今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

朝倉山 真禅院(岐阜県不破郡垂井町宮代)

2019年06月28日 | 神社・仏閣
朝倉山 真禅院
かつては南宮大社の僧坊であったという
明治維新の神仏分離のとき、三重塔、本地堂、鐘楼などの仏教関係の建造物が、この地に移築された
当初、この寺の存在はまったく知らず、「南宮大社」参拝後に境内図の枠外に塔のような図が記載されていたので訪れてみようと思ったのがきっかけだった

「朝倉山 南神宮寺」と彫られた石柱。この時は寺の名前さえ知らずにいた
寺のホームページで確認したところ「朝倉山 真禅院」となっている



山門
石造山門の奥に朱塗りの門がある



門には「朝倉山 真禅院」との記載がある



十王堂
山門の右横にある



堂名と本尊名が小さな木札に記されている。お堂の配置などをメモしながら撮っているが、これらの配慮にはいつも有り難いと思っている



いつものように、格子の隙間にレンズを突っ込み勘だけで撮っている



手水鉢






鉄塔(岐阜県指定文化財)
建物内に置かれているのだが、ガラスに光が反射して見えなかった



鐘楼(岐阜県指定文化財)



梵鐘(重要文化財)



奈良時代後期(美濃国最古の鐘)



三重塔(重要文化財)
山門に入ったときから塔が何処にあるのか目で探っていた
もちろん、この時はこの塔が重文だとは知らずにいた



これまで塔をたくさん撮ってきたが、遠くから見てもこのように塔がはっきり写るのは極めて珍しい



塔の側の案内板を見てはじめて重要文化財だと知った
寛永19年(1642年)建立。明治初年に南宮神社境内から移築



寺社を廻っているのに信仰心はまるでなく申し訳ないのだが、この時は神様のお蔭だと感じていた



この塔はどの角度から撮っても綺麗に見える



本地堂(重要文化財)
入母屋造瓦葺き、妻入りの仏堂。寛永19年(1642年)建立。明治初年に南宮神社境内から移築



慶長5年(1600年)9月の関ヶ原合戦時、南宮大社及び「神宮寺」の諸堂社は、兵火にかかり烏有に帰した



寛永19年(1642年)9月に遷宮式が執行された。春日局が徳川家光の代参で来ている



護摩堂



釈迦堂



観音堂
建物を撮り忘れてしまった。堂内の様子
本尊の十一面観世音菩薩は秘仏。お前立ちに聖観音菩薩様を安置



賓頭盧尊者






帰り際にもう一度「三重塔」の姿を目に焼き付ける






撮影 令和元年5月16日
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南宮大社(岐阜県不破郡垂井町宮代)

2019年06月27日 | 神社・仏閣
南宮大社
社伝では、崇神天皇の時代の創建。美濃国一宮
慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の兵火によって焼失したものを、寛永19年(1642年)、春日局の願いにより 徳川家光が再建

境内には本殿・拝殿・楼門など、江戸時代の神社建築の代表的な遺構18棟が、 国の重要文化財に指定されている

楼門(重要文化財)



石輪橋(重要文化財)
造営時期は社殿と同じ寛永19年。門の正面が石輪橋。花崗岩で造られ、輪のように円弧を描いている。そり橋とも呼ばれ、神様が通る橋






手水舎



参拝者のマナーの良さを感じる瞬間である



高舞殿(重要文化財)



拝殿(重要文化財)
祭神の金山彦命は、伊勢神宮の天照大神の兄神に当たる神様。式年遷宮は51年毎に行われる



18棟が重文の建築物と喜んでいたが、多くは拝殿左右の「回廊」内にあり拝観することはできない



回廊2棟(重要文化財)



摂社南大神神社本殿
回廊越しに唯一拝観できる南大神神社



国家に詠まれている「さざれ石」



神輿舎(重要文化財)






高舞殿と拝殿



絵馬垣
驚いたのがこの絵馬の数の多さ



関ヶ原が近くということもあり、「天下分目」の文字にも納得



壁の五線からも格式の高さがわかる
駐車場に戻り、水分補給をしていたときに境内図で意外なものを発見する。次回に…



撮影 令和元年5月16日
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日吉神社(岐阜県安八郡神戸町大字神戸)

