今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

瑞石山 永源寺(滋賀県東近江市永源寺高野町)

2013年11月30日 | 神社・仏閣
道の駅で見たパンフでは、湖東三寺+1の扱いを受けているのが永源寺だ。
永源寺に近づくと永源寺に一番近いという案内板の駐車場に駐めることにした。
早い時間帯だが観光客も次から次へと到着しているという感じで活気がある。

瑞石山 永源寺<臨済宗永源寺派大本山> 
南北朝時代の興安元年(1361)に、時の近江守護職、佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まり。

和泥水(地蔵尊)
和泥水(わでいすい)というのは道元禅師の言葉で「泥まみれになって尽くす」という意味



地蔵菩薩を祀っている



「羅漢坂」と呼ばれる石段が続く



「大聖塔」と刻まれた石塔。周囲には紅葉が始まった木々が美しい



思わず笑ってしまう石仏もある。実に面白い



十六羅漢
周囲の風景にみごとに溶け込んでいるため、見逃してしまう人も多い




     


     




この石段は長く続くが、歩きながら景色を楽しむことができるので疲れは感じない



遠くに門らしき建物が見えてきた



洗耳水(せんじすい)と書かれているが、耳を洗っている人はいない



総門
とても雰囲気のある門だ



総門をくぐると目の前に色づいた木々が迎えてくれる。
その美しさに感動していたが、周囲からは「まだ、早かったね」とか「がっかりした」とか贅沢な会話が聞こえてくる



総門からしばらく歩くと大きな門が見えてくる

山門(三門)<滋賀県指定文化財>
 


山門からまた少し歩く



「飛泉水」書かれているが……



方丈(本堂) 
本尊、「世継観世音菩薩」は秘仏として厨子の扉の奥に鎮座、御開帳はおよそ四半世紀に一度。



方丈内の襖絵






壁に掛けられているが、叩かれた痕跡がある



撫で仏



鐘楼






法堂



 





経堂









開山堂






禅堂



井伊家の霊廟



この旅で紅葉を意識したのは初めてではないか。北海道には見ることのできない色だ。



調べてみると、この永源寺にある重要文化財は見ることのできないものばかりである。
意外だが建築物も山門のみが県指定文化財。
しかし、参道を歩いているときから目にするものが新鮮で楽しい気持ちになる寺である。 




撮影 平成25年11月9日
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多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町大字多賀)

2013年11月29日 | 神社・仏閣
多賀大社 
滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社。
伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれた。
また、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めた。

鳥居
鳥居前には土産店が立ち並び賑わいをみせている。観光バスの出入りも多く観光客が多い。



そり橋(太閤橋) 
天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため社殿改修を行い大名に与えるに等しい1万石を寄進した。
境内正面の石造りの太鼓橋(大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。



この「そり橋」は神橋であり、例祭には神輿が渡る。
自由に通行が認められているので渡ってみたが、かなり角度がある橋で丸太がなければ雨上がりのため滑ってしまう。



秋葉神社



愛宕神社



天満神社



御神門






当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされている



この石は通称「さざれ石」といわれ、古今集に天皇の大御代の弥栄を寿ぎ祈り、この石の如くましませと詠われ、日本国歌となった



御神馬 



拝殿
度重なる喪失と再建。現在の建築は明治から昭和期のもの。



 


能舞台 
 


拝殿の奥に神楽殿がある






寿命石
東大寺再建を発念して20年にならんとする齢61の重源が、着工時に成就祈願のため伊勢神宮に17日間参籠したところ、夢に天照大神が現れ、「事業成功のため寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。



重源が多賀社に参拝すると、ひとひらの柏の葉が舞い落ちてきた。見ればその葉は「莚」の字の形に虫食い跡の残るものであった。
「莚」は「廿」と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意であるから、これは「(寿命が)二十年延びる」と読み解ける。
神の意を得て大いに歓喜し奮い立った重源は以後さらに20年にわたる努力を続けて見事東大寺の再建を成し遂げ、報恩謝徳のため当社に赴き、境内の石に座り込むと眠るように亡くなったと伝わる。
今日も境内にあるその石は「寿命石」と呼ばれる。

右から熊野神社、天神神社、熊野新宮



三宮神社(右)、聖神社



花の周りに人が集まっているので近寄ってみると。「七・五・三」の花文字が



本殿の千木が遠くに見える






陽も落ち帰ることに、御神門付近も参拝者が少なくなってきた



帰りも「太閤橋」を当たり前のように渡り駐車場へ向かった。 



この日は、五村別院、姉川古戦場、観音寺、松尾寺そして多賀神社参拝と充実した一日となった。

 
撮影 平成25年11月8日
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普門山 松尾寺(滋賀県米原市上丹生)、姉川古戦場(長浜市野村町)、瑞塔山 雲樹寺(島根県安来市清井町)

