今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

石狩灯台(北海道石狩市浜町)

2015年09月30日 | 北海道
自宅から車で10分ほどで行ける場所にあるため、何度か訪れたことがある
あまり魅力を感じてはいなかったが、私の大学の大先輩にあたる方が「趣味○○新聞」を発刊
その記事の中に北海道で歴史ある灯台として紹介していたことで、俄然興味が湧いてきていた

「はまなすの丘公園」
石狩川が日本海・石狩湾にそそぐ河口部にあり、1.5kmにおよぶ砂嘴が公園になっている
写真左側の木製の道を歩き左右に広がる海浜植物の群生を楽しむことになる



はまなすの丘公園の名称になっている「はまなす」が、ここでは大切に保護されている
幼少期オホーツク海の浜辺に近い所に住み、砂浜が遊び場でハマナスの実を「肛門が痒くなるほど」食べていた
懐かしさのあまり手を伸ばして取ろうとしたが、逆に写真を撮られては恥ずかしいと思いとどまった(採取禁止になっている)



この灯台は「喜びも悲しみも幾歳月」という映画の撮影に使われたそうだ
海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマ
主題歌は有名でめりはりをつけて歌うことができる。最初に務めていた勤務地で送別会の最後に合唱する曲になっていた



赤白の縞模様の灯台はもともと白色だったが、映画(1957年公開)撮影に際して塗り替えられたという逸話を持つ
灯台が点灯しているように見えるが、実は太陽光が灯台のレンズを照らしている瞬間だ



灯台奥に見えているのが北海道最大の河川「石狩川」である
遠くの雲が刻々と変化し、とても綺麗だ



灯台というと海の側というイメージがあるが、この灯台は石狩平野にポツンと立ち、秋風に穂を揺らすススキの中にある



灯台奥の離れた場所にここからは目視できないが海がある
太陽が灯台に隠れる場所に移動して撮ったもの
逆光すぎて駄目かなと思っていたがカメラの機能はすばらしく予想以上に写っていた



石狩灯台は明治25年1月1日設置・点灯。道内では古い歴史を持つ
昔は木造の六角形だったらしいが、いくつかの歴史を経て現在にいたる
 


北海道最古の灯台を調べてみると根室市の納沙布岬灯台(明治5年)
不思議な縁でこの地にも6年間勤務し、(その時は知らなかったが)歴史ある灯台の下で投げ釣りを楽しんでいた
私の仕事は「灯台守」ではないが、何故か勤務場所の近くに灯台がある



現在の灯台位置が建築当時の河口部
海浜植物に興味のある人にはいい場所だと思う
「植物はとらない、踏みつけない、荒らさない」この先もこの景観を守っていきたいものだ



撮影 平成27年9月25日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌百合が原公園 その3(北海道札幌市北区百合が原公園)

2015年09月29日 | 北海道
百合が原公園は、私が勤務していたとき毎日その横を車で走っていた
その時は大きさを感じていなかったが、敷地面積25.4haの総合公園。今回約1時間滞在したが、かなりの距離を歩いた感じがする

「ポートランド庭園」
「世界の庭園」といってもこれが最後となり、日本庭園を含めて4カ国。かなり寂しい内容だ
札幌市と姉妹都市の米国ポートランド市の設計。一般的な家庭の庭のようである



確かに小道の周囲に家庭的な花が植えられている



ベンチに立って、少し高い位置から撮ってみる






一番お気に入りの場所がこの噴水だ。唯一変化を楽しめる場所だ



世界の庭園を抜けると急に視界が広がり、公園の大きさを体感できる



所々に記念彫刻(「光る風」)が設置されている



遠くに「バラ花壇」が見える。花よりも青空が美しい



円に沿って休憩用なのか観賞用なのか分からないが椅子が設置されている
上部の建築物は雨対策にもなっていないがデザインはすばらしい



記念彫刻(「北の森たち」)が青空に映える



遊び心で一枚。勿論影の人物が私だ。ヒッチコックや横溝正史のように時々登場する



遠くに目をやると望遠レンズで花の写真を撮っている人が数人いた
一番高価なニコンのカメラと望遠レンズを着けた中年女性に「花の撮り方」について尋ねたが、あっさり断られた
バックに入れていた望遠レンズを装着し見よう見まねで花にレンズを向ける