2019年06月26日 | 神社・仏閣
日吉神社(神戸町)
全国に約3.800社ある日吉神社の一つである。弘仁8年(817年)最澄によって創建されたという
この神社に重文の三重塔があることを知り訪れた

惣門
「県社日吉神社」と刻まれている社号石柱。朱色の惣門には「日吉新宮」の額



参道を歩くと正面100m程先に朱色の社殿が見える



社務所



手水舎



記憶をたどっても、カエルは珍しい



本地堂跡・産石



大物忌神社



竃殿神社



三重塔(重要文化財)
全国にある国宝・重文の塔巡りも旅の大きな目的。またひとつ目的が達成された



説明書きによると「春日局」ゆかりの地とある



現存のこの塔は正世年間1500年の初め、斎藤利綱(春日局の伯父)が再建
約70年後の天正13年(1585年)に稲葉一鉄(春日局の叔父)が修造したもの






神輿殿



秀吉の幼名を「日吉丸」、あだ名が「猿」。その影響か



招魂社



三宮



狛犬



日吉神社では、「石造狛犬」(収蔵庫に保管)が重要文化財に指定されている



三猿






収蔵庫
重要文化財の「木造地蔵菩薩坐像」「木造十一面観音坐像 2躯」「石造狛犬(1対)」が安置されていると思われる



神明神社



早尾神社



願望絵馬掛処



牛尾宮



二宮



宇佐宮



大宮(岐阜県指定文化財)



桁行3間、梁間2間、向拝1間付、屋根切妻造、檜皮葺



祭神は「大己貴大神(おほなむちのおほかみ)」(国主命の異称)



客人宮



樹下宮



本殿の大宮を中心に左右対称になっている



牛石



最後に、三重塔に別れを告げ駐車場に戻る



撮影 令和元年5月16日
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荒川豊蔵資料館(岐阜県可児市久々利柿下入会)

2019年06月25日 | 博物館・美術館・記念館
荒川豊蔵資料館(岐阜県可児市久々利柿下入会)
道の駅「可児ッテ」の資料で、近くに荒川豊蔵の資料館があることを知った
道路沿いに駐車場があり、そこに車を駐めしばらく歩くことになる



この快適といえる道を歩いて行くが、普段車を利用し、歩くという習慣がないので長く感じてしまった



やっと建物が見えてきて、これだと喜んでいたら違っていた
この階段を上がって-



さらに上がり、息が切れてきた頃に-



資料館の建物が見えてくる。入館料は200円、写真撮影もできるというのも嬉しい
この場所にくるまでの間に、庭の整備をしていた男性と女性に、元気で心のこもった挨拶をされた
受付の女性の対応もすばらしく(歓迎されていると感じてしまい)来て良かったと思った



館内では企画展として「桃山と昭和にひらいた華」が開催されていた

荒川豊蔵が収集した作品
1 「総織部菖蒲刻文皿」(桃山 17C初 元屋敷窯)-当館が誇る逸品のひとつとの説明書き



2 「青花花鳥文皿(芙蓉手)」(明 17C 中国)



3 「織部葡萄文大鉢」(江戸 多治見)



4 「備前四耳壺」(桃山 16C後)



5 「青花山水文瓶」(李朝 韓国)



6 「志野織部笹透長角向付」(桃山 17C初 元屋敷窯)



7 「瀬戸黒茶碗」(桃山 美濃古窯出土)



荒川豊蔵の作品

8 「瀬戸黒茶碗」(昭和10年)



9 「志野茶碗 銘 里帰り」(昭和17年)



10 「志野茶碗 銘 瑞雲」(昭和35年)



11 「月照陶片歓触図」(昭和50年)



12 「黄瀬戸竹花入」(昭和28年頃)



13 「瀬戸黒金彩木葉文茶碗」(昭和40年)
旅先での茶を楽しめるようにと、妻・志づへ贈られたもの



陶芸作品を観る機会などまったくないが、この茶碗には魅了された



14 「染付山水図四方飾皿」(昭和46年)