2013年11月28日 | 神社・仏閣
重要文化財を持つ寺院を廻る旅でも、肝心の重文に巡り会うことができないこともある。
一番多いのは、道路幅が狭くて車の通行ができない。この旅では7つの寺院がそれに該当する。
もう一つは、そこに居ても重要文化財とは気付かず見逃してしまうことだ。
今日はそういう憂き目にあった2つの寺とこれがそうなのと驚いた古戦場を紹介する。

普門山 松尾寺(滋賀県米原市)
滋賀県米原市上丹生にある天台宗の寺院。山号は普門山。院号は定光院。
本尊は十一面観音菩薩(飛行観音)<秘仏>



創建はかなり古く、奈良時代後期に役行者の開基、平安時代前期の伊吹山寺三修の高弟、松尾童子の中輿と伝えられている。
2012年6月現在、醒井楼の少し上に松尾寺新本堂が復興再建された。



この日は台風26号の被害の復旧のため、住職が重機を操り作業をしていたときにおじゃました。
本堂は最新の建物となり歴史的価値はないが、小さな堂内にはかなりの数の仏像が安置している。



人里離れた山中にあったため兵火を免れ多くの仏像が残ったのではないかと説明してくれた。
隣の資料館には本堂よりも数多くの寺宝を所有しているらしい。

 

資料館というより収蔵庫という感じであるが、館内には所狭しとお宝が置かれている。
そのなかでも、特に驚いたのは、鎌倉末期の「絹本著色浄土曼茶羅図」(県指定文化財)だ。
一度も修復の手が入っていないようだが、色も鮮やかで知識のない私でさえ「これは県の文化財レベルではない」と強く感じた。



写真中央下が霊仙三蔵記念堂
幼くして仏門に入り、金勝寺別院霊山寺(霊山七カ寺ー松尾寺、安養寺他)から奈良の大寺興福寺に入山、得度、804年、最澄や空海と共に当時の世界文化の中心地、唐の長安に仏教求法の為、渡唐。
最澄や空海は帰国したが、霊仙は梵語を修得していたので、当時の大唐国憲宗皇帝に認められ、石山寺で発見された『大乗本生心地観経』の筆受並びに訳語の重責を果したことで『三蔵』の称号(世界で8名)を贈られた。



さて、この寺に来た目的である、「石造九重の塔(重要文化財)」は松尾寺山の山頂付近にある。
旧本堂跡地の脇に立っているそうで、道路幅が狭い上に、台風で地盤が緩んでいるので歩いていくしかない。
往復2時間近くかかるようなのであっさりとあきらめ帰ることにした。
住職は比叡山で修行したということもあり、比叡山参拝を薦めてくれた。

撮影 平成25年11月8日

史跡 姉川古戦場(滋賀県長浜市) 
道路地図上では比較的大きく扱われている古戦場だが、二度ほど通り過ぎてしまった。
看板が立っているところに車を駐めると、ここが目的地だということがわかった。
この合戦は、浅井・朝倉軍約1万8千人と織田・徳川軍約2万8千人が、姉川を挟んで軍を敷き、徳川方の攻撃により戦いが始まった。 



姉川に架かる橋。手前が浅井・朝倉、奥に織田・徳川軍が位置していた



最初、浅井・朝倉軍が優勢で、織田方は、13段構えの陣を11段まで突破されたが、徳川軍の力戦によって朝倉軍が後退したため、浅井軍は右翼から崩れはじめた。
これに力を得た織田軍も総攻撃に転じ、浅井・朝倉軍は小谷城へ敗走することになった。



この戦いによる戦死者は両軍で2500人とみられ、この3倍におよぶ負傷者が出、姉川は血で真っ赤に染まったといわれている。
血原(ちはら)、血川橋(ちかわばし)という地名が、当時の惨状を伝えている。 






この合戦の後も、長政は本願寺などの反信長勢と協力して抵抗を続けたが、姉川の戦いから3年後に、小谷城を包囲され、28歳で自刃した。









私のほかに東京から観光客が1名。やはり、一度通り過ぎたが私の車が駐まっていたので、もしやと思い止まったようだ。



今は歩いて渡ることができる川幅だが、当時はどうだったのかなど、しばらく会話を楽しんで別れた。
帰り際に数回深呼吸して歴史を体内に取り込んだ。 


撮影 平成25年11月8日


次の寺は足立美術館や安来節演芸館の近く。
重要文化財は目にしていたのだが、自分の価値判断で重要視せず山門(重文だと思いこんでいた)の写真ばかり撮っていた。
訪れた時期は遡るが由緒あるお寺である。