淡い色の花はピントを合わせるのが難しい。自動から手動にしてみたが、どうも駄目なようだ



私は普段から露出や絞りを細かく考えることなどせずにカメラ任せの「P(自動)」にして撮っている



私の勘よりもカメラのICの方がはるかに優れていて失敗が少ない



 


撮っていて気付いたが私は淡い黄色の花が好きなようだ
「花とおじさん」という歌が大分前に流行っていたが、このおじさんも花を撮るのが楽しくなってきた



この建物の奥にも有料であるが花を観賞できるスペースがあるようだ。今日は歩き疲れたため次回にする



この日、上空では何度も北海道警察航空隊所属のヘリコプターが行き来していた



丘珠飛行場も近く最初は自衛隊機かと思ったが胴体の赤い線で道警と分かった。事故でなければいいが



この公園で花を撮る楽しみも増えた。自宅からも近く今度は三脚を持参したい

撮影 平成27年9月25日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌百合が原公園 その2(北海道札幌市北区百合が原公園)

2015年09月28日 | 北海道
札幌駅から約8kmの距離にある公園
「世界の庭園」のなかにある姉妹都市中国瀋陽市から出展されたもの



緑のトンネルがその通路になる。時折青空が見える



「瀋芳園」
「垂花門」は明・清時代の風雅で素朴な建築様式が採用され、木組や屋根瓦は中国にて製作されたもの



瀋芳園の名は、両市の友好の象徴であるこの庭園が、「万古流芳(永遠に名を残す)」という意をこめて付けられた



「太湖石(タイ フー シー)」
垂花門の内に据えられた奇岩「太湖石」は、中国でも貴重なものとして保護されているそうだ
この石は友好のため特別許可を得て瀋陽市から送られてきたもの



日本の石畳にあたるものか。裸足でこの上を歩きたくなった



一歩足を踏みだすと見慣れない光景が広がってくる



中国伝統の自然山水の造園様式が採用されているとのこと









屋根に使用されている「瑠璃瓦」は、中国古代建築の中でも王宮建築物以外用いることができない貴重なもの



 








写真写りがとてもいい人がいるが、瀋芳園もそうかも知れない。



次の場所に移動しようとすると目の前に公園内をゆっくり走る「リリートレイン号」が通過していく



線路の両脇にはきれいな花が咲き、車内から花を楽しめるようになっている







「ミュンヘン庭園」
 


狭い空間に花が咲いていたが、その花も多くは散っている



花を撮る機会などめったにないが、レンズを向けてみるとなかなかピントが合わず難しい



花が風に揺れているのが原因なのか、私の手が震えているのが原因なのか



撮影 平成27年9月25日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌百合が原公園 その1(北海道札幌市北区百合が原公園)

2015年09月27日 | 北海道
札幌市北区の総合公園として、昭和58年に開園した。



過去に二度訪れている。最初はモデル撮影会で2回目は今年の夏、今回は3回目となる
花の公園のイメージが強く、花には興味がなかったが手元に写真がなくなり、急に思い立ってきた
周囲を見ると季節的にカラフルな花を探すのが難しい