陶房
戦後、住居から陶房機能を切り離した後に、新たに構えた陶房



昭和30年代以降のロクロ場に近い状態に復元



陶房内には、機械類は存在せず、昔ながらの手作業での制作工程であった



昭和40年代には西側に高床式の書斎部分を増築し、現在の姿となった






旧荒川豊蔵邸
牟田洞古窯跡での志野筍絵陶片発見を契機として、豊蔵は志野の再現を志し、ここ大萱牟田洞の地に移り住む



石柱には「うらぐち」と刻まれていて、茶目っ気のある人物と感じた
昭和7年には、入手した古民家を移築。戦後は陶房の機能を切り離し、居住空間として多くの来訪者を迎えている



歩いてくると奥の方にあるのが表玄関になる



荒川豊蔵の号である「斗出庵」の字が刻まれている












帰り際に気付いたが、陶房の門も周囲の景色に調和していていい雰囲気を出している



道沿いには石仏も置かれている






撮影 令和元年5月16日
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虎渓山 永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町)

2019年06月24日 | 神社・仏閣
虎渓山 永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町)
写真家 土門拳氏の写真に感動し訪れてから、今回が何度目になるのだろうか



確か、3度目の頃かと記憶しているが、国宝の観音堂を撮っていたときに「土門先生はそんなに撮っていなかった」とある老人に声を掛けられた



「土門先生って、土門拳ですか」と尋ねると「そうだ」と



その老人は、陶芸家で人間国宝の「荒川豊蔵氏」の下で30年間弟子として働いていて、土門拳が荒川豊蔵の志野焼を撮影している現場にいたという



その後、老人はデッサンをしていた手を止めて話しをしてくれ、その後に境内を案内してくれた



翌年、永保寺を訪れた時にもその老人が絵を描いていて、(私のことは覚えていなかったようなので)挨拶をしてまた話しを聞かせてもらった



2年経った今回はその老人に会いたいが為の訪問になった



写真を撮りながら老人の姿を探したが、境内には参拝者の姿さえ見当たらない



永保寺のある多治見市は埼玉県の熊谷市とともに日本の最高気温を競っている地域で、この日も体感では30度を越えている



老人の年齢は85歳になる。また再会することを願って、老人とともに歩いた道を進むことにした



正和2年(1313年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創した



この池は老人の話では、「心」の字をかたどった「心字池」となっているという



私がこの寺を訪れるきっかけになったのは、この小さな橋を撮った土門拳の一枚の写真
日本にこのような場所があるのかと衝撃をうけたことを思い出す



無際橋
池は「臥龍池」と呼ばれ、池に架かる橋は「無際橋」 こうした屋形のある橋は珍しいという



観音堂(国宝)

無際橋の先に見えるのが南北朝時代の「観音堂(水月場)」



一重裳階付き、入母屋造檜皮葺きの仏殿。本尊は聖観世音菩薩坐像












六角堂・梵音巌
観音堂の左側にある



梵音岩上にあるのが六角堂で千体地蔵が祀られている。この辺りは石仏で囲まれている



ここには滝があり、いつもなら水が流れているのだが…



開山堂(国宝)
更に進むと木陰で薄暗くなった先に、スポットライトを浴びたように開山堂に姿が見えてくる



初めて来たときには柵の周辺を歩くことができたが、現在は立入禁止になっている



禁断の地に数歩だが足を踏み入れてしまった
観音堂と開山堂の堂内は年に1日だけ、無料で公開している



周辺に置かれている石仏の中で印象に残ったものを2体









開山堂側から、無際橋を見る。国の名勝になっている



僧堂 座禅堂
雲水の修行道場でもあり、現在修行中とのこと



高校大学と心身を鍛練する修行を積んできたが、じっとしている修行経験はない。やってみたいとも思わないが…



鐘楼



山門
私はこの山門の存在を、例の老人に連れてこられるまで知らなかった



この石に刻まれた「虎渓山 永保寺」は、人間国宝 荒川豊蔵の筆によるということを教えられた



裏の最後の3文字の「斗出庵」は荒川豊蔵の号である



老人に再会することができなかったが、教えられたことの記憶をたどりながらの参詣も楽しいものだ






駐車場の戻る途中にある「獅子吼庭」 
大学の寮歌の一節に「世に先駆けて獅子吼する-」があり、つい立ち止まってしまう



保寿院
永保寺の塔頭寺院である



この文字も荒川豊蔵の筆



鳥と虫の声しか耳に入ってこないほどの静寂が保たれている



そして、緊張するほど境内が整備されている












願光寺
重要文化財の仏像を持つということで訪れたが、工事中で平成27年完成という



拝観はできるようであるが、二人以上なら500円、一人なら1000円とある
金が惜しいわけではないが、この考え方に嫌気がさした



鬼瓦と呼ぶのかはわからないが、山門の写真を見ていて、その面白さに今気づいき拡大した



撮影 令和元年5月15日
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多治見市モザイクタイルミュージアム( 岐阜県多治見市笠原町)