瑞塔山 雲樹寺(島根県安来市)
島根県安来市にある臨済宗妙心寺派の寺。
本尊釈迦如来。1322年地頭牧氏が開山孤峰覚明(三光国師)を招いて開創という。

山門



元禄8年(1695)再建。楼上に釈迦牟尼佛、十六羅漢を安置。額は後醍醐天皇親筆



観音堂



仏殿 












この山門が重文だと思い、この周囲を何周したことか。次回訪れるきっかけができた。



撮影 平成25年11月1日
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伊富貴山 観音護国寺<通称:大原観音寺>(滋賀県米原市朝日)

2013年11月27日 | 神社・仏閣
古寺を廻っていると、時々思いがけない寺に出会うことがある。
今日、紹介する観音寺もその寺のひとつである。2時間近くこの寺にいたと思うが、参拝者は私一人しかいない。
そして、後に、この私が不審者ではないかとの疑いをもった警察官が加わることになる。 
この寺は重要文化財を持ち、拝観料不要の寺ということで選択した

伊富貴山 観音護国寺<通称:大原観音寺>
滋賀県米原市にある天台宗の寺院。山号は伊富貴山。本尊は十一面千手観音。通称:大原観音寺。
戦国武将の石田三成がこの寺の小僧をしていた

惣門(重要文化財)



参道を歩いていくと左側に「玉泉院」がある



しばらく緩やかな上り坂を歩き、少し石段を上がると本堂が見えてくる



鐘楼(重要文化財)
石段を上がった右側に鐘楼がある



近くに寄ってみると、細かなところまで彫刻がいきとどいている



左側に鐘楼、右側に本堂



本堂(重要文化財)






本堂も数多くの彫刻で飾られている



 


どの角度から見ても貫禄がある









薬師堂
本堂の右横にあるが、傷口を包帯で巻いているようで痛々しい



警察官の話によると、現在、修復中らしい



本堂周辺にある灯篭、石仏、石塔












薬師堂横に「横山城跡登山口」と書かれた案内があったが、その時は横山城のことを知らなかったため、登ることなど考えもせず石段を下りた。

腰かけ石 



後鳥羽院が腰かけたとされる石



水汲み井戸
石田三成が小僧をしていた寺と書いたが、秀吉との出会いの地でもある


 
「三椀の才」として有名な話し
秀吉が鷹狩りで立ち寄った際、寺の小僧をしていた三成が、一杯目は大きい茶碗でぬる目のお茶を、二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を、三杯目は小さい茶碗に熱いお茶を出したという。
秀吉はその心遣いにいたく感動し、三成を即座に登用したと伝えられ、その水を汲んだとされる古井戸がこの観音寺に残されている



この話しは司馬遼太郎の小説で知り、記憶に残る部分であった。それが、この寺で起こった話しとは何と嬉しいことか。お宝発見の気分だ。

観音寺池 






総蔵



再び、惣門(重要文化財)へ



ここで、この旅では二度目となる、警察官の職務質問を受けることになる。
この地域で仏像の盗難が発生しているようだ。盗まれた仏像が韓国で発見され、韓国政府が返還しないと最近まで話題になっていたが、中国にも密かに流れ売買されているらしい。
「寺好き、仏像好き、長時間うろつく」等は不審者の条件に当てはまるが、疑いもはれ、今度はこの地域の歴史の話しになった。横山城の歴史やこの寺の価値についても詳しく教えていただいた。

最後の一枚は遠くに見える伊吹山(いぶきやま)。
この寺の山号は伊富貴山、日本書記では「五十葺山、膽吹山」、古事記では「伊服阜能山」。歴史のある地域、本当に奥が深い




撮影 平成25年11月8日
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五村別院(滋賀県長浜市五村)

2013年11月26日 | 神社・仏閣
重要文化財のある寺院は事前に調べてあり、一番近い寺を道路地図で探すと「五村別院」があった。
ナビとの相性が悪いのか目の前に寺が見えるのだが狭い道を案内する。
近所の人に尋ねると表に専用の駐車場があると教えてくれた。

五村別院 
創建は慶長2年(1597)、教如が開いたのが始まりと伝えられている。
慶長6年(1601)、徳川家康が本願寺の巨大な勢力を削ぐ政治的な意図もあり教如を本願寺の門跡に復帰させ、これを東本願寺とした。

表門(重要文化財)
延宝2年(1674)建立



鐘楼
宝暦5年(1775)建立






太鼓楼
寛政5年(1793)建立







経堂
19世紀前期建立



本堂(重要文化財)



享保15年(1730)に建てられたもので入母屋、桟瓦葺、両側面後方及び背面庇附属、桁行9間、梁間7間、3間向拝付



江戸時代中期に建てられた大型寺院本堂建築の遺構で流派的又は地方的特色において顕著なものとして大変貴重な存在



本堂に安置されている仏像












左奥に小さく見えるのが経堂



中央に教如上人像、右が経堂、左が鐘楼
偶然だと思うが教如上人像だけに光が射していた



大広間
嘉永7年(1853)建立



教如上人像



教如上人御廟 



重要文化財の本堂を御廟の方から撮影
 



撮影 平成25年11月8日
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渡願寺観音堂<向源寺>(滋賀県長浜市高月町渡岸寺)