「レストラン百合が原」と「リリートレイン駅」



昭和天皇陛下御在位五十年記念事業で造成された世界の百合広場も今はこのようになっている



今年の夏(撮影:H27.7.11)訪れたときの様子、同じ場所である






公園のシンボルである約100種類のユリが植栽されているそうだが、私に理解できるのは色の違いだけだ



最初の写真の場所も夏には花に囲まれている



今の季節に戻る
少し歩くと「世界の庭園」の案内板があり、130円の入園料を納め中に入る。やはりこの季節花を探すのが大変だ



最初この公園に来たとき、奥のサイロ周辺でモデルを撮影した記憶が甦ってきた



「日本庭園」



1983(S58)年西ドイツのミュンヘン市で開催された国際庭園博覧会で出展したものと同じと説明されている



隙間から中の様子をうかがってみる



「銀閣寺垣」の中央を渡り中に入る。



やはり日本庭園は見慣れていることもあるが落ち着いた感じがする



平安時代風の「水舞台」が特色となっている。



全体を池泉回遊式の構成にまとめている



博覧会ではドイツ造園連盟大金賞を受賞、今も恒久施設施設として保存されているそうだ
両市の友好を記念してここに同じ内容の日本庭園を造成した



庭園内の唯一あった一輪の花



日本庭園を後に次の庭園に向かう



撮影 平成27年9月25日(7月11日)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

衝撃 三島由紀夫を撮る

2015年09月26日 | 放言大論
この写真、よく見ると違和感があると思う



この日は写真を撮るため目的地に向かっていたが、曇りと強風のため途中で断念
その帰り停車していた大型トレーラーの背面に描かれていたものである

運転中だったため、ちらっと見た程度であったが、何故か頭から離れずカメラも持っていたこともあり戻ることにした

この写真の場面は1970年(昭和45年)11月25日、作家、三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした三島事件である
当時、高校3年生だった私は学校内でこの事件を知った。事件の概要よりも「三島が割腹自殺をした」ことに衝撃を覚えた
『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)を読むと理解できると、誰かが話していたのを聞き本屋に向かったが、すでに三島由紀夫の本は完売していた
その後、川端康成も自殺したが、その時も本屋に走ったことを思い出した。三島由紀夫の葬儀委員長が川端だったことも



このトレーラーの運転手に撮影許可と三島への思いなど話しも聞きたかったが残念ながら休眠中であった
周囲にいた運転手から「撮れ、撮れ」と言われ、それに後押しされる形で掲載にいたった

昔の話しが続く
翌年4月、私は北海道を離れ東京のどちらかというと右よりの大学に進学した
下火にはなっていたが学生運動も時々他の大学では起こっていた
不穏な雰囲気になると、私が入っていた学生寮に半ば強制的にアルバイトの要請が入り配置される
体力のある者は成田空港、体の小さな私は大学のガードマン
ともに相手側学生と最前線で接触する。当時、仕送り3万円で十分生活ができたが、このバイト料は1万円と破格であった

今も国会周辺で「安保法制」に関するデモが行われているが、デモ参加者にはある政党から僅かではあるがお金がでていると聞く
純粋な気持ちで参加している人もいれば、そうでない人もいる。昔を思い出した

三島の「楯の会」は左翼勢力による日本への間接侵略に対抗することを標榜し民族派の学生を中心として結成されたが、歴史は繰り返すのか

その後、私に何か変化が起こったのか
特に何も起こってはいない。三島由紀夫の作品を数冊読んだ程度だ

ただ、トレーラーに描かれた三島の姿を見ていろいろな考えが頭をよぎって、その夜は眠りにつくことができなかった
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重要文化財の三重塔 その2

2015年09月24日 | 神社・仏閣
重要文化財に指定されている三重塔の続きを紹介する。
その1はH26.4.21に公開<見るを押してください>

5 金剛輪寺(重要文化財)
滋賀県愛知郡愛荘町にある天台宗の寺院 鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立






6 斑鳩寺(重要文化財)
兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)にある天台宗の寺院。室町時代後期、永禄8年(1565年)建立
 





7 如意寺(重要文化財)
兵庫県神戸市西区にある天台宗の仏教寺院。南北朝時代、至徳2年(1385年)に建立










8 石峯寺(重要文化財)
兵庫県神戸市北区にある真言宗の寺院。室町時代、銅板葺、高さ24.41m









9 甚目寺(重要文化財)
愛知県あま市にある真言宗智山派の寺院。1627年(寛永4年)再建 高さ25m







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

然別湖(北海道鹿追町)

2015年09月22日 | 北海道
今から40年前に一度訪れたことがある
当時、砂利道で暴走し大事には至らなかったが臨死体験の一つである
「自分の過去の人生が走馬燈のように見える、人生回顧(ライフレビュー)の体験」を数秒間ではあるが経験した
砂利道は全て舗装され快適なドライブを楽しむことができる