2019年06月22日 | 名所・旧跡
多治見市モザイクタイルミュージアム
2年前、ある女性のブログをみて訪れたのが最初である
この奇妙なデザインの建物を見たときには正直驚いたが、もう一度見てみたいという気持ちにさせた



この入口の形も面白い。ドアノブもなく、どのようにして入ったらいいのか悩むと思うが心配ない
突然ドアが開いて「あっ」と少し驚くが、自動になっている



壁には割れた「ご飯茶碗」が貼り付けてあり、壁に彩りを与えている



入館料300円を支払い屋内に入る。団体客や外国人が増えているのも2年前とは違うところだ



順路通り進むのであれば、この階段を一気に4階まで上がり、展示物を見ながら3階・2階・1階と下りてくる



4階には広いスペースがあり、タイルに描かれた作品が飾られている












楠木正成「桜井の別れ」の歴史的名場面も描かれている






この部屋の展示物のなかで、誰もがこの作品を特別な感覚で捉えている



この建物をデザインした人は「藤森照信氏」 この部屋には風雨を遮る窓もなく、冬には雪も入ってくるという造りになっている



近づいてみると、小さなタイルが貼り付けているのがわかる






このテーブルと椅子もタイルが貼られててできている



来館者のほとんどが女性である
爺独りの入館は、徘徊か好色かと思われるのもいやなので、カメラマンを装って堂々としている



3階はタイルの歴史や製造過程についてわかりやすく展示されている
気に入った馬の作品を撮ってみた



2階は2年前とは大きく変わっていた。写真のように色々な種類のタイルを展示していただけだったのが-



このように、タイルを使用した部屋づくりをしている



狭い空間を上手く使って、タイルの良さを引き出しているのがわかる。壁に木の葉模様のタイルを貼っている












散歩から帰った愛犬用のシャワー






私と同じようにこの建物をじっと見つめている女性がいる



撮影 令和元年5月15日
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愛知高原国定公園・岩屋堂公園(愛知県瀬戸市岩屋町)

2019年06月21日 | 名所・旧跡
愛知高原国定公園・岩屋堂公園
ある場所を目指し走行していた時、道路標識に「岩屋堂」の案内が目に入り、反射的にハンドルを右に切った
駐車場から500m程歩き、先の見えない舗装された道を上って行く

加藤新右ヱ衛門像
舗装された道を上った所に広場があり、その一画にこの像が置かれている
石炭窯を築いて焼成法を研究。瀬戸美濃地方の業者に呼びかけ普及させた人物だという



更に数m進むと、「御身浄地……」の文字の刻まれた岩がある



岩屋堂
725年(紳亀2年)行基がこの地に草庵を作り、この岩窟内で三体の仏像を彫刻し、聖武天皇の病気平穏を祈願したという霊跡



入口左側に安置されている小振りの石仏「不動明王」



岩窟内に入る入口。浄源寺の奧の院になっている



岩窟内の様子









こちらがもう一つの入口になる。自然の力の凄さを感じる



近くにある階段を見上げると、お堂が見えたので上ることにした



まだ旅の初めで、寺社の階段の昇降に体が慣れていないため、息切れに加えて膝にも痛みがある



毘沙門堂
石柱には「毘沙門天王」



額には「遊行庵」



手水鉢



暁明ヶ滝
岩屋堂周辺にくると水の流れる音が心地よく耳に入ってくる



数十m先にこの小さな滝が見えてくる



寒い北海道から来て、いきなりの強い日差しと30度近い気温に体が順応しない



しばらくの間、滝から流れる水を見ながら涼と疲れをとった



レンズを引くとこのような大自然の中にある小さな滝である



岩屋堂から駐車場に戻り、本来の目的地に向かう



撮影 令和元年5月15日
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大昌山 宝泉禅寺(愛知県瀬戸市寺本町)