2013年11月25日 | 神社・仏閣
今日、紹介する寺は「三仏寺投入堂」参拝にご一緒させていただいた、兵庫県のご夫婦に薦められた寺である。
その寺の存在すら知らなかっただけに、気にはなっていた。
渡願寺(とうがんじ)観音堂とナビに入れても反応せず、向源寺と入れてみるとうまくいった。

少し離れた所にある大きな無料駐車場に車を駐め、案内に従って歩いて行くと目の前に山門が見える



山門の前に大きな木が斜めに



このような山門はこれまで見たことがなく、記憶に残る






山門には阿吽像が安置されている






山門から、中央奥の本堂を見る



本堂から山門を見る



旧本堂跡



手水所



御本尊埋伏之地 
元亀元年(1570)浅井・朝倉氏と織田信長が姉川で戦った時、近隣の堂宇民家は兵火によって焼き払われた



住僧巧圓は門信徒とともに命がけで観音像をはじめ多くの仏像をこの地に埋めて災禍を逃れた









本堂
本堂横に受付所がある。この寺はこの地域に居住し、社会の第一線を退いた方々が交代でお守りしている



寺全体が落ち着いた雰囲気があり、とても過ごしやすい



本堂横に阿弥陀堂があり、十一観音立像(国宝)が安置されている。
小さなお堂だが、前後左右から目の前で拝観できる造りになっていて、とても価値がある。
また、写真家「土門拳」の頭部をアップで撮った写真が有名で一度みたい仏像のひとつであったが、この仏像だったとは知らなかった。

案内の方も親切でいろいろ教えていただける。とても居心地がよく、この空間に1時間以上もいたような気がする。

この山門にはとても魅力を感じる






周囲は暗くなってきているが、雨も上がりカメラを構えている人の数も増えてきている



自然の力とはいえ木と門のバランスがいい



渡願寺野神



この樹木は「緑の募金」を活用し、樹勢の回復治療を行った



最後の一枚は、やはり山門。また、訪れるだろうなと思うほど魅力がある寺だ 




撮影 平成25年11月7日 
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白鬚神社(滋賀県高島市鵜川)

2013年11月24日 | 神社・仏閣
1ヶ月の車中泊による旅も終わり、午後に自宅に着いた。
今日のブログから久しぶりに自宅から発信することになる。
名古屋港から苫小牧港までの間に、ある程度の写真の分類もできたが、16GBのCF、7枚分だけにこれからの整理に時間がかかりそうだ。 

さて、ブログの旅日記の方だが、京都からまた滋賀県に戻ってきた。
しばらく琵琶湖周辺を彷徨うことになる。

白鬚神社 
滋賀県高島市鵜川にある。全国にある白鬚神社の総本社。近江国最古の神社とされる。
沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居が浮かび、「近江の厳島」とも称される。



道路のすぐ横にある神社で、道路を挟んで琵琶湖畔に鳥居がある



拝殿前の大鳥居。社名から、長寿の神様として知られ、謡曲『白鬚』の舞台ともなっている。



拝殿
数名だが、途切れることなく参拝者が訪れる
 


拝殿と左側の奥が本殿



本殿(重要文化財)
左側が桃山様式の建築、重要文化財の本殿。祭神は猿田彦大神
 


社伝によると垂仁天皇の25年、倭姫命により社殿を創建したのに始まる。
白鳳2年(674年)、天武天皇の勅旨により比良明神の号を賜った。



若宮神社本殿 



右側の、小さな鳥居を上がっていくと



外宮、内宮、三社が横一列に並んでいる。写真は外宮



三社(右から加茂神社、八幡神社、高良神社)



裏側から



さらにその奥に進むと、右から弁財天、寿老神、稲荷社、天満宮



右から、弁財天、寿老神



さらに奥に社があるので進むが、雨の後で足下が悪い



岩戸社。奥を見ると予想通り、岩が祀られていた。この奥は神域で立入禁止 



すぐ横にも岩が



厳島神社を思い浮かべる光景だが、白鬚神社では鳥居と鳥居の間には頻繁に車が往来する。




撮影 平成25年11月7日 
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清香山 玉泉寺 寂光院(京都府京都市左京区大原草生町)

2013年11月21日 | 神社・仏閣
車中泊の旅も今日が最後の夜になった。室生寺の「十一面観音」がやはり気になり訪れた、今年二度目になる。
特別拝観期間なので内陣にも入ることができ、大変満足して旅を終えることができた。
明日のこの時間はフェリーに乗り、風呂に入りのんびりしているはずだ。