然別湖(大雪山国立公園)
標高810mに位置し、北海道の湖では最も標高の高い場所にある



湖の畔に歩いていくと観光船の係員から「魚が寄ってくるので見なさい」と声を掛けられた
欄干を叩くと確かに周囲から魚が集まってくる。餌はポテトチップ、単純だが楽しい。
さらに、係員の人柄に誘われて乗船することにした。

「写真を撮りたい」と言うと、「それじゃ、大きい船の方がいいな」と案内された
60人定員の船に私一人、料金は1000円だが贅沢すぎて申し訳ない気持ちで一杯になった



ホテルの桟橋から約40分の観光となる



周囲は13.8km、最大深度は108m。船内から見える人工物は桟橋近くのホテルだけで、すべて自然に囲まれている



写真では単調で面白みはないと思うが、船上ではとても新鮮な感覚になる



変化といえば上空の雲の形か。刻々と変化していく















「弁天島」
しばらく進むと湖上に小さな島が見える。急ぎ望遠レンズに付け替える



鳥居と祠があり、その由緒を船内放送で説明していたが残念ながら既に記憶から消えている



後で聞いた話しだが、弁天島(然別湖)は国立公園のため年1回、国の担当者のみ上陸が許されているそうだ



熱心に撮っている姿を見て配慮してくれたのか、定期航路なのか分からないが島の周囲を2周してくれた



今は緑一色だが10月第一週頃には、周辺が紅葉し素晴らしい風景になるとのこと



 


船長のMさん。たった一人の乗客の私を大切に扱ってくれ、風景以上の感動を覚えた
下船後話しをすると私が若いとき勤務していた根室市の出身で、同じ頃に遠洋漁業の船長をしていたそうだ
さらに娘さんが私の勤務していた職場にいたということも分かった。世の中、本当に狭い
 


このホテルの入浴券+乗船券=1500円を事前に購入していたので温泉に浸かりながら湖を眺める
旅の楽しみは人との出逢いと思っているが、この日もいい人との出逢いがあった



撮影 平成27年7月16日
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニッカウヰスキー余市蒸留所(北海道余市郡余市町黒川町)

2015年09月21日 | 北海道
NHK朝ドラ「マッサン」で有名になった余市蒸留所
これまで2度訪れているが、カメラを持って入ったのは初めてである

「余市蒸留所正門」
道路沿いに正門があり受付がある。入場は無料で周囲に無料駐車場もある



所内の建造物9棟が登録有形文化財(建造物)として認定。その一つである
閉門30分前に入場、写真を撮りながら急ぎ目的地へ向かう



「見学者待合室」

 

「乾燥棟(キルン塔)」



記念写真撮影をするために設置された場所のようだ



「蒸溜棟内部」
朝ドラは初回から最終回まで視聴したが、この場所も大切な場面で使用されていた



ポットスチル(単式蒸溜器)。竹鶴は実習先で学んだ石炭直火蒸溜を採用した



「ウイスキーの樽のできるまで」が説明されている



ウイスキーの樽には興味があったので見学できてよかった
  


「醗酵棟」



「リタハウス」
現在、見学はできない。ドラマでは「エリー」の演技が際だっていたのが高視聴率に



この建物の屋根の緑が青空に映える












「竹鶴政孝像」
横にグラスが置かれていた



「旧竹鶴邸」



一室のみ公開されている。どの写真を見ても「リタ」は美人、竹鶴が大事にしていたというのも理解できる



 


「一号貯蔵庫」



内部の様子



「ウイスキー博物館」
ウイスキーの歴史を学べる「ウイスキー館」と竹鶴政孝の生涯を紹介する「ニッカ館」からなる


















この右奥に有料だが試飲できる「ウイスキー倶楽部」がある



次に別棟の「ニッカ館」



成功後はかなり裕福な生活を送っていたことが理解できる



ニッカ「第一号 ウイスキー」






マッサンブームの影響もあり、ウイスキーが爆発的に売れ、原酒が底をついてきたと先日報道されていた
以前、ここは営業していたはずだが



ここへ来た目的だが、ここでしか購入できないウイスキーがある。それを買いに来た
だが、これまで2回きたが売り切れで買うことができなかった
今日も最初からあきらめていたため一応確認のため閉店間際の売店に入ってみると……