2019年06月20日 | 神社・仏閣
大昌山 宝泉禅寺
道の駅「瀬戸しなの」で快晴の朝を迎える
いつものように最寄りの有名寺院で検索し訪れた曹洞宗の寺院である



山門
上下二重構造の竜宮造りで階上部分は鐘楼になっている



額には山号の「大昌山」



手水舎



本堂前が工事中で作業をしている人がいたため、周辺を歩いてみる
山門左手には、石仏が置かれている



一段高い場所にある石仏



陶彫の祖 渡辺幸平
近世の瀬戸窯に陶彫の技法を伝えた人物



墓石の碑棹は倒れ台石は散逸し、宝泉寺裏の無縁仏となって放置されている基碑を、昭和35年に復元したもの



鐘楼
先代の梵鐘は第二次世界大戦のおり軍に供出
鐘楼に天女の美しい天井絵が描かれているそうだ(見逃してしまった)



本堂



工事中ではあったが、「堂内にお入り下さい」との貼り紙があったので遠慮なく入ることにした



扁額には寺号の「寶泉禅刹」 禅刹とは禅寺の意



中央に正座し合掌



本尊の「釈迦牟尼如来像」



天井絵



瀬戸の絵つけ師によって描かれたといわれる天井絵



扉が閉じられているが「薬師如来像」が安置されている









寺号の「宝泉寺」  よく見ると陶製



陶質十六羅漢塑像(瀬戸市指定文化財)
弘法善治(本名 加藤善右衛門) 天保14年の作
薄暗い場所に置かれていたため、最初は陶製だとは思わずにいた



私は初めてみたが、全国でも陶製の十六羅漢は珍しいという






座禅堂・観音堂
ここも内部が工事中であった



駐車場に戻る。私の車の上部が見える



撮影 令和元年5月15日
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醫王山 薬師寺 密蔵院(愛知県春日井市熊野町)

2019年06月18日 | 神社・仏閣
醫王山 薬師寺 密蔵院
1328年(嘉暦3年)、美濃御嵩より訪れた慈妙により開創された天台宗の寺院

総門(春日井市指定文化財)
駐車場を探すのに時間を要してしまった。雨が強くなってきたのでしばらく雨宿りをしていたが、止みそうもないので行動することにした
密造院の建築物6棟が市指定の文化財。この総門もその一つとなる



総門から入ると、左手に観音堂、奥にお目当ての多宝塔が見えてくる



観音堂(春日井市指定文化財)



残念ながら施錠されており堂内の様子はまったくわからない



多宝塔(重要文化財)
名古屋港までのフェリー内で重文の多宝塔があることを調べ訪れることにした
境内にあった説明によると、この塔は室町時代のもので、何回も修理されたが昔の姿をとどめているという



禅宗様式の入っている珍しいものだと説明書きにはあったが、雨が強く確認することができなかった



屋根の軒反りや勾配がやや急であり、姿は近江の「石山寺」を思わせるとも



元三大師堂(春日井市指定文化財)
元三大師堂は、第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる



全国あちこちの社寺に見られる「おみくじ」の創始者でもある



開山堂(春日井市指定文化財)



鐘楼






宝蔵(春日井市指定文化財)



山王社(春日井市指定文化財)






本堂・庫裏へと続く門



額には「密蔵院」



本堂(元客殿)
永享末年(1441年)前後に最盛期を迎え、末寺は尾張・美濃を中心に11カ国・700ヶ所、塔頭は36坊にものぼり、七堂伽藍も備わって葉上流の伝法灌頂の道場として重きをなした
当時の学徒は3,000人を超えたとされる。 戦国時代になると織田信長が延暦寺と敵対した影響で衰退し、末寺は約100寺、塔頭も16坊となった



緑の境内の中で一際目立っていたピンクの花









白色の観音像も境内では目立つ存在だ



手前には墓石、奥には多宝塔



多宝塔を振り返りつつ駐車場に戻る



撮影 令和元年5月14日
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浄海山 圓龍院 観音寺<荒子観音>(愛知県名古屋市中川区荒子町)