三千院の比較的近くに寂光院という寺がある。
平成12年5月に心ない者の放火により灰燼に帰した寺でもある。



寂光院
京都市左京区大原にある天台宗の寺院。山号を清香山、寺号は玉泉寺。開基(創立者)は聖徳太子と伝える






本堂
本尊は地蔵菩薩(重要文化財)



平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる



本堂は焼失ご再建されたもので歴史的な価値はないが、堂内で担当者が寂光院の歴史について語ってくれる姿は本当に価値がある。



書院






南蛮灯籠
豊臣秀吉寄贈。伏見桃山城より移築



鐘楼






汀の池(大原行幸)
平家滅亡後、後白河法皇が隠棲された建礼門院・徳子を訪ね話をした場所



そのことは「平家物語、灌頂巻」、謡曲「大原行幸」にも謡われている



建礼門院御庵室跡 
寿永4年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、侍女の阿波内侍とともに尼となって寂光院で余生を送った



寂光院や三千院のある大原の里は、念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地であった



収蔵庫
平成12年に起きた本堂の火災の際、本体は焼損したが、像内納入品は無事で、現在も「木造地蔵菩薩立像(焼損)」の名称で、像内納入品ともども重要文化財に継続して指定されている。
現在は収蔵庫に安置され、特定日のみ一般に公開される



特別公開ということで、この暖簾の奥に焼損した御本尊が安置されている。
特別拝観料の400円が高いか安いかは個人の問題だが



弧雲(茶室)
京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造った



「孤雲」の名のいわれは、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に諸経の要文とともに貼られた色紙のなかに、「笙歌遥かに聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」という大江定基の歌とともに



「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」という女院の歌を御覧になって、一行涙にむせんだという『平家物語』の大原御幸のなかの一節にちなむ



高倉天皇中宮 建礼門院大原西陵



陵は寂光院隣接地にある(宮内庁管轄の大原西陵)
また、京都府京都市東山区にある長楽寺にも墓がある






朧の清水 平家物語(建礼門院)縁の泉



大原の原風景
駐車場に戻る途中、漬物店を営む方に、私の土地から大原の原風景が見られるので写真を撮ってくださいと声をかけられ



この日は7~8キロの距離を歩いているはずだが、この光景はなかった。親切に感謝する。
ここに来る途中お茶を焙じていた男性もそうだが、京都ではいろいろな情報を提供してもらえるのでありがたい。



寂光院を訪れるまで火事のことは忘れていた。多くの人の尽力により再建できたことは喜ばしいことだ。
最後の一枚は、参拝者が途切れることがないようにとの願いを込めて 




撮影 平成25年11月6日
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魚山 三千院(京都府京都市左京区大原来迎院町)

2013年11月20日 | 神社・仏閣
3日続きの冷たい雨、昼には道の駅に入り休養日とする。
写真の整理でもしようと思ったが、そんな気持ちにもなれずにしばらくの間のんびりしていた。

さて、今日からブログは京都に入る。最初に選んだ寺は「大原三千院」だ。
何年前になるか忘れるくらい前に一度訪れたことがある。
今回、三千院を選んだのは「女ひとり」に出てくる三寺のうち二寺を今年の5月の旅で廻ったため、残る一寺が気になっていたためだ。



観光客の多いお寺だけに、人のいないこの門を撮すのに10分位待った。



拝観料を納め順路にしたがって移動する。
客殿だと思うが縁側に座り庭を見る場所がある。



庭には興味はないが写真を撮るために腰を下ろす。



正直、庭のよさは「きれいだな」程度でまったく理解できない。



靴に履き替え前を見ると写真などでもよく見かける光景が広がってくる






 





往生極楽院阿弥陀堂(重要文化財) 
往生極楽院は、平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、1871年に三千院の本坊がこの地に移転してきてから、その境内に取り込まれた






阿弥陀三尊坐像(国宝) 
阿弥陀堂を撮していたら偶然写り込んでいた三尊像だが、内部は船底天井として、中尊の像高2.3メートルの阿弥陀三尊像を堂内の空間一杯に安置している



阿弥陀堂内で三千院の歴史や仏像についての説明を15分程度あるが、この僧侶の話がわかりやすく、面白く、時間があったら是非聞くと参考になる。



さて、この小さなお堂だが写真を撮っていて飽きない



その場所、その場所で違った顔を見せる









往生極楽院側から客殿方向



朱雀門



妙音神寿大弁財天(京の七福神) 






草木供養塔



観音堂



慈眼の庭 



不動堂



石仏(阿弥陀如来座像)



鎌倉時代のもの



道端で発見した切り株も自然の力に飲み込まれていくようだ

 

さて、往生極楽院周辺の庭園にある石仏。注視しなければわからないくらいだ



望遠レンズにてアップで撮影

 