ようやく「北海道 ニッカウヰスキー余市蒸留所」のラベルが貼られたビンを手にすることができた
10月に三浦海岸と熱海で大学時代の同期会があるが、そのお土産ができた

撮影 平成27年9月16日
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神威岬(積丹半島岬めぐり その3)

2015年09月19日 | 北海道
積丹半島岬めぐりの最終回となる「神威岬」



運動不足に加え体重増が膝に負担をかけ、かなり厳しい状態であるが頑張るしかない
ここにきて遊歩道のスロープはありがたい



遊歩道から見える駐車場付近の様子






「女人禁制の門」
その昔、魔の海として恐れられ「婦女子を同伴して行けば神霊の怒りにふれ、その船は必ず転覆する」という迷信があった



門を通過すると眼前に日本海が開けてくる



積丹半島を訪れるきっかけとなったのは、2年前名古屋から苫小牧行きのフェリーで一緒になった若者との出逢いだ



仕事に疲れ、気分転換で北海道へ。神威岬に行って翌日帰るという



学生時代に訪れたことがあり、急に行きたくなり船に乗ったという



その時は深刻な様子であったが、着いたら元気になるであろうと話してくれた



確かにこの遊歩道を歩いてみると「無の境地」になる
いつか、訪れようと思っていたがそれが今日になった



女人禁制の門から先端まで700mの距離というが、延々と続いていく感じがする



休憩を兼ねてこれまで来た道を振り返って見る。遙か向こうに門が小さく見える






下を見ると見事なシャコタンブルーの海
爽快な気分になっていくのがわかる



「神威岩伝説」
神威岬に先端から見える神威岩は「乙女岩の化身」とも呼ばれている



奥州から逃れた源義経は日高の平取の首長のもとに身を寄せた。その娘チャレンカは義経を慕うようになった
義経は北へ向かって旅立ち、その後を追ってチャレンカも神威岬までたどり着く。しかし、義経一行は既に出航
悲しみにくれたチャレンカは海に身を投げ、その姿が岩と化した言い伝えられている



「和人の船、婦女を乗せてここを過ればすなわち覆沈せん」と恨みのことばを残している
「女人禁制の門」とも結びつく



高所恐怖症の私が神威岬の一番高い場所へ上がって撮ったものである



写真左下に女性の頭部が写っているほど余裕をなくしている



神威岬灯台



遊歩道(チャレンカの小道)を通り帰路につく。膝がかなり痛い



自然の美しさにあまり興味はなかったが、この岬めぐりは楽しかった
特にこの神威岬の遊歩道はすばらしい。フェリーで出逢った若者に感謝したい

撮影 平成27年9月16日
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

積丹岬(積丹半島岬めぐり その2)

2015年09月18日 | 北海道
黄金岬から7km、右手に美しい景色を楽しみながら積丹岬を目指す
小さな案内板のため入る場所を間違えたが広い駐車場にたどり着く
他に「シララの小道」という約5kmの遊歩道があるらしいが、駐車場からは「島武意海岸」が近いようだ



右手にも遊歩道があったが、向かっている人の服装が軽装ではなかったので多くの人が選択しているトンネルへ



閉所恐怖症であるが先に光が見えているので不安もない。長さは30m程度か
トンネルを抜けると展望デッキがあり美しい海を眺めることができる



「ほれ これが シャコタンブルーだぁ」
この場所からでも「シャコタンブルー」を十分に堪能できる。






だが、多くの観光客が展望デッキでは満足できず、長く続く階段を降り海岸を目指す。



展望デッキでは見ることのできない風景を楽しむことができるが、運動不足のため膝に違和感が



休み休み、呼吸を整えなければカメラを持つ手が震える



昔、青森県の仏ヶ浦海岸でこのような経験をしたことを思い出す
 


北海道は秋の景色になっていると感じる



間もなく海岸に着く。所要時間は30分(普通はこの半分の時間で十分)



腰を下ろして休んでいると目の前に若者3名
漏れ聞こえてくる話しの内容も高尚、話しかけてみた
男性は京都、女性は大阪と兵庫から来ているとのこと
写真をブログに載せたいと話すと、快諾してくれた