2019年06月17日 | 神社・仏閣
浄海山 圓龍院 観音寺<荒子観音>
寺伝によれば、天平元年(729年)、泰澄草創の天台宗の寺院。「荒子観音寺」とも称する

山門
大都市名古屋市にある寺院。寺とは馴染みの薄い、入り組んだ電線が気になるが、それも仕方がない



扁額には山号の「浄海山」 大正5年(1926年)に完成した門



仁王像は最大の円空仏。防御用のガラスに反射して仏像を観ることもできない状態であった



本堂側から山門を見る。民家に隣接していることがわかると思う



手水鉢



多宝塔(重要文化財)



この寺には、重要文化財の多宝塔があるということを知り訪れた



天文5年(1536年)の再建。名古屋市内に現存する最古の建物



鐘楼



地蔵尊






本堂
天正4年(1576年)、前田利家により本堂が再建される



利家は荒子の土豪の家に生まれ、北陸に所領を与えられるまで寺の近くに荒子城を構えていたとされる。利家の菩提寺でもある






本尊は聖観音(33年に1度開扉の秘仏)



本堂には釈迦如来・大黒天の二像が安置されている



荒子観音寺には1255体の円空仏が現存し、移出像11体を含めて1266体が確認されている
2014年時点で日本全国で現存が確認されている円空仏5374体のうち、4分の1以上がこの寺にある



本堂から見た境内



本堂に向かい右横にあるお堂



記憶が定かではないが、六角堂で仏像が三躯安置されているとの記載あり



激しく降っていた雨も弱くなり、空も少し明るくなってきている
令和最初の旅で選んだのがこの多宝塔である。元号がかわっても塔巡りの旅は続く



撮影 令和元年5月14日
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2019春 放浪の旅 その30

2019年06月12日 | 旅日記
2019春 放浪の旅 その30
広島市周辺には道の駅がなく、廿日市市の山中にある温泉併設の「スパ羅漢」に車中泊
駐車スペースも30台程度、大型車がいないため静かな夜で、またまた爆睡してしまった



昨日休みで行くことが出来なかった場所に行くことは昨夜から決めていた
気まぐれで短気な私が、このように待つことは極めて稀である
その場所の正式名称は「海上自衛隊第1術科学校」



江田島にある「旧海軍士官学校」である。平日は10:30、13:00、15:00 の3回一般に公開している
10時30分に参加するため道の駅を6:30に出てきた
90キロの道のりだったが、あちこちで渋滞があり随分時間がかかってしまった
参加者は40名程度。若者が多いのには驚いた



この建物は「大講堂」 年に入学式と卒業式の2回だけ使用されている






内部の様子。かつては卒業式では成績順に呼名され、成績優秀者のみが中央の「赤絨毯」を通り特別に「短刀」を授与
それ以外のものは横から卒業証書を授与されとのこと



天井の照明。海軍なので「何か」に、似せて造っている



「幹部候補生学校」 主に防衛大出身者が学ぶ校舎。長さが約140mある



その長い廊下



こちらは、一般の学生が学ぶ校舎。随分差があると感じた
聞いていたとおり、二人以上で歩くときはきちんと2列になっている



このギリシャ風建築物は「教育参考館」といって、慰霊の場所となっている
これまで、広島、長崎、沖縄、知覧、靖国神社を訪れ、特に知覧の遺書には感動したとブログに投稿したときに、江田島もあるとコメントが届いた
旧海軍兵学校出身者は、現在の東大レベルで常套句ではない遺書が多いと聞いていた



呉市に移動した
「てつのくじら館」は海上自衛隊の施設である。この潜水艦、実は本物である



艦名は「あきしお」。艦内の一部が公開されていて、元乗組員が説明してくれる



一般乗組員のベッド



幹部クラスのベッド






「潜望鏡」 思ったより視野が狭いし見えにくい



日没の15分前から赤色灯に切り替わるそうである。カメラをもっていたのでサービスしてくれた



今日の最後が「大和ミュージアム」 訪れるのは2回目である



「太平洋戦争と戦艦武蔵」に関係するものが特別展示されていた









ここからは「常設展示」 大和の見事なまでの模型である









「戦闘機」も展示されている






この施設は歴史の事実のみを展示している。それを読んでどう考えるかは各人の裁量である
また、この施設にも多くの遺書が展示されている。若者の多くも真剣に読んでいて涙する者もいた