一番有名な石仏らしいが、やさしい顔に撮れるかがポイントだそうだ



反対側からも



一番好きな石仏がこれだ



もう一度、往生極楽院を









京都と古寺といったら和服。
少し古いが若い頃の、五月みどりに似ている和服美人に写真を撮らせて下さいと依頼すると、後ろ姿ならと快諾してくれた。
カメラには望遠レンズ、短いレンズだったら周囲の風景とあったと思うと残念。今日の最後の一枚。 




撮影 平成25年11月6日
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出雲大神宮(京都府亀岡市千歳町出雲)

2013年11月19日 | 神社・仏閣
数日前から奈良県に滞在しているが、この2・3日の冷え込みは特に厳しく体に堪える
もうひとつ堪えるのが、京都・奈良に入ってから財布からお札が消えていくことだ
駐車料金、拝観料に加え特別拝観料、さらに御朱印が重なると一寺に2,000円は必要になる
お金以上に価値のある寺も多いが、お金をかけなくても価値ある寺院もある。うまく話がつながった

今日、紹介するのは「出雲大神宮」という由緒ある神社である

出雲大神宮<丹波国一之宮>
「元出雲」の別称は、出雲大社が当社からの分霊とする社伝に由来する
主祭神は「大国主命」と「三穂津姫命」

名神鳥居 
この鳥居は名神鳥居と呼ばれ、享保3(1718)年に当時の氏子より奉納された



拝殿 
入母屋造、妻入で本殿と同じく檜皮葺を施した舞殿形式の建物



ここでは4月の花鎮祭や、10月の例祭にて、巫女による御神楽「浦安の舞」が奉納される
写真を撮っていると車椅子に乗った老人に声をかけられ、本殿の裏にも見所があるので行くようにと促された



本殿(重要文化財)
社殿は元明天皇の和銅二(709)年に建立され、現在の本殿は鎌倉時代末期の元徳年間、あるいは貞和元(1345)年に足利尊氏が修造した事が当時の史料から知られている



その造りは三間社流造平入で、建坪十四坪弱、檜皮葺を施しており、重要文化財に指定






さて、予備知識もなく入った神社なので、ここからは歩いた順に紹介していく
舟岩



春日社
 


春日社の御祭神



磐座(いわくら)
 


磐座内は神域、禁足地



古墳
横穴式、五世紀~六世紀前、前方後円墳車塚古墳は当宮由縁の口碑あり。 推定は成務天皇代






稲荷社



御蔭の滝 
竜神乃神をお祀りする滝







上の社
天照大神の怒りをかい、高天原から追放された素戔嗚尊は出雲国に天降り、櫛稲田姫尊を八俣大蛇の生贄から守り娶られた






磐座(いわくら)
ここから先へ進むには届け出が必要と書いてあった



参道途中に置かれている石






燈篭の間には磐座がある



ここより先は御神体山



神域、禁足地となる



笑殿社 



真名井の水 



夫婦岩






丹波の国一之宮というだけのことはあり、車椅子の老人のいうとおり見所は沢山あった
老人には近くの古墳にも行くように薦められたが、疲れもあったため、車に乗りながら横目で見て終わりにした
この日は、あと2カ所重要文化財を持つ神社仏閣を訪ねたが、道路幅が狭く、私の車では行くことができず残念ながらあきらめることにした

最後の一枚だが、最初に重要文化財と対面して感動したもの 




撮影 平成25年11月5日
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丸岡山 延福寺(京都府亀岡市本梅町西加舎的場)

2013年11月18日 | 神社・仏閣
この旅行で、できれば行きたい神社仏閣のうちの一つ、談山神社を今日訪れることができた。
ここは「十三重塔」が特に有名で紅葉の名所ということもあり朝から賑わいを見せていた。
観光客のほとんどがカメラを手にしているというのも他の神社仏閣とは違い、三脚まで持ち込んでいるカメラマンも多い。
この時の写真は後日掲載するが、現在の紅葉の状況を知ってもらうために一枚掲載する。

談山神社の十三重塔の写真(撮影 平成25年11月18日)
私もこの地を初めて訪れたが色々な意味ですごいの一言。写真を撮るなら早い時間帯。



さて、今日は実にタイミングがよく、十三重石塔を重要文化財に持つ寺を紹介(上記写真の塔も重文)

延福寺 
同じ亀岡市に同じ名前の寺があり、そこへ行ってしまった。
塔を探しても見あたらず、周囲の人に聞いても知らないという。
調べ直してみると違った場所にその寺があった。
大きな駐車場に車を駐め、寺の方を見ると塔が立っている。



入り口はあったが比較的大きな寺なので、正式な門があると思い探すことにした



左側に寺名を刻んだ石柱があり、その奥に山門があった



ブログの作成にあたり、寺にある案内板をこのように写真に撮り活用するのだが、ほとんど読み取ることができず、前途多難だ



 