水際にカメラを置き適当にシャッターを切る






考えて撮すよりいいかも知れない



望遠レンズに付け替え海岸沿いの断崖絶壁部分を覗いてみる






「岩が人間の姿に見える、見る癖がある」と黄金岬でも書いたが、この写真の右部分を見てもらいたい



骸骨になっているが人が横たわっている姿を感じたのは初めてだ
理解してもらうために顔部分を大きくしてみる。



のんびり時間を過ごし海岸を後にする

 

息切れが始まると足を止め、眼下のシャコタンブルーを撮す



遊歩道にいつの間にかカラスが。近づくと私の1m先をぴょんぴょん跳んで10m以上も先導してくれた
八咫烏のことを思い出した



展望デッキにたどり着いた



島武意海岸トンネルを抜けると駐車場だ



疲労がかなり膝にきている。だが、下まで降りてよかったと思っている。



撮影 平成27年9月16日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄金岬(積丹半島岬めぐり その1)

2015年09月17日 | 北海道
秋晴れの空。車に乗って急に何処かへ行きたくなった



選んだのは積丹半島。自宅から80kmのドライブになる
「岬めぐり」を選んだのはそれなりの理由はあるが、後に話すことにする

余市方面から走ると「黄金岬」が最初の岬になる
観光協会に車を駐めカメラを持って歩き出す
鮨屋の看板が遊歩道の入口になる。この鮨店にはかつて勤務していた職場の旅行で立ち寄ったことがある



「チャシナの小道」
案内板によるとこの遊歩道は「チャシナの小道」というらしい。3ヶ所ある入口のひとつ。



この日は9月の北海道としては気温が高く汗ばむほどであったが、この遊歩道は快適に歩くことができた



松山千春ロマンの碑
曾祖父砂山重太郎に捧げる詩「空を求め 海を求め 美国の里に 眠りつく 愛を忘れな 夢を忘れな」



遊歩道から見える風景






「宝島」
かつて大きな富をもたらしたニシンの大群が押し寄せたことから、その名がついたといわれている



黄金岬展望台


 
展望台からは青く澄んだ日本海と断崖絶壁の海岸線が眺望できる









誰かが泳いでいるように見えるのは私だけか。岩を見ると人に結びつけてしまうこまった癖がある



展望台はこのようになっている。



高いところにあるため、目の前にこのような植物も。普段は撮らないのだが



美国港。こちらもいい景色だが重機が気になる



右側に見える宝島は空から見ると「ハート型」をしているそうだ



最後の一枚はキャノンG1Xのクリエイティブショット機能で撮影



撮影 平成27年9月16日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池田町ブドウ・ブドウ酒研究所<池田ワイン城>(北海道中川郡池田町字清見)

2015年09月15日 | 北海道
池田町ブドウ・ブドウ酒研究所
「ワイン城」の正式名、北海道に住む私でも知らなかった
ワイン城を訪れたのは3回目になるが、前回は30年以上も前
 


ヨーロッパ中世の古城に似ていることから「ワイン城」と名づけられた



北海道各地でワイナリーが誕生しているが、池田町が先駆け



ブドウ展示園



南側の斜面に池田町だけの品種「清舞」「山幸」のブドウの樹が植えられている



見学コース



ワイン樽が積まれている。



入口は地下1階



地下2階の「醸成室」、記念写真撮影のための年月日



薄暗いこのスペースはとても雰囲気がある



年代物のワイン



コルクに付着したカビなどを肌で体感できる



1階 展示ルーム



池田町のワインの歴史を学ぶことができる
近くには試飲コーナー・ショッピングエリアもある



来城記念に白ワインを1本購入した



ワイン城を振り返りつつ駐車場に戻る



街路灯もブドウのデザインになっている



広い駐車場に私の車が一台だけ、ここは少し離れた場所にある
ワイン城近くに駐車場があるのを知らなかったためだが、いい運動になった



撮影 平成27年7月16日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道の駅で出逢った人から旅を学ぶ

2015年09月10日 | 車中泊
目的地であった会場の駐車場が使用できなく、会場前にあった道の駅に車を駐めることにした
満車状態ではあったが通行人のほとんどが立ち止まって見る怪しげな横浜ナンバーの車
この車の周辺だけが空いており、色々な意味で圧迫感があったがここに駐めることにした