撮影 令和元年6月12日
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2019春 放浪の旅 その29

2019年06月11日 | 旅日記
2019春 放浪の旅 その29
山口県の道の駅「ソレーネ周南」に車中泊。写真を3枚撮ったのだがメディアを入れ忘れていたのを後で気付いた
この道の駅は、富田林署に勾留中の男が48日間逃走し、身柄を確保され場所でもある

この日はススキノで暴れている夢を見て目が覚めた。4時前であったが、起きて今日の計画を練る
食事後、詳細に調べるとメインの2つが休みだということがわかり、考える気力もなくなり「帰ろう」と思い、ナビに「舞鶴港」と入れた…
道の駅を出発し5キロも走らぬうちに渋滞に
この先480キロ走らなければならないと思うと頑張る気力がなくなり「錦帯橋」に寄り道した



橋の構造を知るためではなく、強い日差しを遮るために避難した



右側からも。以前に来たことがあって、橋を渡ると「こんなものか」と思うので、下にいる時間が貴重になる



山の上にあるのが「岩国城」



対岸には、佐々木小次郎がこの辺りのツバメと柳で「ツバメ返し」編み出したという



暑くて、犬も水浴びをしている



現在、郵便ポストとして使用されている。



橋の上から。河川敷が駐車場になっている



気分がのってきたので、「厳島神社」へ向かう。現職の時、仕事でここへ来て楽しかった思い出がある
その後、一人で3回ほど訪れている



平日にもかかわらず、これまでのなかでは一番賑わっている
修学旅行生、外国人観光客がやけに多く感じた



東洋系の女性に英語で声をかけられた。写真を撮ってほしいとの内容であった
スピードラーニングで学んでいなくても聞き取れたが、バブバブとしか話せなかったがきちんとポーズをとってくれた
母国に帰り、イケメンに写真を撮らせてくれと頼まれたと、きっと自慢するのだろう



この日は社殿には入らず、外から社殿を撮ることにした












「豊国神社(重要文化財)」の千畳敷



許可をもらって後ろ姿を写させてもらった。美人さんです



五重塔(重要文化財)



新しく発見した「多宝塔(重要文化財)」



帰り際には、かなりの勢いで潮が満ちてきていた



ということで、今日は舞鶴ではなく、厳島神社のフェリーに変わった

撮影 令和元年6月11日
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2019春 放浪の旅 その28

2019年06月10日 | 旅日記
2019春 放浪の旅 その28
大分県の道の駅「なかつ」が九州最後の車中泊となった
前日に数百段の石段を昇降し、疲れていたのか朝まで爆睡していた
道の駅周辺は曇っていたが、本州の玄関口である山口県は快晴の天気ということで国道2号線を走る事にした



最初に訪れたのは下関市にある「住吉神社」で、国宝の本殿があるということに惹かれた
鳥居は道路に面している。この青空は予報通りである



変わった感じの「狛犬」は青銅でできている



階段の上には「楼門(登録有形文化財)」






「拝殿(重要文化財)」



「本殿(国宝)」  この形式は初めて見たような気がする



「透塀(登録有形文化財)」から、「スケベ心」で撮ってみた(笑)



山口県にはこのような美しい塔を無料で観ることができる
「瑠璃光寺五重塔(国宝)」である



境内入った時から賑やかな女性の声が聞こえていた。某有名衣料品メーカーの社員旅行のようである
数人に塔をバックにと記念写真を頼まれたが、撮っていてこちらも楽しくなるような「こころ美人」の集団だった



「画聖 雪舟像」



塔を撮ったら帰ろうと思っていたが、本堂辺りから笑い声が絶えないので、つい気持ちが引っ張られてしまった



その時の気持ちは、このような感じだった



「本堂」



「足るを知る」 良い言葉だと何時も思っているのだが…… 日常、生活をしていると忘れてしまう



本堂内の「弥勒菩薩」



司馬遼太郎の「街道をゆく」から



防府天満宮に走るが、知っている駐車場が一杯で、「周防国分寺」へ



「楼門」は県指定の文化財



「本堂(重要文化財)」 参拝者がいないので変だと思っていたら休みだった



本堂内には一度入ったことがあるが、重文の仏像7躯を含め50躯の仏像が安置している



この石仏の物語もはっきり記憶に残っている






以前は楼門前に駐車スペースがあったのだが、お堂の横が駐車場になっていた。時代のながれを感じる



防府市には大学時代の朋友が住んでいる。通行税として北海道余市限定のウイスキーを置いてきた
彼は第1回春高バレーで準優勝、春高バレー出場者のなかで最初に監督として出場している