本堂にあたるとこなのか、「丸岡山」の山号が掲げられている。寺伝によれば久寿元年(1154年)、文覚上人により開創 



建物でいうと3階部分まで、石段を上がっていくとそこに重要文化財の石塔が見えてくる



十三重塔(石造)(重要文化財) 



基礎部分に延文3年(1358年)願主西願の銘があるそうだ



周囲を回りながら撮すが、素人の目には違いがわからない



わかるとしたら、周囲の風景画変わることだ




 

かなり広い長方形の空間があるが、その片隅にひっそりと位置している









しかも、あまり日の当たらない場所にある



鐘楼
石塔の反対側にある鐘楼は陽もあたり光り輝いている感じがする



鐘楼の右側を通り下に降りるが、木々の葉が色づきはじめている



最初に見えた石塔のある場所に移動する



庭の果実と十三重石塔だが、面白い写真になった 




撮影 平成25年11月5日
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曹渓山 寶林寺(京都府亀岡市宮前町神前狭間)

2013年11月17日 | 神社・仏閣
この3日間、天気に恵まれ、奈良に入ってから大きな寺を中心に廻っている。
今まで何回もきているはずなのに新たな発見があって実に面白い。

さて、今日紹介するのは重要文化財を持つが拝観料が不要な私好みの寺

寶林寺(宝林寺) 
最近のナビは個人情報保護のため、その周辺で案内が終わる。
不慣れな土地の場合苦労することが多く、この寺もつい行き過ぎてしまった。



寺の前には5台ほどの駐車スペースがある



寺の沿革が書かれた看板によると、江戸時代のはじめ寛文年間(1661~1772)の開創とある



寺門から中に入るが、静寂を保っている(観光寺院ではない)



少し離れた所から見える寺の建物だが、堂々としている



紅葉の季節なので周囲の木々も意識していれてみる



収蔵庫
この収蔵庫には重要文化財である3体の如来像(釈迦、薬師、阿弥陀)が安置されている。残念ながら公開はしていない。



収蔵庫横にも歴史を感じる五輪塔がある



九重石塔(重要文化財) 



収蔵庫横の空間に点在する大小の石に囲まれ中央に立っている



 


石の配置から、この空間には何か意味があると思うのだがわからない



歩道や太陽光の関係で左右に動くことしかできず



すこしずつ位置を変え、楽しみながら撮していたのだが、「ここに行ってみたい」という写真になっているだろうか。



重文1本ではブログは辛い、私にとっては「苦渋」の塔になっている。



最後に駐車場にある愛車と寺とのいい関係 




撮影 平成25年11月5日
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竹田城(兵庫県朝来市和田山町竹田古城山)

2013年11月16日 | 
「三仏寺投入堂」に一緒させていただいた兵庫県のご夫妻から「竹田城」と琵琶湖周辺の「渡願寺阿弥陀堂」はいいですよと薦めがあったことは頭の中に入っていた。
しかし、最近は頭に入ったものがすぐ出て行くか、いつのまにか消えてしまう傾向にある。
この竹田城も移動中の道の駅で資料を見ていたときに思い出したものである。

竹田城(史跡)
この日の天気も小雨、晴れ男がずっと雨に祟られている。
いつもより早く道の駅を出発し朝の7時半頃には竹田城へと続く道にたどりついたが、車が渋滞していてというよりまったく動かない。
Uターンできる場所もなく、反対車線に入り強引に引き返した。



駅に観光案内があると聞いたので駅に向かう。
車の渋滞のことを話し、明日は平日なので大丈夫かと聞くと、最近は曜日に関係なく混雑していると説明してくれた。



その時、笑顔で話しかけてきたタクシー運転手が「営業車ならすぐいけますよ」と



竹田城跡ではなくパンフレットに出ている「天空の城」が撮れるスポットに案内を頼んだ



車で行ける場所は竹田城と同じ高さの場所で、その運転手は写真の撮れる場所まで案内してくれた



これまでの写真がその場所から望遠レンズで撮ったものだが雲が多く何も見えない



2・3分待ってもらったが雲の動きも悪く、とりあえず「ここに来た」という証拠にと連写した。
運転手の話では写真を撮る人たちは前日の夜から陣取っているようだ



帰り道で運転手が車を止め、電線がじゃまになるがここからも撮れますよと案内してくれた



町の無料駐車場で少し遅い朝食をとる。珈琲を飲んでいると空が明るくなってきた。



そして、目の前にあの竹田城跡がはっきり見えるではないか  



昨日は8,000人の観光客だったそうだ。
映画やテレビのロケ地、また日本の名城にも選ばれこの2・3年これまでにないブームになっているようである。



NHK大河ドラマ「黒田勘兵衛」のロケ地にもなっている



さらに空が明るくなってきて、紅葉まではっきり見える



私の写真では竹田城跡の良さはまったく理解できないが、今度は登山をする格好をして地元の交通機関を利用したいと思う。



室町時代から関ヶ原の戦いまで常に歴史の中にあった城のようである。 




撮影 平成25年11月4日 
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不動院岩屋堂(鳥取県八頭郡若桜町岩屋堂)

