改めた



扁額の字が読めない



「賓頭盧尊者」



鶴林寺本堂は大阪府河内長野市の観心寺本堂と並ぶ、折衷様式の代表例とされる
外部は「桟唐戸」で閉め切ったときにいっそう重厚さにあふれて見えるという



本堂から三重塔を眺める



太子堂(国宝)
堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれている
元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしている



「法華堂」「常行堂」という同形の堂を並べて建てるのは天台宗特有の伽藍配置












鐘楼(重要文化財)
応永14年(1407年)に建立された



朝鮮・高麗時代に鋳造された梵鐘も重要文化財









観音堂






護摩堂(重要文化財)
永禄6年(1563年)の建立






外部が和様、内部が禅宗様の折衷様式護摩堂
火炉で護摩木を焚くところで知恵の火で煩悩・罪障を焼き尽くす行法が行われる場所



宝物館
館内は撮影禁止
聖観音立像(重文)<別名「あいたた観音」>が有名



太子堂の模型



「法華一石一字塔」



宝物館で他の参拝者に説明していたボランティアの方からいい話が聞こえてきた



四天王と四神だが関西風に言えば「地蔵買(こ)うた」と覚えるとわかりやすいと
「じ・ぞう・こう・た」に四天王と四神に方角を加えると
じ :持国天(東方を守護)青龍(春)
ぞう:増長天(西方を守護)白虎(秋)
こう:広目天(南方を守護)朱雀(夏)
た :多聞天(北方を守護)玄武(冬)



頭の中で整理できなかった四天王と四神の方角がすっきり理解できた



駐車場の脇にあった花を眺めながら車に戻る



撮影 令和2年10月3日
コメント
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