撮影 令和元年6月10日
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2019春 放浪の旅 その27

2019年06月09日 | 旅日記
2019春 放浪の旅 その27
大分県の道の駅「ゆふいん」に着いたときから、車内に異臭が漂っている。何か腐ったものでもあるのかと探したがない
加齢臭かと、体の臭いを嗅いだがこの臭いではない(笑) 何と「温泉臭」であった。ここは、温泉で有名な由布院



雨が降っていたら、本州へ。晴れていたら「国東半島」を回ってみようと考えていた
国東半島の天気は、予報では10時頃から晴れてくるということなので、今日も早めに出発



県道11号線を走行。車を止めて写真を撮りたいと思うほどの景色だった



道の駅で入手したパンフを参考に最初に選んだのは「安国寺」 予報通り、曇りから晴れに
「石造仁王像」は今日参拝した寺院に共通している



「本堂」 自由にお参りくださいと書いてある



「足利尊氏公座像(重要文化財)」



もう一つ気になっていたのが「大石良雄ゆかりの女」の座像



外には歴史を感じる石仏もあるが、このような可愛いものもある



「安国寺集落遺跡公園(史跡)」






次に訪れたのが「両子寺(ふたごじ)」
一番楽しみにしていたものを通り過ぎ駐車場に入ってしまった



「本堂(護摩堂)」 本尊の「大聖不動明王」の眼光は鋭い



境内には石仏が点在しているが、一番気に入ったのが、この道祖神



「国東塔」



この大きな鳥居の奥に「奥の院」がある



「奥の院本殿」



最後になったが、これが両子寺の顔といってもいい「石像仁王」



次に訪れたのは「文殊仙寺」 日本三大文殊の一つとある
私も好きなので、日本三大文殊を回ってきたが、ここにもあったとは知らなかった



周囲の風景と溶け込んでいて分かり難いが、仁王像が立っている



ここまでくるまで、100段以上は上がってきたが、このあとも先が見えないほどある



ここがゴールと思っていた所が山門だった。まだまだ続く



まだ、階段はあるが、休憩も兼ねて文殊堂を撮る



「十六羅漢」






「役行者像」



「鐘楼」



この後、二つほど訪れようと考えていたが、途中にあった温泉に入ってしまったら、どうでもよくなってしまった

撮影 令和元年6月9日
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2019春 放浪の旅 その26

2019年06月08日 | 旅日記
2019春 放浪の旅 その26
大分県の道の駅「やよい」に車中泊。温泉が併設されていて、車旅には便利な場所だ
最近、寝る時間が早くなっている分、起きる時間も早い。雨は降っていないが曇り空の朝。同じ会社の車が横に駐まっていた



雨が降らないうちにと、早めに出発。6年前に訪れたことのある「臼杵磨崖仏」



順路が示されていて、その通りに歩く。早い時間だったので誰もいない



昨日の記憶も定かではなくなってきているのに、不思議と石仏の顔は覚えているものだ



今回の投稿は石仏群のみにした


















この石仏が一番有名な「大日如来像(国宝)」



すぐ近くにある「満月寺」の仁王像(重要文化財)



ウルトラマンのような顔をしている



「深田観音石仏(史跡)」



「宝篋印塔(重要文化財)」



ここまで順調だったが、街中の由緒ある神社に道が狭くて行くことができず断念
比較的近くにあった「霊山寺」を目指すことにした
ところが、約4キロも離合不可の山道を緊張感をもって走り、やっと「仁王門」前に着く



石造りの仁王像






「楼門」



「本堂」



帰りも運良く対向車に合わず



この後、もう一つ由緒ある神社を目指していたが、またナビに狭い道を案内された
気持ちが前へ進まずバックしてUターン。道の駅を目指した

撮影 令和元年6月8日
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