2013年11月15日 | 神社・仏閣
長い期間旅をして、神社仏閣を廻ると拝観料が経済的な重荷になることがある。
今回紹介する不動院岩屋堂は重要文化財の建物を持ち、拝観料が無料という私の望んでいる条件にあてはまる寺になる。
最初からここを目指していたかというとそうではなく、朝から降っている雨で、今日は移動日にしようと考え走行途中にあった寺である。

少し離れた場所に駐車スペースがありそこに車を駐めた。
その場所から岩屋堂のある周辺を撮ったが宗教的な雰囲気が漂っている。



不動院岩屋堂(重要文化財) 
近くに来て驚いたが、数日前にこれが最後と登った「三仏寺投入堂」によく似ている


 
高さ約13m、間口約7m、奥行約10mの天然の岩窟に嵌め込まれるようにして造られた寺院建築



屋根は前面を入母屋造、背面を切妻造とし、床下を長い柱で支える懸造(舞台造り)である



伝承によれば大同元年(806年)の創建



天正年間(1573年-1591年)に豊臣秀吉より攻められて全山焼失し、当堂だけが残った



柵から前は立入禁止区域であり、左右10mが撮影できる区域で、カニ歩きをしながらポイントを探す



現在の堂は鎌倉時代初期の源頼朝による再建と伝わるが、昭和30年から32年にわたって行われた解体修理の報告書においては室町時代初期頃の建立と推定されている 



山奥の今は小さなお堂だが歴史上の人物が次々登場する



本尊は、空海32歳の作の伝承をもつ黒皮不動明王で、日本三大不動の一つともいう



ここで、もう一人の観光客が現れ「8年前と変わらないのね」「屋根の上に蜂の巣がある」と言ってあっという間に去っていった



このお堂、日本三大投入堂の一つだそうで



残りの二つは「三仏寺」と九州の宇佐市にある「龍岩寺」



この5月に宇佐市に旅していたのに、その存在をまったく知らなかった



 


帰り際に文化財の案内が出ていたので行くことにした



岩屋堂の「納骨壷入五輪塔」と書かれた木札が立っていた






最後の一枚。移動中の道路沿いにあったお堂だが、お宝を発見した気分だ




撮影 平成25年11月3日 
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美保神社(島根県松江市美保関町美保関)

2013年11月14日 | 神社・仏閣
この旅を始めるときに、重要文化財があり、拝観料がない神社仏閣の一覧を調べ、印刷して持ってきていた。
最初に紹介する予定だったのが鳥取県の「雲樹寺」。
しかし、重文の建築物を見てはいたが「なにこれ」と無視してしまい、自分が勝手に重文だと思いこんでいた山門を撮り続けていた。

今日紹介する、美保神社も重要文化財を持つ神社仏閣のひとつだ

美保神社
美保神社の周辺になるにつれ、イカを焼いているいい匂いがしてくる。
駐車場は満車状態だったが、イカを焼いているおばちゃんが空きスペースを見つけてくれ案内してくれる。
親切なのか商売熱心なのかわからないが、結果的にその手にのってしまった。

神社にもよく参拝するがこれだけ整然としている神社は少ない。
たくさんいる参拝者の服装も正装、伊勢神宮よりもすごい



本来は鳥居から紹介するのだが、その周辺には人が多く帰りに撮ろうと思い先に進んだ



出雲大社を小さくしたような大注連縄



本殿(重要文化財)
本殿は文化10年(1813年)の造営



大社造の左右二殿連棟の特殊な形式で「美保造」または「比翼大社造」といわれ、国の重要文化財に指定されている






右回りに一周してみる






最近神社の裏から撮る写真が多くなってきている



 


左側の棟で「美保造」という形式も初めて知った






ずいぶん人が多いとは感じていたが、やっとその理由がわかった。結婚式が行われていているのだ
どうも、国際結婚のようで妙に賑やかで神社の雰囲気に合わない
写真を撮りたい場所もなかなかいけず周囲を歩く



犬も歩けば棒に当たる



「重要有形民族文化財」のようだ



社務所の近くの建物にあったもの。価値については不明



30分以上は待っているが、鳥居前の人の動きがまったくない。あきらめて帰ることにする






撮りたかった鳥居もこんな状況。新郎新婦には幸福になってほしい。



神社に鳥居はやはり必要だ。勇気を持って「幸福の輪」に入って撮った一枚。  




撮影 平成25年11月2日
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