午前中にスポーツ大会観戦を楽しみ、応援していたチームも敗退したため昼に道の駅に戻ってきた
レストランでは長い行列ができるほど混雑していたため、車でしばらく休憩することにした

車を降りると気になっていた筑豊ナンバーのキャンピングカーの運転手が外に出ていたので挨拶を交わす
車にすばらしい全国地図が貼られていたので、入手先を聞くとなんと北海道の業者で数年前旅行中に貼ったと話してくれた

怪しげな横浜ナンバーにも色違いではあるが同じデザインの全国地図が貼られていた



話しを聞くとこの筑豊の人が横浜の人に教えてあげ貼ったとのこと
二人はこの道の駅の常連で顔見知り、今年は鹿児島の道の駅でも一緒したようだ
ということで、横浜ナンバーの運転手を紹介してもらうことに



色紙の絵や字は65歳から始められたとのこと
「ようこそ ようこそ 雨の日も 風の日も」
「酒の一滴は 血の一滴 残しちゃならん」
他に「酒と女は二合まで」などがあった。


車の飾り付けから想像すると、近寄りがたい人物かと思っていたが、70代前半の老人で実に話しが面白く、人生をそして車旅を楽しんでいるのが伝わってきた

更に岐阜ナンバーの運転手が加わり、それぞれの旅の仕方について語ってくれた

この3人に共通するところは男の一人旅、6月に北海道に入り9月末まで滞在する予定とのこと
居住地が暑くなってくると、避暑のため毎年北海道を旅しているようだ

私自身、宿泊場所を違うところに確保していたが、話しが面白かったこともあり、今夜はここに車中泊することにした
この日は東京から北海道に来ている大学時代の朋友と夕食を食べることになっており道の駅から待ち合わせ場所に向かった

翌日、快適な朝を迎えることができた。
周囲のキャンピングカーの運転手とも挨拶を交わし、また旅の話しの続きを始めた
 
ここに地元の人が加わり話しに花が咲く
私自身、高校時代にこの土地で過ごしたことを話すと、何とその地元の人が私の高校の先輩にあたり、担任の先生も同じであることが分かり、若かりし昔をしばし懐かしんだ
毎朝、道の駅に訪れた旅人を迎え送り出していると話してくれた

午前中に本来の目的であるスポーツ観戦を道の駅向かいの会場で楽しみ昼に駐車場に戻った
 
朝挨拶ができなかった横浜と筑豊ナンバーの運転手であったが、昨夜は共に地元の人に紹介された三店のスナックをはしご、朝帰りしたようである
 
私も道の駅に車を置いて出かけたのは昨夜が初めての経験であったが、このような楽しみ方を新鮮に感じた



ドアには道の駅のシールが貼られている。指名手配写真にはご自身の写真が…
 
横浜・筑豊・岐阜ナンバーの運転手から長期滞在費用の話しを聞いた
1日の予算は2000円から5000円程度、工夫をして切り詰め滞在しているようである

少ない予算の人の車には地元商店のちらし類が置かれてあり安価な店から日用品を購入、昼は滞在地の役所の食堂を利用
夕食はスーパーの時間帯により50~70%offになるまで待つこともあるようだ



ブログへの写真掲載の許可もいただいた。奥にあるのが私の車

私が神社仏閣を廻っていると話すと四国八十八ケ所巡礼をしたかと聞かれた
四国に渡るのには金がかかるのと狭い道が不安だと話すと、安くいい方法がある
少し離れた所に駐車している姫路ナンバーの運転手を訪ねなさいと紹介してくれた

早速、車に近寄り声を掛けると、その方は既に車で3回も巡礼を経験されたことがあるとのこと
私の車でも大丈夫だと太鼓判を押してくれた
四国に渡る安価な方法も教えてもらい大変参考になった
道の駅での出逢いで得られる情報はとても貴重なもので、今後の旅の参考になる

地元の銘菓をお世話になった方々に配り、挨拶をして道の駅を離れた

撮影 平成27年8月24日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする